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❀ 4-8

息を呑みながら目を覚ました時、そこは見知らぬベッドの上だった。
染みのない木目天井に、鳥のさえずりが聞こえてくる。
首を回しても、知らない室内だった。
体を起こして、自分の両手をマジマジと眺める。子供の手であった。どうやらこれが自分の体であるらしい。
纏っている衣服も子供用のシャツにリボン、膝丈のズボン。どれも質がよく、一般家庭の子供用ではないとすぐに分かった。
ベッドを降りる時も、短い足と低い視界に戸惑いながら、改めて部屋を見渡した。
観葉植物と小さなチェスト、丸椅子、今寝ていたベッド以外の家具は無かった。
ベッドの下で綺麗に並んでいた子供用の靴を履いて立ち上がる。
声がする。人の笑い声だ。恐る恐る、声がする方に歩いて行く。
光がどんどん強くなり、玄関らしきドアを開くと、眩しさに目をつぶった。
緑豊かな外の世界が広がっていた。手入れされた草むらに、花が咲き誇る庭に、蝶が舞っている。
庭と外を隔てる柵の隣には林があり、さらに奥には海が見下ろせた。
丘の上に立つ家の左側には、立派な東屋があり、その下で銀の髪をした美しい少年が1人で笑っては何かを話していた。
近づくと、少年の横で光輝く、羽の生えた小人が機嫌良さそうに飛んでいた。
銀の少年が、こちらを向いた。

 


「おっそーい!やっと起きたぁ。」
「説明しろ、プロト。」

 


ガーデンテーブルの上には銀の食器が並び、カップには湯気が立つミルクティーが入っていた。
空いていた椅子に座ると、ミルクティーを淹れて差し出してくれるので、受け取って口にする。
上品な甘みが口内に広がって、これが夢はないと知る。


「小さいラストも可愛いね。」
「どうして子供になってるんだ?俺は消滅した気がするんだが。」
「まさか。ルフェが僕らまで輪廻の輪に乗せてくれたんだよ。」
「循環したのか?」
「うーん、巡回って言った方がいいかもね。宇宙のバランスは元に戻って、神々の再生と破壊は仲直りしたみたいだよ?
此処は、元の世界軸を基準点としてやり直しを含み再構築された世界だ。
女神の伝説はあるけど、モルガンを初めとした巫女は存在しない。あ、マナや魔法はあるよ?
前世界の根本までは変わらなかったみたいだ。」


見た目は10歳ぐらいの幼い容姿なのに、つらつらと流暢に話す少年は、銀のフサフサしたまつげを伏せながらミルクティーを飲む。
自分も同じぐらいの歳になっているのだろう。プロトはともかく、自分の半ズボン姿など受け入れがたい。

 


「俺達に記憶が残っているのは?」
「元々は原始存在として他の魂とは違ったからね。上手くシステムに適応出来なかったのか、
ルフェの粋なプレゼントかもしれないね。あの子は、本当に優しい子だったから。」
「だった・・・?先程、モルガン達は存在しないと言ったな。」
「女神は自分の一部から子を作っていない。ルフェも生まれてはこない。」
「あいつら、自分でそれを選んだのか?確か、お前の子孫もいたろ。コルネリウス家の。」


カップをソーサーに戻したプロトは、少年らしからぬ表情を作って、東屋の外に視線を逃がした。
蒼穹の瞳は憂いを帯びて凜とした美しさを放っている。


「この世界では、僕も君も人間史の初めには存在していない。僕の家族であるコルネリウス家は存在せず、
末代であったレオンも生まれてこない。多少、前世とやらの因果を引きずっているようなんだ。」
「何故だ。自分を犠牲にする必要なんてないだろう?ルフェだって、友達の元に帰るのを望んでいた。」
「バランスを元に戻すことに条件を絞ったんだろうね。さっきも言ったけど、女神は一部を分けていない。
ルフェは女神の欠片を所持し、腹にいる間にモルガンが持っていた女神の一部も受け継いでしまっていた。
女神に返還すれば、当然自身の存在も無くなると分かった上で、彼女は力を使って女神を起こしてくれた。
逆にいえば、ルフェじゃなければ世界は宇宙意思に飲まれて無に帰していた所だったよ。」


プロトの周りで遊んでいた妖精が、疲れたのかテーブルの上に座って羽を休めだした。
人間世界で当たり前に妖精が姿を見せているのも、異様な光景ではある。
ラストは渦巻く感情をどう吐き出したらいいかわからず、相棒を真似て遠くの海を眺めた。
林の間から見える僅かな水面が、太陽の光を受けて輝いているのは窺えるというのに。


「そうか・・・。この世界に、あの2人はいないのか。」
「恥ずかしい話さ。本来なら僕達が退場して、ルフェ達が笑って過ごすはずだったのに。」


自分のカップにミルクティーを注ぎながら、自嘲気味にそう呟くプロトは、口元は笑っていたが目は悲しそうな色を宿している。
自分も、情けない顔をしていただろう。


「何か、出来ないのか。」
「無理だよ。僕達は、ただの人間に生まれ変わったんだ。マナの量も一般的だし、おまけに今は子供だ。」


庭を囲む柵と同じ木の素材で出来た扉が開いて、東屋に大人がやって来た。
見覚えのない女性で、耳打ちしてきたプロトによれば、この人が2人の母親らしい。


「僕達双子の兄弟なんだってよ。」
「似てないにも程があるだろ。」
「いいや。それが、」


プロトが子供の声で母親に鏡は無いかと問い、女性は鞄から手鏡を差し出した。
無理矢理持たされた鏡を覗き込めば、そこには銀の髪をした子供が映っていた。
子供サイズになったことで気づかなかったが、色も白く可憐な印象だが、瞳の色は、プロトと違って金の色のままだった。


「今の僕はアダム、君はイヴ。」
「・・・嫌がらせか?」
「この地方ではよくある名前さ。今の父親が愉快な人なんだ。会うのを楽しみにしててね。」


得意げに笑うプロトは、子供の輝かしい笑顔を振りまいて、もうこの世界を受け入れ生きているようだった。
どれぐらい前から自我が戻っていたのかは、今は聞かないでおく。
手に包んだミルクティーの水面を見下ろした。
これでいいはずがない。自分だけこんな、夢みたいな生活を送るわけには――。


「そうそう。僕達が知るルフェとレオンはいないけど―――、」



判子を押し終えた書類の束を机の上に投げて、彼は息をつきながら椅子の背もたれに体重を預けた。
いい加減、缶詰にされてひたすら書類整理するのにも飽きたのだが、詰まれた紙の山は減っている気がしない。
常に一定の量を保つ魔法が掛けられているんじゃないかと本格的に疑いだした時、執務室の扉が開いた。


「おいシュヴァルツ!また関税の奴が俺様の荷物を調べたぞ!樽の中までくまなく調べられた!」
「ベルクさん・・・。首都に入る際の手荷物検査は必須条件です。特例はないと言ったはずです。」
「俺はバーンシュタイン国の外交官だぞ?何度もこの地には足を踏み入れている。顔パスしてもいいだろうが。」
「あああの、シュヴァルツ君をあまり困らせては・・・。」

 

わたわたと手を動かして慌てる長身の美女と、腕組みをしてふんぞり返っている金髪の男性に盛大なため息をつく。
気だるそうな双眸をした20代前半と思しき黒髪の若い男性は、もう一度、今度は大げさにため息を吐いてベルを鳴らして執事を呼んだ。
しばらくして、お茶が運ばれてきたので、手をつけていた書類達をどかして執務机の上で無糖の紅茶で喉を潤す。
客人2人は、慣れた様子で対面ソファーに腰掛け茶を飲む。
2人は、学生時代に世話になった先輩達だが、大人になった今も付き合いがある。仕事上でも、プライベートでも。
金髪の彼は四大貴族の一角、ベルク家の若き当主でありながら、国の外交官を務めている。
隣にちょこんと座る長身の麗人は、貿易会社を営むボネ商会の令嬢にして若き社長。
2人とも仕事はやり手だが、性格と社交性にやや難がある。
子供のころから根暗で黒魔術大好きだった自分が言えることではないが、と胸中でツッコミを入れる。

 

「クルノア国王との対談はどうだった。」
「いつも通りでしたよ。退屈で、実りなんてありません。近頃、牙が抜けた獸のようになりましたね。」
「ひぃぃ。大国の王様にそんなこと言えるの、シュヴァルツ君ぐらいだよぉ・・・。」
「まだ、こないだ対談したノア自治区の区長の方がまともでしたよ。最近ノアの歴史をまとめてるとかで、面白い話しを色々聞けました。」
「フン。あれだけ外交は任せるとか言ってた奴が、最近は外に出たがりじゃないか。」
「見て下さいよ、この山。書類を片付けるより外で愛想笑いしてた方が何倍もマシだと気づいたんです。」
「ならもっと増やすか。バーンシュタイン国王が自ら足を運んだ方が上手くいく業種もあるだろう。」
「それはそれで面倒くさいです。」
「我が儘言うな。」

 


貴方には言われたくない、と言いかけて紅茶を飲んで誤魔化す。
この人に何を言っても無駄だと、学生時代に学んだ。
それから仕事の話しと世間話をいくつかして、満足したのか2人は帰っていった。
用も無いのに顔を見に来る暇人は、あの人達だけだろう。
秘書が次の公務の予定を伝え、入れ替わりに小姓が書類の束を持って入ってきた。
まだ10歳の少年で、綺麗な身なりをさせてはいるが、世話の掛かる使用人だった。


「来る途中に、ライオネル様に渡されました。」
「また追加か・・・。そういう時は主人の許可が無いのでとか言って、無視するんだよ。」
「あいつにサボらせるなと、ベルク様に言われておりますので。」

 

主人は僕だぞ、とボヤク間も机の上に書類を並べていき、他の荷物もテーブルに置く。
僕のカップが空なのをめざとく気づき、危ない手つきでティーカップに紅茶を注ぐ。
が、ソーサーに水滴が跳ねた。

 


「また執事長に怒られるな。」
「ジョシュア様が告げ口しなければ問題ありません。」
「僕のソーサーを濡らしておいてよく言うよ。もう良いから、戻りなさい。」


生意気な小姓の頭を小突いて下がらせる。
気まぐれに拾ったものの、人に使えるということにどこまでも向いていない子供だった。
頭がよく利点も効くし記憶力もいいのだが、丁寧さ細やかさ、それに利他的精神と奉仕という単語が圧倒的に足りていない。
ジュニアスクールを出たら、早々にクロノスに送り込んだ方がいいのかもと最近は考えている。僕の平穏のためにも。


「そうだレオン。戻りながら研究所に寄って、大先生から本日分の報告書もらっておいてくれ。」
「えー・・・。俺、あの人苦手なんですよ。」
「君の好き嫌いは主の僕には関係ない。」

 


口をとがらせて、オレンジに近い茶の髪をした小姓は出て行く。
ため息をつきながら時計を見ると、もう会議へ行かなくてはならない時間になっていた。
大臣達との定例報告会のため会議室へ移る。
廊下にずらりと並ぶ豪華な窓枠の外には、鮮やかに広がる青空が広がっていた。
ずっと引きこもっていると、ずいぶん眩しく感じるものだ。
秘書も連れず1人で歩いていると、見知った顔がこちらに近づいてくる。
国立図書館の司書であり、学生時代からの友人ジノだった。


「お疲れ様。疲れた顔してるね、シュヴァルツ君。」
「書類の山に殺されそうだよ・・・。本館に来るなんて珍しいじゃないか。」
「届け物頼まれただけさ。そうだ、サジ先輩から果実酒届いたんだ。今夜部屋に持って行くよ。僕1人じゃ飲みきれないから、手伝って。」
「サジ先輩は相変わらずエニシダ商会で荒稼ぎか?」


廊下の手すりに寄りかかって、中庭を見下ろす。
名前も知らない色とりどりの花は、青空に見守られのびのび育っているように見えて、羨ましくなった。
季節の移ろいも世間の流れも、王宮にいると何も感じなくなってしまう。
それが怖くて、外交を理由に外に出るようになったのだ。


「あの人が商会乗っ取るのも時間の問題だろうね。楽しそうだよ?
各国を渡り歩きながら、品を適切な値段で売っていくっていうのが性に合ってるって。」
「騎士団に入ればエースに、国立研究所に入れば主任になれるほどの頭脳と実力を持っているのに、勿体ない。」
「先輩は縛られるの嫌いだから。」


学生時代を共に過ごした仲間達とは、大人になった今でも親交があるというのはとても頼もしくありがたい。
国の次期王であることを隠し過ごしたクロノス学園での時間は、何にも代えがたい輝かしい思い出だ。
あの時間があったからこそ、王族である自分を受け入れ、戴冠式もすんなりこなせた。
卑屈で根暗だった自分を変えてくれたのも、あの場所だ。

 

「じゃあ後でな。」
「うん。・・・シュヴァルツ君。」
「ん?」
「いや・・・何でも無い。」

 


立ち去る背中を見送る。
様子を見に来た秘書が廊下の向こうで軽く頭を下げたのが見えた。
大臣達が揃ったのだろう。
踵を返して会議室へ向かった。

 


 

 

タマネギを刻む音が、まな板の上で軽快なリズムを奏でる。
オリーブオイルを引いたフライパンでたまねぎを飴色になるまで炒める。
フライパンを熱しているのはマナ石ではない。本物の火だった。
次に鶏肉と刻んだニンニクを入れ、塩こしょうで味付けしながら鶏肉によく火を通す。
一旦火を止め、バターと小麦粉を加え、粉っぽさが無くなるまで混ぜてから牛乳、コンソメを入れていく。
牛乳を少しずつ加えながら、とろみが出て少し煮込めば、ホワイトソースは完成だ。
隣のコンロで、深めの鍋に水を掛けて沸騰させる。
上の棚を開けマカロニを取りだそうとした彼女の手に、別の手が重なった。
同時に後ろから抱きしめられるように、胴に腕が回る。

 


「ただいま。」
「おかえりなさい。」
「マカロニ?取るよ。」


瓶に入れていたマカロンを背の小さな彼女に変わって取り出した男性は、背が高く、端正な顔立ちをしていた。
すらりと伸びる手足に、藍色の髪と瞳を持っている。
男性の方が華やかさがあったが、女性の方も綺麗で控えめな美しさをもった顔立ちをしていた。
長い黒髪を背中に流し、黒曜石のような輝きを持つ大きな黒い瞳を持っていた。
そして2人の左手には、お揃いの指輪が光っている。


「グラタンか。おいしそうだ。」
「トーマさんが教えてくれたんだもの、美味しいに決まってるわ。早かったのね。商談はまとまった?」
「ああ、会長さんはいい人だからね。いい値で取引してくれるってさ。原稿料は据え置きだが、売れ行き次第では次も出せる。」

 


男性は鍋にマカロンを目分量で入れると蓋をして、手を使わずマナで上の棚に戻しながら、再び妻の腰を抱く。


「火傷しますよ。」
「しないさ。塩こしょう、もう少し入れた方がいい。」
「フフ。はい、先生。」
「そう呼ばれるの懐かしいな。トースターから取り出す時言って。危ないから。」

 

妻の髪にキスをして、夫は仕事の後片付けに戻る。
此処は、夫妻が住むために新しく買った新居だ。以前は違う国で一軒家を持っていたが、マナが使えぬ妻のために引っ越すことにした。
どうせ引っ越すならと、イチから新しく作ったこだわり抜いた家だ。
マナに頼らずとも生きていけるように、火を使うシステムキッチンは、

妻が好きな白に統一して、水が自動で出てくるよう水道設備を整えた。
リビングなどマナを使わない家電が置けるよう設計し、扉の施錠は鍵を使うアナログ式。
庭はあまり広く持てなかったが、立派な彼らの城だ。
此処はクルノア国の外れにある、ノア自治区。生まれつきマナを持たない人が肩を寄せて暮らすための場所だ。
クルノア国が定めた法や規律に従う代わりに、支援や援助を受けられる。
だがマナを使える人間と使えない人間とじゃ生きる速度も手順も変わってくる。
故に、ノア自治区では独自の決まりがいくつかあり、選挙で選ばれた代表達が話し合いによって、ノアの人々を纏めている。
元々世間から締め出され、見下され、馴染めずに生きていた人たちばかりだ。
此処では名も知らぬ隣人とも手を取り合って助け合う。
夫トーマはマナが使えたが、そんな彼でも暖かく迎え入れてくれた、とても優しい場所だった。
リビングの隣にある書斎で、カーテンを開け埃が舞うのを見て見ぬ振りをしながら、机に放り投げた書類の束を片付けていく。
彼は、学者と作家を合わせたような仕事をしていた。彼が今まで体験した事柄や魔法科学の論文を書物として出版している。
たまたまそんな話しをご近所としていたところ、今は2人が住む地区会長にノアの歴史をまとめてくれと頼まれている。
かつて、マナが使えない人々をまとめ上げ安住の地を得るため国と戦った英雄ノアの話は、書物ではなく口頭で伝わっている。
実際にノアと会って戦った人たちも、もう高齢になってしまっていた。
当時の逸話や歴史が失われる前に形にして残したい、とのことだ。
トーマがノアに住む人たちにインタビューをし、わずかな文献やメモ書きをまとめる。
おかげで顔見知りも増え、あまり人付き合いが得意じゃない魔法使いの事も、周りはより深く理解してくれるようになった。
今日は清書した原文を自治区長に提出し、長が自らクルノア国へ出向き出版の許可をもらいにいくという。
著者である自分にも付いてきてくれと頼まれたが、妻を置いて何日も家を空けるわけにはいかなかいので断った。
執筆に使っていた資料などを片付けていると、開けっぱなしにしていたドアから香ばしい匂いが届いた。
そろそろグラタンが焼ける頃だろうか。
片付けもそこそこに、キッチンに戻った。

 


「ねえ、トーマさん。我が儘言ってもいい・・・?」


リビングのテーブルで妻お手製のグラタンを頬張っていると、そんなことを言われた。
遠慮がちに首を傾げる仕草はとても可愛いらしい。


「当たり前だろ。言ってごらん。」
「旅行に行かない?2人で。」


実に珍しい提案だった。
妻はインドア派で、あまり外に出たがらない。
町の人たちとは仲が良いが、買い物に出かけるぐらいだし、
自分が専業主婦で稼ぎは夫任せというのにも気後れがあるのか、物も強請ったことは無い。
物欲がないというのもあるが、遠慮がちで控えめな性格だった。
何かあったのか気になるところだが、妻からの提案に夫はすぐ頷いた。


「いいじゃないか、引っ越しに忙しくて新婚旅行も行けてないしね。どこか行きたい場所あるかい?」
「平和になった世界を見たいの。私が見てきた世界は、焼けた土地ばかりだし。
育った孤児院とか、ハインツさんの家とか、今どうなってるのか気になったの。」
「辛くなるんじゃないか?」
「ううん。確かめたいの。私がこの世界に残したものを。
それに、私は孤児院と学校ぐらいしか思い出ないから、改めてトーマさんと一緒に色々見たいなって。」
「可愛いこと言ってくれるじゃないか。ルフェと一緒なら楽しくなりそうだ。
俺も師匠に連れ回されて世界中いったけど、観光とかしたことないんだ。プラン立てようか。」
「うん、素敵。」

 

数日後。
簡単な旅支度を整え、一週間ほど留守にするので何かあったら連絡をくれと隣人にお願いして、夫の転移魔法で飛んだ。
久々に使った長距離転移でまず向かった先は、バーンシュタイン国のエンゲル県メア。
ルフェが育てられたメデッサ魔導師の孤児院がある場所だ。トーマも前回の世界では幼い頃に訪ねたことがある。
木造の平屋が草原の真ん中にぽつんとある光景は、思い出のままだった。
現在、そこは孤児院ではなく小さな学校になっていて、子供達の笑い声が溢れていた。
ちょうど休み時間なのか、外でボール遊びをしている。
その真ん中で、生徒に手を引かれている老齢の女性は、間違いなくメデッサ魔導師だった。
エプロンをして、優しげな微笑みを携えている姿を、近くの木陰から盗み見る。


「挨拶しに行かないのかい?」
「この世界では私達は出会ってないもの。先生の元気な姿が見られてよかった。」


あっさりと木から離れたルフェが次へ、と言うので
今度はセレーノ国ノーチェの外れに飛んだ。
恩人ハインツとその師アルバ魔導師の生家は存在してなかった。

 


「次元の狭間が生まれてないんだ。ハインツが狭間に落ちた事実も、アルバ魔導師が弟子のために研究に明け暮れたって事実もない。」
「2人は、ちゃんと出会って、ちゃんと生きられたかな。」

 


ほら、とトーマが魔法で取りだした本を見せた。
それは歴代魔導師が掲載されている名簿のようなもので、ハインツとアルバの名があった。
2人とも、高位魔導師しとして、数ある功績が記載されていた。


「世界が変わっても固い絆は変わらないってことさ。すまない。知ってたんだが、言えなかった。」
「この目で確認したかったの。それに、此処の景色は変わらないわ。相変わらず静かで良い所ね。」
「次は此処に住む?」
「フフ。考えときます。次は、普通に観光しましょう。」
「クロノス学園に行く予定だったろ?」
「少し、疲れちゃって。」

 


長距離転移を2回したことは、マナを持っていないルフェの体には負荷があったのだろう。
もう一回だけ耐えてくれ、とトーマは今夜泊る宿があるセレーノ国フィオーレにあるリコルドという街へ飛んだ。
街を横断するように運河が流れる水の都で、有名な観光名所だった。
運河沿いにある小さいながらも歴史も人気もあるホテルに到着し、手早くチェックインを済ませルフェを部屋で休ませる。
窓を開け放つと、海の匂いが入ってきた。
軽く食べられるものを買ってくるとトーマは部屋を出て行った。
1人になったルフェは、マナが肌に触れないようにとずっと身につけていた手袋を取って、自分の指先を確認する。
小さな手の細い指先は、半透明になり透けていた。
震える手をギュッと握りしめて、胸に引き寄せる。感覚はまだある。大丈夫だと落ち着かせる。
夫であるトーマにも、秘密にしている事だった。
ルフェの体は、消えかけていた。
理由はわかっている。自分は、今の世界において異物なのだ。
本来は輪廻の輪にも乗っていない存在で、居るはずも無いイレギュラーな存在。
女神が世界を作り直した時に溶け込むことも出来ずはじき出され、イルの大地で倒れていた。
グリモワールと契約していたおかげか、前世の記憶を突然取り戻したトーマが見つけてくれて、保護してくれてなかったら
まだ自分はあの冷たい岩の上で眠っていた。
18歳であった自分が大人になっていくにつれ、世界に順応出来たのだと油断していた。
異常が出て来たのは半年前。激しい頭痛に襲われたと思ったら、今みたいに体が透けていたのだ。
今までも何度かあったが、上手く誤魔化してこれた。最愛の人には見られたくなかった。
だが誤魔化せないぐらい、頻繁に頭痛と透明化に悩まされ、時間がないことを悟った。
消える前に、思い出を作りたかったし、自分とレオンが救った元通りの世界を目に焼き付けておきたかった。
ジノとマリーにも会いに行こうかと迷ったが、友人達は、自分を覚えていない。
トーマに保護されて、すぐ知人達を訪ねたが、誰1人ルフェの事を知らず、関係性はリセットされていたのだ。
それ以来。ルフェは友の元に行っていない。彼らは今の幸せがあるのだ。壊してはいけないと言い聞かせた。
消えて行く理由も、人々の記憶に残っていないせいなのだろう。
トーマがいたから、なんとか3年は生きてこれたのだ。
もう、受け入れなくてはならない。
自分はもう、消えていくだけの世界の塵。
トーマが美味しそうなベーグルとサンドウィッチを買って戻った時には、タイミングよく指先は元に戻っていた。

 



「ごめんねジノくん、忙しいのに。」
「有給消化しろって言われてたから、ちょうどいいよ。」
「俺には有給なんてないんだが。」
「オーガ退治終わって疲れたから、しばらく休むって言ってただろ?家に居てもつまらないでしょ。」
「マリアンヌの公務姿を近くで拝めてよかっただろうが。」


茶化すように顔を覗き込んできたヴァイオレットの頭に、リヒトは手刀を落とした。
ヴェルディエ家の令嬢として務めに励むマリーから連絡があったのは昨日の夜。
学校を卒業をして、貴族と庶民では中々会うことは出来ないが、護衛の任務を頼みたいと言われて
休みだったリヒトを引き連れやって来た。
令嬢として着飾ったマリーはまた綺麗になった。少女から大人になり、社交界での経験を重ねた事でおどおどした様子も無くなって
背をピンと伸ばし歩く姿は様になっている。平々凡々の一般人が隣にいて申し訳なく感じるほどだ。


「家の護衛はどうしたんだい?」
「今回はお忍びの私用なの。議事録に護衛の配置情報残せないから、友達に頼むからって断ったの。」
「貴族もちゃんとしてるんだね。どこへ行くの?」

 


隣を歩くマリーは俯いてしまった。体の前で結んだ手をギュッと握りしめている。


「ごめんなさい。護衛というのは嘘なの。私、どうしても思い出したくて・・・此処には、凄腕の占い師がいるって聞いて。
ジノくんもいてくれれば、もっと正確な場所とか、わかるかなって・・・。」
「マリー・・・。」


ごめんね、と何度も謝る彼女の頭を撫でてやる。
いくら外見が大人になっても、頑固なところは変わらないようだ。
僕達学生時代の仲間には共通点があった。
何かが足りないという虚無感。
僕とマリーの間には、もう1人いなかっただろうかという錯覚にいつも襲われていた。
どうしていなくなったのか。どうして思い出せないのか。
もどかしい思いをクロノス学園に来てからずっと抱いていたのに、答えを得られぬまま卒業した。


「僕とマリーは本来なら出会って無かったはず。けれど、友達になったのは何かきっかけがあったから。
そう思うのに、もやもやしたまま、いつも輪郭すら掴めない。」
「思い出さなきゃいけないの。でも・・・何も・・・。もどかしくて、辛くて・・・。何かせずにはいられないんです。」
「マリーも一緒だったんだね。」

 


ジノは鞄から一冊の古びた本を取り出した。


「僕も手がかり1つ見つけたんだ。この本の中に興味あることが書いてあった。おとぎ話みたいな話だが、気になることがある。
実は、コレを期に調べてみようと思う。リヒトも、グダグダ言いつつ付き合ってくれるって。」
「私も、ご一緒したいです!」
「公務があるだろ?」
「そこはあたしが上手く誤魔化しておくさ。」

 


後ろに下がっていたヴァイオレットが隣に並んで、マリーの髪を撫でた。
双子の姉であるヴァイオレットだが、彼女はいつもそこにいただろうか。いつもは、もっと別の場所にいたような気がしていた。
頼りになる人だが、何故かヴェルディエ家では家督を継いでおらず、妹マリアンヌの秘書のようなことをしていた。


「といっても、一度は家に帰った方がいい。身支度も調えないとな。」
「ありがとう、ヴァイオレット。」
「まずはその占い師ってところに言ってみよう。」
「当たるのか?」
「伝説級の占星術師で、予言も出来るとか。」
「嘘くさいな。」


訝しげなリヒトの腕を引いて、通りを進む。
いつか、どこかへ思い出が飛んでいかないか、怖いのだ。
自分たちはもう21歳だ。時間は残酷なほどに流れている。
感じていた違和感さえ手放してしまったら、もう探しようもない。
だから皆、焦っている。

 


 

 


リコルドで人気の運河渡りを体験し、ショッピングなども満喫したタテワキ夫妻は、
次にストラベル国の西にあるクレール県に舞い降りた。
バーンシュタイン国と隣あった観光名所の1つで、世界で一番大きなフラワーパークがある。
世界中の季節の花が咲き誇り、セレーノ国風のガーデンやジパン国風庭園の展示もあるらしい。
ルフェが気になっていた場所だ。
しかし、到着して早々、パークの入り口が閉じられているのに気づく。
定休日はちゃんと調べたはずだが、人の出入りもなく中も静かだ。
木造の門に、張り紙がしてあった。


「さすがストラベル国民・・・。有名観光名所でもストライキとは。」
「本当にストライキとかあるんだね。」
「運が悪いな・・・。仕方ない。予定を変えて今日は別の場所に行こうか。
イニシオ国のザナドゥ島でも行ってみるかい?」
「せっかく来たのだもの。市場でも見ていきましょうよ。本で見たら、市場も楽しそうだったわ。」
「ルフェがそれでいいなら、喜んで。」

 

妻の腰に手を当てて、鞄に入れたガイドブックを見ながら市場とやらを目指す。
少し歩くことになるが、お洒落な街並みは歩いてるだけでも観光になるだろう。
フラワーパークが建っている場所から市街地に移動すると、レンガ造りのカフェや高級ブランド店が並ぶ通りに入った。
通り過ぎる市民は優雅で、お洒落な印象だ。
花壇や街灯デザインも洗礼されているような気がする。
無駄を嫌うトーマからしてみれば、機能性を欠いてる気がして好きではないが
女性である妻は目をキラキラさせて街をあちこち見回していた。
エスコートしながら、市場が立つ場所に辿り着いた。
先程の無駄に煌びやかな場所と違い、赤煉瓦と土塗りの柱が片田舎を連想させた。
朝市は終わってしまっている時間だが、人の流れはそれなりにあり、活気もある。さっそく中に入る。
取れたてのフルーツを何種類も山積みにしている店、フレッシュ野菜を使ったサンドイッチ屋に、
ブタの丸焼きがぶら下がった精肉店、食品だけじゃなくアクセサリーや民族服、土地の手芸品が並ぶ店もある。
歩いてるだけでテーマパークのようだった。先程のストライキによる予定変更も忘れてルフェは楽しそうだ。
ホテルで朝食は取ったが、珍しい食材が気になって適当なおかずとパンを買い、
観光客用に市場に隣接された休憩スペースで食事をする。


「このサラダに入ってる柔らかいものは?」
「アボガドだよ。気に入った?サラダ以外にも、ハンバーグに乗せても美味しい。」
「こんな食感初めてだわ。それに、焼きたてじゃないのに、パンも美味しいわ。家で再現出来るかしら?」
「ハハ。すっかり思考が主婦だね。」
「トーマさんの腕にはまだまだですけどね。」
「可愛い奥さんが作ってくれるだけで最高に幸せだよ。」


以前のトーマはこんな甘い台詞をさらっと言うキャラクターではなかったので、
まだ慣れない妻は頬を赤くして視線を外した。
喉で小さく笑いながら、先に食べ終えたトーマはガイドブックを広げた。
だから、妻の顔が一気に青ざめたのに気づかなかった。
食べかけのカップを置いて、妻はお手洗いに行ってくると席を立った。
心配性な夫はついていこうかと提案するが、荷物を見ていてくれと頼んで足早にその場から離れた。
石でアーチになった通路の影に入り込んで、無意識に荒くなった息を整え自分の足を見た。
ズボンをはいてくればよかった。透けだした足は、手袋のように隠せない。他の人に見られても不気味がられてしまう。
どこかに隠れて透明化が戻るのを待つしかないと、冷たい壁に手を突きながら歩き出した時だった。
アーチの反対側、強いぐらいの太陽光が差す通りを過ぎ去る4人組を見た。
お人形のように綺麗な金髪で小柄な女性と、地味めな顔立ちだがすらりと背の高い茶髪の男性。
後ろには金髪の儚げな美青年と、紫色の髪をした女性。
胸の裏側を直接叩かれたかと疑うぐらい、大きな音がした。
鼓動の1つ1つが、体を震わせて街の騒音を消した。明暗差で視界が白ばむ。
影の中にいる自分に気づくことなく、光の世界を横断する彼らの動きは、スローモーションとなってルフェの目には映った。
楽しそうに笑い合って、キラキラしていた。
消えかけている自分とは、一線を引いた違う世界で、彼らは大人になっている。
半透明の足が震えた。手袋を外すと、手の平はほとんど消えていた。
――ああ、これは。女神様がくれた贈り物だ。
消えて無くなる前に、大切な友達を拝めたのだから。
自分がいなくても彼らは笑っていた。平和な世界で、楽しげに―。
胸が痛くなり、同時に目頭が熱くなってきて、視界が歪んだ。
彼らはルフェのことを覚えていない。存在を否定されるのが怖くて会いには行かなかった。
逃げたのは自分だ。いつだってそう。自分で勝手に決めて、勝手に彼らの前から去る傲慢。
それでも2人は見捨てず、探しにきてくれた。
――ならば今度は。
ルフェは顔を上げて、走り出した。
人混みをすり抜け、ルフェの足に気づいた誰かが声を上げても気にせず走り追いかける。
息が苦しかった。足が鉛のように重たく感じて、上手く動かせなくなる。
手の指先にもう感覚はない。タイムリミットだった。置いてきてしまった夫に何も言って無いことが悔やまれるが、もう止まれない。
通りの曲がり角で、彼らの後ろ姿を発見した。どこかの建物の中に入ろうとしているのだと気づいて、叫ぼうとした矢先
ついに足がもつれて倒れてしまった。
いや、違う。
もつれる足はもうそこになかった。
スカートの下に足はなく、靴もどこかに落としてきたらしい。
地面についた手でまだ肢体は支えられていたが、完璧に透明になっている。
石畳の上で倒れる女性に、目をくれる人はいなかった。もう、誰にも彼女は見えていなかったのだ。
消える瞬間を想像したことは何度もあった。受け入れていたつもりだった。
自分は前世の戦いでもう存在は消されたはずだ、母達のように。
でも今こうして存在出来ていたのも、愛する人と3年も過ごせたのも、女神の贈り物だ。感謝しなければならない。
此処で、満足しなければならない。
友と言葉は交わせなかったけど、私は―――ー。
ルフェの透明な頬に、涙が流れた。


「ジノ!マリー!!」


喉が潰れるぐらい叫んでも、人混みの隙間から彼らが振り返ることはなかった。
消えて行く。このまま消えれば、輪廻の輪にいない不純物の私は消えるだけ。
二度と会うことはない。
首をうなだれて、ゆっくり瞳を閉じた。
急に、左腕が持ち上げられた。

 


「諦めるにはまだ早いぜ、ルフェ。」


濡れた顔で上を見ると、オレンジに近い茶の髪をした10歳ぐらいの少年が、ルフェを立たせようと必死に腕を引き上げていた。
着ている衣服は上等で、やや褐色の肌に、金色の瞳を持っていた。
掛けられた声は、少年のソプラノで、あどけない顔立ちには幼さが十分あるのに、まとう空気は子供のそれではない。


「・・・レオン、なの?」
「遅刻厳禁って言ったろー?再会したらパーティーしようって言ったじゃないか。まずはあいつら招集しないといけねぇな。」


体がふわりと浮いて、立つ事が出来た。
足は元に戻っているが、力が上手く入らず震えたままだ。
小さくなったレオンが上着から杖を取りだした。
それは、クロノス学園の庭で、エニシダの枝から自ら作ったものと同じ形をしていた。
杖を前に振ると、金色の粒子が風に乗って飛んでいく。終着点を見る前に、レオンがルフェの手を引いて走り出した。
通り沿いの建物の扉を開けたジノに、ルフェはもう一度叫んだ。
ジノのエスコートで入り口を潜ろうとしていた金髪の女性ーマリーが振り返った。
辺りを探る瞳が、確実にルフェを映した。


「ルフェ・・・。ルフェだわ!!!!!!」


レオンはそっと手を放したが、ルフェは人をかき分け手を広げたまま走り続けた。
バランスが崩れて倒れかけた彼女をジノとマリーが受け止めた。


「ああ・・・!追いついた!」

 


それは、雪の大地で2人が言ってくれた言葉だった。
蘇る記憶の渦で、パニックになりながら泣き崩れる2人の首に腕を回して、ルフェも泣いた。
通り過ぎる人たちは不思議そうな、冷たい瞳を向けていたが、だれも彼らを引き離すことは出来ない。
ルフェの手足は、しっかりとそこにあった。

 

 

綺麗に化粧をしていたはずのマリーは、ヴァイオレットに渡されたハンカチで顔を埋め、泣き続けていた。
きっと化粧はデロデロだろう。


「わ、私、ずっとルフェのことを忘れてたなんて、友達失格です!酷い女なんですぅ・・・!」
「仕方ないよ。ぼんやりでも覚えてくれてたほうが奇跡なんだから。」
「マリーは悪くない。もっと酷いのは、過去を忘れて今を生きろなんて言ってたリヒトだよ。」
「今引き合いにだすな。」

 

涙が止まらないマリーの背中を撫でながら、小さなレオンがメイドや執事と一緒にせっせと料理を運んでいるのが視界に入った。
此処は。シュヴァルツの私邸。
事情を聞いて記憶を取り戻したシュヴァルツ君が、公務を後回しにして全員を招いてくれた。
要人達との会議に使う応接室を貸してくれており、主人は誰かと電話をしていた。
当然トーマもいる。ルフェの夫は友人達と再会したのを祝福すると、妻を独占するのをやめて、感動の再会を見守っていた。
と、空間に水面に広がる輪のような歪みが現われた。
姿を見せたのは、サジだった。ジパン国にいたはずの彼は仕事用の茶色くやけに田舎くさいコートを着たまま応接室を見渡す。
トレイを持っていた小さなレオンを見つけ、ゆっくり近づく。
小さなレオンが苦笑いで何かを語りかけると、突然サジは大爆笑しはじめた。
ホールに反響するぐらい大声をあげ、腹を抱えて笑い、やがて床に転がり出す。


「うっそだろお前!なにその姿―!ダッセェ!」
「可愛いだろ、小さい頃の俺は。」
「見た目は完璧昔のお前じゃん!可愛げないし、全員大人になったのに、お前だけ子供とか・・・ウケる!」
「仕方ねぇだろ!俺だけ転生遅れたんだよ!」


サジは腹を抱えながら、コートから取りだした携帯で何枚も写真を取りだした。
笑って肩を揺らしながら撮ってるので、ちゃんと映っていないだろうが、嫌がらせの一環らしいのでブレてても問題ないだろう。
ひとしきり笑って満足したサジが、くるりと向きを変えてルフェの元にやって来た。
神妙な顔を見せたのも一瞬で、仰々しくお辞儀をしてみせた。


「やあ、久しぶりだね。ルフェちゃん。ずいぶん綺麗になった。ああ、それと、結婚おめでとう。
商会に戻ったら結婚祝いを贈らせてもらうよ。」
「いいえ。元気な姿でまたお会い出来たのが、何よりの贈り物ですよ、サジ先輩。」
「俺らには挨拶ナシですか。なにげに実際顔を合わせるのは1年ぶりだと記憶しておりますが。」
「あれ、そうだっけ?でも連絡取れてただろ?あ!トーマ兄ちゃん発見!」


飽きっぽい子供みたいに、今度はトーマの元へ走っていった。
呆れながらレオンがこちらに合流する。


「昔より騒がしくなったな、あいつ。」
「学生時代にお前がいなかったせいだろ。つまらない学生生活だったとよく嘆いてたよ。
前はもっと楽しかったって、よく言ってた。俺はのびのび、ストレスなく過ごせて今回は楽しかったぞ。」
「嬉しそうに言うんじゃねぇよ・・・。かわいげ無いのは相変わらずだなー。」


サジの登場でやっと涙が止まったマリーが顔を上げて、気が利くメイドが持ってきてくれた飲み物で喉を潤す。


「ねえレオン。どうしてシュヴァルツ君の小姓に?」
「コルネリウス家が無くなったろ?そしたら、今度生まれたのはクルノア国の弱小貴族の家。
今度も家督争いが酷い場所に生まれちまってよー。親は俺の安全のために別の家に預けたんだが、そこで捨てられた。
で、記憶持ってないシュヴァルツが拾ってくれたんだよ。1年前ぐらいかな。
俺は生まれてからずっと前世の記憶があって、当然ルフェのことも覚えてたんだが、この歳だろ?
クロノス学園で自然に会える可能性にかけてたんだが、のんびりしすぎたみたいだ。すまなかった。
まさか、認識不足で存在ごと消えかけてるなんて・・・。」
「謝らないで。またウジウジ1人で悩んでた私が悪い。」
「それにしてもタテワキ先生は覚えていたとは、愛の力恐るべしだな。」
「あら、私も今はタテワキよ?」
「ハッハ。そうだった。改めて結婚おめでとう。俺も同じ歳に生まれたら、口説いておきたかったよ。」


子供の顔で、大人びた目線を向けてくるレオンは、僅かに微笑んだ。
大人の姿がダブって見えた。かつて友に戦った仲間。最も信頼していた。それは変わらない。
彼がプロトの血が入ったコルネリウス家の人間だったからこそ、女神は声を聞いてくれた。
無事にこの世界の輪廻に加われて、良かったと思う。
シュヴァルツ君に呼ばれて小さなレオンは去って行った。


「記憶取り戻して、シュヴァルツ君はやりにくそうだったね。」
「でもレオンは楽しんでるから、きっとこのままでいくと思うよ。」
「そういえば、ヴァイオレットが無事で良かった。分裂してるなら、学生時代は円満だったんじゃない?」
「ずっと体の一部が書けた痛みに悩まされてましたよ。」


マリーがルフェの手をギュッと握り、ジノが移動してルフェを挟むように座って彼も手を握った。


「3人揃った。これからだよ、ルフェ。」
「そうです。ルフェは産まれてからずっと重い物を背負ってきました。
けど世界が変わって、今度こそ本当の自由です。楽しいことがたくさんです。」
「これからも一緒に生きていこう。俺達はずっと一緒だ。」
「ありがとう。本当に、ありがとう。」


2人の手をぐっと自分の方に引き寄せて、ルフェは涙を流した。
けれど、綺麗に、嬉しそうに笑っていた。

 


同窓会パーティーは夜遅くまで続き、3人組はシュヴァルツが手配してくれたホテルで語り合い一泊した。
翌日も部屋にこもって今までの溝を埋めていたが、もう大人になった2人は仕事があるので一時解散となった。
別れは名残惜しかったが、これからはいつでも会える。昔みたいに。
ルフェとトーマが自分の家に帰ったのは、夜の帳が下りた頃だった。
自分が消えるのを知っているからこそ、思い出を振り返るための旅行だったとトーマは理解し、
何も言わなかった妻に怒ってはいたが、今度は純粋に旅行しようと言ってくれた。
夫がお風呂に入ってる間に、肩にストールを掛け庭に出た。
マナ石を使えない都合上、街灯が無いノア自治区では、満点の星空がいつでも見られる。
星座も大分覚えたし、流れ星を夫婦で数えたりしたこともある。
今季節は初秋。身が縮んでしまうような寒さは終わったが、夜はまだ肌寒い。
冷たい夜空に瞬く星はチカチカと呼吸を繰り返し、赤や青の点がこちらを見下ろしてくると感じるほどの圧迫感。
幼い頃、孤児院でメデッサ先生と星を見上げたことをふと思い出した。
何も無かった空っぽの自分と、今の自分とでは同じ星空でも色合いが全く違う。
夜空に輝く光の点は、宇宙でガスが燃えている明かりらしい。


「願いは、叶いましたか。」


夜空が音も無く隣に舞い降りた。
漆黒の髪にも服にも、宇宙を閉じ込めた神秘的な輝きが宿り、青い星のように冷たくも熱く燃えている。


「十分すぎるぐらいです。私は本当に、恵まれています。」
「貴方が生きようともがいた結果です。」
「姉妹の皆さんは元気ですか?」
「ええ。新しく作った次元の狭間で楽しくやっています。プロトとラストは此処にいますので、いつか会いに行ってあげてください。」
「はい、必ず。」

 


星空を見ていた瞳が、ルフェを映した。
相変わらずこの世の物とは思えないぐらい美しい顔と、星空の瞬きを閉じ込めた瞳。


「もし、よければ。あなたの父の話しを、しようと思うのです。嫌でなければ。」
「是非聞かせてください。お母さん。」


無表情のモルガンが、目を見開いて驚いた表情をしたのだが、すぐ目を細めて微笑みを作った。
その表情は実に人間味に溢れていて、母の顔だった。
風呂上がりの夫が魔法でテーブルと椅子、暖かい飲み物を用意してくれて、
さらに近所迷惑にならないように魔法で囲ってくれた。
夫は、気を遣って家に帰っていく。
母子は庭で、夜が更けるまでいろんな話をした。
この世界ではしがらみはなく、2人が親子であるという事実は変わらない。ただ、父は今どこで何をしているのか、母も知らないという。
いつか会いにいけたらと思う。この世界での関係性は無くなったが、イチから友達になれたりもするのをルフェは知っている。
星は冷たい夜空に張り付いて、呼吸するように瞬き続ける。
宇宙はそこにあり、理は循環する。
流れ星が、1つ流れた。

 

 

end

 


 

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