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❀ 3-10

ルフェにウィオプス退治の要請が届いたのは、3日後だった。
ハインツの家でモロノエとお茶を飲んでいたルフェは鞄の中にしまっていたローブを引っ張り出して肩に羽織った。

 


「あら、お仕事ですか?」
「ウィオプスが出たんです。」
「俺も行くぜ。研究データを立証するチャンスだ。」
「私も行きましょう。また妹達がちょっかいを出してくるかもしれません。」

 


全員でタテワキの転移魔法に乗り出動要請があった場所へ移動した。
そこは、黄土色の土が一面に広がった、痩せた土地だった。
枯れた背の低い木が何本かあるだけで、何も無い。雑草すらないので色味が感じられない場所だった。
土が混じった乾いた風が吹き、空に浮かんだウィオプスの内部がさざめいたのが見えた。
ウィオプスは1体のみで、本体の下だけ暴風が吹き荒れている。風を出すタイプのようだ。
土を巻き込んで竜巻が2本出現しており、周りにいた魔法使い達は風に煽られ近づけないようで、人は多くなかった。
魔物の姿は確認出来ないが、ウィオプスの後ろに、空を縦に裂く漆黒の切れ目がある。
狭間の世界への入り口はまだ開いている。

 


「院が口出ししてくる前に実験を始めるぞ。指揮は任せた、ハインツ。」
「恩に着る!口が閉じる前にアルバ先生の術式を投げてみたい。魔女の姉さん、護衛任していいか。」
「構いませんよ。」
「ルフェちゃんはウィオプスを退けるフリだけしててくれ。被害が増えそうだったら本当に退治してくれていいからな。」
「はい。」
「タテワキは・・・まあ、祈っててくれ。」
「はいはい。俺は役目無しってわけね。」

 


ガハハ、と屈託の無い笑みを見せたハインツは、気合いを入れ直し狭間の切れ目前に転移した。
ルフェは一定の距離を保って待機している魔法使い達の目を誤魔化すためにマナの薄い膜を作ってウィオプスの周りに漂わせる。
真白に染めたカーテンで上手く姿を隠してもらったハインツはパックリと口を開けた漆黒の入り口を睨み付ける。
間近で見る狭間の世界は、明度が低い宇宙の煌めきが巣くっていた。
満点の星空を無理矢理押し込んで貼り付けたような雑さが垣間見える。どちらかといえば、不快な煌めきだ。
ハインツが右腕を肩の高さに掲げると、彼の前に数式が現われた。
次々と空中に書き記されていく数式の行が5列に増えた時、数式に重なるように円形の魔法陣が出現し数式を取り込んでいく。
縁に新たな文字列や数字が記載されていき、魔法陣は自転を始め、3重に重なって長身のハインツをすっぽり包めるぐらい広がった。

 


「ちょいと刺激を送る。何かあったらよろしく頼むぜ、姉さん。」
「任せてください。」


掲げ続けていた右手首を左手でしっかりと押さえて、ハインツは呪文を唱えた。
すると、三重に重なった魔法陣が1つに合体し、端から線が解けていき狭間の世界へ侵入していった。
闇の向こうに消えたハインツの魔法術式。
切れ間に反応はない。

 


「拒絶反応は無いようですね。」
「狭間の世界はマナを引き寄せる。マナで作った魔法術式はいわば餌。餌に仕込んだ毒が効いてくるのは消化が始まってからだな。
上手くいけば出入り口を此処に留めておける・・・引っかかってくれるといいんだが。」
「その前に、面倒なことになりそうですよ。」

 

術式を繋いでいるため身動きが取れないハインツが、目線だけでモロノエが指差した先を見る。
2人を隠すためにルフェが張ってくれた白い壁が、強い風によってかき消される光景があった。
ハインツが背を向けているウィオプスの中心が発光すると、辺りの砂を巻き込んで新しい竜巻を生み出した。
風圧でよろけたハインツの体をモロノエが支え、防壁を展開するも、隙間から吹き込む僅かな風が圧力を掛けてくる。
狭間の世界へ向けた右手をしっかり支える。
と、彼の欲しかった反応が返ってきた。
彼の右手から放出し続けていたマナが紫に染まり、糸のように細い姿となって右手首に絡みつく。
直ぐさま空いた左手を頭上に掲げる。再び複雑な数式が宙に刻まれていき、

魔法陣に刻んでから勢いよく空間の口に叩きつけると、輪郭が、白く光った。

 


「固定成功!解読に入る。ルフェちゃんにウィオプス退治してもいいって伝えてくれ。」
「周りの魔法使いが止めに入りますよ?」

 


ウィオプスが暴れている限り魔法使いは近づいてこれない。
ハインツが何かしようとも、ウィオプスが盾代わりというわけだが、ハインツが力強く頷くので
モロノエは伝言を紙に記してタテワキに飛ばした。
やがて強風が止む。ウィオプスはルフェのマナに包まれ消滅していた。
次はハインツを止めようと邪魔をしようとする人間を警戒しなくてはとモロノエが振り向くと、

痩せた木々が生えた林が眼前に広がっていた。
何もない土地にいたはずだ。
ハインツに向き直ると、相変わらず狭間の世界の入り口に手をかざして格闘している。
薄い茶も混じったような黄土色の地層断面が左右を横断し、壁の前に林が広がっている変な地形で、

狭間の世界はその地層に貼り付けられている。
ゆっくり周りを観察する。周りに人間の気配はない。全く別の土地に一瞬で飛んだようだ。人間が使う転移魔法の感覚は無かった。

 


「出入り口を操ったのですか。」
「別次元をこちらの理に絡め取ったら、適合された場所に落ち着いたようだ。」
「それが此処の座標だったということですか。」

 


頭上に影があり、箒に乗ったタテワキとルフェがやって来た。

 


「さすが、合流が早いですね。」
「急に国境を越えるから驚きましたよ。魔法院は撒いてきましたが、十分怪しまれたでしょうね。ハインツ、進捗状況は。」
「解析に入ってる。アルバ先生の理論が合っていれば、次元の切り離し方法がわかるはずなんだ・・・。」

 


空間の口に手を差し出し続けるハインツの額に汗が光っている。
師の無念を晴らそうと必死な様子に急かす訳にもいかなくなった。
ルフェも何も出来ず、ただ横顔を見守る。
彼は今、アルバ魔導師が残した仕事を必死にこなそうとしている。
こうしてる時が、今唯一師と向き合える瞬間なのだろうから、邪魔してはしけない。

 


「あー・・・」
「どうした。」
「腹減ったなと思って。」
「さっきまでの緊張感はどこ行ったんだよ。」
「終わるまでリンクを切る訳にはいかねぇから動けないし。腕も疲れてきた・・・。あ、そうだタテワキ、回復魔法掛けてくんね?」

 

いたずらっ子のように歯を見せて笑顔を向けたハインツに、小言を言おうと一歩踏み出した時
空間の口から人の腕が伸び、ハインツの腹部を貫いたのた。突然の光景に誰も理解が出来なかった。
あまりに突然起きた、受け入れ難い現実。
いち早く反応したモロノエが、手に剣を作って穴から伸びて来た腕を切断しようと踏み込んだが
見えぬ何かに阻まれ後ろに吹っ飛ばされた。
続いてタテワキが鎌を出現させたが、口から鮮血を吐いたハインツが彼を止めた。
ずっと掲げていた右腕も下ろし、腹部に刺さったままの腕を掴む。まるでどこにも逃がさぬようにと。
震える足で下がりながら、腕の持ち主を空間から引きずり出すことに成功したが、腕は腹部から抜かれ
大量の血が地面に広がり、ハインツは膝から崩れ倒れた。
ルフェが悲鳴を上げ駆け寄ろうとするもタテワキに止められ、吹っ飛ばされたモロノエも戻ってきてルフェをかばうように剣を構えた。
狭間の世界から出て来たのは、黒髪でやや焼けた肌をした成人男性だった。
中肉中背、健康そうな印象を受けるが、額にある傷がやたら目立っていた。
カーキ色のフード付きジャンバーを着て、足下に倒れたハインツを見下ろしてにやりと笑った。
その笑顔を見た瞬間、ルフェは全身が総毛立つのを感じた。
今まで罪人や悪人、敵意を向けてくる大人に何人か会ったことはあるし
あきらかにこちらを狙ってくる魔物と対峙したこともあるが、

狭間の世界からやって来たこの男が纏う残忍さを肌で感じ、本能が拒絶している。
あの男は明らかに敵だ、と。
男は血だらけの腕を軽く振るっただけで、まだ濡れた手ごと上着のポケットに突っ込んだ。

 


「感謝する。まさか人間からあちらとこちらを繋いでくれるとは、愚かというか哀れというか。」
「お、お前は・・・、」
「ハインリヒ・ブランデンブルグ。恨むなら因果を恨め。

お前の師匠であるアルバ・ヴォルフガング・リーが興味本位で近づいたのが運の尽き。全ては決定づけられていた。
哀れな女だ。俺に目を付けられ全てが狂ったな。」
「先生を、バカに、するな・・・!」

 


血の海がどんどん広がっていき、下にした顔の半分を浸しながら、ハインツが細い呼吸を繰り返しながら男を睨み付ける。
どこまでも男は人をバカにした様子で、手を突っ込んだままジャンバーをパタパタとはためかせた。

 


「お前がたった今、狭間の世界へ投げ込んだ魔法で、こちらの世界に帰ってくることが出来た。感謝するぞ。」
「今すぐ帰りなさい。」

 


モロノエが今まで聞いたことの無い敵意むき出しの声に、男がこちらを向いた。
特に驚いた様子は見せず、嫌味な笑みを貼り付けたまま背を僅かにのけぞらせた。

 


「久しぶりだな、モロノエ。元気そうでなによりだ。俺様のいない世界で、のんびり出来たか?」
「何をしに戻ってきたのですか。もう体は消滅したはず。」
「確かにオリジナルの肉体は滅びたが、この男と同じだ。再び構築しただけ。」
「もう一度言います。帰りなさい。今度は魂ごとかき消してやります。」
「ハッハ!堅実な第2の巫女がハッタリとは笑えるな。もうお前達巫女に俺を封じる力は残っていない。
せいぜい狭間の世界を近づけない結界を張るぐらいだったろ?
だがその結界もこの男が破ってくれた。大したもんだよ。」

 


男は軽やかに跳ねてから、ハインツの顔の近くにしゃがみ込んで、かすれた呼吸しか出来なくなった彼の耳に口を近づける。

 


「アルバは、お前を引き入れれば必ず結果を残してくれると信じていた。実に優秀な魔法使いだ。
同時に、人間の敵となった瞬間だ。彼女の名前は後世まで語られるよ。

己の探究心を満たすために最悪を招き入れた愚かな科学者としてな。」
「どういう・・・意味、」
「最愛の弟子が狭間の世界に落ちたのを見たアルバは、何度もこちらの世界に接触を図った。
先程のお前と同じく、術式を組み込んだ魔法を与えてくれたことで、あちらの理が少しずつ変化して、見事こちらの世界に近づけた。
つまりだ。アルバが干渉しなければ俺様はこちらに帰還しなかった。
俺様の名前はロード。かつて魔女と戦い世界の半分を滅ぼした男だ。魔女ですら倒せなかった厄災を、アルバは招き入れたんだよ。」

 


呼吸するたびヒューヒューと変な音が漏れてきたハインツは、目から涙を流し、それは地面に広がる血と混ざった。
全て理解した彼は、そっと瞳を閉じた。

 


「最後まで・・・手の掛かる弟子ですみません、アルバ先生・・・。」

 


そのつぶやきはルフェの耳にもしっかりと届き、ハインツの体は黒く染まり、粒子となって崩れて消えてしまった。
残ったのは、彼の体から流れた血の海だけだった。
男が立ち上がって、かかとでくるりと回ると改めて3人に向き直る。

 

「切ない話だな。師匠は可愛い弟子を助けたかっただけなのに。因果って怖いよなー。」
「お前が手引きしたのでしょう。この外道が。狭間の闇でさまよっても、改心しなかったようですね。」
「改心などは、愚かな低俗人間がやること。原始の民である俺には不相応だ。
お前達こそ、相変わらず本来の役目を無視して横暴な態度を取ってるようじゃないか。
魔女という呼び名がぴったりだ。」
「黙りなさい。我らを愚弄するなど身の程知らずにも程がある!今度こそ、魂ごと消してくれる!」

 

まあ待て待て、とポケットから手を出した男が胸の前で手をひらひらと振ってみせた。
ハインツを貫いた方の手は赤く染まっている。


「俺は魔女と喧嘩するために戻ってきたんじゃないんだよ。俺は、その娘が欲しいだけだ。」

 


真っ直ぐとモロノエの後ろにいるルフェに目線が向けられた。
タテワキが自分の背中にルフェを隠すのと同時、モロノエが男の前に瞬間移動して剣を振り上げ左肩を斬った。
しかし、男の肩から血が流れることはなく、余裕の笑みを向けた男は剣を握った手首を掴みモロノエを軽々と持ち上げ
反動を付けて真横に投げつけた。
人間の反射速度では決して捕まえられないはずの魔女をぶん投げたことに驚きながら、タテワキは転移魔法を靴の裏に展開させる。
魔法陣が発動する前に、タテワキの前に瞬間移動してきた男が腹部に拳を叩きつけ、たった一発の打撃で地面に倒れさせる。
残ったルフェは、恐怖で一歩後ずさることすら出来ず、首を掴まれ軽々と持ち上げられてしまった。
首を絞めようとしているわけではないらしいが、苦しさに男の手を引っ掻きながら足をばたつかせもがくも、

男は気にした様子も無く笑った。
ルフェのポケットから、携帯がこぼれ落ちた。下を向けないルフェには見えなかったが、パリンという割れる音がした。

 


「やっと会えたな、娘。俺様はお前にずっと興味があった。」


間近で、人を見下したような笑みを向けられ、さらに、自分の首を掴んでいる手が真っ赤に染まっていることに気づき
全身に鳥肌が立った。
ハインツの腹を貫いた手で、自分の首を掴んでる。
パニックになりかけてるルフェは、涙をこぼした。


「お前のマナは人を生き返らせる。命に対する再生など、魔女達ですら出来ない偉業だ。」


アテナ女学院でのウィオプス襲撃のことを言っているんだとすぐにわかった。
狭間の世界にいたはずの男が、なぜ知っているのかという疑問が湧き上がったが、今はそれどころではない。


「俺様の目的のために力を貸してもらうぞ。」
「そうはさせません。」

 


ルフェを拘束していた男の腕が切断され、落ちるルフェの体は誰かに抱き留められた。
男はやはり傷口から出血することはなく、斬られた腕をかばったまま後ろに下がった。
空から黒い塊が落ちてきて、男はまたステップを踏んで避ける。
地面に降り立ったのは、2本の棒を持ち低い姿勢で構えた髪の長い女性だった。
スリットの入ったロングドレスを纏っているのに、太ももが出るのも気にせず両足を大きく開き地面を踏む。
ルフェの目には見えない動きで男に向かって武器を振り回し追い詰めていく。

 


「大丈夫ですか。」


声を掛けられ自分を抱き留めてくれた人物を見た。
長い前髪で片方の目を隠した、黒髪の美しい女性だった。
こちらの女性も長い髪をしており、高い位置でポニーテールにして纏めている。
髪はきらめいており、毛先は青いグラデーションが掛かっている。
心配そうにルフェを見つめる瞳には、宇宙のような煌めきが見える。

 

「モロノエさんの、姉妹さん?」
「そうです。四番目の巫女、グリテン。」


抱き留めたルフェをそっと地面に立たせてくれた。
横に並ぶと、女性なのにかなりの長身でモロノエより背が高く、黒いスリットの入ったズボンをはいている。
ルフェは近くにうずくまっているタテワキに駆け寄った。
気絶をしているが、呼吸はしているようだ。
ルフェの隣に、モロノエが帰ってきて、男の上に雷が降った。
宙であぐらをかき雷を落としているのは、黒髪ショートの小柄な女性。三番目の巫女、ゾエだ。

 


「助かりました。」
「奴の帰還は始まりの土地に居ても気づきました。」
「姉さん・・・主は?」
「反応ありません。主がいないと封印も出来ません。」
「ネア達が離反した時点でそれは適わないでしょう。まずは拘束します。」

 

はい、と四番目の巫女が手に剣を握った。
形状はアセットに近く、洗練されたデザインは美しく芸術品のようであった。
モロノエも剣を構えて地面を蹴った。
その直後、地面に亀裂が走って地震が起きた。
突然の揺れに掛けだした2人も足を止め、遠くでゾエともう1人の巫女が倒された。
片腕を失った男をかばうように、白いローブを纏った小柄な人物が現われた。
長い杖を持ち、ファーで縁取られたローブのフードを払う。
白に近い銀髪を持ち、薄い青の瞳を持った美しい青年だった。
神秘的な容姿を持った青年の登場に、巫女達は揃って驚きを見せた。


「プロト!?」
「貴方まで復活していたのですか。」


銀髪の青年は、悲しげに眉尻を下げ憂いの表情を見せた。

 


「皆さんに会えた事はとても嬉しいのですが、彼は連れて帰ります。」
「何故その男をかばうのです!貴方は我らの―」
「あの地で過ごした時間は忘れません。その恩も。ですが・・・残念です。僕は彼と共に行きます。」


青年が杖を振るうと、負傷した男を連れどこかに消えてしまった。
断層に張り付いていたはずの狭間の世界への口も同時に消えてしまい、静けさだけが残った。
そして、ハインツが残した血の塊が、先程の戦いと地震でほとんどをかき消され、

ハインツがいたという証さえ僅かな汚れのみになってしまった。
落ちて踏まれた携帯を手に取ってみたルフェだが、電源はつかなかった。

 

 


*   *   *


「ごめん、ルフェ・・・。俺が守るとか言っといて、情けない・・・。」
「いいんですよ先生。」
「ホント、ごめん。」

 

ルフェの手に乗った、機械の残骸。
ロードと名乗った男によって無残に踏まれたルフェの携帯には、彼女が大事にしていたデータが大量に入っていたのだが
復元はどうあがいても不可能だった。データが入っていたメモリーが、真っ二つに割られていたのだ。

 


「ちゃんとバックアップを取っていなかった私が悪いんです。」

 


携帯の中に入っていた写真データは、彼女にとって心の支えだった。
残骸ごと、タテワキはルフェの手を包んだ。

 


世界は混沌に突入した。
魔物とウィオプスが世界中の至る所で出現し、魔法院の手に負えなくなってしまい、ついに世間に魔物の存在が露見した。
世界各地で魔物と共に現われる美しい女の姿も目撃され、あれは魔女なのではないかという噂が世界も駆け巡った。
人間のマナを食らう異形の存在に、陣地を越えたマナを扱う魔女への恐怖はあっという間に人々の心の植え付けられ
世界情勢はかなり悪化した。
不安と恐怖に駆られ軽犯罪は増え、略奪行為が横行。国同士ですら、利権の主張と責任逃れが同時に起こり
戦争が起きるのではないかという緊張感が国民をさらに不安に陥れている。
絶対的な力を持っていた魔法院でさえ、全てを押さえつけることは不可能であり、全てが後手後手に回っているのが現状であった。
魔女は世界各地にランダムに現われ、魔物を引き連れ次々人々を襲っている。
狙いは市民の僅かなマナだった。
マナを抽出するために腹に喰らい、肩を噛み、無駄な死体が増えていく。
統制はどんどんと取れなくなり、資源は減り流通は滞りだした。
十分な支援が受けられない遠方地は不満が起き反乱が起きるか、土地を捨て食料を求め都会へ逃げる流れが生まれてきた。
人間がいくら混乱しようとも、魔女と魔物の襲撃は止むことは無かった。
やがて人々は、敵を全て合わせ魔族と呼ぶようになった。
ロードと名乗る魔女達ですら恐れる男の帰還は、タテワキの判断で魔法院に報告済であるが、
世界の半分を消し土地を消した男についての情報は、元老院は当然知っていたようだ。
今回はさすがに隠蔽は不可能だと判断し、情報を世界に流し男を目撃したらすぐ魔法院に報告するように指名手配をしいている。
さらに、一部王族と貴族から批判があがり、今まで院が歴史を隠蔽していたことも公表された。
魔女が人間を襲ったのではなく、魔女と蔑称する巫女が守る土地を人間が侵したせいであるとも、
魔女が唯一殺せなかった厄災、原始の人間である男と狭間の世界の真実も同時に世界に知らされた。
チャールズ・W・オークウッド魔導師らの助力もあり、アルバ魔導師とその弟子ハインツの行いは伏せられた。
彼らはただ、狭間の世界を切り離すべく尽力しただけであり、研究データがロードに利用された故の結果という結論を勝ち取った。
死して尚、名を汚されずにすみ、彼に関係した人間は安堵し、ノーチェにある彼らの生家はタテワキが権利を買い取った。

 

仲良く2つ並んだ、遺体のない空っぽの墓石の前で、ルフェは静かに手を合わせた。


「此処は戦火から逃れそうで、よかったです。」
「ああ。2人仲良く、静かに過ごせるだろう。」


タテワキから聞いた話によれば、ハインツはこちらの世界に帰還した時点で人間では無くなっていたらしい。
マナで無理矢理体を作っていたようで、亡くなった時遺体が残らなかったのはそういう理由らしい。
でも確かに、150年前からハインツはやって来て、言葉を交わし一緒に食事を取った。
一緒に居た時間は本当に短かったけれど、彼に会えて良かったと心から思う。

 


「どうか、静かに眠って下さい。ありがとう、ハインツさん。」

 

ルフェは立ち上がって肩から掛けたローブを握りしめながら、タテワキの転移魔法で出動要請が出た土地に飛んだ。
その土地に足を下ろした途端、息も出来ないぐらいの煙に包まれ焼け焦げた匂いに咳き込んだ。
分厚い雲に頭上が覆われ、闇に包まれた世界で地平線は火が至るところで燃え、ウィオプスが地面と雲の間で浮かんでいた。
中心部がうねると、球体から火の球が落とされる。火を起こしていたのはウィオプス自身だったようだ。
辺りにまだ市民が残っているのか、悲鳴と怒声、混乱と怒りが渦巻いている。
今や魔法院の魔法使いは圧倒的に人手不足なために、避難誘導も消火も追いついていない。
タテワキに優しく声を掛けられて、ルフェは体内にマナを込め、ウィオプスに向かって放出した。
ルフェのマナに包まれたウィオプスは表面を波立たせながらすんなりと消えていった。


「あの子、ウィオプスを倒したわよ?」
「普通の魔法使いでは倒せないって話よね?倒せるじゃない。魔法院はまた嘘をついたのね。」
「次はこっちの火を消せよ嘘つき魔法使いども!俺の家が燃えちまったじゃないか!どうしてくれる!」

 


ウィオプスを退治する少女に畏怖の様子を見せた市民も、次第に怒りの矛先を向けてくる。
市民の魔法院に対する不信はピークだ。
院のローブを纏っている人間は八つ当たりの対象でしかない。
心ない野次が降り出したところで、タテワキがルフェの肩を抱いてその場から転移した。

 

 


家紋が入ったロングコートを肩に提げながら、凝ったデザインの杖を突いて絨毯の敷かれた廊下を歩く。
王族の側近である筆頭貴族であるコルネリウス家当主レオンは、案内された執務室の扉をノックして中に入った。
黒で統一されたシックで気品ある室内だったが、そこにいたのはまだ若い青年だった。
調度品の趣味は年配の男性向けであるため、ずいぶん不相応に見えるが、部屋の主は気に入っている様子だ。
デスクの前まで移動し、レオンは深々と一礼する。

 


「お呼びでしたでしょうか、殿下。」
「殿下はやめて下さいよ。嫌味ですか。」


部屋の主ーバーンシュタイン国王族クラウディウス家の第2王子は羽ペンをそっと置いて顔を上げた。
ボサボサの黒髪にだるそうな瞳、座っていても曲がっている背中。
クロノス学園で生徒会長ベルクの下についていたシュヴァルツこと、ジョシュア・モレルであった。

 

「その椅子にもやっと慣れたご様子。ようございました、ジョシュア・ルルー・フォン・クラウディウス様。」
「本当嫌味ですね・・・。貴方くらいですよ、僕にそんな口きけるの。」
「はっは。ベルクの野郎が隣にいても同じだろうよ。でも驚いたよ。王族の正統後継者が偽名使ってクロノスにいるなんてな。」
「偽名じゃないです。僕は国王である父親がメイドに手を出して生まれた妾の子。
血筋を絶やす訳にいかないが、メイドが産んだ子を王都に置いておくわけに行かず、末端のモレル家に押しつけたんです。
それが・・・正妻の息子が病気で倒れた途端呼びつけられて、此処に座らされました。
どう考えても、世界情勢が危うくなって、責任を取ることになった時用の生け贄ですよ。」

 


まったく、とため息をついてシュヴァルツは椅子を半回転させて窓の外を見た。

 


「国王も第1王子も逃げたんですよ。今国民は混乱し、君主制をとってるバーンシュタイン国にあって攻められるのは国王ですから。
さっさと民主主義に鞍替えすればよかったものの。」
「全権限は一任されてるんだろ?」
「お飾り程度です。僕は此処で判子を押す係で、政は執政官達が。」
「でもよ、俺を呼んだって事は、お飾りを辞める決意がついたってことだろ?」

 


ニヤリ、と口角を上げたレオンを横目で睨み付ける。

 


「僕をたきつけたの貴方じゃないですか。僕の名前勝手に使って、魔法院の歴史改ざんに関する告発文を手配させたでしょ。」
「あんときゃ助かったぜ王子様♪」
「次は何をするつもりですか、筆頭貴族は。」

 


笑みを貼り付けたまま、シュヴァルツのデスクに近づいて手を添えると、外に居るであろう見張り役に聞こえないよう小声で告げた。

 


「世界中の指揮権を掌握したい。」
「バカを言うのも大概にしてください。もうクロノス学園のノリは通用しませんよ。僕らがえばれるのはせいぜい国内だけです。」

 


レオンが表情を引き締め真面目な顔になった。
夏の終わりに髪を切り髭を剃った顔だと、いつもふざけて学園をめちゃくちゃにしながら楽しんでいた問題児だとも思えなくなる。

 


「世界は混乱を極めている。民を守る国も権力も機能していない。この混乱に乗じて、国境無視した第三勢力を立ち上げる。
すでにクルノア国とは話を進めている。」
「セレノア王家ですか・・・。サジ先輩の力使いましたね。」
「まあな♪そこにクラウディウス家も加わって欲しい。二大王家が指揮を取れば、責任逃れしたい各国も賛同してくる。」
「具体的にはどうするんです?」
「まずは物資ラインの確保と役割分担を決める。全土への支援は不可能だから、支援が行き届く避難地を絞り、国民をばらけさせる。
それが終わったら、魔法院の境界防衛部隊あるだろ。あれを真似て避難地を防壁で取り囲む。」
「魔法防壁を各地で展開するには、人手不足ですよ。魔法院だって、人員を全て貸してくれるとは思いません。」

 


そこでこれを見てくれ、とレオンは懐から1枚の紙を出して机に広げた。
それは何かの設計図だった。

 


「ノアの科学者に力を貸してもらいながら、魔法武具職人のフレイア学院長を筆頭に発明してもらった、人工防壁装置だ。
マナ石で動く。魔物相手なら突破されないのは実験済みだから安心してくれ。これを今大急ぎで大量生産中。」
「避難民を全て守るのは、無理がありますよ・・・?」
「無理でもやるさ。初めは数カ所だが、いづれ数を増やして全土の2/3を防壁で守る。

もちろん、魔女に襲撃されたらってのもこれから考えなきゃならんがな。」
「レオンさんも、この戦い長期化すると考えてるんですね。」
「ああ。この世界を壊したいなら、もうとっくにやってる。それだけの力を持っているのに、核心的な行動は何もしてこない。
自分を苦しめ狭間の世界に閉じ込めた魔女を表舞台にひきづり出すため時間を掛けてるって仮説もあるが、
奴らは純粋に楽しんでるんだよ。人間を苦しめることを。
黙って民がやられるのを見てられるか。俺は必ず守り、あがいてみせる。
コルネリウス家の当主として、そして・・・遠くの地で必死に戦ってるルフェの為にもな。」

 


高貴なる金の瞳の奥には、炎が宿っていた。
猛獣の王が放つ野生の威圧に、シュヴァルツはため息を吐いて椅子を正面に戻した。

 

「僕は面倒なのは嫌いです。考えるのもイヤ。だから、従いましょう。貴方が全て立案して下さい。」
「頼もしい王様で助かったよ。」
「代理ですから。それに・・・僕にだって守りたい人たちはいます。」
「ベルクの奴、卒業してすぐ家に帰ったんだろ?ベルク家があるキルシェは半分火に焼かれたらしいな・・・。」
「あの人、本当単細胞だから、絶対前線で戦ってますよ。早く避難地作って呼び寄せてあげないと。」
「ハハ。あいつも慕ってくれる部下がいるらしくて安心したよ。」

 


よし、とレオンは拳を握ってシュヴァルツに差し出した。

 


「俺達で世界を救おう。友と再び笑い合えるように。」
「レオンさん・・・そんなクサい人でしたっけ?ま、あの3人組にも貸しはありますしね。」

 


嘲笑を浮かべながらも、シュヴァルツも拳を作りレオンのそれと合わせた。

 

 

 

なぜあの時
私はもう一度青い空を見たいだなんて思ったのだろう
なぜ、普通の女の子になりたいだなんて望んでしまったのだろう
シャフレットを消した大罪人が
のうのうと生きているなんて許されないはずなんだ

地下牢に居るべきだった
せめて、メデッサ先生の孤児院に居たかった

差し出された手を、取るんじゃ無かった

 

 

部屋の扉をノックしても反応は返ってこなかったので、タテワキは静かにドアノブを回して部屋を覗いた。
ルフェはベッドの上で体育座りをしてうずくまっている。
もう何日もそうしていた。
食事を取る、風呂に入る以外は、部屋でこうしている。
ルフェの疲弊は目に見えてあきらかだった。
ウィオプス出現に加え、魔物の被害地への出動要請もあり、市民の罵倒を浴び、その市民の死体を大量に目にしてきた。
家に帰れる時間もどんどん少なくなり、今はルフェのマナが空になったと院には報告し、32時間の休暇を無理矢理勝ち取った所だ。
体力的にはもちろん、精神的に、18歳の少女が耐えられる日常では無い。
かといって、魔法院の元老院議員と直接契約を結んでしまったために、院の命令には逆らえない。
逃げ場はない。
心の支え、精神安定剤であった思い出は先日壊されてしまった。
タテワキは扉をそっと閉めて、ルフェの隣に腰掛ける。

 


「見て、ルフェ。新技考えたんだ。」


なるべく柔らかい声で話しかけると、ルフェがゆっくり顔を上げた。
ルフェの自室に、沢山のシャボン玉が浮いていた。
僅かに色が付いた膜は、最初は丸いのだが、ぐにゃりと形を変えて、くまやウサギ、蝶やマカロンなどが現われた。
ピンクやオレンジ、青や黄色のシャボン玉が、プカプカと宙に浮かんで、気持ちよさそうに上下左右に揺れる。

 


「どう?女の子ウケするかな?」
「はい。可愛いです。」


目の下にクマを作った少女は、それでも力なく笑ってくれたので、ホッと安堵の息をこぼしてルフェのすぐ隣に移動して肩を抱いた。

 


「前に、クロノス学園でシャボン玉芸披露したら喜んでくれたろ?バージョンアップしてみた。」
「フフ。覚えてますよ。ありがとうございます、先生。」
「なあルフェ。手紙、書いてみたらどうだ。俺が直接届けてやるぞ?」

 


タテワキは机の上に乗った新品の便せんをちらりと見た。
封を開けていないそれは、タテワキが携帯が壊れた翌日に買ってきてくれたものだ。
女の子らしいピンクの花が描かれた綺麗な便せんで、友達に手紙を出してみてはどうかと提案したのだが、

ルフェは一度もペンを取ろうとはしない。

 


「大事なお友達、きっと心配してると思うぞ?ルフェだって、心配だろ?アテナの友達にだって―」
「アンナには、学園を去る前にさよならって書いた手紙出したんです。だから、もう終わりました。もう会えないから。」
「どうして?」

 

問い詰めてると思わせないように、優しく、優しく声を発する。
敵じゃないんだと思わせたくて、触れた手に神経を集中させる。
膝を抱いたまま、少女はか弱い声で話し出す。

 


「ずっと、心の片隅にあったのはシャフレットのことです。沢山の人を死なせてしまった罪が、ずっと重くのしかかってました。
魔法院に入って、ウィオプスと戦う毎日は、贖罪のチャンスだと思って頑張りました。
けど、やっぱり私が悪いの・・・。あの男の人も私を狙ってる。私は、生きてるだけで迷惑をかける。
誰とも関わらずに生きていれば良かった・・・生まれてこなければ・・・。」
「そんな言い方はやめてくれよ。」

 


タテワキはもう片方の腕も使ってルフェを包むように抱きしめた。
ロードと名乗った男は、あれ以来姿を見せておらず、魔女もルフェを狙うような素振りをみせない。
今は世界を混乱させることに忙しいのか、わざと泳がせているのかはわからないが
アテナ女学院で死んだはずの命を生き返らせたルフェのマナはやはり特別なようで、

魔法院の中でも偏見に似た意見も出て来ていると聞く。
この少女は、世界の混乱すら自分のせいだと思い込もうとしている。

 


「ルフェが今辛いのは、友達といた日々が楽しくて幸せだったからだろ?その思いまで否定してはダメだ。
友達のこと、嫌いになったわけじゃないんだろ?」
「もちろんです。こんな弱虫な私を見たら、マリーは泣いて怒ってくれるだろうし、ジノも優しく諭してくれると思います。
寂しいです・・・会いたいです・・・。でも、もし魔女やあの男の人が再び襲ってきたら、私は守ってあげられない。
人質にでもされたら、もっといや。」
「ああ・・・ルフェは、そこまで考えていたのか。俺は本当に配慮が足らないな。
それなのに手紙を書けなんてヒドイことを言った。ごめん。ごめんよ。」


震えだした肩を胸に抱き寄せて、頭を撫でる。
タテワキは、胸を張れる程まともな人生を生きてきたとは言い難い。
こういう時、か弱いただの少女をどう慰めていいのかわからない。
―学園長先生だったら、大先生だったら、ハインツだったら、もっと上手に励ましてあげられるのだろうか。
宙に浮かんでいたシャボン玉たちはいつの間にか消えていて、

泣き疲れたまま眠ってしまったルフェをベッドに横にしてシーツをかけてやる。
顔に掛かった前髪を払いながら、初めて出会った時の事を思い出す。
メデッサ先生に連れられた牢屋の中で、封印具に体を拘束され、それだけじゃ足らないのか鎖でぐるぐる巻きにされた幼い少女。
生気を失い、何も映してなさそうなうつろな瞳をしていた当時の彼女は、自分のことなど覚えてもいないだろう。
タテワキは、少女を守ろうとその時決めたのだ。
周りの大人のせいで、一生分の罪を無理矢理背負わされた、悲劇の少女のために高位魔導師を目指し、ずっと準備をしてきた。

 

「俺だけは、何があっても側にいるからな、ルフェ。」

 


ふと、彼の師匠の言葉が頭をよぎる。
自分を弟子にすると決めたその心境を、優しい声で教えてくれたあの光景。
―お前は運命の子を導く役目を背負ったんだ。安心しろ。その時がいつ来てもいいように、俺がたっぷり鍛えてやるから。
師匠俺は、しっかりと導けているのでしょうか―・・・。
声にはせず、心の中で問いかけた思いだが、やはり答えは返ってこなかった。

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