❀ 2-4
「ルフェちゃーーーん!」
声がした方に顔を向けると、顔も知らぬ男子生徒がへらへらと手を振ってきたので、ルフェはお辞儀をして先を急いだ。
「昨日の一件以来、ファンが増えたみたいだね。」
「こんなことになるなら逃げればよかった・・・。」
次の授業は本校舎B棟の多目的室で行われるため、教科書類を抱えてジノと移動中。
昨日の、代行ブロールでのルフェの活躍は校舎にいた生徒の大半は目撃していたらしいく、
女生徒がアセットで華麗に空を飛び、罠を勇敢にくぐり抜ける様は、まるで戦女神が戦場に赴くが如く。
元々容姿端麗だったルフェの人気はうなぎ登り。
朝食時、食堂で声をかけてくる生徒が次から次に押し寄せちょっとした騒動になりかけたが、
次席であるリヒトが周りを牽制してくれたために場は収まった。
ルフェに手を出せば次席と、くわえて主席もやってくると恐れて直接やってくる勇者は減ったものの、
今みたいに遠くから声をかけられる事が増えた。
「リヒトさん、昨日凄い心配そうだったよ。ルフェの鞄預かってたから、隣にいたんだけど、
魔法植物が出てきた時は今にも飛び出しそうだった。」
「結構怒られた。」
「人を引きつけない怖い人なのかなって思ってたけど、面倒見がいいんだね、リヒトさんって。」
「そうだね。」
多目的室で行われたのは、タテワキ先生による魔法陣術式の基礎授業。
古い魔法では、術式を使ってマナの使用目的を統一していたものがある。
最近の魔法使いはあまり使わない手法だが、技術系に進学する生徒には必須の科目だ。
建築、技術開発などの職種ではまだ魔法陣を使っているとか。
席について、先生の授業を聞く。
座学の先生をやっているとき、タテワキ先生は伊達眼鏡をかけて、普段より背を丸めてだるそうな、淡々とした話し方をする。
彼が魔法院から派遣された高位魔導師だと、一般生徒は知らない。
混乱をさけるため、学園関係者と生徒代表数名しか情報は共有されていない。
周りの生徒は、冴えない変わり者の先生、としか思ってないらしい。そうジノから聞いた。
魔法陣の見本が書かれた教科書をめくる。
―そういえば、メデッサ先生もよく魔法陣を床に描いていた。
鍋を温めるとか、虫除けとか、そういった生活用の、昔の魔女が編み出した小さな魔法。
子供の私にとって、そんな小さな魔法でも、先生が生み出すものは奇跡に見えた。
「イェーネさん。聞いてますか。」
名を呼ばれ急いで顔を上げると、先生がこちらを向いていて、他の生徒の視線も集まっていた。
「昨日活躍して疲れてるとは思いますけど、授業には集中してくださいねー。」
先生の嫌味のこもった小言に生徒がクスクス笑い、伊達眼鏡を中指で押し上げた先生は、周りの生徒にバレないようにニヤリと笑った。
ルフェは顔を赤くして、教科書で顔を隠した。
あれはからかわれたのだ。今日散々周りの生徒からチヤホヤされているのを知っているから。
学校生活満喫してるじゃないか、という喜びのエールも含まれている気もする。
座学が終わると、机を脇にどかして、実際に床に魔法陣を描く練習をする。
時間が経てば消える魔法インクを使っているので、多目的室の床に描いても大丈夫な品物だ。
空のコップを中央において、マナを込めるとコップに水が溜まる。
水が無いところで水を出すという、初歩的で線も簡単な術式だ。
ルフェも教科書を見ながら魔法陣を描く。
隣のジノは、見事にコップの中に並々と水を入れることに成功していた。
ルフェも魔法陣に手を置いて、マナを込める。
――魔法陣から水が吹きだした。柱となって水が天井に吹き上がるー・・・はずだった水が、一瞬で消えた。
幻でも見たのだろうかと瞬きを繰り返すと、タテワキ先生と目が合った。
微調整を間違えたみたいだ。危うく教室を水浸しにするところだった。
もう一度魔法陣に手を当ててマナを込める。
細心の注意をはらっていたせいか、コップの半分も水は入れられなかったが、まあ水浸しよりマシだろう。
「よくできました。」
タテワキ先生がすぐ前で膝を立ててしゃがんでいた。
周りは今の暴走を気づいていないし、タテワキ先生が表情を変えたのも見ていない。
「言ったろ、俺が抑える。周りに人がいても、焦らないで力を使っていこう。」
「はい。ありがとうございました、先生。」
立ち上がってくるりと向きを変えた時には、気だるげな先生に戻っていた。
授業はそこで終わった。
使ったコップを片付けていると、さっきの先生雰囲気変わらなかった?とジノが違和感を口にしたので
必死さを出さないようにさりげなく誤魔化しておいた。
荒れた机を元の位置に戻し、教科書をまとめて多目的室を出た。
チラリと先生を確認すると、猫背のまま黒板の文字を消していたところだった。
本校舎A棟への渡り廊下に入ったところで、またルフェは声をかけられたが、今度は顔見知りだったので会釈をした。
手を振りながらやってきたのは、6学年Ⅰでありレオンの友人であるサジだ。
「昨日はお疲れ様ー。」
「こちらこそ、アドバイスありがとうございました。先輩のおかげで落ち着いて飛べました。」
「俺は何もしてないって。昨日君を巻き込んだ赤チームのヤツ、俺のクラスなんだけど、次席にこっぴどく怒られてたよ。
女の子相手にやり過ぎだって。」
「今朝早く青チームのリーダーさんと一緒に謝罪しに来てくれました。」
「災難だったねー。もう巻き込まれることはないと思うよ。ブロールに関しては、だけど。この学園、騒がしいから。」
「楽しかったので結果オーライです。」
「お。いい顔じゃん。逞しくてよろしい。」
「そういえば、レオンは一緒ではないのですか?」
んー、とサジは頭を掻いて視線を空に投げた。
おどけた表情は崩さない。あまり本心を見せたがらない人なのかもしれない。
「今は選択授業中だからバラバラなんだけど、あいつは今学園にはいないよ。」
レオンの家は貴族の中でもトップに君臨していると聞いた。
本来なら、お抱えの家庭教師に魔法を習うので、身分が高い嫡男が一般市民が通うような学園にいることすら異例。
どう周りを説得したかは謎だが、レオンはクロノス学園に通うことを許された。
が、時折貴族としての仕事をこなすため実家に帰っているらしい。リヒトがイライラしながら言っていた。
「主席のくせにサボりとは、いい度胸ですね。卒業出来なかったら笑ってやります。」
「アハハ。そうしてやって。」
じゃあね、と手を振ってサジは去っていった。
止めていた足を動かすと、ずっと黙っていたジノがフゥと息を吐いた。
「コルネリウス主席にあんな物言い出来るのはルフェぐらいだよ。やっぱり知り合いだったの?」
「交流会で会っただけだよ。」
「ルフェはホント、大物だね。」
「レオンには・・・、なんでもない。」
レオンには素の自分で居られると言おうとしてやめた。
アテナでのウィオプス騒ぎの時、レオンが暴走を抑えてくれると言葉を掛けて安心したのがきっかけなのだが、
それをジノに言うのはまだ憚られた。
グレンやアテナの生徒達のように、正体がわかった途端離れてしまうのが怖かった。
レオンやリヒトは学園長の命令で自分によくしてくれてるが、ジノは良心から転校生の面倒をみてくれてるいい人だ。
まだ、いい人に甘えていたかった。
「・・・一人になるの、怖いのかも。」
「何か言ったかい?」
「ううん。次の数学の授業苦手だなって。」
2日後・朝。
親友のアンナから送られてきた箱を開けると、アクセサリー類と手紙が入っていた。
『誕生日おめでとう。クロノス学園で友達は出来た?たまにはオシャレしなさいよ。』
また会える日を楽しみに、と手紙は結ばれている。
窓の外で早起きな鳥が鳴いている。
丁寧に梱包された可愛らしいアクセサリーを指で撫でてから、そっと蓋を閉じた。
30分後、学園長室。
入学の日以来見かけなかった学園長が、頭を抱えていた。
リヒトと一緒にソファーに腰かけ、ソファーの後ろにはタテワキが立って学園長の言葉を待っていた。
「思ったより早かったわね…。想定はしていたけど。」
「人の口に戸は立てられませんって。魔法で記憶操作は可能ですが、外からの情報は常に入ってきますから無駄でしょう。」
「そうね…。ごめんなさいルフェ。この件について、学園側は何もしてあげられないの。」
申し訳なさそうに告げる麗しい学園長に首を振る。
「問題ありません。今まで通り、私は魔法を学ぶことに専念します。」
「貴方に被害が及ばないように監視は強めるけど、限度がある。干渉しすぎるのも教育者としてどうかと思うから。」
「極力俺が側について警戒します。」
「平気よ、リヒト。噂を信じるなら、私に手を出そうとする勇者いないと思う。きっと、怖がって近寄らないし触れてこない。」
ルフェの頭に重みが乗った。
タテワキがルフェの頭に手をのせ顔を覗き込むように腰を屈めた。
「無理するな。」
「してません。私は此処に力を制御してコントロールを覚えるために来ました。こうなることも覚悟の上です。」
リヒトと共に教室へ向かったルフェを見送って、タテワキは学園長の机に歩み寄る。
伊達メガネを外して白衣のポケットにしまうと、苦い顔をして拳に力を込めた。
「せっかく友達も出来て、学園にも慣れてきた頃だっていうのに…。」
「先日のブロール騒動で巻き込まれてから、いい感じにアイドルになって、楽しく過ごせそうだったのにね。
孤独な学園生活に逆戻りさせてしまうかもしれない。せっかく殻を破って素の自分でいられるようになっただろうに。」
まあでも、と学園長は椅子に座り直し机の上で手を組んだ。
その表情は凛々しく引き締まる。
「ルフェ一人を守るためにクロノスが存在するわけではないわ。ほかの生徒の自主性を尊重します。
記憶操作で偽りの仲良しこよしを提供しても、ルフェのためにはならない。
トーマ、サポートは任せたわよ。恐怖と畏怖が育ちすぎてあの子を傷つけようとする流れが生まれるかもしれない。」
「言われるまでもない。あの子を守り育てるために俺は此処に派遣されてきたんだ。」
タテワキも退室し、学園長は椅子を回転させ窓の外を見た。
学園長室の吹き抜けの窓からは、学園の中が一望できるようになっている。
そろそろ予鈴が鳴る。
寝ぼけた生徒も、食堂で欲張ってる育ちざかり達も、教室に集まる頃だ。
アテナ女学園で起きたウィオプス襲撃騒ぎと、それを一人で防いだ女生徒の噂がクロノス学園にも届き、
件の女生徒がシャフレットの大惨事を巻き起こした犯人であるという噂も、女生徒がルフェであることも同時に学園内に伝わった。
昨晩のうちに噂は学生寮で広まっていたようで、朝にはもう噂を知らぬものはおらず、
廊下を通れば視線が集まり、教室にルフェが足を踏み入れればクラスメイトはおしゃべりを止めルフェを凝視した。
刺さる視線はアテナでも浴びたが、あの時はウィオプスへの恐怖も残っていたのでルフェ個人に対する恨みはさほど強くなかったが
実際にウィオプスを見たわけでもなければ、あの場の恐怖も混乱も知らないクロノス生徒の視線は、また色味が違った。
何かあればすぐに呼べ、とリヒトが言い残して去っていき、入れ違いに教師がやってきたのでルフェは席に着く。
授業中は平和であった。
ルフェがいるからどうこうと文句も言うクラスメイトはおらず、静かに、いつもより張り詰めた空気の中で授業は淡々と進む。
午前の授業は移動教室はなく、座学のみなのも助かった。
お昼休みになった。
普段は騒がしい教室がどこか張り詰め、楽し気な笑い声やふざけあいはなく、ただただ刺さる視線。
「ルフェ、お昼はどうする?」
「…え?」
前の席に座るジノが聞いてきた。
いつも通りの声にルフェが戸惑ってしまった。
「なんだか今日は変な空気だし、食堂やめて購買でパンでも買って、屋上とか行こうか。」
「あ、あの…ジノは、」
「ほら、リヒトさん迎えにきたよ。」
4学年の教室でも遠慮なく侵入してきたリヒトは、手に抱えていた袋をルフェの机に置いた。
袋の中にはパンや飲み物がこれでもかと詰まっている。
「さすがリヒトさん!僕もちょうど、購買行こうかと言ってたところなんですよ。それにしても、多くないですか?」
「好みがわからんから一通り買った。」
「どうするルフェ。ここで食べる?屋上?」
「それならいいところがある。」
リヒトに先導され、教室を出た。
再び廊下に出るが、おとといのようにルフェに声を掛けてくる生徒はいなかった。
時々聞こえる悪意を含んだ言葉と冷たい視線。
ー騙された。
―厄介者をクロノスがしょい込んだんだ。ここは山奥だから、何か起きても被害は少ない。
ー魔法院はなぜ逮捕しない。
―いつ力を使って攻撃してくるかわからないぞ。
―シャフレットみたいに、俺たちも消されちまう。
―化け物。
俯いて歩くルフェの手を、ジノが握ってくれた。
「ジノは、噂聞いたんでしょ?怖くないの、私が。」
「怖くないよ。ルフェは友達だもの。」
ああ、アンナ。私は本当に、人に恵まれてる―…。
リヒトが案内してくれたのは、女子寮の近くにある池のほとりだった。
森の中にあるので生徒の姿はなく、木材で作られた大き目な机と椅子に腰かけお昼にすることにした。
「こんな場所があるなんて、知りませんでした。」
「大体の生徒が食堂に向かうからな。静かだから、俺はたまに利用している。好きなの食え。」
「わー、ありがとうございます。ルフェはどれにする?このエビとブロッコリーのサンドイッチ美味しそうだよ。」
ジノが手渡してくれたサンドイッチを受け取って、俯いていると、
自分では制御出来ずに流れていった涙をリヒトがぬぐってくれた。
「泣くな。」
「ごめん…・。私、こうなることわかってたから、覚悟してたし…アテナでも一人だったから平気だと思ってた。
でも、あんまり平気じゃなかったことに、驚いてる。」
「人に攻撃されて平気な人なんていないよ、ルフェ。」
「私…ブロールで巻き込まれたの、思ってたより楽しかったみたいで…そのあと、声を掛けてもらえるのもうれしかった、みたいで…。
だから、嫌われるのって、こんなに痛いんだなって…。」
「うん。」
「ジノだって、もう声かけてくれないと思ってたから、いつも通りで安心した…。」
「僕、そんなひどい人間に見える??」
「ううん。だから、うれしい。」
「おいこら、せっかく買ってやったのに、しょっぱくなる。」
ルフェが泣いてる間にパンを1つ食べ終えたリヒトが、次のパンの包装紙を開ける。
「お前は確かにシャフレットを滅ぼした。
だがそれが意志とは別に起きたことも、アテナ女学院で死んだ人間を多数助けたのがお前だってことも、此処の連中は見落としている。
情報を正しく扱えないバカに構ってる暇があったら、制御方法を学べ。
この俺が学園長にお前を守るよう言われているんだ。バカ共に手出しはさせん。」
「フフフ。リヒトさんって素直じゃないですよね。心配しなくていいって、言えばいいのに。」
「心配なんでしてない。」
ジノがハンカチを貸してくれて、濡れた頬を拭く。
「僕も同感。僕は数日の付き合いだけど、ルフェが頑張り屋ないい子だってわかってるからね。
度胸があるっていうか、肝がすわってるところも気に入ってる。」
「お前、やけに上から目線だな。地味なくせに。」
「それ言わないで下さいよ!結構気にしてるんですから。」
昼休みが終わるぞ、と再度急かされたのでサンドイッチの包装紙を解いてサンドイッチを食べ始める。
アンナの顔が見たくなった。
これが郷愁というやつだろうか。
こんな化け物と最後まで仲良くしてくれていたアンナは、アテナで辛い思いをしてないといいけど。
ルフェがサンドイッチを食べ終わる頃には、リヒトはパンを3つ完食し、4つ目に手を伸ばしていたが
そろそろ戻らないと、校舎まで距離があり間に合わなくなるため、名残惜しそうだったが、4つ目は食べずに戻ることにした。
午後、状況は悪化していた。
授業が始まるや否や、ルフェと一緒に授業は受けたくないとクラスメイトが言い出し、あわやボイコット騒ぎにまで発展しかけた。
生徒指導の先生が待機してくれていたようで、事態を納め、授業は開始された。
ルフェが転校してきた正式な学園側の見解を求める声も上がったが、きっと学園側はこれ以上荒波をたてるような事はしないだろう。
大きないざこざは無かったが、空気がかなり悪化したまま授業は終わった。
大人しく女子寮に帰ろうとした所で、タテワキ先生に呼び出された。
ジノとリヒトは委員会があるため、ルフェは一人俯きながら本校舎C棟の先にある特別教室棟に入る。
この棟はあまり利用者がいないので放課後でも生徒は少なく、ほっと胸をなで下ろして4階へ上がる。
4階にある科学準備室の戸を開けると、フラスコを握っていたタテワキが居た。
中に入るよう言われ、彼がいる机に近い丸椅子に腰掛けた。
黒い実験台の上には、紫や黄色、ピンクなど怪しげな液体が入ったフラスコや試験管がズラリと並び
怪しげな実験道具まで置かれている。
「魔法具、ですか?」
「いや、ノアの科学だよ。」
ノアというのは、マナを持たない人たちの集まりのことを指す。
何万人に1人、マナを持ってないか、持っていても極少量しか持たない者が生まれてくる。
この世界はマナがあることを前提に回っているので、マナを持たざる者は不適合者と呼ばれ社会のはじき者にされる。
火を起こす道具も、水を汲む装置も、体内にあるマナを使う。
生きていくことすら出来ない彼らは、自分たちで科学という魔法を作り出した。
マナを一切使わず、自然にある物質の化学反応を組み合わせて実験を繰り返し、道具を作る技術も発展させた。
一昔前、彼らはロストと呼ばれ忌み嫌われていたが
ノアという集団を作り上げ、魔法院に許可をもらい土地をもらうと、そこでたくましく生きているという話だ。
近年、ノアの科学は暇を持て余した貴族や魔法科学者に注目され本も出ている。
マナを使えるので生活に取り入れようとする魔法使いはそうそういないが
タテワキはノア科学に興味がある1人なのだろう。
「ノアって名前のマナを持たない人が、まず始めに科学を生み出したんですよね。」
「そう。その人がロストの民をまとめて、魔法院に許可とったり色々動いた。
だから彼の名前をとってあの自治体はノアって名付けたらしいよ。」
「彼?女の人の名前だと思ってました。」
「国によって男の名前だったりするよ?」
タテワキの白衣の裾がいつもカラフルに汚れていたのは
此処でこうして、ノアの実験道具をいじっていたからだろう。
「先生、魔導師なのに、ノア科学も詳しそうですね。」
「うん、詳しいよ。魔法は何でも簡単にできてしまう。その分ノアの科学は楽しい。
自分の手で、自分で紡ぎ出すって作業がある。ルフェ。面白いもの見せてあげる。」
タテワキは四角い透明容器の中に水を入れて、粉などを2種類入れた。
次に紙コップに水を入れ、水道に備え付けてあった洗剤を数滴入れ、色を付ける液を垂らす。
同じような液体を色違いでいくつか作ってから、太めのストローを入れて息を吹きかけた。
ルフェも知っている。シャボン玉だ。
色をつけているのでカラフルなシャボン玉が次々生まれ、テーブルに落ち、透明容器の中にも落ちる。
が、何故か透明容器の中で水面に近づいたシャボン玉は見えない何かに乗ったように割れずに動きが止まった。
空気の板に乗ってるみたいな。
「マナですか?」
「ノア科学だよ。容器には重曹とクエン酸を溶かしてあって、二酸化炭素が発生するから―・・・ってこれ以上説明しても専門知識か。
そこのコップで、シャボン玉作ってごらん。」
ルフェの手前にあった紙コップを受け取る。中は透明だ。色は加えてないらしい。
ストローでそっと吹く。
シャボン玉なんて、孤児院にいた時以来だ。
生み出された透明な膜が天井に向かって舞い上がる。
タテワキも色つきのシャボン玉を同時に生み出すと、落ちるはずのシャボン玉が空中でプカプカと浮かんだ。
日はとっくに暮れていたらしく、窓から差してくる夕日を浴びて大量のシャボン玉達が科学室で宙に漂っている。
「これも・・・ノア科学ですか?」
「これは魔法。演出してみただけだよ。ノアとマナの融合技ってとこだな。」
ピンク、黄色、青や紫。
いろんな色のシャボン玉と、夕日を吸い込んでいる透明なシャボン玉。
机の上にあるカラフルな試験管やフラスコにも夕日が当たってキラキラと輝いていた。
「綺麗ですね。」
「気に入った?」
「ありがとうございます、先生。わざわざ用意してくれたんですか?」
「今日、辛かったろ。すまない。」
「先生が謝る必要ないです。」
机の上に腕を乗せ頭を伏せてから、先生が持ち上げてくれたシャボン玉を見上げる。
「私、生きる資格なんてないと思ってたんです。でもここにいると、生きたいと思ってしまうんです。
私みたいな大罪人も、楽しく過ごしていいのかなって、希望を抱いてしまいます。」
「幸せになっちゃいけない人間なんて、本当はいないんだよ。」
タテワキはまたシャボン玉を吹いて、また空中で止める。
カラーバランスも配置もマナで操ってるのか、可愛い雑貨を見てる気分だ。アンナが好きそうな。
「他人を傷つけちゃいけないとわかってる人間は、何度だってやり直せる。
特に君は、あんな事件起こしたいと思ってやったわけじゃないんだろ?」
シャボン玉が一つルフェの前に落ちてきて、指で軽く弾くと
消えること無く空気が抜けたゴムボールみたく表面を震わせて力が加わった方向に飛んでいく。
「記憶が無いんです。シャフレットの時。もう5歳だったのに。
すごく悲しくて、逃げ出したい衝動に駆られて大泣きしながら力を爆発させたのは覚えてるんですが。
もしかしたら、みんな消えちゃえとか恨み事言ってあんなことしたかもしれないんです。
沢山の人を消してしまって、綺麗な自然を壊して地図も書き換えさせてしまったのに、忘れてる自分が一番許せないのです。」
「だから、普通に過ごすのをためらうのかい?」
「私に笑って楽しむ資格は、本来ならありません。私を拾って育ててくれたメデッサ先生が
生きろ、学べと言ってくれたからアテナに居ただけです。
大罪人の私が、こうして制服を着て学校に通ってるのすらよく思わない人は、沢山いるはずです。」
「その人たちの顔と名前を知ってるのかい?何か直接言われたりした?」
「それは…、」
タテワキ先生は眼鏡を取って、机に置いた。
レンズがないタテワキの瞳は、少しくすんだ青色。宝石で言うと、アイオライトのようだった。
夕日を含んだ瞳は、まっすぐとルフェに向けられていた。
ついこないだ会った人で、魔法院に言われて監視役をしてるだけなのに、どうしてこんな優しい目を向けてくれるのだろう。
「資格だなんだと君は言うけどね、ルフェ。君のために笑ったり泣いたりしてくれる人が、確かにいるのだろ?」
アンナの顔が浮かぶ。
包帯まみれになりながら、綺麗に泣いてくれる親友。
「君はその人たちのために生きるべきだ。少なくとも、生きる理由はそれで十分だと思うよ。
君がいなくなったら、その人たちは悲しくて泣いてしまうだろう。」
「そう、ですね・・・。」
アンナはきっと、私なんかのために泣いてくれる。
わざわざプレゼントを贈ってくれて、まだ傷が癒えてないのか、震える文字で手紙もくれた。
また指でシャボン玉を弾く。
きらきらと反射する透明な膜。
「先生。」
「なんだい。」
「マナをもっとうまく使えるようになれば、沢山の人を救えますよね。」
「ああ。幸いにして、ここはその方法を教えてくれる場所だ。今はまだ、学ぶことだけを考えたらいい。」
「はい。」
「さて、そろそろ時間かな。」
タテワキがパンと手を叩くと、シャボン玉が消え、科学道具は勝手に片付けられていく。
行こうか、と言われルフェは大人しくタテワキの後に続いた。
もう夕飯の時間で、生徒はほとんど食堂にいるのだろう。通り過ぎる生徒は少なく、校舎内は静かだった。
特別教室棟を出て、校舎は通らず部活棟を通って武道場の脇を沿って歩く。
森を抜けて、昼間リヒトやジノとお昼を食べた池についた。
すっかり夜になった池周辺には、橙や黄色の電球で装飾されて明るくなっていた。
宙に浮いてる電球も、床に置かれたランタンもある。
昼間パンを食べた机に、人が集まっていた。
リヒト、ジノ、レオンやサジ、エメルまでいた。
机にはテーブルクロスが敷かれいろんな料理が乗っている。
ルフェが近づくと彼らは一斉に振り返って、満面の笑みを向けた。(リヒト以外。)
「ルフェー!誕生日おめでとう!」
言葉と共にクラッカーが鳴って、紙吹雪が舞う。
合わさった声と音に面食らって、足を止める。
びっくりしているルフェに、伊達眼鏡を掛けたタテワキ先生が説明をしてくれた。
「君の誕生日だって、主席の坊ちゃんが何故か知っててさ。学園に戻ってきた途端パーティーやるぞってなったらしい。
俺は準備が出来るまでの時間稼ぎに使われちゃったってわけ。」
「ほらほらルフェー!そんなとこ立ってないでこっちにいらっしゃいよ!」
保険医のエメルがルフェの手を引っ張って机に連れて行く。
机には花が飾られ、ディナーやケーキが並んでいる。
「ケーキはエメルちゃんの手作りだよー!豪華な料理はレオン専属の料理人さん作!」
「おう!急いで作って運ばせた。」
「お前の貴族力が初めて役に立ったな。普段毛ほども役に立たんスキルなのに。」
「よだれたらしそうな顔して言うんじゃねぇよ食いしん坊!」
レオンが紙コップにジュースを注いで、ルフェに手渡した。
「レオン。どうして私の誕生日、知ってたの。」
「レディを祝う機会をこの俺が見過ごすわけないだろ?」
コップは全員に行き渡り、レオンが乾杯の音頭を取る。
長々と語り出そうとしたレオンを遮ってリヒトが乾杯宣言。たぶん、さっさとご飯が食べたかったんだと思う。
食堂のご飯とはまた違う、豪華なディナーを楽しんで、エメルが空中にウサギや羊のぬいぐるみを浮かべてさらに賑やかにしてくれる。
まだぼんやりと現在の光景を眺めていたルフェに、料理の乗った紙皿をレオンが差し出す。満面の笑みと共に。
「たんと食えルフェ!お前のために用意した。」
「ありがと。」
「少ないかもしれないが、今此処にいる奴らはルフェの味方だ。安心しろ。男しかいねぇのは勘弁だがな。
あ、学園長やアンナちゃんも居るか。」
湖畔の麓に浮かび上がった暖かな光の中に自分はいる。
賑やかな仲間達。
皿を受け取って、綺麗に切り取られたローストビーフを頬張る。
「美味しい。」
「だろー?足りなきゃいくらでも足すから、さっさと食え。あっという間にリヒトが平らげちまう。」
「本当に・・・本当にありがとう、レオン。」
「ああ。俺がお前を守ってやるって、言ったろ?」
ウィンクして笑うレオンは、とても頼もしく見えた。
その後デザートまで堪能して、寮の門限が来る前に解散となった。
ジノとリヒトが寮まで送ってくれて、ルフェは自室に帰った。
シャワーを終え、机につくとペンを取った。
『親愛なるアンナ。
素敵なプレゼントありがとう。可愛くて私には似合わない、なんて言ったら怒られそうだから
休みの日につけることにする。
私は元気です。クロノス学園で、頑張ってマナを学んでいます。
今まで体験したこともない事を沢山知れて、毎日楽しいです。
いつか会える日を楽しみにしています。絶対また会いましょう。
追伸。友達が出来ました。』