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神宿りの木    たまゆら編 12

 


真っ暗だ。
黒しか無い。何も見えない。何も感じない。
ただ、意識が深い場所を目指して落ちていくのは理解出来た。
どこへ行くのか、もう興味もなくなっていた。
このまま意識を手放して眠ってしまおうと思った。
これは悪い夢。そう思いたかった。
起きたら僕の誕生日で、兄さんが優しくおはようと言ってくれる。
そんな明日を信じたかった。
遠くで音がする。
目を開いた。
開く瞼があったことに自分で驚きながら、黒しかない世界に僅かに白んだ部分が出来た。
落ちる真人を追うように白い何かも近づいてくる。
それは光の玉であった。
音は、その玉から出ている。
声だ。声がする。
何を言っているのかまではこもっていてよくわからなかったが、やや高めの女性の声に思える。
声が気になって腕を伸ばそうとしたが、背中から落ちる真人の体を密集する闇が離すまいと絡みついてくる。
闇に触れられると、せっかく目覚めた意識が急激に遠くなる。
眠くて仕方が無い。
声は一際激しく響いた。
真人の顔にも闇は張り付き、視界がどんどん奪われていく。
ついに目の前までたどり着いた光から、真っ白で美しい腕が現れた。
艶やかな肌を持ちながら、肘以外の部分は全て同じ太さなのが異様ではあるが、綺麗な女性の腕。
落ちる真人に向かって、必死に長く細い指を伸ばしてくる。
その指の先に、何かが挟まっていた。
中指と人差し指で挟んで必死に真人に伸ばすそれを、闇が絡まった腕で真人は受け取った。
水色の勾玉であった。

 


「兄、さん?」

 

目覚めと同時にそう問いかけたが、応えてくれる声はなかった。
此処が夢なのか現実なのかわからないが、今は目の前の世界が真っ白な空間であることに安心した。
足は地面についているわけではなく、体は宙に浮いたまま留まっていた。
ゆりかごの中にいるような安心感が体を満たし、自然と指先まで巡る温もりに目を閉じた。
久方ぶりの安堵感に包まれ身を任せていると、背中に何かが触れ体に重みか帰ってきた。
再び目を開けると、真人は白い空間に横たわっていた。
傍らには崩れた石造りの鳥居があり、石の塊が寄り添うように重なっている。注連縄は切られたまま床に落ちていた。

先ほどまでいた部屋に戻ってきたようだ。もしかしたら、ずっと此処にいたのかもしれない。
体を起こす。起こす体が残っているのだと気づき両手を確認する。
左手が半透明ではあるが、まだそこにあるのだと目視で確認出来るぐらいには実態があった。

足もスニーカーもそこにはあるが、右手の中に勾玉はなかったので、あれも夢だったのかと残念に思う。
深めに息を吐いて、手を開いて閉じたりしながら立ち上がる。
不思議と、体の中が暖かく胸の内が満たされている高揚感が広がっていた。
どこか懐かしく、幸福にも似ていたが、体のだるさまでは完全に消し去れなかった。
目覚めたばかりのようにぼんやりした頭で辺りを見渡していたが、白い空間に染みのような黒点が生まれた。
あっという間に黒点は広がり、中から出てくる何本もの腕がこちらにむかって手を伸ばすように蠢きだした。
デジャブ。
いや、追いつかれたのだ。そう感じた。
本能的に、真人は黒点に背を向けて走りだした。
足を前に出す度体に痛みが走る。体はダルく筋肉を動かすのさえ辛い。
ちょっと駆けただけで息が上がる。
ずいぶん体力が落ちていた。スピードが出ないもどかしさと、振り返れば迫ってくる黒い染み。
水が跳ねる音が聞こえた。
黒い染みから泥のようなものがポタリと落ちて、それが上へ伸び、人の形になった。
真っ黒でガリガリの体は目も口もなく、だらりと伸びた長い手足をふらふらした後に、真人に向かって進軍し始めた。
たった一歩で、ぐんと真人に近づいてくる。錯覚かと思ったが、そうではないらしい。
泥は次々落ちてきて、全て人型になって真人を追ってくる。数を数える暇も無く、前を向いて走り続ける。駆け足より少し早い程度のスピードしか出ないが。
筋が痛くなってきた左腕を押さえながら走る。部屋に果てがない。床があるだけで壁はない。
どこを目指せばいいのか途方も無く、焦りで振り返ってしまった真人が見たモノは
すぐ後ろまで染まった漆黒の闇と、のんびり歩きながらこちらに手を伸ばす黒い人型。
間近で見ると、人型はモヤのようにあやふやな存在ではなく、焼け焦げたような真っ黒の皮が張り付いている。

肉はない。浮き出す骨の凹凸までよく窺えた。顔にある眼球が埋まっていたはずの窪みも、口らしき穴もある。
真人の脳裏に、夢でみた光景が過ぎる。枯れ果てた大地を闊歩していた化け物。
これはシンに落ちた神々だと気づいた時、生け贄の二文字が喉元をしめてくる。
樹木の化身が言うには、自分が穢れを一身に受けた後、神々はシンと共に封印されている二柱を迎えに行くのだという。
成すべきことがある気がして夢を渡ることを決めた。
それが兄の元に帰り、兄達が胸の内に秘めた事柄を解決出来ると信じていたからだ。
決して、生け贄になるために夢に飛び込んだわけではない。
頭の中で、跳ねる黒い丸達と楽しげに笑い合う水色髪の女性の嬉しそうな笑顔が浮かぶ。
そうだ。
呼んでいた、彼女はずっと。
だから夢を見せていた。
封印が完全に解かれシンが外に出てしまうその前に、神樹の末裔である僕が役目を果たすのを信じて―

 


「まだ、出来ることがあるっ・・・!こんなところで、終わってる場合じゃない!」


焦りと苛立ちが口から吐き出された、その時。
塊が自分の真横を高速で通り過ぎて首を回す。

影人形と真人の間に白い塊が割って入ってきた。
美しい白い毛並みが視界いっぱいに入り、それが大きな狐だと気づくのに時間が掛かった。
走っていた足を止め、肩を息をしている内に、白い大狐の体が金色に光りだし、咆哮した。
空気を割るように響くその声が、迫っていた黒人形と壁の染みを震わせる。


「まったく。道を開いてやったというに勝手に突っ走りおって。」

真隣に、黒豹がちょこんとお座りをして尻尾を降っていた。
真人はその生き物を知っていた。


「ナカツカミ!?どうして・・・ってことは、あれは九郎か!?」


白狐は、再び咆哮しながら黒人形を威嚇していた。
影はどんどん萎縮し、黒人形たちは怯えた様子で泥に戻ってしまう。


「ふむ。さすが神の使徒だった狐だ。堕ち神にも効いておる。」
「どうやって来たの?此処、現実じゃないよね。夢の中っていうか・・・。」
「ああ、アレが導いてくれた。」


綴守実行部隊員の灰司という少年が契約している零鬼ナカツカミが軽く顎を上げたので、そちらを向く。
白狐の九郎が飛び上がって黒人形達を追い立てているところで、軽く振り向いた狐の口には、細い枝が咥えられていた。
青々とした葉をいくつかついた立派な枝だった。
それは、夢の中で神樹から男性が折った枝であり、賢者殿と呼ばれる青年が床に差したものだ。


 

「あれは・・・なぜ九郎が持ってるんだ・・・?」
「ぷれぜんと、だそうだ。迎えに来てやったぞ。おい白狐、急げ。時間がないぞ。」

 


ゆったりとした問いかけに、白狐は苛立しげに尻尾を地面に叩き付けてから、
前足で黒人形の顔を殴って道を開き、くるりと向きをかえこちらにやって来た。
長い鼻先を真人に突きつけてきたので、言われるままに枝を受け取る。

 


「なんじゃ、咥えたままで顎が疲れたのか。」
「違う。喋れないだろ。」

 


返ってきた声ははっきりとした人間の男性の声。
彼が人間の姿を取っていたこと、綴守の自室で襲われた事などを思い出す。
白い毛に埋もれずそこにある紫の瞳が、真っ直ぐ真人を見上げた。

 


「お前には赤畿にかけられていた呪縛を解いてもらった恩がある。それを返しにきただけのこと。」
「ツンツンしおって。心配でたまらず六本鳶松から飛び出してうろうろしておったくせに。」
「黙れ。」
「さて、出口が閉じる前に帰るぞ。あちらはもうお前が知る世界では無くなったが、まだ猶予はある。」
「此処よりは幾分かマシというぐらいだがな。」
「僕、答えを見つけだせてないかもしれない・・・。夢見の女の子は、隠された真実を見つけろって言ってたんだ。でも全部渡れてないんだ。あいつらに邪魔されて。」
「此処にはもう無かろうよ。見よ。シンどもがお主を見つけてわんさか集まってしまった。
もう夢は渡れまい。あとは現実で見つけよ。そなたが行くべきは、神門の先。今のそなたならたどり着けるであろう。」
「神門?」
「おい、急ぐんだろ。」
「お主が遊んでおるから待っておったんだろうが。まったくマイペースな狐よ。」

 

白狐九郎のおかげで小さくなったはずの、空間の空だか壁だかにある黒い染みが再び広がりだした。
アメーバのような形で体をうねらせている。
走り出した白狐に続いて真人も続き、殿は黒豹が。
手に持っていた枝がやけどするぐらい熱くなり、握っていた左手は完全に戻っていた。
真人はどこに向かっているか分からなかったが、白狐の鼻先に時より皺が寄るのがわかった。
真っ白な世界に、縦や横の亀裂が走る。
天井や壁が四角く切り取られ、次々と崩れてくる。
後ろからおどろおどろしいうめき声が聞こえてくるが、一人じゃないおかげか振り返ろうとは思わなかった。
今は走ることに集中出来た。
手の枝が更に光る。もはや輪郭を失うぐらい金色に目映く。
途端、金色の光が爆発したかと思えば、手から一本の線が生まれ目の前を照らしだした。
崩れだした瓦礫の間を縫うように伸びる光の先で、両開きの木製扉が現れた。
後ろにいる黒豹がそこに入れと短く叫ぶ。
重力を無視して紙が落ちるようにゆっくり落ちてくる瓦礫の間を縫って、真人は走り抜けその扉を開けた。
踏み越える瞬間、後ろを振り返った。
黒豹が地面に座っていた。
いつものように尻尾を振って、追ってくる黒い染みや影人形と対面しこちらに背を向けていた。


「ナカツカミ!」
「主がいる世を頼むぞ、神籬。わしかて、人間を好いておる。」
「おい!」
「後は頼んだ白狐。僅かな猶予を与えるが、戻れば時は進む。神眠りの日を迎える前に、神門を見つけ出せ。」

戻って黒豹に手を伸ばそうとした真人のシャツを、白狐が咥え扉の更に奥へ彼を運ぶ。
足の裏にあった地面が突然消え、体が落下する。
咄嗟に近くにあった白狐の首に抱きついた。暗闇の中で、白い体毛が明るく見える。
手の中にあった枝は消えていた。
喉から絞り出したようなうめき声がどこからともなく聞こえて来て、反響しながら膨らんでいる。
落ち続ける足の下から、金色の光の帯が3本生えてきた。
真人は何も考えずに、その帯に手を伸ばし握りしめた。
その瞬間、暗闇の中で誰かに水色の勾玉を預けられたことを思い出した。
さらに、自分がそれを、誰に託したのかも。

 

 

 

 

*  *  *

 


両親にも兄達にも言っていないことがある。


あれは水面反乱の前日。
夜中に目が覚めることなど滅多になかった幼い私が、珍しく目を覚まし、寂しがりだったのに誰にも声を掛けず外に出た。
住宅地を抜け、研究所へ続くトンネルの中に入る。
暗闇は怖くなかった
むしろそこにいるのは当然で、この先にあるものを知っていればそれで十分だった。
行き慣れているはずの研究室には誰も居らず、電気は全て消され、真人が眠る円形水槽だけが青白く灯っていた。
巨大な水槽の周りに建てられた足場へ続く階段を上り、眠る真人の前に立つ。
生まれてから一度も切られていない、自分より長い茶色の髪が水の中でうねっている。
水槽の中に入れられた酸素が時折下から生まれ上に昇る。
真人の双眸は相も変わらず固く閉じられて眠っている。
何故か、此処に来なければならないと感じて一人でやって来た。
真人が呼んだのだと幼い私は気づき、水槽に手を添えた。


―――驚くべきことが起きた。


決して開くことのなかった真人の両の瞼が震えだし、ゆっくり、少しずつ目を開けたのだ。
初めて見る真人の双眸は瑛人にそっくりであった。
驚き過ぎて声も出せない沙希に向かって、真人は微笑んだ。
ガラスに手を当ててる沙希の手に合わせるように彼も手を上げる。
すると、沙希の手の中に何かが当たり慌てて握りしめる。
小さな指を広げて確認すると、それは水色で、不思議な形をした石だった。
後にそれは、勾玉という装飾品だと知った。
勾玉は一度だけ、呼吸するように内側から光ったが、すぐに収束し息を潜めた。
再び真人を見つめる。


「これ、預かればいいのね?」


微笑んだまま小さく頷いて、彼はまた目を閉じて閉まった。
もう眠ってしまったんだと沙希は察して、肩に張っていた力を抜いて水色の石を握りしめた手を胸に引き寄せた。
真人は生まれてから、一度だって目を覚ましたことがないと瑛人からも両親からも聞いていた。
目覚めて初めて見るのは瑛人だとそう信じていた幼い自分は、とても悪いことをしてしまったという罪の意識が働いて、すぐ家に引き返し誰にも気づかれぬようベッドに潜って眠ってしまった。
目覚めた時手の中にも部屋のどこにもあの水色の石は無かったので、夢だったのだと心底安心したのだ。

 

だが、今になって、手の中に水色の勾玉があった。

 

自分の姿すら確認出来ぬ闇の中で、両腕を広げた姿で体が拘束され動けなくなっていたところ
突然右手が水色に光ったので何事かと首を回せば、幼い頃夢でみた勾玉がそこにあったので
あれは現実だったと不思議とすんなり理解した。
勾玉は内側から目映く光り、それが石ではなくわずかに濁ったガラスで出来ているようである。
表面が透け中にある何かが確認出来た。
染みか、埋め込まれた異物。いや、小さな小さな葉っぱだ。
中に入れられた葉が光っているのだと理解出来ると、次に体に巡る感覚がリアルになってくる。
奪われた御子の力がようやく帰って来たようだ。
体に力を込め、青い粒子を散布させる。
手首と胴体、足を縛っていた闇を粒子で切りながら、自分も腕や足に力を込め引きちぎる。
行かねばならない。戻らねばならない。
呼んでいる。
真人が。

 


「いい加減、離せ!」


沙希の漆黒の瞳が、勾玉と同じ水色に染まった。
その瞬間内側から青白い光が爆発し辺りに充満していた闇を焼き払った。
体は解放され、着地したとき、そこは瓦礫が積もった綴守の廊下であった。
天井にあった岩はほとんどが剥がれ下に落ち、綴守の建物を壊し階段や廊下はほぼ無くなっていた。
それでも見覚えがあるのは、長年守ってきた大事な場所であったからだろう。
人の気配はない。皆無事逃げたのだろう。
そういえば、黒い触手にさらわれてしまったせいで引き離された兄達は無事だろうか。
真人は今どこにいるのだろうか。
どちらに向かうべきか思案していると、地面から再び黒い半透明の触手が何本も生えてきた。
獲物に逃げられて焦っているとそう感じた。
沙希は手にしていた勾玉をコートのポケットにしまい、手に刀を作った。
彼女に怒りに応えた青い粒子が大量に宙に舞う。

 

「邪魔しないで。」

 

地面を蹴る。
猛スピードで走りながら生えたばかりの触手全てを両断し、後ろを構うことなく走り出す。
彼女が駆けると尾を引くように粒子もついてくる。
神経を研ぎ澄ます。
わかる。真人の場所が。

彼もこちらに戻ってきたところだ。
主であり家族である真人を目指し、沙希は走り続けた。
彼女の目が水色に光っているのに、気づく者は誰もいなかった。

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