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第三部 夜永月の妖星闊歩6


学校が午前で終わったお昼時。
夏海は、新宿にある術士協会本部の食堂で昼食を取っていた。
術士協会アプリでは、仕事をこなした数によってポイントがもらえて、ある程度貯まれば本部食堂で割引サービスを得られるのだ。

 


「あ。君、こないだはありがとう。」


タコライスを食べ終えたところで、声を掛けられた。
ベージュのコートを来た、浅黒い肌の若い男性だった。
黒いさらさらの髪に儚げな瞳。すっとした鼻は高く、薄い唇は少し色っぽく見える。
数日前、新宿駅付近で隠士二人に襲われるところを助けられ、本部ビルまで案内をした。

 

「えっとー・・・、保那さん!」
「うん。君は、四斗蒔夏海ちゃん、だったね。本当に助かったよ。俺の力では辿り着けなかったから。この後時間ある?良かったらお礼させてくれないかな。」
「そんな!大したことしてないですから。」
「お礼っていうのは、建前で、東京観光したいんだ。俺、本当に方向音痴なんだ。電車の乗り方も全然わからなくて。また案内頼めないかな?費用とかは出すから。」
「そういうことなら、オッケーですよ!何処か行きたいとかあります??」

 


夏海も神奈川に越して来たときは、兄に頼んであちこち連れて行ってもらったことがある。
森と畑しかないような狭いド田舎でずっと暮らしていたから、建物と人に溢れた東京はまるでおとぎの国で、常にワクワクしていた。
楽しいところ、美味しいモノに溢れた東京はとてもきらきらしていて、大好きだった。
これが自由だと実感出来るから。
あの時の感動を是非保那さんにも体験して欲しいと、夏海は張り切って東京観光をプロデュースした。
明治神宮、東京タワー、浅草寺。
お参りをした後人形焼きを食べていたら、行ってみたいと保那に言われスカイツリーに登る。
保那という男性はずんぶんおっとりとしたマイペースな人で、大きなリアクションを取って喜んだりはしなかったが、建築物や風景を見る横顔は楽しそうだったので、夏海も満足だった。
随分小さくなった一面のビル群を見下ろしている横顔に話しかけてみる。

 


「保那さんは、どこの支部所属なんですか?」
「はり・・・、兵庫県だよ。」
「関西の人だ!訛りないですね?」
「山奥の寺で育ったから。」
「へー。」


頭の中で、知り合いの大阪支部のコテコテ関西弁おじさんを思い浮かべる。
色んな支部の術士に会ったことがあるが、地方出身者は少なからず訛りがあった。
まあでも、和歌山出身の兄妹も訛りはあまりない。
七星という狭い土地が他者と交流してこなかった結果だ。

 


「家族は?」
「今は、いないね。孤児だったんだ。寺に捨てられて、住職に育ててもらったんだけど、亡くなった。」
「そうでしたか・・・。」
「一人になって、外の世界を見ようと色々旅したりしたんだ。同じ術士で集まったり、生涯の友とも巡り会えた。寂しくはなかったかな。」

 


儚げに微笑みかけてくれる保那の笑顔に、言葉では言い表せない深い孤独を感じてしまって胸が締め付けられた。
その寂しさは、自分も知っている気がした。
タワーを下りて、お膝元のソラマチをぶらぶらしていると、アレを食べてみたいと指差され、一緒にクレープを食べた。
夏海プロデュースのブラウントッピングチョコレートソース増し増しクレープは、随分気に入ってくれたようだった。
食べている途中で、保那はコートに入れていた携帯を取り出した。

 


「ごめん、呼び出し来ちゃった。」
「お仕事ですか?」
「うん。付き合ってくれてありがとう。またね。」

 


クレープを片手に、保那は去って行った。
方向音痴だなんて行っていたが、電車にも戸惑った様子も無く、きっと迷わず駅までたどり着くだろう。
クレープやタワーへの入場料を全て出してもらってしまい、ただの道案内なのに貰いすぎな気がしてきた。
そういえば、保那さんの位を聞き忘れたと気づく。落ち着いた様子から、相当な実力者ではあるだろうが、今まで名前も聞いたことがない。本部に登録していないのだろう。
保那が苗字なのか名前なのかすら、聞いていなかった。
夏海もクレープを食べ終え携帯を確認すると、兄からのメールが届いていた。
慌てて電話をかける。

 


「もしもし、お兄ちゃん?」
『今どこにいる。』
「スカイツリーの近く。」
『おまえ、いい感じの帽子屋知らないか?用事ないなら買い物付き合ってくれ。』
「すぐ行く!!」

 


珍しい兄からのお誘いに即答して、駅まで走り出した。
待ち合わせ場所の渋谷駅から、夏海が知っているショップをいくつか案内をする。
ストリートシック御用達のお店で、兄は真剣に品を吟味し始める。

 


「お兄ちゃん、帽子好きじゃないって言ってなかった?」
「贈り物。」
「頼安さんとか嵐さん?」
「そんなとこ。」

 


ずいぶん言葉を濁す。
兄も顔が広いので、術士仲間に贈る物なのかもしれないが、手に取る品はどれもサイズが大きい。
本郷会長の誕生日まだだった気がする。
十数分悩んだ後、透夜は黒い帽子と黒いフード付きパーカーを購入した。

 


「ラッピングしてもらわなくていいの?」
「ああ、いいんだ。ありがとな、いい物が買えた。」

 

兄が嬉しいならアタシも嬉しい―。満面の笑みを返して、一緒に家まで帰る。
帰りの電車で我が儘を言って、一駅前で下車して、多摩川の土手沿いを並んで歩く。
十月を過ぎて、日が短くなり午後五時過ぎの空はオレンジに染まっていた。
家路を急ぐ学生や自転車、トレーニング中の男性、犬の散歩をするおじいさん。
色んな人がすれ違う土手道。
川沿いのグラウンドでは野球少年達がキャッチボールをしている。
行き交う声や、音。頬を僅かに掠める冷たくなってきた風。焼けた太陽の匂い。
そして、隣には大好きな兄。
ああ、幸せだ。
こんなに穏やかな時間が何よりも幸せで、大切だった。
子供の頃に閉じ込められた狭くて冷たい世界から連れ出してくれた兄には、本当に感謝しかない。
今はこんなにも幸せで満ち足りている。
空をゆっくり流れる雲の輪郭線が金色に輝いて、どんな宝物より眩しく尊い。
我慢出来ずに兄の腕に絡みついて、密着して歩く。
歩きずらいなどとぼやきはするが、腕を振り払うようなことはしない。

 

 

「たまには外で夕飯食うか?」
「ううん、家が良い。まろんが待ってる。」
「そうだな。」

 

私達の家がある。大切な居場所が。
今日の夕飯はなんだろう等と話ながら、いつもよりゆっくりしたペースで帰路を辿った。

 


夕飯を食べ、透夜が風呂を済ませてリビングに戻ると夏海がソファーの上で眠っていた。
猫のように丸くなって、何の夢を見ているのか、口元が幸せそうに笑っている。
まろんが掛けてくれた大きめのブランケットは、夏海が子供の頃から愛用しているウサギ柄のもの。
ソファーの縁に座って、顔に掛かった髪を直してやる。

 


「時間がないぞ、透夜。」

 


姿を見せない式神紫破の声が、静かにそう囁いてきた。
透夜の眉間に僅かに皺が寄った。


「俺は夏海を幸せにしなきゃいけない。」
「宇宙はお前に儀式をさせるために因果率をねじ曲げ必然を引き寄せてくる。今以上に。」
「バカ言うな。俺は夏海の花嫁姿を見るまでは死なない。」
「死ぬわけでは無い。」
「同じだろ。俺から全て奪うということに変わりは無い。」

 

声の主は静かに消えていった。
透夜はただずっと、幸せそうに眠る夏海の寝顔を眺めていた。

 

 

 


*   *    *

 

七星開祖摩夜が使っていた法具を収める宝物庫の管理は、代々当主が行う習わしである。
しかし、当主であればいいというわけではなく、法具の守護役になるには、法具に選ばれなければならない。
透夜が法具に選ばれ宝物庫と繋がる儀式を終えたのは、五歳のときであった。
当主でないのに宝物庫の仕様を認められたのは異例であり、歴代最年少である。

 


「お父さん、この法具は、金剛杵?」
「そうだよ。中央の刃の周りに、四本の刃が突いてるだろ?よって五鈷杵という。摩夜様が使っていた品の中で一番貴重で、一番強いものだ。これで、冥王を封じたんだから。」

 


壁沿いに作られた台の上に、赤や紫の絨毯を敷かれ並べられた品々はガラスケース等に入れられたわけではなく、むき出しの状態で飾られていた。
黒地の羽織は、宝物庫の左隅で衣紋掛けに飾られている。
宝物庫自体も飾り気が全く無い木造建築。火事があったら一瞬で燃え尽きそうな見た目だが
何重にも守りが張り巡らされているので、セキュリティは万全だ。
五鈷杵が置かれた台の前で、少し背伸びをしながら張り付いて観察している息子の頭を、大きな手で撫でる。

 


「これでお前も、法具を呼び出し使うことが出来る。」
「うん。僕がお母さんとお父さんを守るよ。」
「お。俺まで守ってくれるのか。頼もしいなぁ透夜は。」


息子を抱き上げて、そのまま宝物庫を出た。
父慧俊は見た目こそ頼りなさげな優男だが、抱き上げてくれる腕は太く体もがっちりしている。
父に抱き上げて貰うのが、透夜は大好きであった。
メガネの奥にある優しげな瞳と柔らかい笑顔が近くなるのも、好きだった。
穏やかな森の小道を下ると、重なった葉の間から柔らかな陽光が二人をすり抜けていく。
遠くで鳥達の声がする。迷い込んだ蝶がひらりと木々の間を通り過ぎ、人に影響を与えない土地に住み着いた小動物型のナバリ達が四匹、楽しそうに掛けていく。
森を抜けると平たい開けた土地に出て、平屋の一軒家が見えてくる。
父慧俊と透夜の師匠、柱可和尚の自宅だ。
此処は七星の土地である朔山の隣にある小さな山。名を香宵山(かぐよいやま)。
七星の霊力が一番強い位置のため、普通の修行者は足を踏み入れることすら出来ない場所。
四斗蒔の家もこの香宵山の麓にある。
黒瓦屋根が特徴のこじんまりとした和風建築の前で、作務衣姿の老人が箒を持って庭の枯れ葉を掃除している。背は曲がり、むき出しの手首足首は細く、頭は全て剃り落としていた。
二人の接近に気づくと、老人が顔を上げて箒の手を止めた。
慧俊は抱いていた息子を地面に下ろし、頭を下げる。

 


「顔通しなんぞせんとも、透夜は法具に愛されておるのにのぉ。」
「決まり事ですから、儀式だけ行いました。」
「師匠、儀式したことわかったんですか?」
「もちろんじゃよ。紫破が嬉しそうにやって来たもんだから。」

 

柱可和尚の隣で空間が歪み、空中で胡座を描いている紫破が現れた。
今日は浅黒い肌の若い男性の姿であった。
七星の守り神でもある紫破は、小さな透夜をじっと見下ろしていたが、口を開くことはなく消えていった。

 


「紫破も喜んでおる。さて、そろそろ秘法鐘蔵と花水集について教えてやるかのぉ。式神を従えるのも良いであろう。
透夜は本当に頭がいいから、もう七教指針を全て覚えてしまったんだ。」
「僕なんかあっさり抜かれてしまいそうですね。」
「ハッハ。儂もじゃよ。人生最後の弟子にしては、出来すぎた子で嬉しいぞ。」

 


骨が出た皺だらけの手で透夜の前髪をかき混ぜる。

 

「これ慧俊。なんちゅう顔をしておるんじゃ。」
「いえ・・・。息子の成長は喜ばしいのですが。運命の濁流に喜んで送り出す親がいるでしょうか。
僕はただ、普通に大人になって、当たり前の幸せに囲まれて生きて欲しいんです。」
「親が今から希望を捨ててどうするんじゃ。生きる意味と場所を与えるのも親の仕事だ。」
「はい。」
「ほれ、透夜。一緒におやつにしよう。今日はまろんが洋菓子を作ってくれたんじゃ。麗華さんもそろそろお勤めが終わるじゃろ。」

 


にっこりと優しげな笑顔が午後の陽光を浴びて穏やかに、ただ穏やかにそこにあった。

 

 


 

 


「忘れてないよ、父さん。」


深夜、夢から覚めた透夜は、夜に包まれたベッドの上でそう呟いて額に腕を置いた。
通りの街灯が入り込むせいで完全な闇にはならず、ぼんやりと天井が見て取れる。
両親も、柱可和尚も透夜が天狼星の宿命を持って生まれたことを知っていた。
幼い頃から溢れる霊力を持っていたことも、天性の術士能力の高さも、理由があった。
それでも両親は愛情たっぷりに育ててくれたし、母は死に際でさえ息子の幸せを願ってくれた。
普通の人間としての、普通の幸せを。

 


「諦めてないからね、母さん。」

 


しんとした静寂にそう吐き捨てて、再び瞼を閉じるも、もう一度寝られるまでは時間が掛かりそうであった。

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