カウス城
恒星が無いレイエファンスでも、紺色の夜が来て眩い朝が来る。
生まれたての陽光が朝露を煌めかせ、清々しい空気が辺りを包む。
セレノア王家の住まいであり、都市ガムールのシンボルであるカウス城は淡黄色の陽光を一身に浴び白壁がキラキラと息吹をあげるように佇んでいる。
その姿は実に雄大であり、神秘的。まるで世界が、朝日を浴びるたびに生まれ変わっているような。
城の東にある渡り通りをミュン族の少年が古びた本を脇に抱え歩いていた。
ミュン族とは、兎のような長い耳を生やした種族である。
エルフ族と同じぐらい歴史は古いが、神秘の力を捨て堅実な暮らしを選んだ為農業を主としている。
真面目で率直、冗談が通じない程笑顔が少ないと噂されてはいるが、ミュン族が作る野菜や苗はレイエファンスでも好まれ多く取引されていた。
そして、ミュン族の外見は三種に別れる。
茶の耳に人間種に近い肌の色を持つヴィー、白い耳にオリーブ肌色のミュスカ、灰色耳に褐色肌のラダ。能力や性格に差は無く三種は仲良くミュン族が作ったジェギヌ国で過ごしている。
彼等は同種以外と群れる事を好まず国から出るものは少ない。
カウス城の廊下を歩く茶の耳を持つミュン族ヴィーの少年は、リネンの皺が無いシャツに落ち着いた赤茶のベストを着ている。ベストには模様が立派なボタンが縦に並び、縁飾りも同じ様な模様が金で取られている。
折り目がきっちりついた緑にもみえる黒い半ズボンで姿勢正しく歩いていると、左側の庭から人の気配がして耳が微かに動く。
ミュン族の聴力は人間種の4倍で、草がかすれる音でも良く聞こえるのだ。
少年は石で出来た廊下を外れ庭に入っていく。
背丈が整えられたみずみずしい芝生に、沢山の色の花々が並び、庭というより華やかな広場ねような場所を進むと、男が一人剣を奮っていた。
ボタンが無い紺のシャツとズボン、黒いブーツだけを身に付けた長身でガタイがいい男を少年は知っていた。
背後に歩み寄ると、濃い青の髪をした男が気配に気づき振り向く。
「ヤマト様。お早いですね。」
「ミュン族の朝は早いのです。夜が明けた頃に農作業を始めるので。タカヒト様こそ、昨日遠征から戻られたばかりなのに自主訓練なさってるとは、尊敬致します。」
「なんの、ただの日課です。一日でもサボると落ち着かなくて。また図書館ですか?」
「はい。僕は此処に勉強しに来たのですから、しっかりと学ばねば。」
ミュン族の少年ヤマトは明星のルナを見上げた。
彼はミュン族において王子にあたる。組織が嫌いなミュン族なのでレイエファンスのような王族とは全く違い長の息子、としか彼も回りも思っていないが、セレノア王家は彼を一級客人として迎えている。
なにより、彼は歴史あるセレノアの、引いては騎士団の戦術を学ぶため正式に留学しに来たからだ。
母国ジェギヌは今、ギルデガンの脅威にさらされている。
魔術や武術から遠ざかったミュン族は戦う術を知らずに過ごして来た。それは一族の怠慢であったかもしれないと王子として責任を感じてはいるが、のんびりと土と天候にだけ向き合っている一族は好きなので、みすみす滅ぼすわけにはいかない。
此処数年はレイエファンスの遠征部隊や友好関係にある回りの国々に支えられ、なんとかギルデガンの侵略を免れ睨み合いの状態のまま。だが奴らが力を入れているレイエファンスの進行が進むか行き詰まれば、腹いせに最弱ジェギヌを攻めるのは目に見えている。
その前に、なんとしてでもミュン族だけで戦えるようにしなくてはならない。
ギルデガン次第では他国も援助どころではないだろう。ヤマト王子は騎士団隊長に目線を戻した。
「タカヒト様、時間がある時で構いませんのでまた軍隊戦術のご教授をお願いします。」
「私でよれけば喜んで。ヤマト様は勉強熱心でいらっしゃるから、教え甲斐があります。隊の新人兵士も皆そうであれば良いのですが。」
「フフフ、集団の長も大変ですね。ではタカヒト様、いつでもお声掛けて下さい。」
「承知しました。」
お互い一礼をし、ヤマトは庭から渡り廊下に戻っていく。長い耳のある背中を見送り、タカヒトも剣を鞘に戻すと宿所に足を向けた。
カウス城のすぐ隣にある四角い建物が騎士団隊舎で、隊長から訓練生に至るまで皆この隊舎で寝食を共にしている。
兵隊である騎士団の住まいだから、と極力華美を控えた作りだが壁面は城と同じく白い色に包まれ、窓の縁は所々装飾が見られる。
正面玄関だと門番が大声で挨拶してくる為に脇の扉から宿舎へ入る。眠っている兵士を起こすにはまだ早い。
格子柄床の1階ロビーを歩いていると、向こう側からタカヒトより巨大な男がやって来た。
身長は2mを越え、比較的スマートなタカヒトと違い二の腕や太ももの筋肉は服の上からでも解るほどで、額から頬に向けて走る傷が男の威厳を高めている気がする。
すれ違う3歩前でタカヒトは足を止め丁寧にお辞儀をした。
「お早うございますクサナギ将軍。」
「ああ、いつも早いな。遠征ご苦労であった。圧勝と聞いたぞ」
「あれは戦と呼べるようなものではありません。それより、護衛部隊に留守をお任せして申し訳ありませんでした。」
「謝る事など何もないじゃないか。リョクエン様が戦に赴くのだから騎士団長が同行するのは当たり前であるし、騎士団の分、我等がカバーするのは当然だ。それにガムールはずっと平和だったよ。」
「左様で。」
風格があるクサナギという男は、王族護衛隊の将軍で軍人のトップ。元は騎士団長として戦地に赴いたりしていたが、めでたく国王護衛の任についている。
タカヒトも新人兵士だったころ散々しごかれた。
一見恐面ではあるが瞳には思慮深さと底無しの慈悲を宿している。
「それはそうと、港の騒ぎは聞いたか?」
「いえ。」
「昨晩ロコイ国の外務官が二人、居酒屋の裏で倒れてるところを発見されたらしい。これだけならただの事件だが、その外交官は密入させた乾燥危険植物を持ち込んでいた。」
「厳しい身体検査をパス出来たと?」
「驚くべき事に、その植物を入れた袋を髪の間にはさんでいたんだ。外交官はカツラだった。」
「新しいチェック項目を見つけましたね。」
「ああ。悪人の悪知恵も年々酷くなる。」
清く正しいレイエファンス人にとって大陸の人間の悪事は呆れを通り越して悲しくなる程だ、とため息をついた将軍だったが、急に真顔になってまだ若い隊長を見た。
「問題は、外交官を倒したヤツだ。外交官の悪事を見抜き成敗した善人なのかもしれないが、同時刻見回り兵士二人倒して逃げ回っている。」
「同一人物なのですか?」
「昨晩は騎士団帰還に良い酒を飲んだ人間が沢山酔いつぶれていたみたいでな、目撃証言だけは収集出来たようだ。これ以上詳しく話は俺も把握してない。
これから陛下と朝食がてらの会議に同行せねばならなくてな。ある程度の話はまとまっているだろうから耳に入れておいてくれ。」
「もちろん。お忙しい所をありがとうございます。」
「問題ないさ、陛下も今朝は二日酔いでベッドから中々出られないだろうからな。」
軽く微笑み、将軍はタカヒトが今入った出入口から城内部へ向かっていった。