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第二部 南十字は白雨に濡れる 2

 

 

術士協会所属員 各位

七月××日  午後五時五十五分
新宿区で一般人を巻き込んだ三箇所同時襲撃を受ける。

本部ビル裏、地面に大穴が開き術士協会本部ビル地下に埋め込まれていた結界核の破壊される。

本部ビル玄関口が破壊、所属隊員五名負傷。

本部ビル二百メートル南にて、同じく地面に大穴が開けられた後、無差別攻撃により建物群が被害を受ける。一般人十三人負傷。

監視カメラの映像及び現場確認を行った隊員の証言により、犯行に及んだのは紫の外套を纏った数人で、現在身元と所属を調査中。

この紫外套を纏った人物達と総務部所属七位・日室誠司が共犯であり、現在調査中の組織に属していたと推測される。
日室誠司は協会本部ビル付近で一般人がいる中で術の執行、怪我人数人を出した上、特位・四斗蒔透夜誘拐未遂の疑い有り。

事件後、術士協会に所属している術士の個人情報と各団体の所在が三百件余り外部に持ち出された痕跡を発見。
データ持ち出しには日室誠司の個人アクセスコードでログインされていた。
個人情報保護法違反、協会との契約違反が複数認められた。

日室誠司は現在消息不明で一切連絡が取れない状況が続いており、
本部幹部会全会一致により、現行犯・最重要人物として全国指名手配することが決定された。
警察とも連携し身柄を確保した後事情を聞き、審議会に委ねる意向である。

日室誠司及び紫外套の人物達を発見次第確保及び本部への報告を必須とする。

現在把握している情報と監視カメラの映像は添付データ参照のこと。

以上。


 


術士協会本部ビル内は、普段より人の往来が激しく騒がしかった。
特に会議室がある上層階付近は書類を抱えたスーツ姿の男女が右へ左へ走り回っている。
事件対策本部として使っている大会議室の扉が、乱暴に開けられた。
突然の来客に戸惑う大人達の横をずんずんとすり抜けてやってきたのは、たった一人の特位・四斗蒔透夜であった。
この真夏に氷水でも浴びたのかと言いたくなるほど顔面は青くなっていた。
唇は紫に近く、ただでさえ白い額は冷え切って江戸時代絵画に描かれる女性の妖怪のような気味悪ささえ感じた。
事件から一晩経った。
彼は寝ていないのだろう。目は血走り、まだそこには戸惑いが渦巻いて現実を見ようとはしていないことを本郷は見抜いた。

あえて視線を外し、手元の書面に目線を落とした。


「此処は関係者以外立ち入り禁止だ。」
「俺は特位ですよ。」
「今回の事件から外したはずだ。」


本郷の突き放すような低音に、透夜は奥歯を噛み苛立ちをその白い顔に滲ませる。


「俺も作戦に入れてください。」
「作戦?」
「あの紫フードの連中をだますために、スパイとして潜り込んでいるんですよね、誠司さんは。」


合点がいった。
この少年は、すがる希望を求めて此処に顔を出したのだ。
監視班の報告では、一晩中式神達を使って日室誠司を探していたという。
特位の力を持ってしても痕跡は見つけられず、焦って現実を直視出来なくなったのだろう。
書類を机に投げ、革張りの椅子に背を預けた。ギギ、という鈍い音が響く。


「透夜。残念だが俺はそんなこと命じていない。日室は、術士協会を裏切ったんだ」
「嘘だ!」

 


会議室中に響いた鋭い怒声に、そこにいた大人達は動きを止められ固まってしまった。
透夜より一回りも二回りも歳が上の大人達でさえ、恐怖か畏怖か本人達にもわからぬ感情に支配され、怯えた顔で二人を見つめていた。
此処にいるのは多少なりとも術士として力を持つ者達だ。
絶対的強者。この場に及んでは支配者たり得る術者の力に当てられ体の自由が奪われている。
本人に強者の自覚がないのが困りものだ。
ただ一人、会長の本郷だけは透夜のプレッシャーに屈せず真っ直ぐと少年と向き合う。


「日室誠司が盗んでいった情報は全国の術士の個人情報と各組織の拠点情報だ。
流出させただけでも責任問題だというのに、悪用でもさせたら協会の存続危機だ。
今すぐ居場所を突き詰めて奴とデータ、それから関与している組織を抑えねばならん。」
「俺も手伝います。」
「お前は自宅待機だと指示したはずだ。」
「何故ですか。俺は特位ですよ。俺が一番探索能力が―」
「再び日室誠司と対面したとき、冷静に捕まえる、場合によっては殺すことが出来るか。」
「っ・・・。」


はっきりと告げた言葉に透夜の威勢が一瞬で崩れた。


「出来ないだろう。お前にとって日室誠司は恩人だ。あと数時間で情報漏洩と器物損害の罪で全国の警察にも情報が回る。情にほだされ、匿われたりしては面倒だ。」
「俺は、そんなこと―」
「しないと誓えるか。目の前で攻撃を受けても情けなく座り込むしか出来なかった子供が。
明日からちょうど夏休みだったろ。日室が確保されるまでお前は自宅待機だ。わかったな。」


再び書類を手に取って冷たく告げると、透夜は奥歯を噛み締めながら踵を返し、何も言わず部屋から出て行った。
呪縛から解き放たれた大人達が安堵の息をこぼして仕事を再開する。
再び人の往来が始まる。外部と連絡を取り合ったり声のやり取りが部屋を埋めていく。
やりきれないのは透夜だけではない。
此処にいる役員達も、所属する術士達も透夜と同じ気分だ。
それこそ本郷は、透夜より日室と付き合いは長い。利権に目がくらんだ幹部連中が掬う協会内は敵が多かったが、総務部に所属していた日室の人柄と索敵能力を気に入り、会長付の秘書としても働かせていたほどだ。

酒を酌み交わしたのも一度や二度ではない。
彼は穏やかで、誰からも好かれていた。
決して目立つ術士ではなかったが、協会には必要不可欠な人物であった。
突然の裏切りを今だ飲み込めてない者ばかりだ。

 

――結局、他人が何を抱えて何を思い生きているかなど、わかるはずもない。

他人を全て知った気でいるのは、人間の傲慢なのだろうか。
本郷は人知れずため息を短く吐いて、デスクの電話を取った。

*

 

三日後。

 


術士協会本部ビル・十二階にある休憩スペース

白を基調とした北欧風椅子と机が並び、壁沿いには自動販売機数台とお菓子販売機、カップ式コーヒー自販機まで設置されている。
観葉植物が並び、本棚には様々な種類の雑誌。
部屋の一角には分厚いカーペットが敷かれ、ソファーとビーズクッションが置かれた開放的な空間まである。
現場に出る術士達もそうだが、協会本部で働く一般社員にとって貴重な憩いの場であった。
今日は、スーツ姿の協会社員に混じって、私服姿の若い術士達が四人居座っていた。

 


「さっき廊下で二位の薬師寺さん見たぜ。」
「マジかよ!?東京にいるなんてレア過ぎる!オレ、後でサインもらおうかな。」
「三位以上は幹部会が終わり次第幹部連中の護衛だとよ。」
「いいな~幹部連中の護衛ならお小遣いとかくれそうジャン。」
「ナバリ狩るより儲かるかもな。」


下卑た笑いが響き、周りにいた大人達は迷惑そうな顔をしても何も言えず、コーヒーカップを持って休憩室を去って行く。
先ほどから休憩室の窓側を占領している若者達は、マナーも礼儀もなくダラダラとたむろっている。
誰も何も言えないのは、彼らが今回招集された地方支部の上位術士達だからである。

 

「この件、特位のアイツは容疑者と近すぎるからって外されたらしいぜ。」
「ダッセー!こういう時役に立たなくて何が特位だよ。笑いぐさだな。」
「で、どこの一団の反乱かわかったのか?」
「紫外套の紋章を調べてるらしいが、星の紋章とか。」
「なあ、それ七星の仕業なんじゃね?七星って内部情報一切知られていない団体だろ?怪しい格好して儀式とかやってそうじゃん。」
「あり得るー。おっさんと四斗蒔は随分仲良かったし、共闘して反乱起こしてたり―」

 


つらつらと得意そうに喋っていた若者の耳元すれすれ何かが凄い早さで通り過ぎたと思った次の瞬間には、彼らが座る丸いテーブルに刃物が突き刺さっていた。
それは白い鞘の日本刀であった。部屋のライトを浴びて、鋭利な刃が怪しく光る。
若者の一人は自分の耳を押さえちゃんとそこに付いているか確認をし、一人は驚き過ぎて椅子をひっくり返し、他二人は立ち上がってから一歩二歩後退した。


「本部で身内の悪口だなんて恥を知りなさい。」


机の上に、セーラー服姿の少女が靴のまま乗って男達を見下ろしていた。
いや、見下していた。
涼しげな目元を細くして、少女は髪に掛かった真っ直ぐな黒髪をはらう。


「そもそも、あなた達は協力要請を受けてやってきた田舎者でしょ?こんなところで堂々と油売ってるの、本部に言いつけてあげるわ。」
「おい、コイツ・・・三位の来栖だ。」
「コイツですって?」


机に突き刺さった刀を抜いて、構える。


「切り刻むわよ。」


そうすごむと、刀に紫がかった靄が生まれまとわりつく。

ガラが悪くマナーはなってないが一応上級術士達である。来栖という少女の凶暴さも、向けられた霊力の鋭さも肌で感じた若者達は、一斉に悲鳴を上げてから情けない走り方で休憩室から去って行った。


「全く。あれが同じ上位者だなんて恥ずかしいわ。」
「比紗奈ちゃん、やり過ぎだよ。」

 


ひょいっと机から降りたセーラー服姿の少女に声を掛けたのは、夏海だった。

 


「貴女も言い返しなさいよ。」
「あー・・・。いや、アタシはいいんだよ。ありがとう、比紗奈ちゃん。」


セーラー服の少女―術士協会三位・来栖比紗奈は腰に撒いたベルトに付けた鞘に刀を収めた。
白い鞘と柄を持つ綺麗な日本刀を所持している彼女は、都内の有名女学院に通う高校一年生術士で、夏海より実力も位も上だが面識があり顔を合わせればお茶ぐらいはする仲である。
モデルのようにすらりと伸びた手足と大和撫子系の涼やかな顔をしているが、行動はどこか野性的で考えるより体が動くタイプである。
今し方のように帯刀する刀で何かと問題を起こすので、術士仲間からは敬遠されている。
年長者相手だろうとハッキリと物を言うのも問題なのだろう。
夏海にとっては、強気で物怖じしない比紗奈は同い年ながら憧れの術士である。
ちなみに夏海はもう夏休みに入ったので私服だが、比紗奈は進学校なので、夏期講習とかあったのかもしれない。


「お兄さんの様子は?」
「部屋に閉じこもったきり出てこないの・・・。」
「そんなにあの総務のおじさんと仲良かったのね。」
「私達の大恩人だよ。高校生のお兄ちゃんを協会に入れてくれたのも、今の家を手配してくれたのも、慣れない都会暮らしを支えてくれたのも全部あの人。子供の頃から知り合いで、お兄ちゃんにとっても頼りになる大人だった・・・。なのになんで裏切ったりなんか・・・。」

 


日室誠司の裏切りは、全術士に通達されている。
もちろん夏海の耳にも入っている。
あの日、兄透夜は帰宅しなかった。翌日午後の半ばにふらっと帰ってきて、夏海の質問には何も答えずシャワーを浴びて部屋に閉じこもってしまった。
あれから三日経ったが、兄は部屋から出てこなくなった。
上位術士は再び日室誠司と紫外套の人物達が何か仕掛けてきたときの為に常時警戒中。
下位の夏海には特に仕事は振られていないが、家でじっとしているのも、友達と遊びに行く気分にもなれず、何か情報が得られないかと協会に足を運んだところ、比紗奈と出会った。
まさか兄の悪口を言っている男達に向かって刀をぶん投げるとは思わなかったが。


「裏切ったというよりは、元々紫フード達の組織にいたけど、協会に潜入してたんでしょうね。長い時間。」
「何のために、そんなこと・・・。」
「個人情報抜き去ったり新宿の道に大穴開ける人達の目的なんてわからないわ。ねえ、それより―、」

 


と言って、比紗奈はクルリと向きを変え夏海の顔を覗き込んだ。
夏海より少しだけ背が小さいので、下から覗き込まれ、反射的に上半身を引いた。
顔が近かったのもあるが、比紗奈の目がキラキラしていたので、嫌な予感がしたのだ。

「お兄さんを長年騙していた相手、捕まえたくない?」
「へ?」
「日室がお兄さんに近づいたのも、その力を利用したかったとか、七星の情報を得たかったからじゃないかしら。新宿での攻防戦も、お兄さんをさらおうとして攻撃を繰り返したらしいじゃない。
またお兄さんが狙われるかもしれないわ。待ってるより、とっ捕まえて話聞いた方が早いと思わない?」


すぐ目の前で矢継ぎ早に話をされ、夏海は言葉を詰まらせたまま、向けられる両の目を交互に観察するしか出来なかった。
普段やる気なさげで周りの全てを見下しているような目は、今はキラキラ輝いている。
二面性があるという意味では兄に似ていた。


「私、位上げたいのよ。一位になりたいの。ここで手柄立てたら・・・、というか!日室を捕まえて万事解決したら、あなたのお兄さんから推薦状もらえるかもしれない!そしたら一位も夢じゃないわ!」


上位、特に三位以上は昇格試験に加えて幹部か上位の術士から推薦状をもらう必要がある。

特位の兄に推薦状を貰いたい術士は山ほどいるが、実際に近づいてくる勇者はいない。ひと睨みされて終わるからだ。


「比紗奈ちゃん、出世欲とかあったんだね。」
「当たり前じゃない。早い内に上で実績を積んで、大学を卒業したら幹部になるの。
協会の幹部連中は権力と金に目のくらんだ腐った人間ばかりだもの。私が綺麗に掃除して此処を乗っ取ってやるわ。」
「会長になるの?」
「いづれね。今の本郷会長は好きよ。筋の通った大人は信頼出来る。」
「意外だ。比紗奈ちゃんはいい意味で世間とか他人とか興味ないのかと。」
「私も許せないことぐらいあるわ。」

「護衛任務はいいの?」

「一般人より自身の安全を優先するような奴、守る価値も無いわ。」

 


やっと夏海から距離を離した比紗奈は、腰の刀の鍔を触りつつ、首を傾げてどうするの?と目で問いかけてくる。

夏海は数秒俯いて黙っていたが、またすぐ顔を上げた。顔にはまだ戸惑いが見え隠れしていたが、それでも声音は力強くなった。


「アタシも誠司さんに話を聞きたいから、一緒に行くよ。何かしたくてここまで来たんだし。」
「じゃあ決まりね。まずは紫フードに記されていた紋章について知りたいわ。調査資料をもらいにいかないと。」
「さすが比紗奈ちゃん。上層部と調査員以外は情報教えてくれないのに、資料閲覧出来るんだね。」
「無理よ。」

「え。」

「私は未成年だから今回の件外されてるの。盗み見るわよ。」
「えぇ?」

歩き出した比紗奈に続いて、夏海も慌てて後を追いエレベーターに乗った。
 

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