* 2
夢を見ていた気がする。
役目を果たせと、意識の奥底で誰かが繰り返し繰り返し呟いている。
その声が呪いのように押し寄せて耳を塞いだところで意識は覚醒し、目を開ける。
朝。いや、昼?ずいぶん寝過ごしてしまった―。
ぼやけた意識の中、視界に入るのが見知らぬ天井だと気づいて、勢いよく起き上がった。
「っ!?」
「おはよう、ベルちゃん。」
随分呑気な声が降ってきた。
今自分が入ってるベッドの近くで、足を組んでセウレラが浮いていた。
ドレスの切れ目から太ももが大胆に覗いている。
知らない部屋だった。一部屋で村にある自宅より広いんじゃないかと疑ってしまうぐらい、ゆったりした空間が目に入ってくる。
寝かされているベッドは天蓋付きで、落ち着いた赤紫色のサテンカーテンと白いレースが掛かっており、右手側には天井まで届く大きな窓が並んでいる。
部屋には模様が美しい絨毯が敷かれ、見たこと無いぐらい複雑な模様が彫られた白い棚と、化粧台、机などが備え付けられている。
「ベッドふかふか。なにこの布、肌触りいいんだけど。―ってそうじゃねぇ。此処どこ!?」
「わからないわ。私もベルちゃんが気絶しちゃったから具現化解けちゃってアッチ側に強制送還。戻った時にはこの部屋に居たわ。ヴォルクの中なのは間違いないわね。」
アルベルはベッドを飛び出して、左手側にある大きな両開きの扉に耳をつけて、注意深く音を探る。
「拘束されたわけじゃないし、見張りもないわ。助けてくれたみたいだから大人しく―」
「出来るわけないだろ。さっさと出るぞ。周りに気配あるか。」
「無いわ。」
「よし。」
慎重にドアノブを回して廊下を覗き込む主に、ため息をこぼしてセウレラも浮いたまま付いていく。
人影は見当たらない。部屋を出ると左右に伸びる廊下があり、敷き詰められた絨毯は靴が沈む程フカフカである。
自宅の絨毯より柔らかい感触に感動と恐怖を覚えながら、適当に左へ進む。
廊下に等間隔に設置された縦長の窓も長く、カーテンも高級品なのだろう。分厚いし柄が五月蠅いぐらいだ。
「いかにも金持ちの屋敷だな・・・。アタシを誘拐したのは、適合者をペットにでもするためか?」
「親切に助けてくれただけよ、きっと。」
「よく考えてみろよ。人さらいを倒そうとしてやられたんだぞ?あの人さらい達の親玉かもしれない。昔の金持ちは道楽で人をさらって奴隷にしてたって、本で読んだことがある。」
「まぁ驚いた。想像力が豊だこと。」
目に入った階段を降りる。先程いた部屋は2階にあったようで、降りた先の窓からは花が咲き誇る庭が見えた。
外に出ればこっちのものだと、庭に出る扉を探そうと足を踏み出した時、気配を感じて振り向いた。
絨毯が敷かれていないタイル張り廊下の先に、白いシャツに黒いスーツのようなものを纏った若い男が立っていた。
絢爛豪華な廊下に姿勢良く立ち、窓から差す陽光を浴びるその姿が、あまりにも美しすぎて現実ではなく絵画を見ているのかと錯覚させた。アルベルは本物の絵画を見たことはなかったが。
その男が、とても整った顔立ちをしているせいかもしれない。
感情らしきものは一切見受けられない程固まった顔の筋肉は、動かぬ彫刻を連想させる。
黒髪と黒目で、すらりと伸びた手足、皺1つない衣服。
立ち姿すら、美しい。
生きた彫刻が、最低限の口の動きだけで話しかけてきた。
「お目覚めになりましたか。」
「・・・お、お前か!アタシをさらって閉じ込めようとした奴は!」
「何か誤解があるご様子。どうか落ち着いて、こちらの話を―」
「知るか!アタシは外に出る!」
「手荒な真似はしたくありません。どうか話を聞いていただけないでしょうか。」
綺麗な顔の男が左腕をわずかに上げる。
黒いジャケットと白いシャツの間から緑の何かが生える。
それは小さな葉っぱをつけた蔦であった。蔦は男の腕に巻き付きながら、どんどんと成長する。
「また適合者!?今度こそ倒すぞセウレラ。」
「この気配は・・・。待ってベルちゃん!」
「いいから、スフィアブレット!」
「んもう!」
人の話を聞かない主にやきもきしながら、精霊は契約主に逆らえないため、素直に攻撃を向ける。
意識を失う前に見た光景が、再び訪れた。
水の精霊が放った水球が相手に当たる前に弾かれ、消える。
驚く前に蔦がアルベルの体に伸び、手首と足首を拘束され、宙づりにされる。
「放せコラァ!!」
「だから言ったのに・・・。」
「バジルさんの言うとおり、おてんばな方ですのね。」
知らない女性の声が耳に入る。声はどこか幼く聞こえた。
蔦に絡め取られながら首を回すと、コツンと靴底を鳴らしながら、反対側の廊下からこちらへやってくる人の姿があった。
金の髪に青い瞳を持つ、まるで成功に作られた人形のように美しい少女。
アルベルより幼いが、歩く姿すら可憐で上品、作法が指先まで行き届いているのがわかる。
蔦を出した黒い服の男性が、今やって来た少女の後ろに周り、控えように立つ。
「おい、今バジルって言ったか。」
「ええ。バジルさんの幼馴染み、アルベルティーヌ様ですね。」
「~っ!そ、その名前を!呼ぶな!」
蔦に絡まったアルベルの顔が、みるみる赤くなって、自由にならない手足をばたつかせ無様に暴れ出す。
主の足元にいる精霊が、腕を組んで説明する。
「この子、名前が可愛らし過ぎて似合わないからって、フルネーム呼ばれるの嫌うのよ。」
「あら。バラの花と同じピンク色の髪をお持ちで、ピッタリだと思いますが。」
頭上でうるさい!と吠える声が廊下に響く。こんな上品な屋敷におよそ似合わぬ怒声である。
今現れた金髪の少女は、ぶら下がるアルベルとセウレラを交互に見て言った。
「とにかく、まずはお話を。」
*
高級そうなカップを優雅な仕草で持ち上げ、紅茶を嗜む姿を唖然とした面持ちで見つめる。
住む世界が違うとはこのことか。
蔦から解放されたアルベルが通されたのは、これまた豪華で高級な執務室であった。
といってもこちらは落ち着きがあり、洗練された大人のお洒落さがある。
焦げ茶の書き物机が窓際に置かれ、今彼女達が座っているソファが2つ、向かい合わせに置かれ、真ん中に横長の机が置かれている。
壁際には背の高い本棚が2つ、どちらもぎっしりと分厚い本が詰まっている。
自分には場違いな空間に居心地の悪さを覚えつつ、向かいで紅茶を嗜む少女を改めて観察する。
絹のように繊細な金の髪、白い肌、大きく宝石がハマっているのかと疑ってしまう美しい瞳。まつげも金色で美しい。
人では無く、ぜんまい仕掛けの人形か天使だと言われても信じてしまいそうなほど可憐で可愛らしい。
アタシとは真逆だな―・・・。
今度は、アルベルのためにソーサーに乗ったカップを差し出してくれた黒服の男性を見る。
どうやら彼はこの屋敷の給仕―執事という職業だったか―らしい。
後ろの裾が長い燕尾服がかもしだすフォーマルな装いはいかにも貴族に仕える執事だが、近くで見るとより端麗さが際立つ。動き一つ一つが洗礼され、無駄がないように見える。
存在感を極力薄くし、給仕を終えると少女が腰掛けるソファの斜め後ろに控えた。
「自己紹介が遅れました。私はディアナ・ネスタ。ネスタ家現当主でございます。」
「まあネスタ!懐かしいわぁ。」
名を聞いて微妙な反応をしめした主と違い、ソファの端に腰掛けていた精霊が手を叩いて喜んだ。
「今も宝具を?」
「もちろんです。しっかりとお守りしております。」
「なんだ、知り合いか。」
「ベルちゃんも精霊王が人間に授けた宝具の話知ってるでしょ?
精霊王が人間に託した宝具のうち、鍵を受け取ったのがネスタ。今も王族を支える五老院の一角。最も王族に信頼された名家。でも・・・ずいぶんお若い当主様ね?」
「先代が数年前に亡くなりましたので、一人娘であった私が引き継ぎました。まだ若輩者ですが、周りに支えて頂きながらなんとかやっております。」
「こんなこと聞くの失礼かもだけど・・・おいくつ??」
「今年で12になります。」
「まあ!ベルちゃんより3つも若いのにこんなにしっかりして!しかも言葉遣いも仕草も凄く丁寧。見習った方が良いわよ。」
うるせぇ、と小さく吐いてからカップを掴んで乱暴に中身を飲み干す。
初めて口にするアールグレイという紅茶はとても美味しかった。
すかさず執事がやって来て、空のカップに紅茶を注ぐ。
「それで、アルベルティーヌ様。」
「フルネーム呼ぶのやめろって・・・!鳥肌が立つ!アルベルでいい。」
「それでは男性名になってしまいます。」
「構わない。ってかその方が合ってるだろ。あと様もいらない。」
一間置いて、少女は頷いた。
「かしこまりました。バジル様ですが、先日、我が屋敷を訪ねていらっしゃいました。」
「こんな貴族の屋敷に、田舎者が何の用があるってんだよ。」
「バジル様は光の適合者でいらっしゃいますから。」
幼馴染みのバジルも大地の適合者であり、光の精霊と契約している。
光の精霊、そして闇の精霊は特別な存在だと言われている。
精霊王が世界を作った時、始めに生まれたのが光で、同時に闇が生まれた。
反対側に位置する人間界にも光と闇が生まれたという。
精霊界でもトップに君臨する2つの適合者は長い人間史の中でも滅多に生まれず、
光と闇の適合者が揃うとき、世界に何かしらの動きがある前兆だと言われている。
学がないアルベルでも、有名な精霊王の話ぐらいは知っているので
光の適合者であるバジルが動くということは、彼に何かしらの司令が下ったのではないかと内心心配はしていた。
ルカの村を飛び出したのも、光の適合者としてのお役目が与えられたのではないかと。
「ネスタ家は常に王家の理解者であり最大の味方。バジルくんが真っ先に訪ねるのは理解できる。それで、内容は?」
「ダークの気配がする、と。」
セウレラの表情が一気に険しいものに変わった。
「適合者が、生まれたの?」
「バジル様が仰るには。お二方は、ケルベロスという組織をご存じで?」
精霊と主は揃って首を左右に振る。
「ヴォルクの北に位置するトゥーリヤという街を拠点とする犯罪組織で、非合法な組合、麻薬、人身売買など・・・言わばマフィアみたいなものですわね。近年は勢力を拡大し国内でも被害が増え、隣接するこのヴォルクも悪の手が伸び頭を悩ませているのです。」
「その犯罪者達がダークとどう関係があるというの?」
「どうやら、そのケルベロスのボスがダークの適合者であるらしいのです。
ボスは決して人前には姿を現さず、組織の中でも限られた極一部の人間しか面会することが許されない。男か女かすらわかっておりません。バジル様は、そのお力で我々より多くの事実を掴んでいるようでしたが、他者が多くを知るのはダークを引き寄せる要因になりかねないからと、子細は教えてくれませんでした。
口ぶりから、ダークとケルベロスのボスは結託し、悪さを働いている様子。」
「あの子・・・、懲りずにまた人間をからかって遊んでるのね。」
頬に手を当てて、どこか憂いた声を出す精霊にダークは何者かと問う。
児童向け絵本には、ダークは悪者にされることが多い精霊で、よく光の精霊ライトに懲らしめられていた。
「ダークは、人間が嫌いなの。お父様・・・精霊王が大好きだったから、人間に宝具を与えたことも気にくわないみたい。」
「その宝具って聞いたことあるけど、結局何をする宝なんだ?」
「精霊王を起こし助力を請うアイテムです。」
そう答えたディアナは膝の上で両手を揃え上品に座っているが、青い瞳が力強い輝きに変わった。
「精霊王は眠りにつく直前、人間王との友情の証に宝具を3つ、人間にお与えになって仰いました。人間ではどうしようもない問題が起きたとき、宝具を揃え我を起こしなさい、と。」
「あー、人間を助けてくれるアイテムってこと?」
「はい。」
「ダークはね、人間にだけアイテムをあげて眠りについてしまったお父様に裏切られたってずっと悲しんでいるのよ。精霊には、宝具みたいなものはくれなかったし、何かあったら助けてあげるとも言われなかった。」
「精霊王、随分人間贔屓だな。それで、バジルはダークを止めにいったのか?」
「行き先は仰いませんでした。目的も。ただ、宝具を大事に守るように言いつかりました。
それから、幼馴染みの女の子が自分を追ってネスタ家までやってくることがあれば、と伝言を預かって。」
「伝言?聞かせてくれ。」
アルベルがソファに座ったまま身を乗り出して、続きの言葉を待つ。
「調べ事が終わり次第ヴォルクに戻る。それまでネスタ家に留まり宝具を守るボディーガードでもやっててくれ、と。」
「はあああ!?何勝手に決めて・・・つか上から目線ムカツク!」
キーッと腹を立てて目を逆立てるアルベルに、セウレラがククと笑う。
「さすがバジルくん、ベルちゃんの性格をよくわかってるわ。」
「大人しくしてられっか!アタシもそのケロケロス?」
「ケルベロスよ。」
「―の、とこ行ってバジルをぶん殴る!」
「失礼ながら、それは無謀が過ぎるかと。」
「なんだと!?」
腹を立てる矛先を少女に向けるが、とても冷静な―12歳の少女が放つにはあまりにも冷淡な声で返される。
「アルベルさんを保護した人間が言うに、下級精霊スダナにも敗北したご様子。精霊のことを何も知らず、無防備に敵地に行くのは、バジル様と再会する前に命を無駄にするようなもの。」
文句を言おうと口を開こうとしたが、気絶する直前の記憶が蘇る。
確かに、ずいぶん簡単に精霊勝負で負けた。脇で控えている執事の蔦にも簡単に捕まってしまった。
アルベルは田舎育ちのため、精霊同士の戦闘などしたことがなかった。
水の力も、畑の水まきに役立てたとかその程度で、バジルにもよく宝の持ち腐れだと小言を言われていたものだ。
田舎で暮らし続けるつもりでいたし、村から出るつもりも誰かと争う予定も無かったので大して勉強してこなかったが、どうやら状況が変わった。それはバジルが家を出たことで理解した。
バジルは光の適合者として時が来たら動かなくてはならないと、子供の頃から覚悟を決めていたからだ。
もう田舎で土いじりをしたり、糸を編むのが好きなバジルではいられなくなったということ。
―時が来たら、きっと上手くやるさ。
そんな声が、頭に浮かんでは消えた。
「私と致しましては、正規適合者の方は大歓迎です。光の適合者が信頼する相手なら、特に。」
ソファの上で、当主の少女は僅かに佇まいを直して、改めてアルベルに向かい合う。
「先程も申しましたが、このヴォルクにもケルベロスの魔の手は伸びており、大切な市民の暮らしが脅かされております。
ダークは過去にネスタの宝具を狙って襲ってきたこともございます。アルベルさんさえよろしければ、バジル様が戻るまでの間だけでもこのヴォルクに留まり、お力を貸して頂けないでしょうか。」
「うーん・・・急に言われても。」
「いいじゃないベルちゃん。村に戻っても落ち着かないでしょ?此処でバジルくんを待たせてもらえば。」
腕組みをして唸っていたアルベルが、短く息を吐いて腕組みを解いた。
「全部バジルの思惑通りってのが気にくわないが、宝具、それから街を守ればいいんだな。わかった、やるよ。」
「よかったですわ。よろしくお願いいたします。」
肩の荷が下りたのか、少女―ディアナは安心した様子でにっこり微笑んだ。
笑うと纏っていた雰囲気が和らぎ、周りに花が咲いたように華やぐ。
自分より、よっぽど花の名前が似合うと思った。