雨海亭
レイエファンスの都市ガムールの南側には、大陸ザーガとを繋ぐ船が往来する港がある。
海がない空の港の船は、帆の上に装着された金具で3本を束ねた太いロープを渡る言わばロープウェイのような乗り物を渡航させ管理している。
もちろん船じゃなくても良かったのだろうが、この通行手段を考えた人間がザーガの海賊だったせいと言われている。
更に、船に乗りレイエファンスへ訪れることが出来るのは極一部の人間。
大陸側にある港の公館で通航許可書を貰わねばならないのだが、許可が降りるのは各国執務官クラスの軍人や政界人。もちろんちゃんとした理由が必要だ。あとは行商人や仕立て屋など、都市機能に必要な人間とセレノア王家と政治的やり取りを行う人間だけがレイエファンスへの船に乗れる。
更に、船でガムールの港に着いても厳しい荷物検査が待っている。
外交官などは貴重な交渉時間を検査に取られ不満そうだったが、外来種を寄せ付けず警備を徹底するからこそレイエファンスの神秘は守られているのだ。
白い甃の港には、腕っ節のいい男達が働いている。
荷物運搬が主な仕事で、船の整備士や運搬操作に携わる働き手もいて、港はいつも賑やかだった。
薄い青い空と白い雲、そして白い港街と楽しげに働く大人の姿を、港より一段高くなってる手摺付きの煉瓦高台から見つめる少女がいた。
長い黒髪を頭の高い位置で結び、髪と同じく黒い大きな瞳をしている。
籠ブランケットを持ちエプロンをした少女は港に降り、男達の合間を縫って進む。
船の昇降を操る装置がある小屋の前で腕を組み、労働者達を睨みつけている白髪の老人に歩み寄る。
「おじいちゃん、お昼持って来たよ。」
「おお、忙しいのに悪いなサキ。」
「大丈夫。トラブル?」
「金具の不備があっただけなんじゃがな、責任者のわしが離れるわけにはいかん。しかし昼飯を抜く程若くはないんでな。」
少女の祖父はこの港を仕切る組合長だった。
白い麻のシャツに色褪せたチョッキを着ている。
捲られた袖から覗く腕は初老とは思えず逞しいし、背筋は曲がってないため体つきもガッチリしている。
白髪を黒く染めたら随分若返るだろう。
厳しい顔つきをした祖父だが、荒々しい男達からも慕われている。
「金具がダメでも浮遊魔法石が船底にあるから落ちはしないんでしょ?」
「ああ。じゃが安全に安全を重ねねばならん。わしらは人の命を運んでおるのだからな。ちゃんと仕事せねば港の男として恥じだ。それに今魔術師は城の守護に忙しく魔法石に何かしらが起きた時に頼れん。騎士団がイグアス地帯へ遠征に向かってるらしいんでな。」
「また侵略者?」
「なに、心配はいらん。邪心ある者は都市に近づく事さえ出来んからな。カズマ君は今朝はどうじゃ?」
「少し調子悪いみたい。これからお薬貰いに行くところ。」
「そうか。先生によろしく伝えてくれ。」
「また午後にお茶持ってくるね。」
「ああ。」
籠を手渡し祖父と別れ、一段低い港から街へ上がった。
港の前に並ぶ建物は労働者達の家々が幹を列ねているため昼間は比較的静かな場所だった。
夜になれば酔っ払いの歌声や笑い声で何かと騒がしい。
サキは慣れた足取りで住宅地の中央へ入っていく。青灰色の色味が異なる石同士を並べたステンドグラスのような甃を歩く。
まだ昼前ではあるが、惑星ルナの輝きしかないレイエファンスは、裏道一本入っただけで建物の影により薄暗くなってしまう。だが煌めく青い空がある分不自由しない。
家々の間を走る迷路のような細道を辿ると、一際暗い街の深部にまるで隠れるようにひっそりと佇む白壁の建物が見えてきた。
窓のカーテンは閉めきられた怪しい建物にサキは躊躇いもなく入っていく。
扉を開けると、まず長椅子が壁沿いに並べられ洒落た観葉植物が出迎える。
外観と違い中は綺麗で置かれた家具も何処か暖かみのあるものばかり。
「こんにちは、イツキ先生いますか。」
大きめな声で問いかけると、奥の通路から男が顔を出した。
金髪に丸眼鏡をかけている30代手前の男が白衣を纏ってサンダルを床に擦りながらサキを迎えた。細い体躯の男は大分長身らしいのだが、老人のように背が曲がってしまっている。
「やあ、いらっしゃいサキ。」
「お父さんが今朝はダルそうで。何かお薬を貰えないかと思って。」
「症状を聞くよ。おいで」
サキを連れ入ったのは清潔感溢れる診療室だった。
此処は個人経営の医療施設。
レイエファンスでは大体の病気はプリーストに診てもらえば治るのだが、専門的な知識が必要な病気や、治療代を払えぬ者達の為に彼は病院を設立した。
サキの家は貧乏ではないが、父の生まれながらにもつ病気はプリーストでは治せぬ種類の為に、こうして医者に薬を貰っている。
医者はサキに椅子を進め自身もドスンと座りデスクからカルテを探し始める。
「お父さんどんな感じだって?」
「頭がぐわんぐわんで、吐き気は無いらしいのだけど、腕を上げるのが億劫みたい。」
「食欲は?」
「朝食はスープだけ。」
「脈と体温は?」
「それは平常値だった。」
「ふむ。薬を調合してみよう。」
カルテを置き、奥の壁に沿うように並んだ引き出しの数々から薬草などを取り出し、粉末にして調合していく。
お世話になってるイツキ医師は大陸で薬草学も習ったらしく、頭痛を緩和させる薬や胃もたれをすぐ直してしまうお茶などを患者の状態をみて作ってしまう。
小さい時からイツキ医師の調合を見ていたサキは、彼が魔術士だと信じて疑わなかった。
そんな凄腕の医者なのだが、患者は選ぶらしく病院事態は繁盛しておらず常連はサキの父ぐらいだと言っていた。
収入の問題によりイツキの妻はサキの母が営む食事処で給仕として働いている。
他人よりは関わりを持っているため、父の治療代はイツキの妻に渡す給与に上乗せされているらしい。
長いガラスの試験管を振ったりしながら作られたカプセルの薬を紙袋に入れサキに手渡す。
「ハイ。緑のカプセルが頭痛緩和で、青がいつものやつね。一緒に気分が和らぐお茶入れておいたから、飲ませてあげるといい」
「ありがとうございます、イツキ先生。またマドレーヌを焼いたら持ってきます。」
「サキ、薬代はミヤコの給与袋に入れて貰ってるから気をつかわなくていいよ。只でさえトワコさんには多めに支払って貰ってるんだ。」
「それは両親からのお礼。私からもお礼したいの。」
「いやはや、貰いすぎだよ今度無料で診断しますって伝えてよ。サキも怪我したお友達いたら連れて来なさい。サキの知り合いなら大歓迎だ。」
「ありがとう。じゃあ戻ります。もう港労働の人達がお昼食べにくる時刻だし。」
「またゆっくりおいで。カズマさんに何かあったらすぐ言うんだよ。」
金髪の医者に頭を撫でられてから、薬袋を抱えてサキは住宅地に戻った。