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♥♦♠♣12

 

膝下まであるブーツの紐を丁寧に通していき、ほどけぬようきつく縛った。


「結局、ダイヤは消滅か~。怖いね~。」
「あ、あの。そもそも、スートの消滅定義ってなんですか?ハートは復活出来たじゃないですか。」
「第一は役持ちの全滅。さらに、スートとして参加出来るよう<ジョーカー>から与えられた証明書があるんだ。

フラッグと呼ばれてるけど。それを破棄されたらスートは消滅とみなされる。」
「旧ハートの分裂の際、俺達役持ちは生きていたし、フラッグはグラスが持って逃げていた。」
「私全然知りませんでした!」
「あの混乱の中でフラッグを持ち出すとは、流石ずる賢い司令官殿だ。」
「誉め言葉としてもらっておくよ、クガさん。」


二重になっている赤い太めのベルトを腰に巻き、そこからぶら下げたバックル付き革ベルトに左右一本ずつのレイピアを装着する。
レイピアの重さでベルトが落ちぬようズボンに固定。


「それと、ダイヤの人達ってどうなったんですかね・・・。」
「大半はどこかに逃げたらしいよ。ツジナミ一派以外は非戦闘員みたいだし。スペードは、一般人吸収するほど親切じゃないようだ。」
「でもでも、スートに属してないと物資や食料は得られませんよ?逃げる場所だって・・・。」
「その<ジョーカー>ありきの世界を変えようとしてるんじゃないか。」
「そうでした!かつて同じ屋根の下で暮らした皆さんの為にも、頑張ります!」
「フフフ、頼もしいな。」


最後に、スートマークであるハート型眼帯を右目に装着し、紐を後頭部で結びつける。


「・・・さて、準備OKかな?王子様。」
「ああ。」
「眼帯姿が懐かしく感じるな。」
「全くですわ。裸眼の期間の方が短かったというのに。」


準備を終えたマヒトは、久しぶりの片目の視界で、待機室に集まる仲間を見渡した。
変わったことと言えば、アイザーことアキトが車椅子を必要としなくなったことぐらい。
ゲーム前とは思えぬ穏やかな雰囲気で、皆リラックスしてアカネがいれたお茶を飲んでいた。


「皆、ごめん。僕だけ作戦に参加出来ない・・・。」
「何を言ってるんだい、マヒト。君には一番難解で一番重要な作戦が待ってるじゃないか。」
「え?」


ソファーに座るグラスがマヒトに顔を向けた。


「大切な仲間を取り戻す重要任務だ。」
「マコト兄さん・・・。」
「そうですマヒトさん!作戦は私たちに任せて、タカヒトさんの催眠を解いてあげて下さい!」
「今度こそクラウンは俺が死守する。」
「皆・・・!」


ブザーが鳴り響き、扉の鍵が開く高い音が一つ。
アカネがフィールドへ降りる扉を両手で開き、一同が移動する。
ゲート前で並ぶと、<ジョーカー>が姿を表した。
今日は金の目をした白い猫だった。
釣り気味の目には長いまつ毛が3本。チョッキではなく、ドレスを着ていた。


「うわー!女の子の<ジョーカー>初めて見ましたー。可愛い!」
「ハハッ。女の子ウケはバッチリだぞ、<ジョーカー>。」
「ありがとうございます。お気に召して頂きまして。」


ヒゲをピクピクさせながら、愛らしい声で答えた。


「・・・<ハートフェル・ティアーズ>様全員の出席を確認いたしました。ゲームへの参加を許可致します。ゲートオープンまで今暫くお待ちを。」
「あ、あの!触っていいですかっ。」


興奮気味のモモナが背を丸めながら白猫に問掛ける。


「モモナちゃん、それは立体映像だから―――」
「構いません。」
「えっ?!」
「やったぁ~!ふわぁー、モフモフですぅ!」


自分の顔より数倍大きな白猫の頭を撫でつける少女と、面食らう男達。
少女が頬擦り出来そうなぐらい近付くと、白猫は長い尻尾を降りだした。
表情は変わらぬが、どことなく嬉しそうである。


「あいつ実態あったのか・・・。」
「驚いたなぁー。」
「誰も<ジョーカー>の使者に触れようなんて思い付きもしなかっただろうな。」


マヒトもモモナに並んで白猫を撫でてやる。


「ホントだ、気持いい。」
「フフフ、ぬいぐるみより気持いいですよね。お名前あるんですか?」
「<ケイト>です。」
「名前あるんだ・・・。」


と、後方からグラスが呆れ半分の声を漏らした時、二度目のブザーが鳴り黒いゲートがゆっくり口を開く。


「ご健闘を。ゲーム、スタート。」


白猫がいきなり姿を消し、モモナが残念そうな声を漏らす。
そんな彼女の姿に笑うマヒトの背に、グラスが手を沿えた。


「さあリディア。最後の仲間を連れてきてくれ。」


前を向いたままリディアは力強く頷き、仲間の温かい思いを背中に受けながら、地面を蹴ってゲートを越えた。


「「「行ってらっしゃい!」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

金の巻き毛を揺らす眼帯姿の少女は、地面に埋められた転送トラップを避けながら、片方の目ですぐ横を並走する緑髪の青年を軽く睨む。


「ニヤニヤして、気持ち悪いわよ・・・。」
「やっぱりエミちゃんも女の子だよね~。白猫に瞳キラキラさせて、可愛かったー。」
「なっ!・・・煩いリョクエン!そもそも、私は女よ!」
「<ジョーカー>の巨大動物達が実体化してたなんて驚き――――」


彼のインカムに通信が入る。
スペードのナビからだ。


「えっ、もう?早いね・・・。うん、わかったよ。」

「何ですの?」
「ハートが一番に宝を見つけて確保してるってさ。」
「またですの?前回と同じね。宝を守り、ゲームを終わらせないようにしてる・・・。ハートの狙いは一体なんなのかしら。」
「わからないけど・・・好都合だ。」
「フフフ。」
「どうしたのエミちゃん。」
「今の貴方の顔、とても凛々しくってよ。」
「本当!?」


嬉々とした輝かしい顔を向けたまま分岐を左に曲がると、通路を塞ぐ人物がいた。
<クラブの8>だ。二人は敵から距離を取った場所で足を止める。


「行きなさい、リョクエン。」
「・・・エミちゃん。」
「貴方にはやらねばならないことがあるでしょ。私はそれに賛同したし、貴方が誇らしくもあった。だから行って。」
「危なくなったら逃げてね。」
「あら、誰にモノを言ってるんですの?」


勝気で余裕のある微笑みは、とても愛らしく、ゲーム中でなければ抱きしめてしまっていた程だ。
リョクエンは力強く頷き返し、今来た道を戻っていった。
改めて敵を睨みつけると、仁王立ちしていた人物がゆっくり近づいてきた。


「<スペードの5>が残ったか。ちんちくりんな女に本気出すのもバカバかしいぜ。」
「あーら!そういう貴方は<クラブの8>じゃないですか。以前よりチビになりましたわね!」
「ンだと!?」


少年―<クラブの8>は腰に差した剣の柄に手をかけた。


「私に無礼な口を聞いた償い、ちゃんとしてもらうわよ。」


エミの輪郭が淡い青に光りだし、足元から風が吹き上がった。
スカートの裾がなびき、エミは右腕を折り曲げ肩の高さまで上げる。


「出ておいで、カリョウビンカ―――!」


一際眩い光源が彼女の右に集結し、膨張する光の中から色彩豊な鳥が姿を表し差し出されたエミの右腕に止まる。
体は光沢ある暗い緑なのだが、羽先は赤や黄色、橙までラインのように幾重にも重なり、尾びれは長く床につきそうである。
トサカは赤く、くちばしは黄色混じりの白。
エミが勝気に笑うのに合わせ、その多彩で美しい羽を思いっきり伸ばしてみせる。
迫力は凄まじいものがあった。


「召喚獣なんかに負けてられっかよ。」


<クラブの8>ヤマトも、鞘から刀を抜き身構えた。
作戦の邪魔をするであろう人物は、目標達成の間手足が無くなってでも足留めしておかなくてはならない。
消えてしまうかもしれない、彼女との約束のために。










「今どんな状況?」
『ハートの独断場に近い、ですかね。クラブと対面してますが、戦闘が行われてる様子は―』
「そうじゃなくて!イツキさん達だよ」
『あぁ、そうでした・・・。』
「しっかりしてね、タイチさん。」


苦笑をもらしながら姿の見えぬ自スートのナビに言う。
スペードのナビゲータータイチは、リョクエンの少し上の年齢ながらかなり気が弱い。
ナビとしての手腕も、状況把握と事態予測の早さも前司令官シベリウスの折り紙つきなのだが、

本人は現場の役持ちに気迫で負けてしまう傾向がある。まぁその辺りはトキヤを筆頭に我が侭で気の強い連中が原因なのだが。


『リョクエン君、本当にやるの?』
「うん。」
『バレたりしたら・・・。』
「大丈夫。」
『そう・・・。じゃあ伝えるね。今ちょうどアオガミさんを除いたチームキサラギを集めた。

次の分岐を右に折れた先に転送トラップがあるから、それに乗ればドンピシャだと思うよ。』
「ありがとう、タイチさん!」


リョクエンは拳をグッと握り絞めて、気を引き締める。チャンスは一度きり。もうやるしかないのだ。
指定されたトラップを力強く踏む。
フィールドトラップの定番、転送装着は、別の転送装着まで人を飛ばす。
装着は2箇所セットになっているので一方通行。
AからBへ強制移動させられるが、BからAへは飛ばないのだ。
床に埋もれているこの装置はフィールドを走り回る人間には目視確認出来ないので、

うっかり踏んでしまうと敵地のど真ん中へ、なんてことになりかねない。
位置把握はモニターを見ているナビゲーターだけが行える。各スートに送られるモニターにだけ各トラップの記号が表示される。
転送装着トラップだけをとっても、ナビゲーターは重要なのだ。
意図的に思いっきりトラップを踏んだリョクエンの体が粒子の光に包まれ、視界がホワイトアウトする。
光の中で、リョクエンは頭に片手を沿えた。
光が収まった時、見慣れたフィールドの壁が広がり、数人の男達が驚いた顔で突如現れた彼の顔を見ていた。


「リョクエン?お前、どうした。」


<スペードの10>トキヤが声を漏らす。
瞳のみ巡らせ、警戒など一分も抱いていない男達を見渡した。
タイチのおかげで、全員集合してはいるが、真後ろに飛ぶはずが彼らが動いたせいで真ん前に位置しまった。
今更中止に出来るわけもなく、リョクエンは頭に手を置いたまま唱えた。


「踊れ、アマノウズメ!」


リョクエンの左目から薄い緑と黄色の閃光が走りその場にいた全員が不意打ちに対処出来ず目を瞑る。
光は膜となり、彼等の頭上を舞うように漂い旋回し、一塊となったのち人の形をとった。かと思えば、すぐ消えてしまった。
リョクエンは落としていた体重を戻しながら、ゆっくり細く息を吐く。
イツキ・キサラギを筆頭に集まっていた役持ち達は、止まっていた。
動きはもちろん、呼吸さえ。


「これ、どういうことなの?」


初めての技が無事成功し安堵しきっていたリョクエンは、突然の声に体を跳ねさせた。
即座に腰に添えた左右のダガーに手を添える。
固まるイツキの横にいたソウタが、くるりと体の向きを変えてリョクエンを見ていた。
警戒の色は見えるが、普段と同じ退屈で憂鬱そうな表情を浮かべている。
反対に、仕掛けた側であるはずのリョクエンが眉を複雑に曲げ疑問と驚愕を表情に色濃く表していた。


「確かに絡めたのに・・・。」
「今の召喚鬼の技だよね。でもリョクエン君、両目無事だね。」
「裏技、使ったんです。」
「使ったってことは、二回目はないんだ。」
「・・・。」
「警戒しないでよ。君の攻撃に殺意も悪意も感じなかったし、兄さんに危害くわえようとしてるんじゃないなら僕は何もしないよ。

ただ僕には・・・召喚生物の攻撃効かないんだ。」
「効かない?」
「そういう体質なんだよ。」


まだ若干警戒しながらも、リョクエンはダガーから手を離した。
彼がわざわざ嘘をついて油断させる、なんて芸当するわけがないし、リョクエンの行為に怒っていたら

水のリセルで今ごろブツ切りにされているだろう。
リョクエンも仲間と戦うつもりではなかったので、素直に話しだす。


「シベリウスの奥さんであるトキノさんの召喚鬼を一回使用分だけ借りたんです。」
「借りた?そんなこと・・・。」
「トキノさんの召喚鬼は出来るんです。一人につき一回だけ、マスターの承諾を得て技を出すんです。」
「兄さん達、死んではないみたいだけど。」


自分の隣で、普段と変わりない怪しい笑顔を浮かべたまま固まるイツキを仰ぐ。


「固まってるだけです。アマノウズメは時間を奪うだけ。時間がくれば動きだします。

本当は、バレないよう時を止めたら去りたかったんです。記憶の繋ぎ目に認識されなきゃ無関係を装えたんですが、そう上手くいきませんね。」
「イツキさん達の時を止めて、スペードを全滅させたいの?」
「違います。時間が欲しかったんです。ちなみに、敵が固まってる皆さんを攻撃しても、時間から切り放されてるらしいので無傷ですよ。」
「そう・・・。良かった。」


憂いを帯たまま青い瞳は伏せられた。
ソウタという青年は、いつどこにいてもそうだった。
悲しげな、辛そうな目をしている。イツキといる時でさえ。
リョクエンも、ソウタとこんなに長く喋ったのは初めての事だ。


「行っていいよ。」
「え?」
「君が言う時間とは、アオガミさんへのプレゼントなんだろ?」
「あ・・・はい。そうですね。」
「残念だけど、兄さんの時間を止めてもアオガミさんにかけた洗脳は解けない。」
「予想済みです。僕は<ハートのキング>に託したんです。」


一度上げた瞳を、再び伏せたソウタ。


「・・・託す、か。」
「ソウタさん?」
「いいかい。君はイツキさん達の背後に現れたクラブの誰かをその召喚鬼で攻撃したけど、

マジックアイテムで反射され、兄さん達の時間が止まってしまった。」
「・・・強引すぎません?」
「大丈夫。これからクラブが狙いを行動に移せば、クラブの必死さが裏付けしてくれる。」
「クラブ、何かする気なんですか?」
「いいから、君はエミさんの所へ戻った方がいい。後は僕に任せて。」
「はい、そうします。」


踵を返したリョクエンだが、体を半分捻ってソウタに向き直る。


「あの・・・どうして味方してくれるんです?」


憂う瞳の中に、全く別の感情、もしくは記憶が横切った。


「僕はただ・・・兄さんを守れればそれでいいから。アオガミさんには、申し訳ないことしちゃったし。これでも、反省してる。」
「・・・アオガミさんなら、大丈夫ですよ。たぶん、ですけど。」
「そうだね。」


ソウタが、リョクエンに対して初めて微笑向けた。
悲しげに笑うくせに、表情はどこか嬉しそうだ。
リョクエンは彼に背を向け走りだした。
後はもう、託すしかないのだ。
運命でも奇跡でもなく、彼に―――。

 


「これ、なんだろうねー。」
「話し合いをしている、とは思えません。不足の事態が起きたのでしょうか。」
「見えないのは気持悪いね。ヤマト君に見に行ってもらおうか。」
「そうですね。例の<スペードの4>が近づいてきてますし。」


車椅子に乗る<クロック・ワークス>ナビゲーター、サキがインカムで仲間に指示を与え始める。
半透明のモニター越しに、目の前で暴れ回る猛獣を眺める。
鮮やかといえば鮮やかだが、ただただ呆然とする他ない。一般人なら畏怖すら抱きかけない光景だ。
鋼鉄にも近い硬度の床下コンクリートを、たった二人で掘り下げているのだ。
一人は筋肉質の巨体男だからまぁ納得は出来よう。
拳に纏うリセルの炎も、左目に走る傷も説得には十二分の材料だ。
問題は、メイド服の女の方。
涼しい顔を一切崩さず、素手でコンクリートを殴りつけている光景は、人間の皮を被った得体の知れない化物かと疑う。
理解出来ない驚異に恐怖と嫌悪を抱くのは人間なら当たり前の防衛本能だ。
サキの車椅子を押す黒髪美女も表情を大分引きつらせ眼前の現実を必死に追ってるのだろう。内心同情する。下手したらトラウマだ。
彼女は破壊系リセルや特殊能力を一切持ってないのだ。
彼女の手腕を見るのは二度目であるが、自分の性別を疑いたくなるほどだ。
男の大半は、コンクリートを殴ってもヒビすら入れられない。


「うーん、20cmは行ったかなぁ。」
「23cmです。」
「わかるのかい?」


左隣で彼等を守るアイザーに問う。
彼は今、黒地にチームマークのハートをあしらった眼帯をしている。昨晩モモナが作ったものだ。


「目秤は得意でして。」
「地味な特技だけど、今は有難い。」
「殿下のお役に立てて光栄です。」
「また口調戻ってる。チョップするぞ。」
「す、すまない・・・。つい。」


ふと顔を戻すと、クガが拳を削りながらも横目でグラスを睨んでいた。
グラスはヘラリと笑いながら、ひらひらと手を降って答える。


「フフ、こちらばかり働かせてないで真面目に働け、だってさ。」
「といっても、俺達は仕事ないですよね。」
「そうなんだよ。宝はモモナちゃんとオニキスが既に死守してるし、ダイヤが消滅したおかげで外野が減った。

何故かスペードの大半は固まって動かないし、その他が攻撃してきても―――」


スペードの人間が一人、クラブとハートの悪巧みを目撃してから耳元に手を当てたが、

報告する前に吹雪に襲われあっという間に雪だるまになってしまう。


「あの通り、君の召喚鬼大活躍。」
「近づいてきた人間は全て凍らせるよう命じてあります。死なない程度に。」
「順調、順調。」


ちなみに、グラスとサキの回りには、半円状の氷のドームが覆っている。
純度が極めて高い氷は透明で、よく目をこらさなければどこに氷があるのかわからない程だ。
不意打ちを想定して雪籠女が張ってくれたのだ。


「問題は、<ジョーカー>だけだな。破壊工作を注意されて強制帰還させられなきゃいいが。」
「ルール上は問題ないんだから、奴らも文句言えないんじゃ?」
「今のアイツらならルールを平気でねじまげるだろ。焦ってるのは明白だ。」


グラスはモニター上で動く1つの赤丸を真剣な表情で眺めた。
横からアイザーが優しく告げる。


「心配事なら、もう一つあるんじゃないですか?」
「ないよ。リディアなら大丈夫だ。」
「火竜を信頼してるんですね。」
「そうじゃない。・・・確かにユタカなはリディアに傷一つつけないだろうけど・・・。

あの子なら必ず大切な仲間を連れ戻せる。覚悟を決めたあの子は最強さ。」


我が子を自慢するように、穏やかで優しい顔をしたグラスは、モニターで<ハートのキング>を表す赤丸を指の腹で撫でた。
その温かな眼差しに、アイザーも微笑みを落としてクガ達の作業へ視線を戻した。
少し話をしていた隙に穴は横5m、深さ31cmにまで掘り進められていた。
あと9cmで、コンクリートは終わり、土の地面が見えてくる予定だ。
作戦は第2段階へ進む。
アイザーは思う。
拳を止めぬフランソワーズは、コンクリートを削りながらも、心は主の側にあるのだ。
主をただ想って、拳を奮うのだ。
自分も<ジョーカー>が来たら追い払うぐらいの気骨は見せねば、と左目の眼帯を摘んでちょっとだけ位置を直した。
 

フィールド、中央からやや左上にずれた一体は、炎に包まれていた。


生物のように煌々と燃え上がる炎は縦横無尽に踊りながら、一人の男を狙って暴れている。
太さ1mはある炎のムチが、猛スピードで男の正面へ突進。
男が左に飛んで避けると、両手に刃の短いレイピアを握った少年が、空中で上半身を捻りながら切りつけてきた。
男―アオガミは上段にある少年の左手を掴み、下段の右手ごと腹部を蹴り上げた。
掴んだ右手首を掴み上げて、少年の顔を間近で睨みつける。


「対戦フィールドを解け。」
「イヤだね!」


少年は宙ぶらりんになっていた左手のレイピアで横凪に斬りつけた。
咄嗟に少年を離したので、刃が男を傷付けることはなかったが、少年は勝ち誇った余裕の笑みを見せた。


「どうしたアオガミ。前のお前なら、僕を気絶させてフィールドから出たじゃないか。なんなら、息の根を止めて見ればいい。」


口を開かぬアオガミは、燃える炎の影をサングラスに反射させながら、リディアを真っ直ぐと捕えていた。
今回アオガミに与えられた命は、<ハートのキング>抹殺ではなく、クラブが行おうとしている作戦の阻止。
ナビゲーターからも、主からも連絡が取れない状況だが、優先順位は変動しない。
1対1戦闘用の対戦フィールドを出るには、フィールドを掛けた人間を気絶させればいい。

命のやりとりが公認された今、少年の言う通り命を奪ってしまえばいい。
遠慮なく。
しかし、いくら少年を殴りつけても少年はすぐ回復してしまい、立ちはだかってくる。
かと言って、神掛った回復力以外前回と何も変わっていない。
反射、力、鋭さ。どれも自分の能力以下。なのにどうしたことか、倒せない。
回りを囲む炎は、視覚こそ熱を持って見えるが、実際熱くはないし、コートに焼け跡一つ出来ない。
炎はただ、主である少年を補佐するのみである。
一刻も早く<ハートのキング>を倒して与えられた任務を遂行したいのに、時間がかかってしまっている自分に一番困惑している。
どんな相手でさえ、数秒と掛らず倒せる技術があるというのに、片目になったこの少年の瞳が拳をにぶらせる。
自分は、その瞳を知っている―――。


「ユタカ、回りの炎解いて。」
『もう?』
「やっぱり子供騙しは弱い奴にしか効かないみたい。補助よろしく。」
『はいよ!』


たった一瞬で、辺りを囲っていた炎が消えた。
アオガミとリディアが壊した壁以外、損傷はない。
少年はレイピアを構え直し、上半身を低くしながら向かっていった。
アオガミはその場で身構え、レイピアが届く前に眉間を狙って一瞬で拳を出す。
少年は動きを読んでいたのか、拳が出されたと同時に体を右に避け、下からレイピアを刺した。
器用に半身を反らして回避したアオガミだが、初めてコートに切傷が出来た。
軸ではない左足で、少年の細い腰を蹴り飛ばす。空中でバランスを整える少年。


「もう少し、だったかな。」
『遊んでないで俺を使いなよ!あんな奴、一撃で黒焦げにしてやれるのに!』
「それじゃ意味ない。いいから、回復に全力投球。」


文句が止まない召喚獣を無視して、リディアは再びアオガミに向かう。
アオガミの3歩前で地面を蹴り高く跳躍、体を捻って切りかかる。
アオガミがレイピアを払う前に、彼の肩を土台にジャンプし、すぐ後ろの壁を強く蹴ると垂直に体ごと突撃。真後ろから袈裟切りに斬りつける。
コートに2本の切傷を作ることには成功したが、浅い。
後ろ向きのままのアオガミに再び腕を取られてしまい、地面に背中から叩きつけられ、さらに右拳で深く下腹部を落とすように殴られた。
体を中心に地面がえぐれ亀裂が四方に走る。
リディアの口から渇いた空気が大量に漏れた。左拳も上がったのを痛みが支配する頭で確認し、地面を転がりギリギリ二発目は回避する。
体に炎を纏い、地面を滑るように距離を取る。


「全く・・・容赦ないんだから。」
『マヒトちゃん!いくら超回復があっても痛覚はそのままなんだからね?!気絶したいの!?』
「わかってるよ。」
『やせ我慢しないで俺を使いなさいよ!なんのために再契約を―』
「ちょっと黙ってて。」


リディアは駆け出す。
先程のダメージはとっくに癒えている。
まだ少し体の芯が震えるが、気にしている場合ではない。
今度は足に炎をまとい、摩擦熱と炎本来のエネルギーを利用して加速。真横から斬りかかる。
1打は避けられたが、攻撃される前に左側へ瞬間移動、右のレイピアで左腕を狙い、突く。

同時、後ろに半身を反らしたアオガミが手刀で後頭部を狙う。
手がうなじに当たる前に体を一回転し、彼の真ん前でしゃがみ込むとバネを利用して飛び上がり、

斜めに倒れたままのアオガミに切っ先を向けた。
レイピアが眉間を突き、サングラスを払った。裸眼が晒され、双眸がギロリとリディアを捕えた様がハッキリ見てとれた。
一瞬でアオガミの攻撃の気配を判断し体に熱のない炎を纏う。
目くらましをしている間に距離を置こうとしたら、炎の壁を割って腕が伸びてきた。
回避する前に首をガッチリ掴まれてしまう。
指に篭る力に遠慮がない。本気で、殺そうとしている。
リディアはレイピアの一本に炎をまとい首を絞めてる二の腕を斬りつけた。
炎が洋服に引火し暴れる。熱のある炎に一瞬だけ力が緩んだ隙を狙って腕から逃れ、対戦フィールドを張った結界ギリギリまで後退する。
咳き込みながら、アオガミを確認する。
いつの間にか炎が拡張し、竜の形になっていた。炎の鱗が並ぶ肌に、背中にはコウモリのような羽。

鋭利な牙で、アオガミの足に噛みついていた。
大きさも姿も真体とは違う炎の造形物とはいえ、牙に噛まれたら火傷ではすまない。
運悪く靭帯に牙が当たったら・・・。


「やめろユタカ!!離すんだ!」


グルル、と喉の奥で唸った竜は仕方なくアオガミの足を離した。
アオガミは警戒してリディアとは対極側に後退する。


『何故だマスター!』
「お前は手を出すなと言っただろ。」
『マスターはさっきから、アイツが避けるのを想定した攻撃しかしていない!傷つけるのが嫌なら、俺がやる!』
「それじゃ意味がないんだ。頼むから、大人しくしててくれ・・・頼む。」


リディアの懇願に、炎の竜は姿を消した。
変わりに、フィールドの縁に再び炎の壁が囲み、燃え上がる。
ほんの少しだけ、熱量をもった炎だ。


『今度アイツがマヒトちゃんを殺そうとしたら、俺が焼き殺す。ただ、ギリギリまでは我慢する・・・。』
「ありがとう・・・。我が侭言ってごめん。」
『汝の願いのままに・・・。』


炎の竜が消えたのを確認して、アオガミが低姿勢で走り迫ってきた。
リディアは床に落としたレイピアを拾い上げ、刃を交差して構える。
裸眼のアオガミが真っ直ぐ彼だけを捉えている。
射止められてしまいそうな視線に、胸がうずく。
アオガミがリディアに殴りかかる直前、リディアも地面を蹴って自ら距離を積め、交差した刃を思いっきり引いた。
頭に強い衝撃を受けた。
殴られたせいで平行感覚が宙に浮き、視界が歪む。
動きが鈍った少年の腕と肩を掴み、半周回すと、まだ崩壊を免れていた壁に叩きつける。
背中が一度大きく跳ねる。彼の体が落ちる前に一呼吸で間合いを詰めたアオガミが腹部を数回に渡り殴りつけた。
回復して逃がさないようにだ。
レイピアを完全に落としてしまった少年に反応はなく、ダラリと腕を下ろしたまま床に座り込む。
炎が一際高く上がり、影が少年と壁の上に不思議な模様を浮かび上がらせた。
怒りを体言したような激しい波を見せる炎を横目に見ながら、アオガミは最後の一撃を少年の顔面に放つ。


「タカヒト・・・、」


――アオガミの拳が、少年の鼻先僅か1cmで急停止した。
拳をゆっくり横にずらす。
口から鮮血を足らす少年は、目から透明な水を溢していた。
攻撃の最中矧がれた眼球の下にあった白眼からも、それは堪えず流れている。
アオガミは、動けなくなっていた。
不可視の力が、動きを奪う。瞬きさえ許されない。
何故か、拳が小さく震えていた。
少年は力が上手く入らぬ左腕を持ち上げ、顔の横で止まる拳に、その手を添えた。


「タカヒト・・・、早く、帰ろうよ。」


弱々しい声で名前を呼び、炎の影が差す顔で笑顔を作る。
微笑を浮かべ、泣いていた。
涙が、タカヒトの拳に音もなく落ちた。
覆っていたフィールドが解除されたとほぼ同時に、アオガミが少年の手をとった。


「・・・マ、ヒト・・・。」
「うん。」
「・・・マヒト、・・・」


タカヒトの自我を覆っていた透明なガラスも弾け飛び、マヒトは笑顔を深めた。
震えが強くなる拳を両手で優しく包み込む。


「俺は・・・また、・・・お前を傷つけ・・・。」
「何も考えないで、タカヒト。」


マヒトは下から、タカヒトをの太い首に手を伸ばし抱きしめた。
周りを囲んでいた炎が少しずつ弱まっていく。
戸惑いながら、壊れ物を扱うように、タカヒトもそっと少年の背に手を回した。


「おかえりなさい・・・!」



その時、ゲーム終了のブザーが鳴った。

 

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