神宿りの木 真人編 3
眼前に迫ってきた拳を左に避けながら一歩踏み込んで右腕を伸ばすが、あっさり手首を掴まれ
気づいた時には天井を仰いでいた。
足を払われたんだと理解するより、背中が痛みが思考を占める。
「受け身だけ上手くなっても仕方ないぞ。」
「あの・・・。組み手練習って意味あるんでしょうか。」
「反射を鍛えている。いくら十杜を灰に出来るといっても、灰だらけになるより、効率的に動けた方がいい。」
差し伸べてくれた手を取って起き上がる。
真人は、実行部隊入りが決まった翌日から、身の動きを学べと言われて藤堂に組み手の特訓を受けていた。
柔道や空手などやったことがない素人に、攻撃を避けろとは無理な話だ。
目が養えればいいと言われたが、攻撃を受けるばかりで組み手は全然続かない。
もう一度と構え直したところで、ヤマトと桃那がやって来たので藤堂が手を下ろした。
「隊長、志ケ浦さんがそこの地上人も連れて山振行ってこいってさー。」
「十班に任せると聞いたが。」
「志ケ浦さんの気まぐれじゃね?」
「またあの人は・・・。わかった。俺も行こう。」
準備を整え、30分後に正門から出発する。
「緑延と絵美が火群に行ったのか?」
「担当箇所で捜索だって。」
藤堂とヤマトが仕事を話している後ろで、真人はそっと桃那に話しかける。
「梔子とか火群とかは、一族の名前で、他は集の名前で合ってる?」
「はい、大正解です。今回の任務は火群からの救援要請です。
火群配下待鳥の集長が2日前から行方不明になっているので、一緒に捜索してほしいとのことですが
捜索は緑延くんと絵美ちゃんが担当し、私達は、失踪の線を探るため集長と幼なじみである山振の長老に話を伺いに行きます。」
天御影では、7つの一族が存在し、そのウチ5つは同盟を組んでいる。
各一族に所属する集がいくつも存在するというのは習った。
一族といっても天地平定と後の歴史で定められた事件の後、肩を寄せ合って生きてきた集まりが起源だという。
血縁は多少あるらしいが、それぞれ独自の風習や決まりを作ってきたので一族というくくりになったとか。
コンクリートで出来た一本道は、細長い蛍光灯が等間隔で埋め込まれており、腐った臭いや汚れは見られなかった。
「ほとんどの集は設備が万全ではないので、十杜が襲ってくるんじゃ無いかと安心して眠れないんです。
これから行く山振も、あまり大きな集ではありません。十杜が出たら、精一杯対処しましょう。」
桃那が言った通り、辿り着いた山振という集の守りは、周りを囲った高さ2mぐらいの石壁のみだった。
表面は汚れ、角は削れて耐久性はなさそうだ。あれでは十杜の長い足で簡単に乗り越えられてしまうだろう。
石壁の間に木製の門が立っており、それを超えるとすぐ家が並ぶエリアに入った。
一軒家もあれば、今にも崩れそうな平屋。どれも木製で一言で表すならボロボロ。
壁は汚れ屋根はトタン。飛ばないように大きめの石で押さえてある。子供なら出入り出来そうな木板の隙間が開いている家まである。
すれ違う人が着ている洋服もくたびれていたり汚れていたり。道の端にはゴミが溜まっている。綴守と比較すると、生活水準が違い過ぎた。
あまりじろじろ見ないよう桃那に言われ、気をつけつつ一番奥の屋敷に入る隊長に着いて歩いて行く。
ふと、家の向こう、左手側に白いテントがあるのに気づいた。入り口は独特な模様が刻まれた赤い布が掛かっている。
真人はどうしてか、その布が気になって左に曲がった。
家の間に隠れるようにひっそりとたつテントは、使い込まれているが汚くはない。
異質でもあるが、気配は集の中に馴染んでいる。
「おいこら、どこ行くんだよ。」
真人の後ろをついてきたヤマトが声を掛けるも、真人はテントまで歩き、躊躇いもなく布を持ち上げて中を覗いた。
分厚い絨毯が敷かれ、入り口の布と似た模様のクッションがいくつか床に置かれ、小さな机も調度品も年季が入ったアンティークだった。
内部には寒さ対策にカラフルな布がぶら下げられ、中はずっと立派な家だった。
だが驚いたのはそこではなかった。
白髭を蓄えた老人が、首を締めあげられていた。辛うじて床に触れているつま先がもがいている。
老人の首を細腕一本で持ち上げているミルクティー色の髪をした、やけに整った顔の男がこちらを向いた。
感情のない、冷たい青い瞳と視線がぶつかる。
遅れてテントに入って来たヤマトが何かを叫ぶ前に、真人はその男に向かって突進。
老人を締めあげている手を掴むと、男は先程と打って変わってひどく驚いた顔をして老人の首から手を離した。
崩れる老人の体を支えようと腕を伸ばしたが、男に腹を蹴られテントの端に飛ばされる。
布は固定されていなかったようで、体半分が外に出てしまい、布のひらめきが視界半分で広がる。
軽く蹴られただけなのに、なんて重い一撃だろうか。訓練で藤堂から受ける攻撃より重く、痛い。
「君、一体―――、」
「吉良てめぇええええ!」
男がうつ伏せに倒れせき込む真人に何か言いかけた時、ヤマトがテント内に赤い雷を落とした。
飛来するそれを軽々と避けると、落ちた雷が絨毯に穴を開けた。
此処で何をしている、と敵意をむき出しにして威嚇するヤマトの横を、黒い何かが通り過ぎた。
金属音がぶつかる音に続いて、青い粒子が飛ぶ。
「思ったより早いご到着だったね、沙希。」
一つに束ねた黒い髪が背中に落る間に、綴守の総隊長である少女は刀を握る手に力を込めた。
床にうずくまっていた真人は、対峙するミルクティー色髪の男が刀を腰に差していたのに今気づいた。
いつ刀を鞘から出して、総隊長の一撃を防いだかまったく見て取れなかった。
余裕の笑みを浮かべた男を見て、総隊長がヤマトの名を呼ぶ。
意図を理解した彼は、手の平を上に向けると、刀をぶつけ合って威嚇する二人の上に一際太い電を落とした。
合わさった刃は弾かれ、天井に開いた穴から男は飛んで逃げていく。
その後をすぐ総隊長が追っていった。
ヤマトは藤堂を呼びに出入り口からテントを飛び出し、真人は腹部を抑えながら立ち上がり、倒れたままだった老人へ駆け寄った。
老人にはしっかりとした呼吸があり、呼びかければ、うっすらと目を開いた。
「大丈夫ですか!?今人を呼んでますから。」
「サカキ…。」
「え?」
「今すぐ隠さなくては…、サカキはどこにあるかと聞かれた。頼む、サカキを・・・。」
まだ近くにいたらしい桃那がヤマトの呼びかけに、山振の男達を連れテントに入ってきた。
老人はすぐ担架に乗せられ医者がいる家へと運ばれた。
「真人さん!大丈夫ですか?」
「なんとか…。」
「沙希様が追ってるの見掛けました。まさか赤畿が関与してたなんて…。」
赤畿と聞いて真人が首を傾げる。
「同盟への参加を断った一族です。赤畿は天御影で一番の問題児です。
さっき真人さんが見た男性は、赤畿のリーダーと言われている吉良です。」
慌ただしくなってきた現場の緊張感が上がる中、桃那が嫌悪感を表しながら呼び捨てにするのは珍しいなと見当違いのことを考えていた。
ヤマトと共に目撃した現場を説明した後、集会所にいるように言われ、集の奥にある二階建ての建物に入る。
周りの木造建ての家と違って、集会所はコンクリート造りで屋根は円形。二階建てになっており
外壁には若干の汚れは見えたものの、中は清潔で右奥は病院になっているのか、ベッドが並んでいるのが見えた。
先程のご老人も此処に運ばれたのか、大人が集まっており、中の様子までは窺えない。
反対の左奥に進み、廊下に置かれた長椅子に桃那と一緒に腰かける。
「赤畿は、天御影の人間が助け合って生きていくために築き上げた秩序を壊していくのが趣味みたいな人達なんです。
よその集を襲撃しては食料や物資の強奪。各一族のテリトリー無視。やりたい放題なんです。実行部隊員との衝突もしょっちゅうです。」
「どうしてそんな・・・。人間同士で争って意味ないだろ?」
「元々攻撃的な一族なんです。長い歴史の中でも、他の一族と歩み寄ったり協力したりはありませんでした。」
「罰したり捕まえたりとかは?」
「いわゆる、下っ端の人たちは何人か。でも指揮している幹部と呼ばれる人たちは中々捕まえられず、
今のリーダーになってから更に狡猾になって、警備が駆けつけるとひらりと逃げてしまう。
一度、水縹を含めた一族の代表達が、赤畿を一斉検挙し捕まえようという案が出たこともありましたが、争いは物資も人も失います。」
「地上と同じで、過ちは繰り返さないようにしてるんだね。」
慌ただしく駆け回る大人の合間を縫って、眉間に皺を寄せ怫然とした様子を隠さずヤマトがやって来た。
「桃那、さっきのじいさんを火群本部に移すから、護衛として同行しろって。」
「ヤマトくん達は?」
「また襲撃があるかもしれないから待機だと。待鳥の集長は赤畿に誘拐されたって線も見えてきた。気をつけろよ。」
硬い表情のまま頷いた桃那が群衆の中に消えて行った。
苛立ちを隠そうとはせずドスンと椅子に腰掛け真人を横目で睨む。
「お前、なんでテント無いにアイツがいるってわかったんだよ。」
「そこまで予知なんかしてないよ。単純にテントが気になったんだ。物置か飾りだと思ってたから、まさか人がいるなんて。」
「ふーん・・・。あのじいさんの運が良かったのか。」
「僕自身も驚いてるよ。吉良って人も乱暴だよな。高齢の人の首を絞めるなんて。」
「あいつはそういう奴だよ。」
「知り合い?」
「うるせー、聞くな。それよりお前、じいさんに何か言われてなかったか?」
自分は乱暴に話を切っておいて、他人には聞くのか、と口に出したらさらに機嫌が悪くなるそうなので
長老が言った謎の台詞をヤマトに伝えた。
「何だよ、サカキって。」
「地上にはサカキって木があるけど、天御影にも木があるの?」
「聞いたことねぇよ。よっぽどの施設がないと、地下で植物は育たない。」
「しかも隠せっていってたんだよ。苗木ならともかく、木を隠すなんて・・・森ってこと?」
「一人でなに訳わかんねぇこと言ってんだよ。」
その後、火群の実行部隊である焔尾(えんび)も合流し、大人達は慌ただしく行き交う中、藤堂がやって来たのだが、外に出るよう促された。
集会所を出て左手側の広場に行くと、黒い服を纏った美しい少女が立っていた
真人にとっては2度目の対面だった。あの時出会った少女が、実行部隊の総隊長と呼ばれる存在と知ったのは最近だ。
実力は天御影で5本の指に入り、綴守にとっても重要なポジションにあるらしい。
二人を確認した総隊長は、感情の無い黒い瞳を向けてきた。怒ってるわけではなさそうだが、冷たい瞳は無意識にたじろいでしまう。
初めて会った時より、今は刃のような鋭さと氷のような冷たさを感じる。
「山振の長老からサカキという単語を聞いたわね。」
「それはコイツ。」
「ヤマトも聞いたのでしょう?」
「まあ、そうっすね・・・。」
「その話は忘れなさい。以後他言禁止語句に指定します。探索も却下。命令違反は厳しく処罰します。」
「ちょっと待って下さいよ。吉良がいたことといい、そのサカキってやつのせいで待鳥の集長も行方不明なんじゃないんスか。
何を隠そうとしてんのか知らねぇけど、襲撃はまたあるんじゃねぇのか?ここで真実の隠蔽はらしくねぇぞ。」
「・・・2度は言わない。」
静かに発せられた声は、ヤマトをねじ伏せるのに十分な声色だった。
まるで頭を鷲づかみにして地面に顔を叩きつけられたみたいで、ヤマトは指先が僅かに震えるのを感じて拳を握りしめた。
声や態度では無い。存在感そのもので圧倒された。
絶対的支配者が有しているであろう利己的な押しつけをこの人は執行したのだ。
自分の刃に屈し、自分の意見に従えと言っている。腹立たしいことに、本能が彼女の命令に逆らえない。
ヤマトが押し黙ったのを肯定と捉え、総隊長は踵を返して去って行った。
「お前らが思ってるより深い問題になってるんだ。」
「わかってますよ・・・。下っ端は何も考えず仕事しろって事でしょ。」
「お前達は出入り口で十杜を見張っててくれ。人が集まってきたから寄ってくるかもしれん。問題が起きたらすぐ連絡しろ。」
フォローを入れてくれた藤堂には素直に従うのか、ヤマトはズボンのポケットに手を入れながら歩き出したので
真人も藤堂に会釈をして後を付いて行く。
山振の人たちは何があったのか知らされてないが、長老が運ばれてるのは目撃したようで、
家から出てきた人達は驚きと戸惑いを見せていた。心配する声が多いことから、長老は親しまれていたのだろう。
通りに集まった古着を纏う人々を通り過ぎて、出入り口の門近くの石壁にヤマトは軽々と登って腰掛けた。
真人は彼ほどの身体能力がないため、壁に寄りかかる。
ポケットから紙とペンを取り出して、何か書き始めた。
「・・・何だそれ。」
「桃那にもらったんだ、メモ帳。」
「何してるかと聞いてんだ」
「行ったことのある集の名前書いていこうと思って。後で迷い人がいないか聞いてきていい?」
急に毒気を抜かれたヤマトは一度深く息を吐いて、肘をついた手に顎を乗せた
「逞しいなお前・・・。大小合わせてかなりの集があるぞ。非公認や臨時テント合わせたらキリねぇし、
任務以外で外に出られない上に、新しい場所にいくとは限らない。」
「いい。どうせ地上に戻れないんだ。地道にやるさ。」
「どうしてそこまでして兄貴捜したいんだよ。どうせ、事故で死んでんだろ?」
「僕がこうして地下世界にいるってことは、生きてる気がするんだ。巡り合わせがそう言っている。」
「くっせぇ言葉吐くなよな・・・。何人かに聞けば満足だろ。隊長にバレる前にさっさと戻って来いよ。」
パッと顔を輝かせた真人は、ヤマトに礼を言って門の中へ駆けて行った。
「あいつホントに年上かよ・・・。」
2時間後、十杜の襲撃もなく水縹実行部隊は撤退となった。
藤堂だけは責任者達と話し合いがあるとかで、ヤマトと真人は2人で綴守に戻る道を歩いていた。
「藤堂さんも大変そうだな。」
「隊長は綴守実行部隊の代表だからな。」
「総隊長は?」
「あの人は組織とは別のとこで自由に戦ってるよ。部隊の指揮や統率はあの人の仕事だ。
実際、あの人がいなかったらまとまってないよ。変わりモン多いからな、」
リラックスした様子で話していたヤマトが、急に雷を発射した。
何事かと前方を伺うと、黒焦げになった楕円の塊が落ちていた。さらに、その塊を超えて黒い何かが這い寄ってきた。
十杜ではなかった。黒い楕円形の塊で、腹で地上を這うように移動し、長い尻尾が付いている。
全長1mはあるであろう黒いトカゲだった。表面は虫類のものではなく、ぼんやりとしており、闇が固まって出来た不確かな物体だった。
十杜と同じく、瞳は真っ赤に光っている。
「なにあれ・・・。」
「蜴<エキ>だ。十杜より遅いが耐久力が高いんで厄介なんだよ。」
「僕の<シンジュ>あれに効くかな・・・。」
「ダメでも助けねーぞ。」
酷い、と抗議する真人を無視して雷を落としていく。
厄介とぼやいていたヤマトだが、エキは次々黒焦げになっていく。
真人の背後からエキが飛びかかってきたが、真人の体に触れると灰になって落ちた。
自分の力が効いて安堵しつつ、藤堂に習った体さばきでなるべく灰をかぶらないように手を出してエキを灰にしていく。
と、通路の闇になっているところで、明かりが揺れた気がした。真人が顔を向けると、黒ずくめな服を纏った人影が見えた。
ヤマトに声を掛けると、ヤマトは目を見開いて鼻の上に皺を寄せ、険悪なオーラになった。
足下のエキを一気に焼いて、人影の方に走り出した。真人も慌てて後を追う。
支給されていたペンライトの明かりを点けるも、ヤマトに追いつくのに必死でしっかりと足下を照らせない。
人一人がやっと通れる細い通路は光源がなく肩を何度かぶつけてしまった。
通路が終わり広い場所に出たところで、ヤマトが足を止めた。
「明かり消せ。声も落とせ。」
張り詰めた声に素直に従いライトをポケットに戻す。
明かりはないが、そこに設置されている機械のライトがのおかげでその空間の様相ぐらいは見て取れた。
太いパイプが何本も床を走り、天井には細いコードが束になってぶら下がっている。水蒸気が発生しているのか、少し煙りっぽい。
ヤマトが小声で話しかけてきた。
「さっきの奴は赤畿の幹部だ。チッ、見失った・・・。」
「山振にまた悪さしようとしてるのかな。」
「違う気がするな。おい、右と左どっちだ。」
「え?」
「テメーは勘が働くらしいからな。奴が消えた方はどっちだ。」
「そう言われても・・・。外れても怒らないでよね。」
そう言って二人は左の道を進んだ。耳を澄ませるが音は聞こえてこない。
分岐の度にどちらだと聞かれ、真人は深く考えず左右を示す。そんなことを繰り返し、明るい場所に辿り着いた。
目に入ってきたのは赤く塗られた欄干に囲まれた大きな屋敷。床も僅かに高くなっており、横長で四角い厳かな雰囲気の建造物だった。
さっと物陰に身を隠す。1つだけある戸口に、黒ずくめの人影ー身長と体格から男性だろう―が入っていくのが見えたのだ。
「お前の勘恐ろしいな。」
「偶然だよ。」
「あいつら・・・今度は星読みの誘拐でもする気か。」
「ほしよみ?」
「此処は有名な占い師の屋敷だよ。」
ヤマトが耳に差していたイヤホンのボタンを押して、司令室に現在地と赤畿幹部を目撃したと連絡を入れる。
通信の最後に面倒くさそうな顔をして一方的に通信を終了する。
「なんだって?」
「応援が行くから戻れってさ。このチャンス逃すわけないだろ。お前は此処に隠れてろ。」
「僕も行くよ。」
「お前の力じゃ戦えないだろうが。」
ヤマトは一人で屋敷の柵を超えた。
足音は消し、気配も薄める。慣れた手つきで戸口を開け、音を立てず中に入った。
入るとすぐ廊下が続き、左手奥から光が漏れている。
廊下は静寂に支配され、気配も感じない。息を潜め近づくと、明かりが付いている箇所に扉はなく、中を伺うことが出来た。
話し声が聞こえるが、内容まではわからない。片方は女性の声だった。部屋枠ギリギリのところから、慎重に中を覗く。
黒ずくめの男が、赤い袴を纏った壮年の女性を問い詰めているところだった。
女性は硬い表情で、首を横に振った。それを見て、男の手が女性の首に伸びる。
ヤマトは物陰から飛び出して男に向かって赤い雷を放った。
赤畿幹部の男は顔をこちらに向けたわけじゃないのに気配を察知したのか後ろに下がり、ヤマトは間に入り女性をかばうように前に立つ。
対面する男は、全身黒い服を纏っているだけではなく、黒いフードを目深く被っているため顔は口の部分しかわからない。
ヤマトは手に赤い雷を溜め身を低くし、いつでも攻撃が出来るように構える。
赤畿には幹部と呼ばれる能力の高い人間が数人いる。目の前の黒ずくめもその1人だが、一番能力が謎。
なぜなら、人前で肉弾戦以外の力を使わないからだ。にも関わらず、各一族の実行部隊員を圧倒している。
ヤマトは、対峙するのは初めてだった。
先に動いたのは赤畿の幹部だった。予備動作無しにヤマトに突進し、長い足で蹴りを繰り出してきた。
ヤマトは左に避けながら男の足に雷を落とす。
軸足を回して雷を避けた男は、素早く足を入れ替えて反対の足で振り向き様に蹴りを入れる。
顔面を狙った攻撃をギリギリ手で受け止めて、一瞬触れた隙を見逃さず雷を打ち込む。
しかし、男は何の反応も見せずに足を剥がし体重移動をして右の拳を打ち込む。
ヤマトは後ろに飛んで一旦距離を取る。
今確実に雷を打ち込んだ。<シンジュ>石の能力は人間に効果はないが、ヤマトぐらい能力が高く四大元素を使用している能力は
直接打ち込むことで人間にも影響を及ぼす。感電死させるほどではないが、筋肉に影響して動きを止められたはずだ。
あの服は電気を通さないのだろうか。
ヤマトが呑気に考えていると、男はヤマトから顔を背け、巫女に向かって右手を伸ばした。
まさか戦闘中によそ見をするとは考えなかったためヤマトの反応が遅れ、慌てて地面を蹴るも間に合わない。
巫女が突然現われた影に引っ張られ、男の右腕が空を切る。うまれた隙を見逃さず、雷を放った。今度は男も後ろに飛んで雷を避けた。
巫女の手を取って立たせた真人を一瞥する。
「大人しくしてろって言ったろ。」
「ヤマトの雷が見えたから、何かあったのかと。」
「隙を作るから、星読みの巫女連れて部屋から出ろ。」
、
ヤマトは右腕を前に出して、左手で右手首を握る。
男の周りを雷の檻で囲みながら、右手に集まった雷が集まり、細長く引き延ばされたそれを握った。
それは雷で作られた剣だった。赤く光り表面がパチパチと弾けている。
地面を強く蹴って男の真上に飛び、周りの雷を操って男に襲わせながら、切っ先を突きつける。
男が顔を上げてヤマトを見た。目は窺えなかったが、自分の相手など、端からする気がないのだと空中で理解した。
切っ先は何もかすめず地面に着地したヤマトは、真人と巫女に向かう背中を見送ることしか出来なかった。
逃げろ、そう叫ぶことしか出来なかったヤマトに視界に、黒い風が舞い降りた。
真人は、目の前に踊る白いマフラーは見た。
「命令違反よ、2人とも。」
水縹実行部隊、総隊長は透き通る可憐な声を落とした後、手にしていた刀で男の腕を弾いた。
巫女を背中に守って一撃に備えていた体の力を抜いて、細く息を吐いた。
総隊長はヤマトにも巫女を守るよう指示して、白い残像の線を描いて突進した。
男は生身のため武器はなく、総隊長の攻撃を避けるしかないが、常人では目で追えないぐらいの剣さばきを全て避けていた。
青い粒子が総隊長の手から舞ったのを確認したと同時、男は左の二の腕を押さえ、よたよたと後ろに下がった。赤い染みが床に落ちる。
よろけた男を総隊長は更に詰め、下から上に逆袈裟切りにする。
大きく身を反って攻撃を避けたが、上向いた時に出来た死角を使って、刃ではなく柄の頭で側頭部を叩かれた。
少女の一撃とは思えない重い衝撃に男はよろけ、追い込みで首元も叩かれ、床に倒れて動かなくなった。
「<シンジュ>石は人間に効かないって習ったけど・・・。」
「総隊長クラスは別物だ。俺は命は取れないが、総隊長が本気出せば人間も殺せる。」
総隊長が手にしていた刀の形状が崩れ、青い粒子となって解けて消えた。
自分が一撃も与えられなかった男をあっさりと倒してしまい絶句しているヤマトは、総隊長に呼ばれ男を拘束するよう言われた。
ポケットに入れていた縄で男の手を後ろで縛る。
安堵の息を溢した真人の服を引っ張る感触がして、背に守っていた赤袴の女性を振り返る。
髪は全て灰色、皺が多く刻まれた高齢の女性は、閉じたままだった目を開けた。
瞳は青く、濁っていた。
「微睡みの時はいづれ終わりましょう。星が流れます。どうか、サカキをお守り下さい。」
「問題ない。守護は水縹一族のお役目。」
答えたのは困惑する真人ではなく、隣に移動していた総隊長だったのに、
星読みの巫女は総隊長に目もくれず、じっと真人を見上げていた。
その瞳に視力が無いことはわかっていた。けれど、自分を見据えている。
なんと答えていいか分からずいると、黒服の男達が部屋にやってきた。藤堂の指揮系統とは全く別の、総隊長直属特務隊員。
ヤマトが拘束した赤畿幹部にさらなる拘束器具を施し、連行していった。
巫女も彼らが丁重に連れて行く。と、1人の隊員が総隊長の隣にやって来た。
「大事でございます。隣にある火群集、比季利(ひきり)から出火。火群部隊と藤堂様が指揮をとり消化活動中ですが、火は広がるばかり。
赤畿幹部の女に目撃情報もあります。」
わかった、と答えた総隊長は真人とヤマトを順番に見た。
「聞いたわね。今すぐ現場に向かって藤堂の指示を仰ぎなさい。」
それから、と真人を真正面から見つめた。
黒い瞳が掛けてくるプレッシャーの中に、何を言いたいのかわかって頷いた。
「他言はしません。」
「よろしい。行って。」
掛けだしたヤマトに続いて部屋を出た。
小さな背中を追いかけるように走りながら、胸がずっとざわついていた。
星読みの巫女の目が、頭から離れない。
視力を無くしたただの老人の瞳ではない。神聖で、この世とは別の何かを見てきた目だ。そしてまた聞かされたサカキというワード。
赤畿一族はサカキについて探っている。いや、狙っているのかもしれない。
けれど総隊長はそれを隠したがっている。
人がさらわれたり襲われたりしてるのに、それでいいのだろうというかという疑心。
地下世界も、一筋縄ではいかないのだろうが、傷つけられた人を前にして何も出来ないもどかしさが勝ってしまう。
所詮ただの迷い人。権力も何も持ってない一般人が物言えないのはわかってる。
わかっているが、もどかしい。
「声は聞こえてた。またサカキってワード出たな。」
「うん・・・。事情を知ってる人たちが身の危険を感じてまで警告してるのに、全力でスルーしてるみたいで、気持ち悪いね。」
「赤畿の狙いもわかるかもしれねぇってのに、情報共有しないなんて馬鹿げてる。が、とにかく今は消化活動だ。
天御影で火事はヤバい。貴重な酸素が無駄に消費されちまう。水だって貴重なんだ。」
ヤマトのマッピング能力は正確で、辿って来た道を戻り、配管やコードが這う部屋に戻ってきた。
そこからヤマトがわかる道まで戻り、火事が起きた集まで走る。そろそろ息が切れていた頃、急に視界が開けた。
目が眩むほどの光と体に感じる熱。炎が世界を支配しているかのようだった。
猛々しく荒れ狂い、天井を目指し手を伸ばす炎が踊っている。まるで生き物だった。地を這うとぐろが燃やせるものはないかと徘徊している。
はたまた、大口を開けて獲物を飲み込む獰猛な肉食獣。
そこは怒号と悲鳴が行き交う狂乱の場と化していた。
ヤマトが藤堂隊長の姿を見つけ駆け寄るのに付いて行く。
2人の姿を見るなり眉をぐっと寄せたが、今は叱っている場合ではないと判断した隊長はマスクを2人に持たせた。
「お前達は逃げ遅れた集民の避難誘導だ。火群の本部が避難地。左の小道を使え。マスクの酸素残量は1時間だ。」
ヤマトの真似をしてマスクをつけると、胸を圧迫する息苦しさから解放される。
現場は混乱していた。隊員同士で救出の手段で揉めていたり、燃える我が家を見て泣き叫ぶ人をなんとか立たせようとする者もいる。
炎が燃えさかる合間を逃げ惑う人を、声を上げて誘導していく。時たまヤマトは燃えている建物を雷でわざと崩していた。自然崩壊で道を塞がれないためだ。
隊員達が太いホースを抱えて消化活動にあたっていたが、燃えさかる火の勢いは収まる気配はない。
手から水を出す<シンジュ>持ちの隊員も必死に力を使っているが、目に見えた成果はない。
渦巻くのは火ばかりではなく、恐怖や混乱、焦りと緊張。空気感だけで飲まれてしまいそうだった。
人間が発狂し感情をむき出しにする光景は、見たことがなかった。平和な日之郷に済んでいたら、こんな生きた場面に出くわすことはなかっただろう。
ヤマトが、現場から撤退する指示が入ったと伝えてきた。まだ火は燃えているのに、撤退とはどういうことか。
「行くぞ。」
「でも、まだ出来る事が―」
「ちげーよ。鎮火させるんだ。白衣(しらぎぬ)一族のご到着だ。」
坂になっている集の外側まで移動すると、燃える家々がよく見えた。窪みの中に作られていたようだ、
先程までホースを抱えていた隊員も、やりきれない顔のまま退避していた。
燃える只中の集の周りに、等間隔に人影が見えた。全員白い着物に白い袴で、マスクもせず炎と対峙している。
その中に、桃那の姿があった。髪を綺麗に纏め、彼女も白い袴を履いていた。
彼らが手を上げると、半透明の巨大な膜がすっぽりと集を囲んだ。
あれは桃那の結界術だと真人は気づいた。
炎を囲んだ膜がどんどん縮小されていき、空気も奪われ炎は小さくなっていく。
炎が消えたことで辺りが暗くなり、代わりに投光器があちらこちらで点灯した。
結界の膜は消えていた。照らし出されたのは、跡形も無く崩壊し黒焦げになった建物達。
マスクをしていても悪臭を感じた焼けたのは木材だけではないだろう。
しらばく隊員達は動けず焼けた残骸達を見下ろしていた。残ったのは、空しさか己の無力さか。
横にいるヤマトがマスクをしたまま呟いた。
「桃那の生家である白衣一族は守りの一族。結界術で敵の侵入を拒み、あだなす者は封じ込める。
炎は天御影の敵だ。思い出だろうが何だろうが、ああやって一瞬で終わらせる。これが赤畿の仕業なら、重罪だ。」
事後処理があるため周りの隊員達は重い腰を上げ、消し炭となった家や避難場所に向かっていったが、真人は立つ事が出来なかった。
呆けていたの方が正しいのかもしれない。
あれだけの人の思いが渦巻いていたのに、無くなる時は一瞬だった。きっと、逃げ遅れた人も中にはいたのだろう。
マスクを外して、焦げた臭いが充満する空気を思いっきり吸い込んだ。肺が少し苦しくなった。
淡々と仕事をこなす隊員の合間をぬって藤堂がやってくると、ヤマトと共に命令違反を怒られた。それはもうこっぴどく。
人に怒鳴られるのは久々だけと、真人は酸素不足のせいかぼんやりしてきた頭で懐かしさと生きている有難みを感じていた。
「怒られてやんの。相変わらず言う事聞かないみたいだね。」
「ウルセーよ。」
藤堂が去ったあと、1人の少年がやって来た。
ヤマトと似たような背格好で、灰色の髪をしており、ニヤニヤと歩み寄ってくる。
少年が自分から自己紹介してくれた。綴守実行部隊十一班の、灰司(はいじ)と言うらしい。髪の色から名付けられたのだろうか。
「火群の星読みは無事?」
「なんで知ってんだよ。」
「上が必死にサカキについて隠してるのも知ってる。」
「だからなんで知って―」
「サカキか。」
少年達とは違う、脳に響くような低い声がした。
真人が首を左に回すと、真横に黒い大きな猫がいた。
瞳は金色、黒い毛並みは暗い一帯に居てもなめらかさがわかり、黒い髭が鼻の動きに合わせて震えた。
それは猫ではなく、確かヒョウという生き物だ。座る真人と目の高さが同じになるぐらい体高がある。
驚いて身を仰け反らすと、黒豹は隣に腰掛けた。
「懐かしいのぉ。以前はよく見かけたものだが。」
「え・・・。喋って、る?」
「そいつは僕が契約してる零鬼、ナカツカミだよ。」
尻尾を揺らして黒豹が瞳を細めた。
零鬼は人型ではない。動物の魂が零鬼となったり、動物の魂に感化されて獸の姿になるなんて話もある。
初めてみる動物型は、人間型の零鬼よりは親しみがあるというか、驚きは少ない。
引いていた身を元に戻し、恐る恐る手を伸ばして首の横辺りを撫でてみた。
噛みつかれることはなく、黒豹は大人しくしている。
感触は短毛の猫と似てるが、猫より柔らかくしっかりした毛並は高級な絨毯のように、くせになる撫で心地だった。
「珍しい、ナカツカミが人に触らせるなんて。」
「話をそらすな灰司。」
「反らしたわけじゃないよ。火事の前にナカツカミが言ってたんだ。サカキを狙った奴らが星読みの巫女をさらうぞって。」
「お前の零鬼、予言も出来るの?」
「不思議な奴なんだ。あまり話したがらないから、僕でもよく分かってない零鬼でね。」
「面倒くさがってお前が聞かないだけだろうが。サカキについては総隊長直々に口止めされてる。他言もするなよ。
長老級の行方不明や襲撃が多発してるってのに、元老院は情報共有しないらしいぞ。」
「そんなに知らせたくない秘密なのかな。」
「当たり前じゃろう。」
真人に撫でられ続けている黒豹が、尻尾を地面の上で揺らしながら答える。
脳に直接響くような低い声は、老人のような話し方をする。
「サカキとは水縹一族が地上に居た頃より、神に命じられ大事に守り崇めてきたもの。一族の中でも存在を知っているのは極一部。」
「それを水縹でもないお前がなんで知ってるの?」
「わしは零鬼の中でも始まりの種だぞ。」
「そのサカキってのは何?お宝?」
「あれは神々との繋がりと言われておる。人間が<シンジュ>を使えるのも神の恩恵あってこそ。」
「そんな神話聞いたことないけど。」
「赤畿は、サカキを手にしてどうするつもりなんだろう。?」
ナカツカミは目を閉じて首を横に振った。
「真意はわからぬがな。」
「そういや、綴守の最下層部には立ち入り禁止エリアがあるって聞いたことあるな。あんな深いとこ誰も興味ないだろうが。」
「ナカツカミ、預言はないの?赤畿が次狙う所とかさ。」
「それは知らぬが、待鳥、山振の長達と仲が良かったのは、蛍惑(けいわく)の長老もだった覚えがあるぞ。」
よし、と灰司がパーカーのポケットに手を入れた。
「そこ行ってみよう。」
「俺達、命令違反怒られたばっかなんだけど。てか相棒はどうしたんだよ。」
「利央?そういえばどこ行ったんだろ。」
「俺はパス。次隊長怒らせたら―。」
ヤマトが耳に入れっぱなしにしていたイヤホンから、藤堂の声がした。
ヤマト、真人は罰として近隣の警備に回されることとなった。十杜がいたら対処せよとの指令だった。
「・・・タイミング良すぎだろ。ナカツカミなんかしたか?」
「わしにそのような力も権限もない。」
「蛍惑は近隣だよ。」
「お前命令されてないだろ。」
「僕は帰還命令出てるから、帰る途中の寄り道ってことで。ほら、行くよー。」
歩き出したマイページな少年に黒豹続き、真人も立ち上がった。
ため息を漏らしつつ、ヤマトも諦めて後に続いた。
通路をランタンの明かりのみで進む。
真っ黒な豹は、闇の中では金の瞳が浮かんでいるようだった。
整備された道がだんだんと土がむき出したの道になり、蛇行し、天井が低くなる。水が滴る音も聞こえる。
いつも思うのだが、天御影は蟻の巣のようだ。道はいたる場所に伸び規則性は全くないのに
皆かねてより知っている道であるかのように進んでいく。今なんて、地図を把握し隊員を導く司令室からの指示もないのにだ。
集の近くにある道は整備されているが、遠くなるとただの洞穴。闇を突き進む感覚は、いまだに慣れない。
土の道が終わり、広い空間に出た。天井は円形で、灯りが埋め込まれているので闇は遠くなった。小さなドームのような中に家が並んでいる。
山振のようにぐるりと外壁が囲んでいるが、板と木を組み合わせた簡易的なバリケードといった様子。木製の門は不用心にも開いている。
中に入ると、山振の家よりは綺麗な建物が並んでいたが、気配が一切なく、どの家も電気が灯っていなかった。
静寂が降りた集の通りを進み、中央にあった茅葺き屋根の円形小屋にあたる。集会所と思われるが、やはり気配はない。
頭上のドームに灯りがあっても、建物の影が濃くなってきたので、ヤマトがペンライトを点けた。
「近くで火事があったから、全員避難したのかもな。」
「長老さん無事かな?」
「避難地は火群中心部だろ?そこなら安全だろ。」
「せっかく来たのに、残念。どうする?他行ってみる?」
「正直、今日はずっと力使ってるから帰りてぇ。」
「何さぼってんだい、不良少年ども。」
門の方から、皺だらけのベージュコートを着た年配男性がやってきた。
黒と灰色が混ざったボサボサの髪に、火がついていないしおれた煙草を咥えている。細めた目元に刻まれた皺が今までの苦労を彷彿させるかのようだった。
少年達の前で軽く手を上げてみせた。
「志ケ浦さんじゃないッスか。1人で外にいるなんて珍しいッスね。」
「俺も蛍惑の長老に会いに来たんだよ。」
「志ケ浦さんがわざわざ?」
「お前も分かってんだろ。ここんとこの異常事態、赤畿は何か企んでやがる。」
「志ケ浦さんは元老院から何も聞いてないんですか?」
ヤマトと灰司は目を合わせた後、サカキを知ってるかと問えば、志ケ浦は知らないと答えた。
「地上の木にそんな名前あったな。」
「山振の長老が、吉良に襲われた後サカキがどうとか呟いたんだと。」
「俺のほうでも調べてみるか。そういや、お前新人と一緒じゃなかったか?」
「え?」
振り向くと、真人がいなくなっていた。
*
円形小屋の裏側に回ると、周りの建物より幾分か立派な2階建ての建物が建っていた。
小さな庭までついていて、屋根は集会所と同じく円形で、低い柵に囲まれている。
2階部分に、弱い明かりが灯っていた。
「入ってみればよかろう。」
「ついてきたの?」
黒豹が横に並んで早く扉を開けろと尻尾を振ってきた。
チャイムは無かったので、マナーとしてドアをノックするが、反応はない。
呼びかけてみても何も起こらなかったので、試しにドアノブを回してみたらあっさりドアは開いた。
鍵も閉めず灯りも消さず慌てて出て行ったのかと思えば、上の方から咳払いが聞こえた。
黒豹を連れ中に入り、2階に上がると、そこには1人の老人が本を抱えていた。
分厚い本を何冊も腕に抱えていたので、真人は自然な動きで本の山を受け取った。
「おぉ、びっくりしたのぉ。」
「すみません、声は掛けたのですが反応がなかったので、勝手に入りました。手伝います。」
「ほっほ。助かる。それは、あちらの棚に入れてくれるかい。」
2階は、全てが本棚で埋まっていた。天井まで高さのある棚が壁を多い、部屋の中にも棚が並ぶ。
棚の外にも本は山積みに置かれ、埃が被っている。
老人は埃で咳き込みながら、窓を開けて空気を入れ換えた。
いつの間にか、ナカツカミは姿を消していた。主に呼ばれたのかも知れない。
「避難はしなかったのですか?」
「火は此処までは届かん。民は逃がした。誰もいない隙に、本の整理をしようと思ってのぉ。だが、棚が足りないようだ。まいったまいった。」
「凄い量ですね。全部分厚いし、それにこの文字・・・古典文字ですか?」
「貴重な歴史書じゃ。地下の歴史についてとある研究家がほぼ全ての一族を足で巡って書き示した。
わしが居る内に現代語訳して残しておこうとしておるが、時間が足りるかどうか。」
積み重なった山から本を手に取って、表紙の埃を叩いて落とす。表紙の文字も、中の文字もまったく読めなかった。
とりあえず種類分けをすることになり、ご老人の支持の元、古代文字の本を右側に、翻訳が終わった本を左側に。
資料や読み物など、その他の本はひとまず床に置くことになった。腕まくりをして、本にかかった埃を払いながら整理整頓をしていく。
真人は古典文字の方は読めなかったので、現代語訳が終わった方を数字や種類別に並べて本棚に詰めていく。
その間、螢惑という集について聞いたり、自分が迷い人だということなどを話した。
「たしか・・・天地が分かれた時を起点にして、天御影の歴史は1000年以上あるんですよね。
地上はまだ600年ちょっとですから、400年分も歴史が残ってるんですね。」
「それだけではないぞ。天地平定以前の地上での歴史―こちらでは陰歴と呼ぶがな―もずいぶん調べて、
当時の暮らしや風習がわかってきた。ほれ、そこの茶色い表紙の本を開いてみなさい。1巻でよい。」
指差された箇所にあった分厚い本を手に取る。
埃はあまり被ってはいなかったが、紙には濃厚な臭いが移ってしまっている。
紙をめくる度に鼻に付くかび臭さに耐えながら、適当にめくったページの現代語訳された文字を目で追う。
『陰暦500年頃、新たな帝譲位を記念して都にタチバナとサクラを寄贈。火群の集落、爛香(らんか)集長に語り継がれた口伝より。』
陰暦550年頃、都より東のクニ、帝、行幸にて土地の名を改名、我が一族の名に由来する。空木の集落、行幸田に語り継がれた口伝より。』
といった感じで、大体の年数と、どの集落から得た情報かを記載しながら年表のように書き綴られている。
目で文字を追いながら、頻繁に登場する文字を問う。
「ミカドって何ですか?」
「王様じゃよ。当時、地上で人間達をまとめていた長をそう呼んだ。」
「陰暦の・・・800年くらいから帝って文字が無いですよね。」
「その時代に帝の血筋が途絶えたようじゃな。詳細はまだ翻訳中じゃ。」
「王様がいなくなって、どうやって人間はまとまったんですか?」
「今の地上とそう変わらん。正院と呼ばれた最高機関が様々な役所を作って統治していたと聞く。王政から民主化に移ったのじゃろう。」
「なぜ途絶えちゃったんですか?」
「戦じゃよ。昔から人間の愚かさは変わっておらん。当時、まだ地上には十杜を始めとした闇の生き物が
人間を食らうため狙っていたというのに、人間の数が多いことを傲って、醜く同族で争った結果、崇拝していたはずの長を失ったのだ。」
「十杜も、地上にいたんだ・・・。」
真人は分厚い本を抱えていたら腕が痛くなったので、文字を追うのはやめてパタンと閉じた。
「これをまとめた人、自分の足で聞いて回ったんですか?」
「ああ。考古学者の助手もいたらしいが、各一族に出向くときは必ず一人だったと聞く。」
真人がどんな人だったんですかと問うと、長老は本を手にしたまま開けた窓の外に視線を飛ばした。
遠き日々を思い出すかのようにその横顔は幾分か凜々しくとがる。
「あの人は、歴史なんぞ興味は無かった。点と点を結ぶ作業が好きだったんだと思う。
各地、各一族、各集落でしか伝えられてない歴史の断片を集めては繋いでいく。ずいぶんと、途方も無い時間を犠牲にしたんじゃろうな。」
いかん、手が止まってしまったと長老が作業に戻ったので、真人も再び分厚い本を数字順に並べていく。
現代語訳版はあらかた整理を終え、資料類、風土や風俗集に取りかかる。
ふと、緑の布で作られた本に手が止まった。
他の本よりは薄く、表紙の装飾やデザインが凝っている。その本は植物図鑑だった。
かつて地上にあった幻の植物や、今も地上で栽培されている草花、木々が水彩画で描かれていた。
樹木のページに、榊の木が載っている。立派な幹と青々と茂る葉は地上で見たものと変わらない。
「こんな話を聞いたことがあるかの?月読が始まる前、つまり人間が地上に居た頃、赤畿という一族を誰も知らなかった。」
「そうなんですか?」
「地下に落とされてから邂逅したと記録には残っておる。
いったいどこでどういう暮らしをしていたのか、その頃から謎に包まれておったそうじゃ。」
もしかしたら、と皺に埋もれた双眸を真人に向けてくる。
「赤畿はずっと地下で暮らしておった人間なのかもしれんな。」
「地下には闇の生き物がいたのに?」
「ほれ、社会というものに適応出来ない外れモン同士が逃げ場を作って地下に住処を作ったかもしれんじゃろ。
あいつらが人間に対して好戦的で深梛への加入を断ったのにも頷ける。」
「深梛?」
「一族同盟じゃよ。加入しとらんのは赤畿と無色だけじゃ。まあ、無色は頷けるが。」
「あの―、」
「此処にいやがったか。」
問いかける前に、ヤマトがやって来た。
後ろに灰司と、真人が会った事のないコートを着た壮年の男性が現われた。
「長老様。お迎えに上がりました。」
「なんじゃ、玲子のやつ志ケ浦を寄越しおったか。ずるい奴だ。」
やや不機嫌そうに本を閉じたご老人は、開けていた窓を閉める。
「若いの。手伝ってくれてありがとな。」
戸締まりをするから先に出ろと言われ、真人達は下に降りたが、志ケ浦だけは残った。
「勝手にどっか行くなよな。隊長に怒られるのは俺だぞ。」
「ごめん。灯りがついてるの見つけて。まさか、長老さんの家だったなんて。今の人は?」
「志ケ浦さんって言って、綴守の重鎮。暗躍するのが仕事で、普段は他の集と取引とか話し合いしてる調整係ってとこかな。」
鈴が鳴ったような音がして、灰司の足下にナカツカミが現われた。
金の瞳で2階部分の電気が消えたのを見守ってから、真人を見た。
「勉強になったか。」
「え、あ、うん。」
戸締まりをしっかりと済ませた長老を連れ志ケ浦が火群の本部まで行くというので
ヤマトがちゃんと藤堂の許可を取って近くまで護衛することとなった。
火群の本部とやらも気になったが、道の途中で火群実行部隊が引き継いだので、3人は大人しく綴守に帰ることになった。