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* 3


カーテンの隙間から漏れる僅かな日差しで、アルベルは目を覚ます。
田舎育ちのため、時計には頼らず太陽が顔を出した頃合いで自然と目は覚めるのだが、体を起こしたままベッドの中でぼんやりしないと意識が覚醒しない。
そうこうしていると、もう朝食の用意を始めたバジルが部屋にやって来て――

 


「あら、残念。もう起きていらしたの?」


聞き慣れぬ声に、重たい瞼を開く。
目に飛び込んできた景色に、此処がルカの自宅ではないことを悟る。
天蓋付きの広すぎるベッド、装飾が豪華な調度品が並ぶ広い部屋。
そこはアルベルが昨日寝かされていた部屋で、そのまま使わせてもらうことになった。
扉から身を乗り出してきたこの家の主は、両手に荷物を抱えたメイドを引き連れ部屋に入ってきた。

 


「あー・・・。ディアナ。はよー。」
「おはようございます。一度、誰かを起こしてみたいと思ったのですが、失敗してしまいましたわ。」

 


今朝も人形のような可愛らしさで、口元に手を当てて鈴のように笑う。
寝ぼけた頭では、目の前の少女が神様が寄越した天使じゃないかと疑ってしまう。
脇に控えていたメイドに目配せすると、メイドが両手に抱えていた荷物をアルベルのベッドの上に並べだした。
並べられたそれが色とりどりの布が衣服だと気づくのに、かなり時間を要した。
どれもお嬢様が着るような裾の長い凝ったデザインのドレスばかりであった。

 


「どれをお召しになりますか?」
「・・・・・・へ?アタシに?」
「私はこのピンクがオススメなのですが。」

 


ディアナが手に取った服は、フリルが沢山ついたワンピース。

 


「アタシはこういうのは着ないよ。似合わないし、動きづらい。」
「ですが、着てらしたお召し物は洗濯させました。」
「女の子なんだから、女の子らしい格好しなさいな。」

 


いつの間にか具現化していたセウレラが、ベッドの脇で宙に浮きながら足を組んでいた。

 


「いつも言ってるだろ、嫌だって。」
「いいじゃない!一回ぐらい可愛い格好してよ~。ベルちゃん可愛いんだから。」
「ヤダ。」
「髪を結ったり服を選んだり、私も女の子の楽しみを満喫した~い!」
「勝手に満喫してくれ・・・。ディアナ、なんでもいいから動きやすいものを頼むよ。」
「承知しました。用意させます。」
「もうベルちゃんたら・・・。」

 


部屋の隣にあるバスルームで顔を洗っているうちに、メイドが動きやすいシャツとズボンを持ってきてくれた。
どことなく女の子らしい色合いやデザインだったのでアルベルは不服そうではあったが、先程のドレスよりかは遙かにマシだったのでそれに着替え、ディアナに案内され食堂へ向かった。
足を踏み入れると、あまりの素晴らしさにアルベルは口を半開きにして室内を見回した。
朝日をたっぷりと取り入れる大きな窓、その朝日を反射するぐらい磨かれた木目の床。
壁は落ち着いたベージュで、絵画や調度品が並べられている。
此処が美術館だと言われても納得してしまう程優雅な贅沢な空間だったが、テーブルクロスが引かれた長机には、既に食器が並んでいた。
昨晩は疲れて果て、部屋に簡単な食事を運んで貰ってすぐ寝てしまったため、食堂を目にするのは初めてだった。
こちらへ、と差し出された椅子の前に立つと、メイドがそっと椅子を引いてくれた。
ただの椅子なのにクッションが柔らかくお尻が沈んだ。
ディアナもアルベルの向かいに座ると、奥の扉から次々料理が運ばれ、メイド達が手際よく並べていく。
焼きたてのパンの匂いに、お腹が自然と音を出す。

 

「さあ、召し上がって。」


いただきますと手を合わせてから、まずパンを千切って口に運ぶ。
柔らかく弾力があるパンは、口に入れた途端甘みが広がり、当然パサつきはない。

 


「ん~!うっま!」

 


今度は乱暴にフォークを握って、皿に盛られたサラダやベーコンを掻き込む。

 


「こっちもウマッ!」
「もうベルちゃん!マナーがなってないわ。恥ずかしい。」

 


人が居るため姿を消していた精霊も、溜まらず姿を見せて注意するが、アルベルの食べる手は止まらない。

 


「私しかおりませんから、お気になさらず。フフ、それにしても、美味しそうにお召し上がりになるのですね。」
「ごめんなさいね、ディアナちゃん。」
「いえ、見ている此方が嬉しくなってしまいます。お客様や接待以外で誰かと食事なんて、久しぶりですわ。」

 


ニコニコと微笑んでいるディアナの言葉に、抱えていたスープボウルを一旦置く。スプーンは握ったままだが。

 

「ディアナ、家族は?」
「おりません。3年前に母が病気で、先代であった父も後を追うように亡くなりました。」
「こんな広い家で一人?そりゃ、寂しいな。」
「使用人は沢山おりますし、私には当主としての務めもありますから。」

 


カップを持ち上げ優雅に紅茶を飲む少女が、こんなにしっかりしている背景を垣間見た気がした。
田舎で育った自分には到底想像も出来ない重みを、その小さな肩に背負っているのだろう。

 

「アタシも親はいないんだ。バジルの親とウチの親、アタシらが生まれてすぐ一緒に流行病にかかって死んだらしい。
それからはバジルと二人、村の大人の助けてもらいながら、なんとか生きてきたよ。」
「バジル様は、家族同然でいらしたのね。どうか、この屋敷を自分の家だと思っておくつろぎ下さいまし。
衣食住は全てネスタ家がお世話させて頂きます。そのほかご要望があれば、何なりと。」

 


ちょうどそこで食堂の扉が開いて、一人の男性がやって来た。
昨日アルベルを蔦で拘束した、やけに顔の整った執事である。
今朝も彫刻作品のように整っているが筋肉1つ動かさぬ固い表情のままテーブルの前まで来て、一礼する。

 


「お食事中失礼いたします。ロード公がお見えになりました。」
「まあ、予定より早いのね。」
「執務室でお待ち頂いております。」
「わかりました。ではアルベルさん、ゆっくり―」
「あ、ディアナ。さっそく頼みがあんだけど、いいか。」

 


立ち上がるディアナに、スプーンを置いて真面目な顔を向ける。

 


「お前の執事貸してくれないか。その執事も正規適合者なんだろ?
アタシは精霊のことも、精霊の戦い方も知らない。宝具を守る為にも、精霊のことを教えてほしいんだ。こんな美味い料理食わしてもらって何もしないのは、性に合わないから。」

 


アルベルの言葉に、ディアナは嬉しそうにニッコリと笑って大きく頷いた。

 

「そういうことでしたら。リカルド、ご挨拶を。」


執事は足を律儀に順番に動かしながアルベルの方へ体を向け、綺麗にお辞儀をする。

 

「リカルド・マフェイでございます。私も未熟者でございますが、謹んでご教授させて頂きます。」
「ロード公との会談中、付き添いは不要です。次の申し付けがあるまでアルベルさんのお相手を。」
「かしこまりました。」
「では、アルベルさん。また夕方にご一緒いたしましょうね。」


ディアナは紅茶を飲んだだけで食事を取っていないのに、慌ただしく部屋を出て行き
執事も、またお迎えに上がります、と一言付け加えてからディアナに付きそうように食堂を去って行った。
昨日きたばかりの見知らぬ家の広いテーブルに一人残され、途端寂しさが滲む。
周りに数人のメイドが控えているが、当然一緒に食事をするわけではないので、世界がくっきり分けられてしまったような。

 


「貴族ってのは、忙しいんだな。」
「そりゃそうよ。ネスタ家程の大貴族なら責任も重いはずよ。まだ幼いのに、大変ね。」


バジルに無理矢理押しつけられた宝具と街のボディーガードだが、あの少女の為ならちゃんと仕事をしようという気になってきた。
ならば体力を付けなければと、再びフォークを握って、ローストビーフを口いっぱいに頬張る。

 


「ん~!この肉もウマッ!」
「口元にソースついてるわよ。」


メイドに見守られながら朝食を終え、窓から見える緑豊かな庭を眺めながら優雅に紅茶を嗜んでいると、先程の執事が戻って迎えにきたので、早速稽古をつけてもらうことになった。
まずは座学はどうかと提案されたが、勉強は生まれてこの方苦手中の苦手なので、実技で頼むとお願いすると、案内されたのは先程食堂から見えていた庭だった。
屋敷の裏にあたるらしいが、美しい緑が生える芝と、屋敷の出入り口付近には小さな花壇。屋敷を囲むフェンスの前には背の高い木々が並んでいる。
オブジェも転々と置かれており、公園と言っても十分過ぎるほどである。
よろしくお願いいたします、と丁寧に頭を下げた執事―リカルドに倣って頭を下げると、彼の隣に白いコートを着た、これまた顔の整った若い男性が現れた。
緑色の毛先が長めの髪、緑色の瞳。白いコートと白いズボンは絵本に出てくる王子のような装いである。

 

「私が契約している、緑の精霊ユリウスでございます。」


白いコート姿の精霊は、軽く手を降った。


「あらユリウスじゃない。人間界で会うのは久しぶりね。」

 

緑の精霊は、喋らずニッコリ笑って頷くのみであった。


「あら?喋らないの?」
「申し訳ありません。ユリウスは声を失っております。それも私が未熟なせい。
ですがアルベル様の教示には差し支えないかと。まずは、何をお教えいたしましょうか。」


アルベルは腕を組み、唸りながら首を傾げる。


「アタシさ、樹木の精霊スダナってのと戦ったんだよ。で、執事と同じでセウレラの攻撃を弾かれて無効化されたんだよね。あれ、なんで?」
「元素の力が強い精霊ほど、五行思想に影響を受けます。」
「ゲンソ・・・?ゴギョ・・・??」


傾げた首が、下へ下へさらに落ちていく。


「ごめんね~執事くん。この子ド田舎で育ったから学校とか通ってないのよ。幼い子供に教えるぐらいの説明でよろしく。」
「承知いたしました。」


執事が手袋をした指で地面を差す。芝の上に双葉の苗木が生えた。

 


「水の精霊様、水を少し頂けますでしょうか。」


空中で浮かんでいるセウレラが双葉に向かって指を降ると、双葉の上に雨が降る。
すると双葉がみるみる育ってアルベルの膝より低い小さな木になった。


「水は木を育て、水がなければ木は枯れてしまいます。これは相生と言って、お互いを生み出していく関係です。反対に―」

 


小さな木の枝がどんどん太くなり、降り続ける雨を一気に吸ってしまい、水が消えた。

 


「水が弱く木が吸収する力が強いとき、この関係性は崩れます。」
「アタシは力比べで負けたってこと?」
「昨日の場合は。しかし、やり方によってはいかようにも対処は可能かと存じます。水が強すぎると、木は腐ってしまいます。過度な水やりで草花が枯れるように。」
「あー、それなら分かるぞ。子供の時、早く育って欲しいからって野菜の苗に水をあげすぎてダメにしたことがある。」
「そのイメージが大事なのでございます。私のユリウスや樹木の精霊スダナなどは水の影響を強く受けます。水を与えて腐らせるイメージ、水を抜いて枯らすイメージがあれば相手を―」
「楽しそうなことしてるじゃーん。俺も混ぜてよ。」

 

そこに、男の声が割って入ってきた。
燃えるような赤い髪に、ダークレットの瞳。
勝ち気な笑みを口元に携え、軍服に似た白い制服を着た若い男だった。
驚くべきことに、今まで表情と態度を崩さなかった執事が、面倒くさそうにため息を吐き、眉間を微かに寄せて不快感を見せた。

 


「ヴァン様・・・。使用人の付き添いも無く勝手に屋敷の中を歩かれては困ります。」
「いいだろー。オレ一応グアルガンの幹部だし。昨日助けた女の子も気になったしさ。」
「ああ!昨日助けてくれたのアンタか?その服見覚えがある!」
「そうそう。スダナとその主をちゃちゃっとやっつけて、キミを此処に運んだのはオレ。グアルガンのヴァン・オッド。よろしくね~。」
「グアルガン?」

 


再び首を傾げたアルベルの脇に、突然炎が現れた。
それがみるみるうちに燃え上がり、筋肉質な男のシルエットに変わった。
首は太く、肩から腕にかけて筋肉が盛り上がり、腹筋は割れている。
炎で形成されたのは上半身のみで、 顔の作りは簡単な凹凸のみであった。
当然服はきておらずオレンジ色の肌がむき出しである。

 


「おお!セウレラ!久しいなぁ。相変わらず色っぽいねぇ~。」
「げ。マグニ!ちょっと近寄らないでよ、暑苦しい!」


絵本で見たランプの魔神みたいな炎の男は、野太い声で豪快に笑いながらセウレラに近づいていく。


「人間界で会うのは久々じゃねぇかよ。もっと語り会おうぜ~。」
「嫌よ!っていうか、その半端な姿なんなのよ。」
「ん、あーこりゃワケがあって。」
「まとめて説明いたしましょう。ヴァン様、腕輪を見せて頂けますでしょうか。」
「ん?いいぜ~。」

 


白服の男が右の袖をまくって、手首に巻いた腕輪を見せた。
白いベルトに四角い部品が付いている。
それは昨日、スダナの主らしき男が腕に巻いていたものと同じであった。
昨日見たものと同じく、四角い部分の中央に黒い何かー薄く小さな板が埋め込まれている。


「こちらは疑似召喚装置。精霊と血の契約を果たすことで、大地の適合者でなくても精霊と契約が可能になります。」
「まあ。私が眠っている間にそんな技術開発されてたの?お父様―精霊王がよく許したわね。」
「オヤジ殿はいまだ寝こけてるから、問題ねぇんだろ。適合者は滅多に生まれねぇから、この器械でより多くの精霊がコッチに来れるから、便利だぜ?それに契約は両者納得の上結ばれるから、安心安全。」
「白服の方々は、この疑似召喚装置を使ってヴォルクを守るネスタ家直属の私設治安維持部隊・グアルガンのメンバーです。」
「なんだよ。アタシがいなくても街を守る奴らいるじゃんか。」

 


執事が最低限の動きのみで首を横に降る。


「いえ、疑似召喚装置は正規適合者に比べれば威力は劣り、先程説明した五行思想の力関係も弱くなります。ちょうど良かった。ヴァン様。どうせお暇でしょうから、少しお付き合いして頂けますか。」
「今何してるとこ?」
「アルベル様に精霊とその相互作用について説明してるところです。」
「ん?女の子かと思ったら男の子だった?ああ、胸無いもんね。イテッ!」


赤髪に水の球がヒットする。


「ちょっと!ベルちゃんに失礼なこと言わないで頂戴。」
「女の子で合ってるの?でも男性名じゃない。」
「本名はアルベル―」
「やめろ言うな!アルベルでいい!えっとー、ヴァンだっけ?昨日は助けてくれてありがとな。」

 


自分が幼馴染みを追ってヴォルクに来たこと、ネスタ家に世話になる代わりにボディーガードとして滞在することになったこと。
加えて、今まさに精霊に付いて教わっていることを簡単に説明する。

 


「いいね。オレは火の精霊マグニと簡易契約を交わしているから、キミとは相克。相手を討ち滅ぼす関係性だ。喜んで練習台になるよ。執事くんの木じゃ貧弱過ぎて相手になんねーもんな。イテッ!おい、なにすんだ!」

 

執事が腕に這わせた蔦で、ヴァンの肩を叩いた。結構強めに。


「聞き捨てなりませんね、簡易契約者ごときが。」
「ごときとは何だ!お前木の属性だから火のオレには勝てないだろうがっ。」
「グアルガンの方に怪我をさせたとあってはネスタ家の名にいらぬ傷をつけてしまう為、遠慮していただけのこと。貴方のとろ火で焼かれるほど、ユリウスの幹はヤワではありません。」
「なんだとコラー!」
「お前ら、仲良しだな。」
「「仲良くない!」」
「おお、ハモった。」

 

ギャーギャーと騒ぎ出した主達から少し離れたところで、こちらもギャーギャーと騒ぐ水と火の精霊。


「四大精霊のくせに、簡易契約に応じるなんて。」
「お前もダークが動いてること聞いたんだろ?どんな状態だろうが、人間界に居た方が対処が出来る。それにヴァンの旦那は主に足りる根性を持ってる。気に入ってんだが、事情があって正規契約出来ないのが残念だ。」
「事情?」


二人の側に、緑の精霊ユリウスが現れて軽く会釈をした。

 

「あらユリウス。久しぶりね。本当に喋れないの?」


ユリウスがニッコリ笑いながら頷いた。


「精霊言語による意思疎通は可能だぜ?人間体の声帯を失ってる。ありゃ契約者のアイツが感情に乏しい欠陥人間なせいだ。」
「緑系の頂点にいるあなたが、人間に問題があったぐらいで影響を受けるわけないわ。
何があったか教えてちょうだい。」


庭に柔らかく風が吹き抜けていった。立派に生えた樹木が枝を揺らし、葉が芝に落ちる。
セウレラは目をまん丸く見開いて、驚きのまま一瞬言葉を詰まらせた。


「そんな・・・。まさか、じゃあ―。」


笑顔が消え、悲しげに眉尻を下げたユリウスが、静かに首を振った。今度は横に。


「マグニ、貴方も聞いてたのね。」
「ああ、もちろんだぜ。だからオレ様はヴァンの旦那と共にいる。」
「私が思ってたより、事態はずっと悪いわ・・・。ああ、なんてこと。新しい主を守らないと。じゃないと―」

 


少し離れたところから、アルベルが腕を上げてセウレラを呼んでいる。
庭の緑にサーモンピンクの髪はよく映えて、笑顔がいつもより輝いて見える。
胸の奥に広がっていく不安をぐっと押しとどめ、主の元へ浮きながら向かった。

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