❀ 4-7
「モルガンとメデッサはシャフレットで出会ったらしい。経緯は知らないけど幼い君とも面識があった。
だからティティスは人間であるメデッサに全てを話し、君を守る計画を実行した。
魔法院に預言者として足を運び、ウィオプスによる襲撃が起こるから、シャフレットを滅ぼした娘を生かし、
時が来たら魔法を学ばせるように告げた。
大まかな道筋を説くことでルフェの自由を保障し、第3の予言にウィオプスが関係してると勘違いさせることで
魔法院すら手出し出来ないように手を打った。全ては、姉であり女神の子であるモルガンを守るためだ。
その後は、君たちも大体の事は知ってるのだろう?」
プロトから全ての話を聞いたルフェは、意外にも落ち着いた様子で頷いただけだった。
あまりに冷静に受け止める彼女に変わって、レオンがヤキモキして口を出す。
「待て待て。色々理不尽な話だったぞ?結局、シャフレットの件でルフェは犯人じゃないのに
大人が第1の巫女モルガンとロードの存在隠すために、小さな子供に罪をなすりつけてるんだぜ?」
「えん罪であるとはっきりしただけ、胸の重りがなくなってすっきりしてるところよ。
それに、私だけがウィオプスを倒せる理由もやっとわかったし、世界を守るために皆が考えた結果なら、文句はない。」
「予言だってかなりねじ曲げてる。バレたら、偽証罪だなんだと元老院のじいさん達が騒いで大変だろうが。
ウィオプスも宇宙意思も、お前を狙ってるようなこと言ってなかったか?」
「狙ってるよ。ウィオプスは自分を輪廻の輪に戻してくれる存在だと期待してルフェに寄ってくるし、
宇宙意思は、女神の息吹をルフェに感じてる。女神の全てを消し去るまで、奴は満足しない。」
ルフェはまだ文句ありげなレオンの前に手を出して、こちらに熱い視線を向けるプロトに向き直る。
「全てを知った上で、助けて欲しいんだ。ラストを。
彼はずっとずっと、自分を犠牲にし他者を助けてきた。もう解放させてあげたい。
たとえこのまま世界が滅んで全てが消える運命だったとしても、最後ぐらい、ラスト本来の姿でいてほしい。」
「私も出来るならそうしてあげたい。あの人は、とてもいい人。」
「その通りだよ。魔族を作ったのも、人間の世界を荒らしているのも彼の意思ではない。」
ルフェがラストの本質をわかってくれたのが嬉しかったのか、プロトは見るからに安心した顔をして息をついた。
腑に落ちない様子のレオンが、腕を組んで唸る。
「助けるっていっても、オリジナルの肉体はすでにないだろ。宇宙意思と完全融合したから魂も残ってるかどうか。
先程の戦いだって、歴戦の魔法使いや元老院のじいさん、魔女が勢力を上げても動きを止めるのが精一杯だったように見えた。」
「夢がないこと言わないでよ、子孫。」
「その呼び方やめて・・・。」
自分の先祖が目の前にいて、尚且つ原始の人間だといまだ飲み込めないレオンは微妙な表情をしたまま顔をそらした。
混乱している部分はおいといて、とりあえず目下の問題解決に集中しようと努めているようだ。
「宇宙意思が動けるのは、この世界の物質であるラストの体に宿ってるからさ。体外に追い出せれば、宇宙意思は大人しくなる。」
「新しい宿主を探すだけでは?」
「そう簡単に宿主は見つからない。ラストは、生まれた時の姿を保った原始の人間。女神が作って、女神の息吹が一番高かった。」
「なら、次は魔女の誰かを乗っ取るかもしれないじゃないか。それはもっと事態が悪化するのでは?
このまま、ラストって人の体に宿してた方がまだやりやすい。」
遠慮無く突きつけるレオンの言葉に、銀髪の彼は気を悪くする様子は無かった。
「次元の狭間で、ラストは宇宙意思を自分の体に融合させるべく力を注いでいた。今更他の体に定着は出来ないはずさ。」
「体から追い出したって、そのままあっさり退散なんてことはないんだろ?」
「恐らく。二度目の接触時には、ラストを使わずモルガンを襲ったらしいんだ。詳細はモルガンしか知らない。」
「二度目の接触をどうやって緩和したのか聞きたい所だな・・・。本来はさらわれる、つまり死ぬ予定だったんだろ?」
「それもまた輪廻の輪であり、必然であり、モルガン達が足掻いた結果により未来が変わったんじゃないかと僕は思うんだ。
第二の来訪でモルガンが死ななかったことこそ、人類の、この世界の好機。
彼女が死んでいた時点で、この世界の終幕は決定され、もっと早く全てが無に帰っていただろう。
そしてもう一つの好機。ルフェが生まれた。崩壊を退けられるかもしれない。」
レオンがまとう空気がピリついたのをルフェは肌で感じた。
「本来は無関係だったルフェが巻き込まれていると知って上でそれを頼むのはどうかと思いますがね。
厳しいこと言うようですが・・・・、あなたは何も知らず全てを友に託して死んだのでしょ?
それを今になって他人に助けろだなんて、無責任過ぎますよ。」
「レオン・・・。」
言い過ぎだとレオンの腕を掴むが、プロトは真正面から言葉を受け入れた。
「ああ、そうだね。生きている時も、死んだ後も、宇宙意思に飲まれていく彼を脇で見ていることしか出来なかった。
今の僕には何かを成す術はない。輪廻の輪から外れ狭間の世界に取り込まれた魂は、
こうして助けを求めることしか出来ない卑怯な奴さ。僕がもっとしっかりしていれば、
そもそも宇宙意思は目覚めなかったのかも知れないのに・・・
我が儘を言って押しつけてるのはわかってるけど、事はとうの昔に起こってしまっている。
僕は世界を終わらせる気は無いよ。彼が守った世界で、ラストには生きていて欲しいから。
僕に出来ることならなんだってする。何も出来ない僕に変わって、ラストを助けて欲しいんだ。」
強い決意の前に、2人は何も言い返せなかった。
この人は、長い長い時を次元の狭間で友の変貌を見てきたはずだ。
悪に墜ち苦しむ友の姿を見て、何を考えたかなど明白。
この人が原始の人間であり、始まりの土地でマナを習った古の存在であると、
疑う余地も無いぐらいその立ち姿は気高く美しかった。
この人が友の決意を知らなかったことは罪では無い。当の本人が、プロトに気づかせないようにしていたのだろう。
きっと、この綺麗な隣人には、のびのびと生きて欲しかったのだろう。
レオンの腕をポンポンと叩き、ルフェが一歩前に出る。
「私は、守りたいものを守るだけです。予言とか大人の意向とか関係ありません。
世界が元に戻せるなら、その術を教えて下さい。私が出来る事ならば、全力で当たります。」
「ルフェ・・・。」
「先程から気になっていたのですが、輪廻の輪とはなんですか?」
幾分か肩の力を抜いて、長杖を握り直す。
「再生と破壊が繰り返すうちに生まれたシステムみたいなものさ。
人間の世界でも、転生とか生まれ変わるとかいう発想はあっただろ?
輪には女神が作った生命が乗っている。循環する仕組みだ。これがあったからこそ、何度世界が破滅されても再生が出来た。」
「私達、何度も生まれては消えているってことですか?」
「宇宙ごとね。時間概念にとらわれた人間では想像も出来ないような長さの間存在し、すっと眠るように女神の懐に帰って行く。
眠りの瞬間をどの生命も感じることは出来ず、気づけば新たに生まれている。新たな宇宙で。
女神の創造と宇宙意思の破壊が上手く循環して回ってたんだ。
今までずっとそうだった。けれど、今回は違う。宇宙意思は、循環を拒んだ。
この世界に訪れる三度目で 理は滅びるかもしれないんだ。因果律も残らず、転生も叶わず魂は悉く消える。
女神はもう眠りについている。創造の時は来ない。この宇宙は静かに無に抱かれる。 」
「女神は、なぜ眠りについたの?」
「それは―――、」
言葉の途中で、プロトの体が透けだした。
輪郭がどんどん曖昧になって風景に溶け込んでいく。
「時間切れだね。いいかい。君たちを此処へ呼んだのは、宇宙意思の攻撃で殺させないように避難させただけ。
やがて奴も此処に辿り着く。この土地は君たちの力になってくれるだろう。」
「お、おい!色々お願いしといて自分は退場かよ!ズルいだろうが。もいちょい頑張って対策とか教えろ!」
「ごめんね、子孫。君にも色々してあげたかった。僕の最期のあがきを、どうか託させてほしい。」
プロトの姿は完全に消え、レオンの手の平に、小さな琥珀色の石が握られていた。
綺麗な楕円形のそれは、宝石のような輝きを持ち、土地の弱い明かりでも表面がキラキラと反射する。
「マナ石か・・・?」
「プロトさん、最期のって言ってた。まさか、自分のマナを・・・?」
「うちの一族はいい加減で他力本願の奴ばかりで困る。」
琥珀色の石をギュッと握りしめたレオンは、急に砂浜の上であぐらをかいた。
遅れて、ルフェも隣にちょこんと腰掛ける。
「プロトさん、助けてくれたのね。宇宙意思の攻撃から。」
「ってことは、他の人たちは―いや、考えるのはよそう。」
世界が始まったと言われる土地にいるという実感は無いが、此処から眺める海と空は美しかった。
黄昏の空を見つめながら、しばし考え込む2人。
戦闘を離脱して、色々話しを聞かされて、正直頭も心も追いついていない。
これが現実かどうかも疑わしい。死ぬ間際に見ている夢かもしれない。
「ルフェは女神様の孫だったんだな。そりゃマナ量が莫大なわけだ。」
「私としては、シャフレットの被害を出したのが、私じゃなくて安心した。
といっても、父を含め被害は出てるから、喜んじゃいけない事なんだけど。」
「大人達を恨んでないのか?」
「全然。今の私に満足してる。ちょっとでも筋書きが違えば、マリーやジノにも出会えなかった。」
「そうだよな・・・。これも必然ってやつか。」
引いては寄せる波は、永久に続いているかのごとく繰り返し
どれだけその様を見ていても空が暗くなることはない。
切り離された場所なのだ。時間からも、人間の住む世界からも。
「なぜレオンは・・・というか、コルネリウス家の人たちはラストさんに似てるのか聞きそびれちゃった。
話しを聞く前は、コルネリウス家の始祖はラストさんだと思ってたの。」
「それについてはよく分からねえが、コルネリウス家の当主に伝わる秘話ってのが存在する。
昔、人間の王様とその従者が始まりの土地に辿り着いたが、魔女と戦えぬよう呪いを掛けられたってな。
だからこの戦いで魔女相手じゃ俺の魔法は使えないと信じ切ってたんだが、
あの貧弱先祖が何か血の契約交わしたんだろうな。従者がコルネリウス家の者だと思ってたが、どうやら逆かもしれない。
それに、大陸の中心で、古の時代勢力を奮っていたエウレカ国ってのがコルネリウス家の起源とされている。
エウレカ国は魔女大戦で国を無くし大陸の南西に逃げ、敵対していた国に呑まれた。
その敵対してた国ってのがシュヴァルツの生家で、バーンシュタイン国の前身。」
「全部本当みたいね。」
「エウレカ国滅亡の際、逃亡を手伝った古い魔法使いが出てくんだよ。語り部によれば老人だったが、それがラストって人なのかもな。
今のコルネリウス家があるのも、その人のおかげなら、俺が生まれたのも感謝しなきゃならない。
じゃなきゃ、いまここで、ルフェと海眺めて黄昏れてるなんて出来なかったもんな。」
こちらを向いて、柔らかく微笑む大男。
出会った時より髪は短くて不摂生の影もない真面目な姿になってしまったが、優しい瞳はそのまま。
「フフ。ライム島じゃ、レオンがへそ曲げてたせいでろくに遊べなかったものね。」
「へそは曲げてねぇ!あー、あれだ。ちょうど、夏休みの頭で、
コルネリウス家の真実とやらを聞いちまったから、イライラしてたんだ。
魔女の話もそこで初めて聞いたし、当主になって守らなきゃいけないものがあると周りにごり押しされたんだ。
そんときは、まだ当主なんて絶対ならねぇって断固拒否してたからな。」
「今は立派な当主様じゃない。」
「俺だって、守りたいもんがある。」
柔らかい風が出て来た。
ルフェの黒髪で遊びだし、毛先がふわりと舞い上がる。
声がした。
風に乗って、確かに届いた。レオンにも、聞こえたのだろう。息を呑む音がした。
「世界の形とか理とか、複雑過ぎて私にはわからない。
けど、終わりがいつか訪れたとしても、きっと今じゃないはずよ。私は、守りたいものを守るだけ。」
ルフェがすっと立ち上がった。
見上げた彼女の顔には、強い決意のようなものがある。
「行ってくる。」
「・・・言うと思った。まったく、何かあったら頼れって言っても、ルフェは何でも1人でやりたがる。寂しいじゃねぇの。」
「頼りにしてる。だから此処を任せるのよ、レオン。
女神はこの土地を守ればやり直せると言った。なら、プロトさんが導いてくれる。」
レオンもゆっくりと立ち上がり、ルフェと向き合った。
思慮深い金の瞳。
高貴な様相を閉じ込めた聖なる色合いは、どこか憂いの色を交えて僅かに細められた。
「レオンがラストさんに似て生まれた理由がわかったわ。」
「それは、後で教えてくれ。リヒト達も呼んで、宴会でもしようや。」
「楽しみにしてる。」
「ルフェが主役だからな。遅刻厳禁。」
「うん、わかった。約束ね。」
「ああ、約束だ。」
紋を刻まない約束を結び、ルフェは消えた。
砂でさえ彼女がいた証は残せなかった。
一度だけ、深呼吸をして、レオンは振り返った。
「コルネリウス家現当主として、契約を結びたい。」
*
ピンクと黄色を混ぜた雲の中にいた。
左右へ割れるように雲が流れていく。
目の前で雲が晴れたが、淡い色味の雲が辺りを包んだままであった。
体は浮いていた。私を縛るものはなく、重力さえも私を手放して自由にする。
私の前に、7つの光りが現われた。
綺麗に横並びになりながら、一番左の光が膨れて、人の形になった。
みずみずしい白い肌に、長い手足、絹のようになめらかな金の髪。
目を閉じたままだが、至高の美しさを持った女性が、対面する。
「こうしてお話しするのは初めてですね、。」
「はい。」
「血の繋がりはありませんが、私達の可愛い姪子。立派に育ちましたね。」
目は開いていないのに、慈愛に満ちた声を掛けられ、直接愛でられた気分になる。
「ティティスさん、何をするつもりですか?」
「あなたに、贈り物を渡しに来ただけですよ。邪魔するつもりはありません。」
他の6つの光が1つになって、ティティスの手の上で1本の杖になった。
光が収まると、それは杖であるとわかった。
シンプルな銀の胴部分に、黒い玉が先端についている。内部は、宇宙が渦巻いていた。
その輝きは何度も見た星空だった。
「これを、貴方に。どうか、女神の土地をお守り下さい。」
ティティスの体も光に戻り、杖の先端に吸収される。
戸惑いながら、それを握った。
鼓動が跳ねた。触れた箇所から熱が伝わり、体内のマナが反応して熱くなる。
辺りの雲が再び流れ出す。ルフェの体が下へ下へ落ちていき、
雲が切れ、石の大地が広がった。
静かに着地したその場所は、イルの大地であった。
相変わらず分厚い雲が頭上を覆い、昼間であるのに薄暗い。
何人も、何人もの魔法使いが倒れていた。
見知った顔も、元老院議員の姿もある。
立っているのはロードと、モルガンとメデッサだけであった。
ロードは相変わらず四肢を拘束していたはずの縄の切れ端をなびかせており、
メデッサはアセットの槍で猛攻撃を浴びせ、モルガンがマナを叩き込む。
常人の動きではない。当に、人間の領域から外れている。
音も無く舞い降りたルフェにいち早く気づいたのは、ロードの中にいる宇宙意思だった。
ルフェに向きを変えたロードの背中に槍が刺さり、顔面にマナを当てられたが
その体に傷はなく、足止めの2人を無視してルフェに突進する。
ルフェは手にしていた杖を脇に構えたまま、突っ込んでくるロードをマナの防壁で拒んだ。
チリチリと空気中に電気が満ちる。
人相が変わってしまうほど、恨みと苛立ちで歪むロードの顔。鼻の根元に皺が寄って、赤い目が煌々と燃える。
ルフェだけは冷静に、その双眸をにらみ返す。
脇に飛んだロードが、手に貯めたマナを防壁に叩き込む。
反発作用で防壁が割れてしまい、後ろへ飛んで逃げたルフェを更に追いかけてくる。
メデッサが綱のように伸ばしたマナでロードの足を掴んで引き、頭上に飛んでいたモルガンが華麗なかかと落としを見せる。
地面の岩が砕けて飛び散った。そこにロードの姿はなく、モルガンのかかとが埋まっているだけ。
視認するより早く、ルフェは杖で左から突然現われたロードの拳を杖を立てて防いだ。
金属がぶつかる甲高い音が耳元で響く。
逃げる事はせず、ルフェは踏み込んで横にした杖の石突きでロードの腹を狙う。
当然脇に避けたので、杖を半回転させて先端の球体にマナを込めそのままロードの頭を狙う。
球体はロードの髪をかすめただけだったが、わずかに触れただけでマナが爆発しロードの体が押された。
好機とばかりにメデッサとモルガンが隙を突くも、攻撃は全てかわされる。
けれどルフェの持つ杖の脅威に気づいたのか、宇宙意思は警戒して後ろに逃げた。
「そこにいるのですね、妹達は。」
「はい。力を託してくれました。」
「あやつに具現化を解かれ危惧していました。」
「プロトさんに、ラストさんを託されました。宇宙意思を引き剥がします。お手伝いを、お願いしたいです。」
表情がほとんどないモルガンが、目を見開いて驚きを表現したが、
ロードに向き直った時には、凜々しい横顔に戻っていた。口元は、わずかに笑っている。
「いいでしょう。貴方なら、奇跡が起こせる気がしてきました。メデッサ、」
「老体にむち打って、サポートしましょう。」
メデッサとモルガンが同時に姿を消した。
気配を察知して地面を蹴ろうと足に力を込めたロードの上に現われ、両腕をそれぞれ拘束する。
突進していたルフェが、杖を額目指して突き刺す。
が、上から落ちてきた赤い残影に杖を弾かれ狙いが狂わされた。
ルフェは杖を握った手ごと蹴り上げられ、暴れるロードが2人を吹き飛ばした。
赤い爪を立ててルフェに狙いを定めたネアの目は獰猛な獸。
完璧にルフェを獲物だと思っている彼女には、もう殺意という本能しか残ってないように見えた。
手の中の杖が僅かに震えたのを指先で探知する。今、ロノエとティティンも協力してくれている。
ネアを心配しているんだ。戸惑いが生まれ、反応が遅れる。
ルフェの顔を切り裂こうと振り下ろされる腕をモルガンが弾き、ネアの脇腹を遠慮無く蹴り飛ばすと
赤毛の妹は岩の地面に転がった。
メデッサが再び縄でロードの体を拘束した隙を見逃さず杖を握り直すも、先程転がっていたはずのネアが目の前に転移してくる。
執着と意地だ。彼女はロードさんを好いている。何があっても、守るつもりだ。
たとえ姉に歯向かうことになろうとも―――。
「どいてネアさん!宇宙意思をラストさんの肉体から剥がすから!!」
ルフェの気迫にネアの動きが一瞬止まった。
ネア自身も、ラストが宇宙意思のせいで自我を失っているのは理解しているはずだ。
プロトのように、近くで急変する様を見守ることしか出来なかっただろう。
今度こそモルガンがネアの体をマナで拘束し、手も付けず顔から地面に倒れた。
ロードが体にマナとは違う力を込めメデッサを弾いたが、ルフェは杖の先端で地面を叩いた。
すると、彼の足下に魔法陣が現われ、飛び出して来た縄が彼の四肢を縛り上げる。
始まりの土地へ飛ばされる直前に彼を拘束したのと同じ技だ。杖を通じてモロノエとゾエが力を貸してくれている。
足の裏にマナを込め、地面を強く蹴り、身を低くして懐に杖を突き刺す。
先端に自分のマナも込め、願いも込める。
腹を突き刺すと、先端の球体とロードが使う力が反発して爆風が起きた。
風圧にルフェの体が押され、後ろに逃げながら距離を取って地面に膝をついた。
ロードの体が白く発光していき、拘束の縄が解けたが、ロードはその場で足を踏ん張って立っているのが精一杯に見える。
体に宿った眩い光が、彼の体から空へ真っ直ぐ放出され、ロードは倒れた。
分厚い雲が追い出され、空へ放たれた光が雲と同じ高さで渦巻き、モヤのような、膜のような半透明の何かになる。
黄色を含みだしたモヤがゆっくりと自転しながら、体を薄く引き延ばしていく。
体を縛られたままのネアがロードの名を叫びながら泣いていたが、その絶叫すら遠くなっていく。
ロードの体から剥がれた宇宙意思は、雲を完全に追いやると、巨大なアメーバのような不思議な姿のまま
空の上に鎮座し始めた。奇妙な光景だった。気味の悪い生物のようにも、神聖なお告げの使者にも感じる。
『愚かだな女神の子らよ。』
頭の中に直接声が響いてきた。
男性の声でも女性の声でも無く、年配でもあり若くもある。
頭上の渦が話してるのだとわかった。
『女神が子供を産んだ。それが罪。全ての因果が狂ったのだ。理すら変えた。
女神は自らの一部を分け与えてしまった。輪廻の輪のバランスが、崩れた。
だからわたしの力が強くなっただけのこと。全ては因果也。』
「黙りなさい。お前は自分の責務も忘れ、人間の自我に影響されたに過ぎない。」
ルフェの隣に立って、モルガンが力強く反論を述べる。
ネアはメデッサが抑えていたが、もう抵抗する様子は見えない。
「お前がいつしか業務を怠り、確実な終焉を下ろさないからこそ、女神はこの世界に全てを託すべく私を生んだのです。
何故女神が眠りについたのか、考えればわかることです。」
『理を前にしてよく吠えたものよ。』
「輪廻の輪を元に戻しなさい。」
『誰に口をきいておるのだ!調子に乗るのもいい加減にしろ、新生児の分際で。』
頭に響くだけの声が怒鳴り、渦が赤く染まりイルの大地が怒りの色に侵食された。
モルガンが何を説こうが、聞くつもりはないようだ。
ルフェは杖の石突きで地面を叩き、真っ直ぐと頭上の存在を見つめた。
「私がバランスを戻します。」
球体を見せつけるように杖を掲げると、宇宙意思の怒りの色がすぅっと消えた。
体がどんどんと色味を失い、透明になり目では視認出来なくなってしまった。もう声も聞こえては来ない。
ルフェはモルガンを振り向いた。
「流れ星の話しを、覚えていますか。」
「もちろんです。」
「私の願いは、守ってから燃え尽きること。それは変わってません。」
「そうですか。」
モルガンは頷いて、目線を合わせるため少し身をかがめた。
ルフェの漆黒の瞳に、宇宙が宿っていた。
全てを察したモルガンは、口元に笑みを携えて頷いた。
何も言わず体の具現化を解くと、杖先の球体に入り、遅れて赤い光も吸い込まれた。
メデッサの近くで倒れていたロードの元まで歩き、背中に手を当て、残されて唖然としているメデッサに顔を向けた。
「行ってきます、先生。」
返答は待たず、ルフェはロードの体ごとイルの大地から姿を消した。
*
そこは小さな島だった。
草花が生えた丘に、年期が入った木が数本生えている。
柔らかな草の上に降り立ったルフェは、膝の上にロードの頭を乗せた。
巫女達から託された杖は形を変え、手首に巻かれた9色のアミュレットとなって傍らにいた。
目の前に広がる海の波は高く、空には荒々しくも粛然とした渦が巻いている。
空は渦の発光で明るいのに、海の上や島の周りは薄暗かった。
まるで嵐の中に居て、中心の目を眺めているような。
腕の中で守るように抱いていた男が、低く唸りながら瞳を開けた。
朝焼けが見せる一瞬の目映さを閉じ込めたような、金の色がルフェを映す。
「おはようございます。気分はどうですか?」
「ああ・・・。良いよ。可愛い女の子がすぐ前にいるんだから。」
体が鉛のようだと漏らしながら、瞳だけで辺りを見渡した彼は、
空を我が者顔で支配する渦を見て幾分か意識をハッキリさせたようだった。
「そうか、剥がれたか。ずいぶんみっともない姿になったな。」
「人間の欲を吸い過ぎたのでしょう。あれはもう、人間が想像出来うる範囲にまで墜ちました。」
首を回して、再びルフェを映す。
瞳に憂いが宿り、疲労が目の下に色濃く表れている。
「すまない・・・生まれた時から、君に全部背負わせたのは俺だ。
どうにか糸口はないかと、女神の血を引いた君に押しつけた。・・・俺が、ただ眠りたいだなんて願ったから・・・。本当に、すまない。」
「これも因果律ですよ、ラストさん。」
「俺の、名前・・・。」
「プロトさんから聞きました。」
「あいつが・・・そうか。久々に聞いたよ、俺の真名。」
草むらからこちらに近づく足音がした。
「よ、待ってたぜ」
「さすがレオン。」
「もっと褒めていいんだぜ?準備は万端。いつでもオッケーだ。契約は完了している。」
「ありがとう。」
近くに生えていた幹が曲がった木に寄りかかり、レオンは腕組みをして傍観の姿勢を取る。
疲れた顔をしながらも、2人のやりとりを不思議そうに聞いていたラストを、今一度しっかり抱き留める。
「長い間、この世界のためにその身を捧げてくれたこと、世界を代表してお礼を言います。
これからは、自由に生きてくださいね。」
「待て、何を――。」
ルフェはその体制のまま全身でマナを込めていく。
アミュレットが純度を高めていってくれているのがわかった。心地よい力の流れを感じる。
出力を上げていき、いつの間にか顔を出していたウィオプス達をも巻き込んでマナの放出範囲を広げていく。
少女に守られるようにして抱かれていたラストは、体がどんどん軽くなるのを感じた。
宇宙意思に長いこと体を奪われ、もう自分の意思では指先すら動けなくなっていた体に
生まれた時より授かっていた自分のマナが巡回しているのに気づく。
傷は癒え、元の形に戻ろうとしている。
「待て!やめるんだ!人の殻を破るんじゃない、戻れなくなるぞ!?」
ラストが叫んでもルフェはマナの放出を止めなかったし、レオンも間に入ってはこなかった。
やがてルフェの背中に、金色の線で描かれた美しい羽が生えた。
蝶のように繊細で芸術的な模様を持ったそれは見る見るうちに大きく広がり、金の粒子を纏いながら2度羽ばたいた。
ルフェに再生の力が宿っているのは、女神の力がモルガンを通して継承されたからだ。
死んだ命を生き返らせた時点で、理をねじ曲げていたのだと、ラストはそこで気づいた。
宇宙意思が運ぶ過度な破壊を、ルフェという新たな生命がバランスを取っていたのだ。
本来であれば、次元の狭間に落ちた魂も、宇宙意思の破壊の懐に抱かれ輪廻の輪へ迎えたのに。
それが適わずウィオプスという1つの生命体になってしまった彼らを、ルフェがたった1人で解放してあげていたのだ。
わかったところで、もう自分には何も出来ないと悟る。
空と地の間に、金の衣を纏った美しい女性が現われた。
背丈は丘ほど、いや山ほどある。脳がショックで産み出した怪物じみた幻覚かとも思ったのだが、
あれは紛れもなく女神だった。
女神は、眠りについたのではなかったのだろうか。これ以上理のバランスを崩さないために。
ルフェの声を聞いて、帰ってきたというのか。この宇宙に。
空に、赤い球があった。
それはどんどんと近づいてくる隕石であった。大気に燃やされ赤く光ながら大地めがけ落ちてくる。
いつの間にかルフェの隣に並んでいたレオンが、しゃがみ込んでルフェの肩に手を置いた。
「私は生まれながらにして罪人で、人の目から隠れて生きてきたのに
今は世界の命運を分ける戦いをしてる。おかしいよね。封印を解いてから1年も経ってないのよ?」
「違いない。俺も、まさかあれだけ嫌ってた当主になって、始まりの土地の主まで継承するとは思わなかったぜ。」
「おかげで女神様は起きてくれた。最初から、始まりの土地に眠っていた。だから女神は、此処を守れと仰ったのね。」
ルフェとレオンの体がどんどんと黄色の粒子に変わっていく。
輪郭が曖昧になっても、ルフェの黒い瞳だけが、宇宙を宿したまま女神を見上げ輝きを増していく。
ルフェの腕に抱かれながら、女神が一度だけこちらを向いて微笑んだのを見た。
この世界で見たどの造形物よりも美しく、慈愛に溢れ、そして気高かった。
女神は両手を広げながら、宇宙意思を抱きしめた。
動揺する渦に隕石も飲み込まれ、半透明な渦に飲み込まれやがて砕けて星に帰った。
優しく愛でるようにそれを抱きしめたまま、女神は穏やかに微笑んで目を閉じた。
夜の帳が降りだした。
世界は明度を落とし、満点の星空がこちらを見下ろしている。
全てが、女神を見つめている。
ルフェとレオンの体が空へ登り、体が草の上に落ちる僅かな高低差を感じたところで、ラストの意識は途絶えた。