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5.旅路の果てに-2


海沿いの近くに止めた孝仁の車に、真人も沙希も乗り込んだ。
始めのうちは瑛人が沙希に謝ったりお礼を言ったりしていたが、次第に誰も言葉を離さなくなり、そのまま朝電車で辿った道を車で引き換えし、彼らの住む街についた。
孝仁は、兄弟を家の前で降ろす、沙希を送りに行った。
朝出て行ったばかりなのに、1カ月ぶりかと思うぐらい久々の帰宅。
まず真人は、瑛人に風呂に押し込まれた。
海風に乗った砂を家じゅうにばらまかれても困る、とのことだ。
風呂から戻ると、瑛人の作った夕飯が用意されていた。
そういえば、お昼は沙希と食べたが夕飯がまだだった。
二人は木目のテーブルについて、黙々と食べ始めた。
真人は、てっきり叱られるものだと思っていたのだが、兄は何も言わなかった。
普段通りの、優しくて大人しい兄だった。
夕飯の片付けを手伝っていると、孝仁から沙希を無事送り届け、向こうの両親に代わりに謝っておいたと一報があった。
電話口でもう一度謝罪をして、電話を戻す。


「なあ真人、散歩行こうか。」


突然の誘いを、真人は快諾した。
玄関の戸を閉めてから住宅街を抜けても兄弟は何も言葉を交わさず、似たようなリズムで緩い坂を下りていく。
もう夜半に差し掛かり、車の通りもほとんどない。
林を抜け、右手に海が広がる。××市の温泉街で見た海とは、やはり違って見えた。
同じ海水のはずなのに。
凪いだ海に星がたくさん反射して、鏡の世界みたいになっていた。
道向こうの商店街エリアの弱い明かりが届くだけなので、星を見るにはいい場所だった。
歩きながら、空を見上げる、
夏の大三角形が、はっきりと確認できた。
波打ち際まで下りれば完全に街明かりが遮断されるので、月さえなれれば天の川の姿がぼんやり見えるのかもしれない。
瑛人が、ガードレールの終わりで足を止めた。
夏休み初日で沙希が立っていたのと同じ場所。
このまま行くと海に下りる細い道があって、道沿いに左にカーブすれば図書館に当たる。
兄が止まって静かに星を見上げだしたので、真人は車道と歩道を分ける柵の上に腰掛けた。


「兄さん、僕ね。実際行ってみてわかったよ。二人は死んでないって。」


オリオン座の三つ星から、弟の横顔に視界をスライドさせる。
目が夜に慣れ出したので、今彼がかすかに笑っているのがよく見えた。
憑き物が取れたような、清々しい横顔は、デネブよりも輝いて見える。


「冷静に考えてみれば、母さんも父さんも自殺なんかする人じゃない。
母さんは困難には自ら挑んで立ち向かう強い人だし、父さんは生粋のナルシストだ。
自分が一番可愛くて、弱くて自信過剰の人が、自殺なんかするわけがない。
父さんは、母さんを連れ去って逃げたかったんだと思う。自殺の演出はカモフラージュだよ。」
「そう、真人は感じたんだな。」
「うん。」


自身に満ち溢れた返事だった。
現場を実際にその目で見て、その肌で感じ、現実をしっかりと受け止めたからこその結論なのだろう。
たった1日でずいぶん大人びてしまった弟の姿に、うれしくもあり、少しさびしくもある。


「二人は、逃げたわけじゃないと思うぞ。」
「え?」
「あの家に残っていた20年分のローンが全て支払われていた。土地の所有金も全額納付されていた。あらかじめ決めてあった保険金や遺産相続の受取人は俺たち兄弟に等しく分配されていたし、4日前には、多額の預金が記載された俺たちの銀行手帳が送られてきた。」


今度は、真人が兄の横顔を見上げる番だった。
どの話も初耳だった。


「銀行口座を開いたのは、先月の20日だ。」
「夏休みの初日…父さんが帰ってきた日…。」
「どれもこれも出来すぎだったから、孝仁に手伝ってもらって調べたんだ。俺は家を離れられなかったから。」


自分が現実を受け入れず部屋にこもっている間に、兄二人が動いていてくれたなんて。
しかも瑛人は、ずっと家にいて真人の面倒をみながらすべて調べたというのか。
申し訳なさがこみあげてきたが、瑛人の言葉は続いた。


「さらに、俺らが保険金目的で両親を殺したんじゃないかと警察に疑われないよう、威さんが亡くなる前夜の方々に電話をかけて旅行先にいることをアピールしてたらしいぞ。
夜中にわざとらしい愚痴を聞かせたり、俺たちを褒めちぎったり。」


真人は、昼間行った内装が高価な温泉宿の支配人が言っていた言葉を思い出した。
父親が電話をしていたのも、確かに前夜の夜だ。


「あの旅行は随分前から計画されてたみたいだ。宿の予約を取ったのも先月頭。」
「あの人…なんでそんな面倒なことを…、なんで―――」


なんで言ってくれないんだ。
いつもいつも、肝心なことは何も話してくれない。
血がつながった家族なのに。
壮大な計画を立ててまで消えなきゃいけない理由が二人にはあった。
それを知らずずっと平和に暮らしてきた自分が情けなくなる。
自分は、両親や兄達に支えられなきゃ生きていけないんだと、一人じゃダメなんだと痛感した。


「威さんは、俺たちに言えない問題を、俺たちが生まれる前から抱えてたんじゃないかな。
それに巻き込まないように、血のつながった真人とさえ距離を取ってずっと生きてきた。
時期がきたか、そろそろかと思ったのかはわからないけど、威さんは去っていった。
母さんだけはそれを知っていて、ついていくことにしたと思う。」


先月再会したはずの織姫と彦星が頭上で懸命に燃えていた。
あれが何億年も昔の光だとしたら、今の織姫と彦星はどうなっているのだろうか。
両親みたいに、いづれ駆け落ちでもしたことになるのだろうか。


「母さん、言わなかったけど、父さんを愛してたもんね、ずっと…。」
「ああ。」
「僕たちを置いてまで父さんについて行くなんて、ちょっと残念っていうか、凄く寂しいけど…。二人が元気でやっているなら、それでいい気もする。」


瑛人は俯く弟の髪をくしゃくしゃに撫でた。


「いつかまた会える日まで、俺たちは二人で頑張っていこう。」
「うん。ごめんね、兄さん。沢山心配かけた。」
「俺はお前がいればそれでいい。今までも、これからも。」
「兄さん…。」
「そろそろ帰るか。未成年を連れまわしていい時間帯じゃないしな。」


兄が踵を返したので、柵から飛び降りて後に続いた。
最後にもう一度だけ、記憶にとどめようと今日の星空を見上げた。
雲も月もない美しい夜空と、夜空を真似て光る水面。
いつもそこにあるけれど、いつまでも有るとは限らない星明りは儚くも頼もしく、明日へそっと背中を押してくれているような気にさせてくれる。
昔のように手を繋いで帰りたかったが、近所の人に見られては困るのでやめておいた。
それに、少しだけ前を行く兄の背中は、昔と比べて痩せて見えた。
自分が大きくなり過ぎたせいかもしれない。
両親の騒ぎに、今日の突拍子な弟の外出で数年分の苦労をさせてしまったかもしれない。
兄はしっかりしているが、まだ大学生なのだ。
いつも弱音は吐かないからつい頼ってしまうが、これからは弟の自分も兄を支えなければならない。
今となっては、唯一残った血のつながった家族なのだから。


 

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