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6.まだ暑い新学期

新学期が始まった。
暦はすっきりと9月に入れても、暑さはまだダラダラと引きずったまま。
久々に登校してみると、夏休みの間に起きた真人の悲劇を知っているクラスメイト達が遠巻きから彼を話題に上げていたが、親友二人や仲間達は普段通り接して来てくれた。
彼らも、真人が元に戻って安堵した様子だった。
沙希とは、突然の旅行以来の再会だった。
クラスでは相変わらず浮いた存在だったが、話しかければ普段通り話してくれる。
今度仲のいい女友達と引き合わせてみようと思う。お見舞いにフルーツを届けてくれた二人なら、沙希とも仲良くなれるはずだ。
新学期初日は集会とちょっとしたHRだけなので午前中には終わった。
帰り際、自転車を慌てて取りに行った真人は歩くのが早い後ろ姿になんとか追いつくことが出来た。


「沙希!」


呼び止めると、長い黒髪が揺れた。
自転車を押しながら横に並ぶ。


「あのさ、よかったらこれからウチでお昼食べに来ない?」
「真人の家?」
「孝仁の奥さんから冷麦大量にもらって、一人じゃ消化できなくてさ。」
「一人?」
「ああ、兄さんは大学に戻った。」


兄瑛人は、夏休みを終えても実家から大学に通おうとしていた。
電車を使って往復4時間はかかる道のりを毎日なんて時間的にも金銭的にも無謀だと説得したら、ついには大学を辞めると言い出す事件が夏の終わりにあった。
困惑した真人は孝仁を呼びなんとか二人で説得して帰らせたのだ。
兄は弟一人を此処に残して都会へ帰るのが心配でたまらなかったようだ。
真人が都会で瑛人と暮らすという案もあったが、これから大事な進路を決めなければいけない時期ということもありそれは却下された。
それに、両親がせっかく残してくれた家を放置するわけにはいかない。
帰る日の夜はかなり寂しそうだったが、なんとか送り出したのだ。
その夜の苦労を思い出して苦笑をもらす。
沙希は昼食の誘いを了承して、並んで南西の外れにある住宅街へ歩く。
鞄から携帯を取り出して、お世話係さんにメールを打ち出した。
今どきの女子高生、メールを打つのは早かった。
というか、携帯持っていたのを前回気付いていたのにまたメルアド交換をしなかったのを思い出す。
まああの時はそういう雰囲気ではなかったが。


「はとこの孝仁さんには、お礼言いに行かなきゃ。送ってもらった上に、両親にいっぱい謝ってくれて。」
「僕からたっぷりお礼しといたから大丈夫だよ。悪いのは僕だし。というか、僕が沙希の家に謝りにいかなきゃ。」
「大丈夫。案の定心配してなかったから。」
「え。そうなの?」
「むしろ喜んでた。」


娘が友達と出かけたことに対する喜びなのか、また別の意味合いなのか。
頭の隅で考えてるウチに家の近くまでたどり着き、自宅の門の前にワンピース姿の女性が立っていた。


「お母さん?」


真人が気付くより早く娘が気付いた。
大人っぽい落ち着いた花柄のワンピースに、白いツバ広の帽子を手に持っている。
沙希の母は、体ごとこちらに向くと、真人に向かって深々と頭を下げ始めた。
こないだの件できたのだろうか。やはり内心では大事な娘を連れだしたことに怒っていたのか。
片手で自転車を支えながら慌てていると、沙希の母都羽子は、物悲しげな瞳を真人に向けた。
戸惑ってしまうぐらい、悲しそうな目の輝き。


「真人さん。お話があるんです。」


雨条親子を家に上げ、リビングの木目テーブルに座ってもらう。
朝作っておいた麦茶を来客用のコップに入れて机に出すと、何故か都羽子の向かいに沙希と真人が並んで座らされた。
普通娘は自分の横なんじゃないだろうか。



「沙希ちゃんがいるとは思わなかったけど、これも必然なのかもしれない。」
「お母さん…?」


娘は明らかに困惑した様子で首をかしげていた。
都羽子は、以前会った時のような柔らかい雰囲気を一変させており、真面目な厳しい顔で話し出した。



「私は、貴方のお母さん、櫛菜と子供のころからの友人でした。
歳は私の方が上だけど、姉妹のように、親友のように、時には親子のように一緒でした。
事が起きたのは櫛菜が高校生の時。子供を妊娠したの。貴方のお兄さんね。」


母の年齢を逆算して、兄を産んだのが学生の時だということは誰もが知っていた。
今は問題だが、当時は女性は16歳でも子供を産んでいいことになっていたのだ。


「子供のお父さんが誰なのか、何度聞いても彼女は教えてくれなかった。
だから、私が折れて、相手は教えなくていい、子供を育てるのはとにかくお金がいるから、相手の人に相談しなさいと説得したけど、櫛菜はそれも拒んだ。彼女は一人で産んで、一人で育てると言い張った。
でも高校生の女の子が子供を一人で育てるわけにもいかないし、身寄りの無かった彼女を助けてくれる大人はいなかった。
私は、夫に相談して、櫛菜が高校を卒業し安定した仕事が見つかるまで子供を預かることにしたの。」


真人は横目でちらりと沙希を伺った。
彼女も今まさに、両親の知られざる秘密を聞いている真っ最中なのだ。
どう思い感じているのか知りたかったが、相変わらずの無表情のままだった。


「そして出産予定日直前。あの子は消えてしまった。」
「え…?」
「臨月は当に過ぎて、お腹も大きいまま、病院を抜け出したの。
それから必死に探したけど、足取りはまったくつかめず、連絡も来なかった。
私はずっとその街で彼女を探し続けたけど、沙希ちゃんを妊娠したのをきっかけにこの街に移り住んだ。
…そして一か月前、真人さんを見て驚いたわ。櫛菜そっくりだったから。」


沙希の家に招かれたとき、彼女が手にしていたポットを割ったのはそういう訳があったのか。
亡霊を見たようなリアクションも、納得できる。
自分でさえ、鏡に映った母そっくりの顔を見て驚きのあまりドライヤーを鏡に投げつけてしまった程だ。
真人と櫛菜の違いは、性別と髪の長さぐらいのものだ。


「あの後すぐ、生徒名簿を引っ張りだしてこの家を訪ねたの。」
「出かけてたって、此処にだったのね。」
「そう。櫛菜は家にいた。10数年ぶりの再会に櫛菜はとても驚いていたけど、とても喜んでくれた。
最初の子を出産する直前で連絡もせず消えたことを必死に謝ってくれたけど、やっぱり理由を話してはくれなかった。
私はお互い子宝に恵まれて幸せにやってることに感謝しようって、昔みたいにまた仲良くやろうって言ったの。
お互い子供の話を報告しあって、楽しくお茶をして…昔に戻れた、そう思ったの。
でも…そこに現れたのが、あの人だったなんて…。」


沙希の母親は言葉を詰まらせた。
真人は身を乗り出して聞いていた。


「あの人って、父…威ですか?」
「そう。威さん…。」
「父さんとも知り合いだったんですか?」
「知り合いってほどじゃないの、子供の頃、何回か遊んでもらったことがあって…。」


肩を持ち上げながら視線を泳がし、明らかに言葉に出すのを迷っているらしかった。
その間が非常にもどかしく、真人は重ねて聞いた。
全てを教えてくれ、と。


「6歳の頃だと思う。小学生になったばかりだったから。近所に神社があって、境内でよく遊んでいたら声を掛けてきたのが威さん。
今思えば、その頃から威さんと櫛菜はウマが合ったようで、警戒心が強いあの子がよくなついていた。子供だった私たちは威さんの事全然知らなくて、神社の息子さんかあの辺りに住んでる大学生だと思ってたの。」
「大学生??」
「威さんの外見。私たちが初めて会ったあの時威さんは全く同じ姿をしていたの。若々しいとかそういうんじゃなくて…全く、全然変わってないのよ。」


まだ蒸し暑い9月初日。
むき出しの真人の腕に鳥肌が走った。
なぜ、疑問に思わなかったのだろうか。
5歳の時に会った父と、夏休みの初めに会った父は、全く同じだった。
母は年相応に老けこんでいったけれど、父だけは若々しいまま。
この事実というより、気付かなかった自分の思考に恐怖した。


「私、凄く驚いちゃって、色々聞いたの。いつ再会して、いつ結婚したのか、とか。
威さんは若いままね、とか…それがいけなかったんだと思う。
櫛菜は明から様に戸惑った様子で、用事があるからって私を家から追い出した。
それから、ごんなさいって言って、ドアを閉めたの。」


長い長い話が終わり、真人はゆっくり息を吐きながら背もたれに我が身を任せた。
俯いていた都羽子は真人の変化に気付いていなかった。


「たぶん威さんの事自体が、聞いてはいけないことだったんだわ。
櫛菜はまた逃げることを選んで、そして、自殺なんか…。」


耐え切れなくなった涙がそのまま真っ直ぐワンピースに落ちた。
手にしていたハンカチで目元を抑えても、涙の雨は落ち続けた。


「母さんは生きてます。」


この空気を両断するようにきっぱりと言い放った真人の言葉に、都羽子の首が持ち上がった。
そして、姉妹のように一緒に育ってきた親友と同じ顔をした息子のまっすぐな視線に釘付けになる。


「母は生きてますよ。お友達に何も言わず行かねばならなかったことは悲しんでたかもしれませんが、父さんを本当に愛していました。」


真人は、自分の思いと兄から聞いた両親が残していった財産の話をした。
両親は自殺ではなく、此処から去らねばならない理由があった。
子供にお金の心配だけはさせないように整えて、今もどこかで生きてると熱意をもって説明する。
現に、事件からもうすぐひと月経とうとしているが、両親の遺体は見つかっていない。
子供が自分の心を偽るための言い訳だと大人は呆れそうな話だったが
都羽子は泣きながら笑って、納得してくれた。
結局お昼を食べずに、沙希も母親と一緒に帰ることになった。
玄関口で、都羽子は親友によく似た息子に赤い目をはじらいながら微笑む。


「またいつでも遊びにきて頂戴。櫛菜の息子なら、私にとっても大切な息子よ。」
「ありがとうございます。今度は兄を連れてお邪魔します。」
「ぜひそうして。」


彼女本来の柔らかい笑顔を咲かせ、二人は帰っていった。
すぐ踵を返し、台所に入ると大きめの鍋にお湯をわかし、冷麦をゆで、めんつゆのみで食べ始めた。
お腹は、正直空いてなかった。
それでも掻きこみたい気分だったのだ。想いも、痛みも。
まだ芯が残って固い冷麦を次々喉に流し込みながら、沙希のアドレスを聞く機会を三度逃したことに気付いた。
 

 

 

 




夜の帳が降りて落ち着いた頃、真人は家を飛び出していつか兄と共に星空を眺めた場所で、同じように柵に座って上を向いていた。
オリオンのくるぶしが青く冷たく光っている。
反対のペテルギウスは赤く燃えるように輝いている。もうすぐ、あの星は死ぬらしい。
星が死ぬというのは、どういうことなんだろうか。
爆発によって散り散りになるのか、無に帰るのか。
ただ、それを人類が知るのは何万光年も後のことだろう。



「おい。」
「ひぃぃっ…!!…って、孝仁か、」
「なんだ、という顔をするな。」


低い声で話しかけられ体が跳ねてしまったが、斜め後ろに立っていたのははとこだった。


「どうしたの?」
「ちらのセリフだ。家をたずねたら誰もいなかった。」
「あ、ごめん。」
「いい加減、夜出歩くのはよせ。」
「子供扱いしないでよー。散歩ぐらいいいでしょ?」
「瑛人がいない間しっかり監視するよう頼まれたからな。
お前がふらふらしていると、あいつ週末の度に帰ってくるぞ。」
「それはあり得る…。」


ふざけてケラケラ笑う真人と違い、孝仁は真面目な顔を向けてきた。


「やはり、俺の家に住まないか。」


それは夏の終わりに出された提案だった。
高校生とはいえ、たった一人で家に残すのは心配だと孝仁が言ってくれた言葉。


「ちびちゃんは生まれたばっかりなんだから、風子さんに悪いよ。」
「お前もでかい息子みたいなもんだ。風子もそう思ってるし、同居を提案したのもあいつだ。」
「しーちゃんもまだ小さいし。」
「お前は俺の大切な家族だ。」
「…ありがとう。」


真人はもう一度ペテルギウスを見上げた。
必死に、最後の息吹を全身使って燃やしている赤い星。


「うれしいけど、あの家で待ってなきゃ、家族達を。」


もう真人の心は定まっていた。
父の事は謎しかないが、父もちゃんと家族の一人だということを再認識した夏であった。
そういえば、この海岸で行われる夏の祭りは兄と見に来れなかった。
死体もないのに葬儀をやってしまった手前、七日関係で色々と忙しかったのだ。


「これから夕飯はウチで食べろ。お前料理できないだろ。」
「今日は一人で作れたもん!」
「そうめんゆでるのはウチの雫でも出来る。」
「マジ!?しーちゃんまだ3歳なのに…。」
「学生時の俺と立場逆だな。」
「アハハ。そういえばそうだよね。孝仁がウチでご飯食べてたんだった。」
「そのお返しだと思え。下手な遠慮するな。俺が傷つく。」
「そんなナイーブじゃないくせに~」
「なんだと・・・?」
「痛い!痛いって!」


いかつい大きな手で頭を掴まれ悲鳴を上げる。
指先の力は緩み、まるで別人みたいに優しく真人の髪を撫でた。


「当初の目的を忘れていた。風子がケーキ作ったんでお前を呼びに行ったんだった。行くぞ。早くしないと雫が泣きわめく。」
「うん。」


背を向けた孝仁にバレないように、真人はこっそり目じりにたまっていた涙を拭いた。
本当はまだ、一人になるには辛すぎた。
母の居ない静かな家が嫌で外に飛び出したのだ。
血の繋がらないが、もう一人の兄がいてくれて、本当に助かったと、心からそう思った。

 

 

 

 








真人は夢を見ていた。


自分が夢を見ていると、初めから理解しているのは変な感じであった。
そこは今の家を買う前に住んでいたアパートの一室だった。
家具は一切なく、フローリングの上に丸い毛足の長いカーペットが敷かれているだけ。
窓にカーテンは無く、オレンジの弱い夕日が差していた。
カーペットの上であぐらをかいているのは父で、父の膝の上に2歳か3歳ぐらいの自分が座っていた。
小さい自分は、おもちゃのブロックを意味もなくぶつけたり噛んだりして遊んでいた。
夢の中で、真人は首をかしげた。
これは夢なのか、沙希がいうところのパラレルワールドの記憶なのか。
一番異様なのは、父が息子を膝に乗せてるだけじゃなく、髪を優しく撫で続けていることだ。
真人は父に触れられた記憶は一切ないのに。


「真人、これから引っ越しだ。新しい家で、お兄ちゃんと一緒に暮らすんだ。」
「にー?」
「そう。にいちゃん。あきと兄ちゃんだ。」

「あいーお。」
「あきとだ、あきと。ずっと引き離されてたが、やっと見つけ出したんだ。苦労したよ。」


父の苦労が3歳の息子にわかるわけもない。


「いいか、真人よ。父さんと母さんは、時期が来たらお前たちの前から去らねばならない。
俺たち家族はそういう呪いにかかっているんだ。」
「??」


幼い自分はわけがわからず首をかしげる。
話よりも、父に撫でられている手が心地よいことに満足そうにしている。


「本来なら、俺がお前の前にいることすら御法度で、いけないことなんだよ。一緒にいたらダメなんだ。」
「パパぁ。」
「だが安心しろ。瑛人だけはちゃんと連れてきた。」
「むー?」
「兄さんと一緒に、仲良く暮らすんだぞ?」
「パパ、いっしょだよ?」
「今はな。この世界では、成長するお前たちの姿を見ていられる。いつまではわからんがな。
父親らしいことは禁じられているが、心はお前たちと共にある。」


難しい話はさっぱりなのだが
子供ながらに、父の言うことがわかってきたのだろう。
小さな真人は顔を歪め泣き出した。


「バイバイやだぁ…。」
「もうしばらくは、一緒だ。」
「ホント?」
「ああ。いつお達しがくるかわからないがな・・・。あいつも俺の子であればよたっかのにって、ずっと思ってる。すべてはシンの悪戯…あいつのあだゆめに巻き込まれたせいだ。」
「まひと、パパだいすき。」
「…ああ。パパもだ。この手で、育てたかったよ…。」


大きな手で真人の涙をぬぐいつつ、もうすぐ消え行く夕日を取り込んだ息子の大きな瞳を覗いた。


「この記憶は消しておく。だが忘れるな真人。俺は櫛菜と真人と瑛人を愛している。
この世界でも、もちろん元の世界でも。これから何が起き何がお前を巻き込もうとも、必ず俺が守ってやるからな。」

 

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