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第二部 南十字は白雨に濡れる 4

 


「お茶と水どっちがいい?」

 


比紗奈がペットボトルを二本抱えながら隣の座席に腰掛けた。
夏休みが始まったばかりであったが、無事長野行き新幹線のチケットが取れたと比紗奈から連絡が来たのは昨夜午後九時。
慌てて着替えや化粧バックを詰めて、朝六時に家を出た。
兄は家を出る瞬間も部屋から出てこなかった。


「あら、寝てた?ごめんなさい。」
「ううん。目をつぶってただけ。水もらっていい?」

 


差し出されたそれを受け取ると、指先が心地よく冷やされ、表面に出来た水滴で僅かに濡れた。
冷たい水で悪い夢を見ていた気分を流していると、膝に乗った白い子虎が無遠慮に跳ね出した。


「お行儀良くしててよ、白虎。」
「民家か山しか見えないのに、何がそんなに楽しいのかしら。」


大きな虎は何故か子虎に化けて、二本足を器用に新幹線の窓枠に乗せ、夏海の膝の上に立っていた。
高速で流れる車窓からの風景に尻尾を振って喜んでいる。
遊びに行くとき使う電車ではこんなにテンション上がったことなんてないし、新幹線に乗るのも初めてではないはずだ。

 

「誘っておいてなんだけど、あなた、よくついてくる気になったわね。本気で日室を捕まえようとか、考えてないのでしょ?」


大きく左右に揺れる尻尾が腹部を叩くのがうざったくて、細いしましまのそれを握りながら、顔を向ける。
長野旅行に行くからと言われ荷物をパンパンにまとめた夏海と違い、比紗奈はいつもの刀と小さなボストンバックを持ってきただけだった。
それに、何故か今日もセーラー服姿なのだ。学生が制服で新幹線など目立って仕方ないだろうに。
そういえば比紗奈の私服姿を見たことがないと、夏海は新幹線が動いてから気づいた。

 


「まぁ・・・、そうだね。」


手から逃れようと左右に暴れる尻尾を手悪さしながら、やや俯く。


「困惑してるのは変らないよ。子供の頃から知ってる大恩人だもん。
でもさ、お兄ちゃんが信用してお世話になってる人、ぐらいの感覚だったんだよね。
裏切られたと知ってショックではあるんだけど、お兄ちゃんほどじゃないっていうか。
比紗奈ちゃんについて来たのは、何かせずにはいられなかったから、かなぁ。
お兄ちゃんが出てこない家に居続けるわけにはいかないし、お兄ちゃんがめちゃくちゃ落ち込んでるのに、外で遊ぶ気分でもないしさ。」
「気晴らしに長野へ行って、動いてるフリでもしようってわけね。悪いけど、私は本気だからね。本気で日室誠司を捕らえるか、ひきつぼし星団について調べて手柄を奪うわ。」
「うん。手伝えることはやるから。誠司さんと会えたら、アタシも話ぐらいはしたいし。せめて、お兄ちゃんには本当のこと言ってあげて欲しいんだ。」
「七星の彼と繋がりを持ちたいとか、利用するために近づいたんじゃなくて?アナタ、お兄さんをさらに落ち込ませたいの?」
「無駄な気遣いや嘘はお兄ちゃんをさらに傷付けるだけだもん。真実をありのまま知ったほうが、スッキリしない?」
「一理あるけど、真実を受け入れるにも傷を癒やすのも、時間がかかるわ。沢山ね。」

 

その通りだ。
比紗奈ちゃんも、そんな大きな傷を抱えて、長い時間を掛けて癒やしたことがあるのだろうか。
力強い横顔が、そう思わせた。

 

「ひきつぼし星団とやらについて、昨夜ネットで調べてみたのだけど、長野の山奥にある怪しさ満点の宗教団体だったわ。」

 


比紗奈が制服のポケットから更衣から盗んだメモを取り出した。


「宗教団体の公式HPとかは無くて、信者のブログとかが数件ヒットしただけ。
あまり話題になってない小さな団体なのかもね。国に宗教法人としての申請もしてなかった。
わかったのは、星を崇めていて、教祖が持ってる予言書に沿って日々活動しているってことぐらい。
ひきつぼしっていうのも、昨日更衣が言っていた―」
「斗宿の和名であり、いて座の北東部にある星宿の名だ。」

 

突如会話に男性の声が入ってきた。
二人同時に顔を上げる。通路側に座っている比紗奈のシートの肘を乗せて身を乗り出している、端正な顔立ちの金髪の男性がいた。
今日はねずみ色のパーカーではなく、白いインナーシャツに紺色のロングカーディガンを着て、首や手首にアクセサリーを付けている情報屋逆こと更衣傑流であった。
ファッション雑誌の中からモデルが飛び出してきたのような、非現実的な光景に一瞬脳みそがクラッシュしかけた。

 


「子供だけで旅行かい?」
「ええ。夏休みの思い出に。普通のことじゃない。」
「旅行先が怪しい宗教団体ってのは普通じゃないね。盗みは良くないぞ、比紗奈。」


比紗奈の手にあったメモが取られたが、比紗奈は腕を組んで唇を尖らせた。
夏海と違って、慌てた様子も悪びれる様子もなく、更衣はため息をついた。

 

「本部の結界を壊すために新宿に穴を作るような連中だ。詳細が不明な上、古代呪文を使った結界を壊せる手練れをお前達でどうにか出来るわけないだろ。日室誠司だって、一時とはいえ透夜くんの式神から身を守れるほどの実力者だった。今すぐ東京に帰るぞ。」
「いやよ。」
「俺が本郷会長に怒られるだろうが。」
「フフ。簡単にメモをすられる情報屋なんて信用ガタ落ちね。」


社内アナウンスが、もうすぐ長野駅に到着すると告げ、乗客が降車する準備を始めソワソワし始めた。
更衣は一旦自分の荷物を取りに自分の席に戻っていき、夏海も子虎を膝からどかしてから立ち上がって荷物を取り出した。
新幹線が緩やかなスピードで駅に入り、家族連れや老夫婦、スーツ姿のサラリーマンに続いてホームに降り立った。
避暑地として名が上がる土地ではあるが、涼しかった車内と違って湿気を含んだ熱気が一気に体にまとわりついてきた。
今だ梅雨明けは宣言されてないのだが、もう立派に夏の気配に満ち満ちていた。
二人の前には、黒革のバッグを肩に担いだ更衣が出迎えてくれていた。
通り過ぎる女子大生グループが更衣の顔を見て浮ついていたが、声を掛けてくるようなことはせず出口に向かっていく。

 


「せっかく長野まで来たんだ。軽井沢でショッピングぐらいは許そう。」
「あら、自由行動していいの?私達を呼び戻しに来たわけじゃないみたいね。更衣もひきつぼし星団について調べに来たのね。」
「子守に来たわけじゃない。いいね、今日中には帰りなよ。」

 


見張ってるからね、と最後に言い残して改札に向かう人混みに紛れ、更衣はエスカレーターに乗った。
その背中が見えなくなり、ホームを歩く人がいなくなってから、刀袋を肩に担いだ比紗奈は夏海に顔を向けた。

 


「お腹すいたわ。長野って何が有名なの?」
「信州そば、かな。あと五平餅とかおやきとか。」

 

鞄を肩に担いで歩き出すと、子虎の姿のまま白虎も表れて一緒にエスカレーターに乗ってきた。
動く階段の上に腰を下ろし後ろ足で頭を掻いたと思えば、飛び上がって器用に手すりを蹴り、夏海の肩に乗ってきた。重みはないが、子虎の柔らかい毛が頬に当たる。この暑い気温の中で毛皮はまといたくないのだが。

 


「座席が狭いから子虎でいたんじゃないの?」
「今朝から、主から力の供給が減って顕現を保てんのだ。」
「えー?離れすぎってこと?お兄ちゃんが一人で七星の山に帰った時も、誠司さんとハイキング行ったりしても平気だったじゃない。」
「それより夏海。昨日携帯で見ておった、栗が乗ったモンブランが食べたいぞ。」

 


低くて太い声では無く、子虎らしい可愛い声でこれであれやこれとねだる食いしん坊の虎を肩に乗せたまま、長野駅を出た。

 

 

 

 

 

 


畳の敷かれた六十畳程の大広間に、老若男女様々な人が集まっていた。
部屋の壁は白いビロードの布で覆われ、天井には星座図が描かれている。
明かりは点々と置かれたろうそくの炎のみで、部屋の隅には紫色の布をかぶった人物達が、まるで彼らを監視しているかのように配置されていた。
部屋の中心で肩を寄せるように集まった人達は、白い布をベールのようにかぶって熱心に祈っていた。
各の口から細く、もしくは強く、あるいは呪いのように吐き出されるの言葉は祈りというよりは、呪いだった。

 

「急々如律令、天罡(てんこう)よ導きたまえ。誘え、宇宙のうねり。響け、星の声よ。」


縋るように囁く女もいれば、八つ当たりのように恨めしく吐き出す老人もいる。
皆手を合わせ、同じ文言を紡ぎ続ける。
言葉は重なれば重なるほど形を無し、恐ろしい怪物となって畳の部屋でとぐろを巻いている。そんな息苦しさがあった。
つまり、異様である。
同じ言葉を吐いているのに、皆全く違う思惑が自分勝手な傲慢さを放っていた。
広場の最奥にある祭壇の手前で座っていた人物が、すくっと立ち上がった。体全てをビロードに似た上質な紫色外套で覆い、フードで顔の半分を隠している。
背丈と体型から、男だとわかる。紫外套の人物は、祭壇の上に置いてあった分厚い本を心底大事そうに、丁寧に持ち上げ、集まった人達を振り向いた。
すると自然に祈りの言葉は止み、合わせていた手が下ろされた。
白い布を頭から被っていた更衣は、立ち上がった紫外套の男を観察する。わずかな情報も見逃さないように。

 

「皆様の熱心な祈り、必ず天界におられる神々に届くでしょう。」


耳に心地よい低音は物腰柔らかく、包み込むような包容感があった。
だが相変わらず覗くのは口だけで、広場後方にいるせいで特徴は何も見つけられない。
彼ら―信者の口々から別々に、だが次々に安堵のため息がこぼれ落ちる。

 


「太上老君の使者である黄王様がきっと皆様の苦しみを救済し、仙界へと導いてくださいましょう。」


再び手を合わせ祈る者、あふれ出した涙を拭う者。
リアクションは様々だが、随分紫外套の人物に心酔し依存してるのはよくわかった。
手に抱えていた分厚い本を、信者達に見えるよう顔の近くまで掲げた。
赤茶のどこにでもあるような単行本。装飾も何も見られない。

 

「ひきつぼし星団の始祖様が記した予言書が全てを、教えてくれています。
間もなく、星の声が聞こえぬ数多の不浄な人間は消え、世界を正しい道へ進むでしょう。
邪教は滅び、宇宙からの導きが皆様を穏やかな世界へ連れ立ってくださいます。」


いかにも詐欺師が言いそうな薄っぺらいセリフをつらつら並べて、唯一覗く口元が微笑む。
感謝の言葉を述べながら泣く女のすすり声があちらこちらで聞こえてくる。
初老の男性が突然立ち上がり前まで進むと、祭壇の脇にある装飾がやたら派手な木箱に白い包みをそっと置いた。
置かれる瞬間、チャリンと金属が掠れる音が聞こえた。
きっとお布施だろう。初老男性に続いて、次々信者が立ち上がり、同じように木箱にお布施を投げていく。
人が動いた隙に、頭からかぶっていた布を指で持ち上げて辺りを観察する。
紫色の外套を来た人物は十人。信者を監視するように壁際にあぐらを掻いている人物達は、信者と同じく丈が肩ぐらいまでしかない布を被っている。
今演説した男と、祭壇の奥でパイプ椅子に座る二人はくるぶしまである長い外套をまとっていた。
新宿に現れ日室誠司と共に居た人物と同じ。彼らの胸元にも、更衣が纏う白布の胸元にも、南斗六星が描かれている。

 

「資金集めは順調なようね。もっと狂った団体かと思ったら、わりと静かなのね。」
「祈りはメチャクチャだよ。陰陽道と、元ネタの道教をごっちゃにして、七星みたいな星信仰もある。」
「各組織のいいとこ取りしたってことね。その辺りを知らない無知な素人には効果あるのでしょう。」


仕事モードになっていた更衣は一気に肩の力が抜けて気怠さで一杯になる。
白い布を纏い信者に紛れていた夏海と比紗奈は、小声で相談しながら首を忙しく回しながら辺りを探っている。
肩を寄せ、小声で注意する。


「こらド素人共。そんなに辺りを見渡したら怪しいだろうが。目立つ行動はするな。もう満足しただろ?バレる前に抜けるよ。」
「まだ入り口を覗いただけじゃない。ここの詳細な情報と目的を調べなきゃ。」
「未成年をこんな危ない場所に連れ出したとバレたら怒られるんだよ。会長にも透夜くんにも!」


ちょっと声が出てしまい、見張り役の紫布がこちらを向いたので、慌てて下を向き手を合わせ祈りを呟くフリをする。

 


数時間前。

長野駅で更衣と別れた二人だったが、信州そばを食べしっかりと善光寺を観光した後、比紗奈が夏海を連れて行ったのは森の中だった。
なんと恐ろしいことに、新幹線内で出会った更衣のカーディガンにGPSを取り付けたようで、後をつけてきたらしい。
もしやわざとメモを盗んで長野に来させたのでは?と問うと、比紗奈は怪しく笑うだけだった。
泥棒だけじゃなくスパイや探偵の素質もあるのかもしれない。

 


お布施の時間は終わったのか、信者はまた座り込み、祭壇前の男が本の内容を読み上げだした。
それは始祖とやらが宇宙にいる神から告げられた預言であるらしかった。
預言というより、他の宗教、団体の批判ばかりであった。
我らひきつぼし星団の教え以外は邪教であり、星団の教えを守らぬ人間は悪である。
宇宙の声を無視して文明を築いた人間社会もまた悪であり、星団の教えに忠実な者だけが、次なる次元に連れて行ってくれる。
そこには苦しみも、身分もなく、穏やかな喜びしかない世界。
ということらしい。
今時の老人でもこんな詐欺引っかからなそうな薄っぺらいお言葉だが、苦しみから逃れたい一心で縋っている人物がこんなにいる。それは少し悲しくて切ない事実でもある。
気になる一説が耳に入ってきた。

 


「預言の最終章は間もなく訪れます。北斗七星の破軍星が一層輝きを増し、畢宿が天狼星を引き連れてやってくる。邪教も無知な人間も滅び、選ばれた我々だけが生き残る。
ふるいは間もなく掛けられます。さあ祈りましょう。」


今度は長文の祈りが各々の口から紡がれ、三人もバレぬよう調子を合わせる。
祝詞なのか呪いなのかわからない言葉の合唱が終わると、本を持ったまま一礼して一番身分が高いであろう男が退室。次いで警戒に当たっていた紫布の者達が立ち上がり、信者達も立って退室していく。
夏海達も合わせて人混みに紛れる。
大広間を出て、板間の廊下をゆっくり歩いて行く。と、目の前にいた女同士の連れが話している声が聞こえてきた。


「翼宿様が私の為に祈りを込めて下さった水晶を、言われた通り三回満月の光を当てて、部屋の北東に置いたの。そしたら旦那の母親が心不全でコロッと死んだわ。旦那とも無事離婚後成立したし、二百万で自由が手に入ったんだもの。安いもんだわ。」
「あらよかったわね。水田さんの生まれたばかりの子も、井宿の宿命を宿したからって星団にお預けしたそうよ。名誉な事だわ。宿命を持った星の母になれるのだもの。」
「星団の上層部の皆さん、最近慌ただしそうね。何かお手伝い出来ればよいのだけど。」
「東京の邪教が張った結界を払うと予言書にはあると聞いたわ。」
「初耳ね。誰から聞いたのよ。」
「フフ、房宿様のところで。内緒のお勤めよ。」
「いやらしいー。」

 


なんて言いながらキャッキャ話を続ける女達が角を曲がった隙をついて、一つの人影がそっと角の部屋に入るので、二つの人影も後に続いて部屋に入った。
資料室か何かなのだろう。人の気配も、最近使用した形跡もない。
壁際に棚が置かれており、びっしりと本や資料が並んでほこり臭い。
更衣が頭から布を取って、息をついた。


「お喋りな信者を捕まえれば手間が省けそうだな。。」
「東京の結界って、どれのことかしら。山ほどあるわよ。」
「また新宿のとき見たいに大穴開けたり一般人を巻き込まれたらまずい。ここの奴ら、自分の星団員以外は生きる価値なしって教えらしいから、傷付けるのもためらいがない。」
「あの予言書を盗めばいいのかしら?」
「そう簡単に行くかよ。・・・大人しく帰るつもりは?」
「ないわ。此処で追い出したら勝手に暴れて迷惑かけてやるわよ。」
「だろうね・・・。なら俺の言うことをちゃんと、全部聞く。撤退を命じたら素直に逃げる。それを約束出来るなら手伝わせてやる。いいか、コレは遊びじゃない。掴まれば死ぬ。覚悟しろ。」

 

いつになく真面目な顔で圧を掛けられたので、比紗奈も口答えすることなく頷いた。
それから、隣で喋らない夏海に問いかける。


「夏海、どうしたのよ。」


頭の布も取らず、ひりついた空気感を漂わせた夏海が窓の外を睨みながら口を開く。


「予言書持った人が天狼星がどうとか言ってたでしょ。七星の教え、アタシはほとんど習わなかったけど、大人の人は、お兄ちゃんのこと天狼星って呼ぶのを何度か聞いたことがある。」
「・・・やはり透夜くんの役割は重要ってことだ。なら畢星ってのが日室誠司のことだろうな。
俺が事前に調べたところ、此処の幹部クラスの人物は宿曜二十八宿の名で呼ばれている。
さっきのお姉さん達からも二つほど名前が出てたから、確定だ。
幹部クラスの人物は新宿でみた紫のフード付き外套をまとうことを許され、術士の能力を有していると推測している。」
「なら、部屋にいた信者と、見張りの短い紫布かぶってたやつらは非術士ね。」
「俺はこのまま深部に潜り込んでなんとか予言書に触れないか、写しが存在しないか探ってくる。
お前達は、そのまま信者のフリをして情報を集めてくれ。さっきみたいに、下っ端の方が口が軽いし情報を得やすい。予言書の内容を詳しく聞き出せれば万々歳。新参者のフリをしてれば問題ないだろ。それから、本殿の場所も疑われない程度に聞いておいてくれ。」
「本殿?」
「ここは一般信者も、なんなら観光客も足を踏み入れられるオープンな場所だ。
だが更に山の中に人の動きがある。術士協会本部の結界と同じような、古代術式を使った強固な結界が張られていて場所の特定すらできないんだよ。部外者は一切入れさせないが、幹部がいるのも、この星団を牛耳っている星団長・黄王とやらがいるのもおそらく本殿。信者の中にも、出入りが許されている人間やルートがあるかもしれない。」
「わかったわ。なるべく色んな人に話を聞いてみる。」

 

頷きあった更衣と比紗奈が再び白い布を被ったが、夏海はそこを動こうとしなかった。


「更衣さん、私と役変ってほしい。」
「ダメだ。万が一潜入がバレて君が人質にでもなってみろ。透夜くんは喜んで身を差し出す。君が此処にいる時点で、兄さんを危険に晒していると自覚すべきだ。此処は透夜くんを狙う敵の本拠地なんだぞ。」
「だからこそだよ。アタシ、誠司さんに会わなきゃならない。」
「夏海っ!?」

 


比紗奈が声を上げた時には、夏海は部屋の窓を無理矢理こじ開けて屋根の方に登っていってしまった。
ハァとため息をついて、更衣は頭を掻く。

 

「夏海ちゃん、キャラ変した?」
「今回の件で、かなり迷っていたようだけど、近くに日室誠司がいると確信して腹を決めたようね。」
「わざと連れ出したな。」
「解決するなら、あの兄妹が最適解。アンタも分かってたからGPS捨てなかったのでしょ。」
「ホント、将来有望だよ、お前。」

 


行くぞ、と二人は再び廊下に戻った。

 

 

 

 

 

 


――・・・。

お兄ちゃんがアタシの全てだった。
両親もいなくなって、ひとりぼっちのアタシに残された、たった一人の家族。
怒ったり、いじわるすることは絶対しない。優しいお兄ちゃんだった。
幼いアタシはいつもオドオドしてて、気弱で、泣いてばかりだったけど
お兄ちゃんはいつも隣にいてくれた。
手を握って先導してくれた。
大丈夫だよ、僕が守るからって、笑ってくれた。
それがどんなに心強かったか。

―お兄ちゃんが、アタシの手を放す瞬間があった。

家族でも親戚でも、七星の大人でもないその人が訪ねてくると、
お兄ちゃんはアタシには見せない一際眩しい笑顔を浮かべて、簡単にアタシの手を放して行ってしまう。
大人びた表情から、子供らしいキラキラした無邪気な姿に変ってしまう。
アタシが知るお兄ちゃんじゃない、別の人になったみたいで嫌だった。
それがとても悲しくて、とても嫌だった。
といっても、実はそれは一瞬のことで、その男の人と一緒にすぐ戻ってきて、
また手を握ってくれるから、長い間放って置くようなことはしないのだけど。
背の高いおじさんも、とても優しくていい人だったから、アタシもなんだかんだ懐いて遊んでもらったりもしていた。
大人に対して警戒心が高いお兄ちゃんが信用する人、という安心感もあった。
けど、おじさん―誠司さんの隣で嬉しそうに輝く、春の日差しのように穏やかで、優しい輝く笑顔を見ていると、胸がざわついたのは

事実だ。
いつか、アタシを置いていってしまうのではないかという不安。
たとえ僅かでも、湧き上がった不安は消えることは無く胸の奥に存在し続けた。

また、アタシは―――・・・。

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