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神宿りの木    クロガネ編 5

 

「清野の配線やパイプを切断したのは、長老自身ってことかしら。」

「おそらくな。」

 

 

レイコは沈鬱の眼差しを外に向けながら、煙管の煙を吐いた。
此処は水縹一族の領域内にある廃墟の中。
施設の管理室だったようで、壊れたモニターや椅子が乱雑に転がっている。十杜にでも襲われたのだろう。レイコは戸口の枠に背を預けながら煙管を咥え、ユタカはパイプ椅子を起こして腰掛けていた。


「清野は気高い一族だった。今代の長老は気難しい人だったけど、アタシも頼りにしてたわ。文明を切り離し民をわざと飢えさせたなんて考えたくはないけど、あの人なら、と納得してしまうの。」
「一族心中させるほど、清野が持つ口伝とやらの価値は高かったのかもな。」
「レイコ~。実はその口伝知ってんじゃないの?」


茶化すようで、声音の奥で責めるような色味があることに彼女も勘付いたのだろう。廊下の向こうを見つめたまま話し続ける。


「誰にも教えられないから各一族が大事に語り継いでるのよ。人間とちょっと関わりがあるだけの零鬼に教えるわけないし、アタシも無理に聞き出そうなんてしないわ。人間が伝統やら歴史やらを重んじてるのはよく知ってる。礼も知らず無作法に踏み入って荒らしている赤畿のやり方には、アタシとしても腹立たしく思ってる。」
「なぜ赤畿が語り継ぎを集めている。」

 


抑揚もなく淡々と話すクロガネに、レイコがやっとそちらに目線を向けた。
廃棄された施設で明かりなどあるわけもなく、この部屋は本当の闇だったが、全員夜目が効く。というより、人間と違って明かりがなくとも周りが見える目を持っている。レイコが煙を吸うときだけ、雁首の先の火皿に詰めたたばこが燃える時にチリチリと赤い火が浮かび上がった。

 


「清野の長老はシンの手下共、って言ってたのでしょ?」
「ああ。赤畿はシンに対して主、とも呼んでいた。」
「彼らがシン―マガツカミを信仰しているのなら、シンを起こす気でいるのでしょうね。そして、目覚めたシンにサカキを献上したいがために、サカキの場所や目覚めさせ方を人間が持つ語り継ぎに求めてるってとこかしら。」
「赤畿も信仰で狂ってるってこと?」
「私達零鬼にとって、神に祈る行為は狂気じみて見えるけど、人間には一種の拠り所であり習慣なの。必ずしも気狂いとは限らない。本当にそれが正解で正しいと思えば、当人にとってそれは真。」
「清野の長老は最期は諦めを見せていた。世界は終わり、シンは微睡みに入ったとも。
一族を滅ぼしてまで語り継ぎは守る姿勢を見せたのに、シンによる崩壊を甘んじて受け入れるのは矛盾してるように思う。」


レイコは紫煙をゆっくりと吐き出して、真っ直ぐとクロガネを見据えた。
半月眼鏡の奥にある茶色い瞳に、金色の閃光がぐるりと円を描いて消えた。深層のそのまた奥に隠された扉を見極めようとしているのだ。彼女は常にふざけて曖昧な物言いをするが、確信に触れる予感は決して見逃さない。それを他者に語ることは少ないが。


「清野をもう一度調べてくれないかしら。何か引っかかるのよ。」
「これ以上の面倒事はごめんだぞ。そもそも、俺が受けたのは清野の長老の捜索だけだ。」
「赤畿が怪しい動きを見せ、アンタも無関係じゃないと気づいてるんじゃない?同居人が口を閉ざすなら、不安定になった理由を自分の足で求めなさい。」

 

軽く手を上げて、レイコは背を向けて廊下を歩き出し、そして闇に身を任せて姿を消した。
紫煙の香りだけ残して。


「また必要な事は何も言わず、か。上手く使われてるなーお前。」
「うるさい。」
「前から疑問に思ってたんだけど、どうしてレイコは自分で動かないの?」
「あいつも制約が多いんだ。行くぞ。」
「あ。行く前に、ちょっと報告。」

 


立ち上がったユタカが服の中に手を入れて、何かを取りだした。
鐵が内にこもったせいで前より夜目が効きずらくなっている彼が目を凝らすと、手にしていたそれは筒状の何かであり、紐で縛られている、巻物であると理解出来た。
理解は出来たが、思考は数秒停止した。

 


「お前、まさかそれ・・・。」
「辰巳から盗んだ家宝の巻物ってこれだろ?赤畿の施設にあったから、通るついでに持ってきた。」
「早く言え!!」
「レイコにバレたら辰巳に返すとか言って中身見せてくれなそうだったからー。」

 


褒められるどころか大声で怒られた事が不満なのか、子供のように口をとがらせた。
端に倒れていた長机を片腕で持ち上げ部屋の中央に移動させると、表面の埃を軽く落とす。

 


「待て、それは辰巳の長老にしか見ることを許されていない品だぞ。」
「誰も見てないからバレないって。赤畿より先回りして謎解きしないといけないんだろ?拝見させてもらってから返せば問題ないって。」


ユタカは遠慮もなく一気に巻物を広げた。
詳細までわかるように炎を手に宿し照らし出す。クロガネは呆れつつも、先ほどレイコに言われたこともあり、一緒にのぞき込んだ。中身は、絵巻物だった。
墨で描かれた画風から古代期辺りの代物。文字は一切無く、多少紙があせてはいたが昔の絵巻物にしては色彩に描かれた大作である。
始まりから順番に眺めていくと、和服を纏った人物が三人、白い雲の中から降りてくる場面だった。

 


「三神降臨か。」
「神話を絵巻にしたって感じだね。家宝としては納得の品物だけど、赤畿がなんでこれ狙ったんだろ。」

 


絵巻は長机に広げてもまだまだ続きがあり、ユタカに明かり係をさせクロガネが右手で巻き取りながら左手で続きを広げていく。
神々が地の世界に降り立ち、生物などを産みだし、その後別の二柱が次々神を産みながら繁栄させている。
絵の中で人間と神々の違いは着物の色と、神は輪郭が黄色や白でおぼろげに滲ませてある。蹴鞠や札取りで遊ぶ描写が続き、時に零鬼達も交わりながら両者は共存している。
次の場面で、雲から一柱の神が現れた。これがシン―マガツカミなのであろう。やけに手の長い女神の姿で描かれている。
シンは悪魔のような姿で描かれた手下共を振りまき、それにとりつかれた人間は黒く変色し死んでいく。病や天災に倒れた逸話を比喩的に表現したのだろう。鮮やかで神々しかった絵がシンの登場でおどろおどろしくなっていき、黒や赤が目立つようになる。

 


「肝心のサカキが描かれていないな。」
「そういえば。」
「サカキを狙ってシンは暴れたっていうのに、これは・・・。」

 


クロガネが左手で広げるスピードを上げ、ユタカの炎で照らされた絵を凝視した。
シンと神々が戦う場面が突然始まったかと思えば、黒い雲が竜巻のように人間や生き物がいる地の世界を囲み、その外側で神々が泣いている。
黒い竜巻の中心でシンが不適に微笑んでいた。この時代の人物画で表情がこんなにくっきりと描かれるのは珍しい。
三神の中央に座していた女神が、竜巻の上から光る何かを落とした。ずいぶん眩く描かれたそれは竜巻の中心をまっすぐ落ちていき、紙が白く塗りつぶされるほど世界をホワイトアウトさせた光が、シンを地下深くに落とす。
やがて竜巻は消えたが黒い雲は地を覆い、神々が白い雲の向こうに帰っていく。
黒い雲の下で、光が形を変え人型になる、どこからか現れた人間達が人型を崇め、服を着せ屋敷の中に連れ帰る。そんな場面で絵巻は終わった。

 


「なんだこれ?辰巳の家宝は誰かの創作物?」
「わからない。俺が知ってる神話とは結末が違い過ぎる。それに・・・。これを見る限り、神々はシンに負けたということにならないか。」
「八百万の神々がたった一柱に負けるなんて、ありえないでしょ。」

 


中央の神が落とした光る人型をよく観察する。
他の人間と違って、目や鼻などは描かれていない、輪郭すら曖昧な人型。


「神が落とした光が、人間の形になって崇められている。もしかしたら、帝一族の起源でも描いたのかもしれないな。
彼らは長い歴史の中でも、突然現れ人間社会を統治し始めた。地上では偽りの神話で当時の王に神秘さと絶対的権力を印象づけさせたらしいからな。戦争や討伐で地位を築いた豪族が、神話性を持たせるためにコレを作ったのやもしれん。」
「辰巳も元々帝一族に近いお家柄だったってことか。で、話戻すけど、ますます赤畿がコレを奪った理由がわからないじゃんか。幹部の吉良ってやつが長老の奥さん殺してまで奪ってきたんでしょ?」
「その吉良だがな、幹部連中らしき老人を皆殺しにして、自分が長になると宣言していた。」
「野蛮だね~。吉良ってやつは、あまり野心家には見えなかったけど。」
「奴ら、辰巳に家宝があることをどこで知ったんだ。清野もそうだ。レイコの言うとおりサカキの場所を語り継ぎに求めているとして、狙いがあってピンポイントに襲っているように思う。久我さんをさらったり綴守に行ったのも明らかな狙いがあった。赤畿は何を知っているというんだ。他者と交流を絶っていると聞いてるが・・・。」


レイコに調査を続けるよう言われたが、わからないことだらけだ。クロガネは巻物を丁寧に巻き戻し、しっかりとひもで結ぶとユタカに手渡した。

 

「お前が責任もって守れ。辰巳にこれを返す前に、清野に寄るぞ。手がかりなど期待出来ないだろうが、念のためだ。」
「行くって・・・鐵の力使えるようになったの?」
「走る。」
「嘘だろぉ~。」


情けない声を出したユタカを無視して、クロガネは部屋を出た。内なる友はまだ酷く混乱していて声が通じない。彼の力が使えないので、転移はもちろん出来ない。水縹の領域から地下深い層にある清野までは相当な距離があり、当然普通の道はない。鐵の力に頼りきってはいるが、彼自身半分は零鬼なので、多少の無理は可能だ。夜目も効く。ぶつぶつ文句を垂れつつ素直についてきているユタカと共に暗闇を走り続ける。
どれぐらいの時間が経ったのか、さすがに疲労感に襲われ始め重くなった体を引きずりながらも、清野の集に辿り着いた。荒くなった呼吸を整えながら見た景色は、以前と一変していた。
汚らしいテントが全て撤去され、転がっていた死体やゴミ、腐敗物などが綺麗に片付けられていた。こびりついていた悪臭もずいぶん薄くなりユタカも鼻を押さえずとも良くなっている。


「いくらなんでも、片付け早すぎない?」
「清野の長老が殺されたという情報は数時間前レイコに伝えただけだ。長老本人が業者に頼んであったのかもな。」

 


屍に混じって、まだ生きている人間もいたはずだ。木偶人形に向かって祈っていた親子も、どこかへ連れていかれたのか。いや、清野の長老が本当に自分で依頼したならば、もうどこもいないのだろう。汚れたコンクリートの地面だけが、此処に人が住んでいた痕跡を残している。


「レイコの奴、清野に行ってみろとか言ったけど、何もないじゃん。」

 


クロガネが歩を進め、気狂いの老人と邂逅した場所を記憶を頼りに探してみる。
あの三角形テントが置かれていたのは、元々長老の住処があった場所のはずだった。まぜあの老人が居座っていたのか、理由は聞きそびれた。
色の違う両の目が、何かを見つけしゃがみ込む。染みがついた床に、白い模様が描かれている。石か何かで直接擦ったのだろう。
闇の中では限界があったので、ユタカを呼んで火を付けさせる。
オレの火はライターじゃないんだけど、と文句を言うユタカを無視して床に顔がつくぐらい身を低くして凝視をすると、いくつかの記号と読み取れない文字の中に、円が四つ上下に並んで居る模様をみつけた。

 


「四つ並び蛇の目の家紋・・・。どこかで使われていたような・・・。」
「そこだけ切り取られれた形跡があるじゃん。ブロック、外せると思うよ。」


今度はユタカもしゃがみこんで、自分の炎を糸のように細くして、彼にしかまだ確認出来ていない隙間に差し込む。
すると、正方形に切り取られたブロックが浮かびあがる。ブロックと同じ大きさの穴があり、中には湿気を吸いすぎて変色した木箱があった。いまにも崩れてしまいそうなほど腐敗しており、カビと汚れで隅が朽ちている。ユタカが慎重に取りだし蓋を開けたが、中は空っぽだった。

「此処に絶対何かあったよね。」
「外箱が残ってるということは業者に処分された可能性は低い。誰かが持ち去ったのか。」
「金目のものをしまってたとも考えづらいけど。」

クロガネがブロックに刻まれた紋を指でなぞると、遠い日の思い出が急に浮上してきた。


「思い出した。お前と初めて会った日、黒豹を探して行った集があったろ。あれは確か・・・石蕗だ。あそこの墓石で四つ並び蛇の目を見た。同じ家紋だ。」
「まだお前がちっちゃくて可愛かった時な。よく覚えてたな。やっぱオレとの出会いは大切な思い出だった?」
「気持ち悪い話はいいから行くぞ。わざわざこんなところに隠したんだ。何か手がかりがあるはず。」
「石蕗ってどこだっけ?」
「十七階層だ。」
「せっかくここまで降りてきたのに~!!」


再び情けない声を出したユタカを無視して立ち上がる。
辰巳へ先に寄ることも出来たが、何か予感を感じて石蕗を優先する。気持ちが焦っているのを感じた。
自分の足で走るのに疲れたユタカは、足の裏に炎を溜めクロガネを抱えながら加速を使い、半分の時間で石蕗に到着した。
子供の頃に見た風景と変わったところはなく、相変わらず人々は皆穏やかな顔をしている。
まずは長老に清野という集落について聞くが関係は特に無いといい、箕有楽という男に心当たりはないかと聞くと、箕有楽という一家は確かに石蕗に存在していたが、20年前に没。外に出たところを十杜に喰われたらしい。唯一の生き残りである次男坊はまだ少年の内に家出をして行方知れず。残っていのは墓だけで、箕有楽の家屋は別の家族が住んでいるとのこと。コケと雑草で囲まれた荒れた墓地を見下ろしながら、早速行き詰まってしまったことに頭を悩ませる。
気狂いになった男が故郷を懐かしんで家紋を床に刻んだだけで、深い意味はなかったのかもしれない。
だが、空になった木箱がどうも引っかかる。あの朽ちた箱には、必ず何か入っていたはずだ。
墓の向こうにある広場で、子供達が童歌を歌いながらゴム跳びをしていた。
子供の頃にも聞いた、石蕗に伝わる童歌だった。なぜか鳥という地上にしかいない生き物が三回も出てくる。
ふと気になって、広場の子供達に近づいて話しかけた。なるべく怖がられないように中腰になって目線を合わせた。


「なあ、その歌、石蕗に伝わるものか?」
「違うよ。前此処に来たおじちゃんが教えてくれたんだ。なんとかって集のゴム飛び遊びが楽しそうだったから教えてあげるって。」
「今の唄、頭から歌ってくれないか。」


端正な顔をした若いお兄さんの、色の違う眼の綺麗さに見とれていた女の子が、頬を染めながら歌い出す。すると周りにいた子も合わせて歌ってくれた。


“鳥が鳴くなく 鳥が鳴く
こころの底まで ぬすみぎき
えっちらおっちら 続きましょう
松にとまって テッペンカケタカ
鳥は鳴くなく そっと鳴く
つらつら書いたよ ちらちらと
へっちゃらおちゃらか ほいほいほい
木の実は二つだ テッペンカケタカ


鳥様の言うとおり”

 


「待鳥だ!」

 

歌を聞いたクロガネが急にそんなことを叫んで走り出した。

ユタカが代わりにびっくりした様子の子供建ちに礼を言って、彼も慌てて後を追う。

「おい!話がまったく読めないんだが!?」

石蕗を出て闇の中を走る。
人間と違いユタカの体力はもう回復しているが、半分人間の彼は1日に何度も上り下りを繰り返しているので足に負担が出てるだろうに、気にしている場合ではないのか、鐵の補助も今は無いのに、背中は焦っているようにみえる。

「さっきの童歌を作ったのは俺が会った箕有楽本人だろう。
箕有楽は死ぬ直前まで待鳥の集長からもらった手紙を近くに置いていた。あの時内容は読めなかったからなんとも思わなかったが、一族の家紋は古い知り合いにやる手紙に押すほど安くはない。
箕有楽と集長は深い繋がりがあった。その証拠に、童歌の歌詞だ。
昔地上にいた鳥マツホトトギス、漢字で時鳥と書き、時を待つと解釈して待鳥という姓が誕生し、今の一族に成ったと集長自身から教わったことがある。テッペンカケタカもホトトギスの鳴き方だ。」

 

階段を飛ばしながら降り、細い通路を大股で走り抜ける。地下世界を飛び回っていたクロガネには、此処がどこで、どの道を使えばいいのか把握している。内なる友の力がなくとも、方角は分かっていた。
闇の中に現れた立杭への扉を蹴破る勢いで開け、外周に取り付けられた階段を降りていく。
立坑内には目映い明かりが常に灯っているので、後ろを追うユタカには、黒い外套が踊りながら、端がわずかにモヤ化しているのがはっきり見て取れた。

 


「箕有楽は自分の身に危険が及ぶことを悟って歌を作って子供達に覚えさせた。レイコに命令された誰かが真実を求めて動くことを信じて。」
「危険てなにさ。」
「水縹に心を閉ざす<シンジュ>石の能力者がいる。その逆で、心を読む力が存在したとすれば箕有楽が大事に守っていた、地面の下の木箱に気づいたはずだ。それが辰巳の巻物のような、清野の家宝だったのかもしれない。」
「あの古狸が泥棒?なんのために。まるで今赤畿がやってる事みたいじゃないか。」
「同じだ。集長も、語り継ぎを狙っている。赤畿に悪知恵を与えたのも、もしかしたら――」

 

待鳥の集長とレイコは昔からの煙管仲間で、レイコの仕事であちこちに連れられている際、待鳥の集長とも顔見知りになった。それこそ子供の頃から知っている。決して本心を言わない飄々とした狸じじぃだったが、集民から慕われ学者としても名を馳せていた。
専門分野なんぞ興味なかったために、何の専門なのかは知らなかった。
もし、歴史もしくは民俗学の専門家だったとすれば、清野が隠した語り継ぎは喉から手が出るぐらい欲しかったはずだ。
立坑内の階段を一段ずつ降りるのがじれったくなって、大股で進んでいく。やがて体が軽くなり、飛ぶように層をどんどんと下っていけるようになった。気づいた時には、待鳥の側まで飛んでいた。
やっと起きたかと友に声を掛けるも、答えは返ってこない。ただ、高揚する気持ちを察して力を貸してくれたのだろう。
一緒に転移させたユタカが、待鳥の東を指差して声を上げた。人間では見えない場所を、彼には良く見えるらしい。
再び転移をして降りたのは、神社境内の砂利道で、赤い欄干が眩しい本殿ではなく、神社の裏路へ続く坂道に消える待鳥の集長を見つけた。周りは剣を腰に携えた護衛が守っている。ユタカが炎で行く手を塞いでくれたので、待鳥集長は足を止めざるを得なくなった。

クロガネの姿を確認すると、いつものように不適に笑って見せた。


「早かったな、桜。」
「清野から奪ったものを返せ。」
「返すもなにも、持ち主はもうおらぬではないか。」

 

護衛達が腰に差した刀を引き抜こうとしたので、ユタカが火の鞭を出し刀を奪い取り、口を塞ぐ。
人に触れるときは温度を下げろと言っているので顔が焼かれることはないだろうが、火の鞭に絡め取られ護衛はパニックになっている。
ふぅと息をついた集長は、体をこちらに向け着物の裾を合わせた。
清野の長老が赤畿内で殺されたことは、まだレイコにしか伝えていない情報だ。

 

「やはり赤畿と繋がっているな。」

「さあ、どうであろうな。」

「俺に<シンジュ>石の力は使えないぞ。」
「使う気などないわ。心に隙が生まれた時か、焦りがある小物にしかわしの力は効かん。」


 

ユタカが護衛を縛る炎の鞭をきつく締め上げ、護衛達がわずかに声をもらす。ニヤリと皮肉のこもった笑みを強くした集長は、着物の中にしまっていた物を取り出してクロガネに投げて寄越した。それは古びた本であった。いや、紙を紐でしばり堅い紙を表紙にしただけの冊子。表紙には、箕有楽秀一郎、との自書が記されていた。

「わしが各一族を回って心をこじ開け聞き出した語り継ぎを箕有楽にまとめさせていた。天御影に存在する一族の語り継ぎを集めた書物だ。清野が持つ口伝を載せれば完成だったのだが、結局それだけ手に入れ損ねた。」
「なぜそんな事を。レイコですら人間の伝統を尊重していたのだぞ。」
「悠長な事を言っている場合ではないと女狐も気づいておるはずだ。清野長老も言っておったろ?世界は終わりシンはまどろみに入ったと。」
「だから何で知ってるんだよ狸!まさかあの場にいたのか?」
「お前さんの心が隙だらけだからだよ、火竜。そんなに桜が心配か。過保護な竜よ。本当は気づいておるくせに、けなげだな。」

集長が逃げぬよう炎の壁を高くした。ユタカの顔に笑みはなかった。どこか苛立っている。
彼の嗅覚は何でも嗅ぎ分ける。それこそ、野心を持つ悪人のにおいも。


「桜、一刻も早く真実を伝えろ。微睡み入れば、きっかけさえればすぐ目覚めてしまう。流暢に構えている暇はない。
レイコもそうだ。もっと焦らなきゃならん。一族だなんだと秘密をずっと抱えている場合では無いのだ。いずれわしの有難みがわかるだろう。」
「何を焦っているかしらないが、一人の人間を狂わせ死に至らしめて得られる有り難みなどありはしない。むしろ軽蔑する行為だぞ。」
「これがわしの優しさだぞ、桜。」
「俺を桜と呼ぶなと昔から言っている!」

クロガネの苛立ちを受け、集長が笑った。その瞳はどこか寂しげで、独りよがりな暗がりを宿していた。
瞬きの間に、目の前から待鳥集長の姿が消え、ユタカの炎で苦しむ護衛だけが残された。
<シンジュ>石の能力を応用して姿を消しただけかと辺りを探ってみたが、ユタカの敏感な鼻に集長のにおいは感じられなかった。
ユタカは炎を引っ込めたが、護衛は意識を失い階段に倒れた。

遠くから声が聞こえてくる。ユタカの炎を目撃した集民や見張りがいたのだろう。手元の本を見る。あせた表紙をめくると、一番初めの項には『古天神命記』と書かれていた。あの狸じじぃがつけそうな大層なタイトルである。

「手品師かよ、あのじいさん。清野で見つけた木箱の中身が、その本?」

「おそらく。だが、集長は清野の口伝だけ手に入らなかったと言った。あの歌の通りなら、箕有楽が本当に守っていたものは別にあるのだろう。ひとまず、レイコの元へ飛ぶぞ。これをすぐ届けなくては。」
「もう力使えるようになった?」
「ああ。力だけな。」

 

 

体が闇に包まれる瞬間は変わらず安堵出来るというのに、どうも心がざわついた。
真っ暗な視界が引いていき、目を開く。
水縹の領域に飛んだつもりだったが、目の前に立っていたのは金髪に青い目を持つ秀麗な青年だった。
後ろに部下らしき黒ずくめの男達が二人控えており、手に火が灯ったランタンを持っている。
場所はわからない。とても広い空間の中だった。ランタンの明かりは天井と床しか照らさず
壁が見受けられない。鐵の力で辺りを探るが、暗がりの中に気配がいくつか潜んでいた。
転移先を介入させられたこともそうだが、目の前に立つ優男が纏う空気が、大分鋭くなっていることに驚いていた。
赤畿の住処で老人達を殺した時でさえ、こんなに強い感情は感じなかった。彼はいつも飄々としていて掴めない。そんな人物ではなかっただろうか。シャツに返り血はないものの、目つきはかなり鋭く常に携えていた微笑みは影すら残っていない。


「僕から奪ったものと、新たに手に入れたものを渡してもらおうか。」
「俺達が何を手にしたか、分かっているようだな。わざと逃がして漁夫の利でも狙うつもりだったか。」
「赤畿の領域に不法侵入した者を易々と逃がすわけない。女帝の駒である君を泳がせれば、簡単に手に入ると思っただけのこと。」
「辰巳から奪っておいて、もう自分のものとか言わないでほしいねー。」

警戒を高めて身を低くするユタカを手で制し、睨み合う。

 


「厄災の神を起こしてどうするつもりだ。」
「我ら赤畿一族を産んだのはシンだからさ。神代の時代に受けた苦しみ、我々が晴らさせてもらう
シンを目覚めさせるためには、君たちがひた隠しにしている歴史が必要なんだよ。真実とやらがね。」


吉良の後ろに控えていた黒ずくめの男二人が前に出てきた。
帽子を深く被っているため口元しか窺えないが、どちらも急に苦しみだし、大きく開けた口から涎を垂らしだした。
それはランタンが床に落ちて火が広がる間に起きた、あっという間の出来事。
人間の体がいきなり巨大化し、服が破れ皮膚が落ち、赤い血肉がむき出しになる。背丈は2m以上、口は割け歯が牙となる。
立っていたのは、二体の鬼妖だった。
その光景を見た途端、クロガネの右目が痛みだした。
脳を焼くような激しい痛みだけでは納まらず、体からモヤが溢れて放出していく。視界の端がモヤで滲んできて、痛みで意識が遠のいていく。ユタカの心配する声がやけに遠くに聞こえるのに、吉良の声だけはストレートに脳内に響いてくる。

「鬼妖はね、元々地の底に落とされた厄災の神を監視するようにと、神々が作った防衛装置なんだよ。」

激しい痛みに意識が持って行かれぬよう歯を食いしばりながら、顔を上げる。
ランタンの炎は鬼妖と吉良、そしてクロガネを避けながら広がっていく。鬼妖が最下層の番人というあだ名を持っているか、理解した。

「元の名は誰も知らないけど、シンの近くに居すぎたせいで鬼妖という化物になった。影響を受け憎悪を得て組み替えられたんだ。シンもまた神であるからね。彼らも僕らと一緒なんだ。
長い歴史で赤畿一族は地下世界に落ちてから登場するだろ?当然さ。僕らはこの真っ暗な世界で生まれたんだ。
シンの影響を受けた鬼妖は、人間にさせられてしまったんだ。忌々しい、人間にね。」

 

意識だけは手放すまいと歯を食いしばり拳を床に叩きつける。
突如脳裏に知らない光景が横切った。
木々が生えた場所の中に、蠢くモヤの塊がいる。鐵のモヤより禍々しく、おどろおどろしい。その闇は深淵より濃く、深い。
それが浮遊するモヤよりも迷離なものであると分かる。地面に草が生えている。これは、地上の記憶だ。自分のものではない、鐵の記憶。
何か思い出しそうになったとき、体の内からモヤが爆発した。勢いよく吹き出したモヤが体の上、鬼妖の丈より高い場所で一つにまとまって自転する球体になる。彼も顔を上げて自分の真上にある球体を見上げ、重たい腕を伸ばした。
応答したかと一瞬錯覚したが、球体から長く伸びた触手は突進してくる鬼妖の腹部を貫いた。
野太い悲鳴が鬼妖の喉から漏れ、前屈みに倒れて動かなくなった。
球体から次々と生える触手が暴れ、残りの鬼妖に襲い掛かりつつ、倒れた鬼妖の死体をモヤで絡め取って球体の中に取り込んでしまった。ユタカにも触手が伸びるが、彼の炎に触れると大人しく伸ばした腕を引いていく。
球体が膨らんだ。自転しながらどんどんと大きくなり、天井にまで届いてしまう。黒い触手が暴れ回り、視認出来る黒い風が吹き荒れ辺り燃え広がっていた炎がかき消される。
ただ一人、吉良だけは神妙な顔つきでそこに立っていたが、頭上を仰いでいる彼の目には入らない。
クロガネの体の輪郭が崩れていく、端から煙りになり頭上の球体に飲まれていく。遠くでユタカの叫び声がするが、風鳴りに絡め取られ言葉が届かない。眠りに落ちる直前のような、曖昧な状態でぼんやりと自分が何であるか考えた。
頭上から落ちてきた闇がすっぽりと彼を包んで飲み込んでしまった。

「君の存在を身近で感じた時、妙になじむ感覚があった。今分かったよ。
君も、僕らと同じだったんだね。いや、もしかしたら、僕らより純粋な存在なのかもしれない。」

大事なものがこぼれていく感覚はするのに、それがなにか分からない。

「君ももう気づいてるはずだ。その体の本来の持ち主は、もうとっくに死んでいる。」

慣れていたはずの闇が、牙を剥いた。

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