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結局、ヴァンの乱入によりリカルドの授業は終わってしまった。
ディアナが客人との会合が終わったらしく、リカルドは呼ばれて行った。
屋敷は好きに使って、用があればメイドに言ってくれと言われていたので
アルベルは食堂に戻って飲み物をもらうことにした。
なぜかヴァンもついてきて、一緒にお茶をすることとなる。
「ヴァンとリカルドっていつもああなの?」
「ん?まあね。あいつ生真面目だから、からかうと面白くって。」
「鉄仮面なんだと思ってた。」
「実際そうだよ。感情がないって本人も言ってた。」
「そうか?」
「あいつも色々あったらしいからね。詳しくは知らないけど。」
メイドが気をきかせておやつを出してくれた。
一口サイズの焼き菓子だ。
朝食を食べてそう時間は経ってないというのに、つい手を出してしまう。
「グアルガンってのはさ、その腕輪で疑似召喚しながらケルベロスと戦ってる奴らのことだろ?」
「そうだよ。あ、そうだ。ウチの上司がアルベルちゃんに会いたがってたよ?」
「上司?」
「グアルガンの司令官。創設者と統括はネスタ様だけど、現場の指揮は司令官がやってるんだ。
ネスタ様からも報告は行ってたみたいで、一度顔を見せてほしいってさ。
街を守る者同士、顔合わせぐらいはしとかないと。」
「なるほどな。そのうちお邪魔するよ。」
カップが空になるとすぐさまおかわりを注いでくれるメイドの手際の良さに感動しつつ、
もう一つ焼き菓子に手を伸ばす。
セウレラがたしなめるが、聞いてはいない。
「ケルベロスの奴らってさ、そんなにしょっちゅうくるの?」
「結構ね。まあ多いのは下っ端の下っ端とか、運搬役とかだけど、長居されて巣をつくられたり
輸送ルートとか確保されちゃかなわないから、毎日警戒してる。」
「そんなに宝具ってのが欲しいのか?」
「それもあるけど、今奴らがご執心なのはこの疑似召喚装置。」
ヴァンが腕をちょっと上げて装置が見えるようにした。
今黒曜石は黒いまま、眠っているようだった。
「あいつらは金の亡者でもあるからね。こいつを流用して販売したいそうなんだ。
でも、これは特殊な装置で、腕から外せば装置の謎は解き明かせない。」
「??」
「つまり、ケルベロスは模倣品作りたくても作れないってこと。」
「ふーん。じゃあ盗まれて悪用される心配はないのか。」
「まあね。疑似召喚装置とはいえ、精霊を悪事に使ったらそれこそ大地の歪みが起きてしまう。
俺たちは街と一緒に装置も守ってる。」
「世の中は色々複雑なんだな。」
達観したような物言いにヴァンが彼女の顔を見る。
「アタシは毎日、起きてご飯食べて、畑いじって、寝る。それの繰り返しだった。」
「素敵な毎日だったんだね。」
「そう言ってくれると助かる。なんだか、無責任に生きてきたんだなって実感するよ。
ヴォルクに来た動機だって、幼馴染を追ってきただけだし、幼馴染に言われて此処にいる。なんだか、情けない。」
「そんなことないよ。此処で色々学ぼうと決心したのはベルちゃんじゃないか。十分立派だよ。
見ず知らずの土地で、いきなり守れだ戦えだ言われたんだ。戸惑うのが普通なのに、
君はさっそく執事くんに教えを乞うていたじゃないか。」
皿に残った、食べ掛けの焼き菓子を眺め、一気に口に放り込むとお茶で流し込む。
メイドがお代わりを注ぐより早く、椅子から降りた。
「ヴァン、時間ある?手合わせお願いしたい。炎と水はいい勉強になる。」
「もちろん!いいね、君は真っすぐで、俺そういうの好きだよ。」
アルベルはもう道順を忘れてしまっていたので、自分の庭かのように屋敷を辿るヴァンに続いて
裏庭の芝生に戻ると、さっそく精霊の力を使って実践訓練を始めた。
詳しいことはまだまだわからないが、少しでもセウレラの力を使いこなせてあげたいとは強く思った。
*
夕刻。
一度グアルガン本部に戻らねばならないためヴァンが帰宅した。
すれ違いに、ディアナがリカルドを連れて裏庭にやってきた。
「アルベルさん。まだヴォルクをゆっくり見学なさってないと思うのですが。」
「そういえばそうだな。わけもわからず歩いただけっていうか。」
「丁度今夜は大きな市場が開かれるので、ご一緒にどうですか?」
「行きたい!」
「では参りましょう。」
ヴォルクの中央市場とその付近の通りで、週に1度行われる市場。
日が暮れてから開催されるので、名を黄昏市場。
空が黄色に染まり影が落ちてくると、いろんな店が露店を設置し電球のライトを灯す。
老若男女、仕事終わりの人たちも集まってきて、とても賑わっている。
ヴォルクに来た初日は道に迷ったり不良にからまれたり、ケルベロスに遭遇したりと
ゆっくり街を見る余裕は当然なかったので、活気溢れる街のエネルギーを初めて肌で感じた。
この街は歴史が古いようで、石造りの建物のデザインはどこか古めいて見える。
石畳の路地も色あせ年季が入っている。
外灯は電気だが、ガス灯時代のデザインそのままだ。
こんなに人がいる光景ももちろんのこと、見たことがないものが売られているのが物珍しく
キョロキョロと辺りを伺うアルベルにディアナは優しく微笑んだ。
「アルベルさん、はぐれると危ないですよ。」
「あ、ごめん。」
「もうーベルちゃん、田舎者丸出しよ。」
セウレラが呆れた声をだす。今彼女はヘアピンに化けてアルベルの髪に収まっていた。
人混みの中で彼女がいると事故が多発しそうだったのでー主に視線を奪われた男性がー擬態してもらった。
「田舎者なんだからいいじゃねぇか。」
「ふふ。見たいお店などがあったら言ってください。」
市場はいろんなエリアに分かれていた。
中央広場には道化師やパフォーマーが芸を披露し、綿菓子なのでお祭り屋台が並ぶ。
その右手にある通りは衣服やアクセサリー、工芸品の露店が集まり、
広場の左手は食材を売る露店や店が並ぶ。
アルベルが珍しい野菜を見て目を輝かせたので、一同は食材エリアに入った。
八百屋も店先に簡易露店を出し、フルーツジュースや凍らせたフルーツを売る。
味見を出来る所も沢山あり、出身の村では見たことないような野菜や果物にアルベルはハシャいでいたが
とある店の前で足を止めた。
「ディ、ディアナ、あれなに!?」
「?あれは、タコですわ。」
「タコ??」
「海産物はあまりご存じないようですね。ちょうど良かった。こちらへ。」
人の流れを切って魚屋に入り、ディアナが魚屋の店主を呼んだ。
ビニールの前かけをし、長靴に絞り鉢巻。
日焼けした肌に筋肉で太い腕、だが髪は白交じりの灰色で皺が深いガタイのいい初老の男性が、
発泡スチロールから銀色の魚を取り出しながら、少女に呼ばれ振り向いた。
「おー、ディアナ様。市場にお出かけになるとは珍しいですな。」
「お客様と街の見学がてら。新しい同居人のアルベルさんです。」
「よ、よろしく…。」
「なんでぇ嬢ちゃん。魚嫌いか?」
「アルベルさんはルカの山育ちなので、海産物と馴染みがないようで。」
「ルカから来たんか!そりゃあ納得だ。」
「…おっちゃん、ルカ知ってんの?」
「若ぇ頃に大工の手伝いしてたことがあってな。木を分けてもらいに何度か行ったぜ。
静かでいいとこだ。野菜もよく育ち、気候に恵まれてる。」
ルカを褒められたことで、ディアナの後ろに隠れるように立つのをやめ、前に出てちゃんと魚を見学する。
図鑑で観察したことはあったし、切り身を分けてもらってみそ汁にしたことはある。
「これを、都会の人間は刺身で食うんだろ・・・?信じらんねぇ。」
テカテカした肌に剥き出しの目。背筋に走った悪寒を止められない。
怖がって魚と睨めっこするアルベルを見て、ディアナはゲントに行った。
「それをくださいまし。」
「か、買うのか・・・!?」
「マリネにすると美味しいんですよ。きっと気に入りますわ。ゲントさん、タコもくださいまし。」
「まいどっ!」
後ろに控えていた執事がお金を払う間、魚屋の天井からぶら下がったタコのぬいぐるみを訝し気な目で見つめる。
デフォルメされた可愛らしい見た目だが、触手についた吸盤が恐ろしい。
「さ、参りましょう。」
タコから目を離すと、タコが入った袋を腕から下げ、発泡スチロールを肩に掲げたリカルドがいた。
「荷物持つよ?」
「問題ございません。」
セウレラに転移させて屋敷の厨房まで運ぶ手立てもあったが、それはユリウスも同じだろう。
それをしないということは、執事は自分の仕事は自分でしたいのだろうと、それ以上は何も言わなかった。
それから露店を色々見て回り、空がとっくに藍色に濃く染まってから、屋敷に戻った。
早速リカルドは料理長に頼み買い込んだ食材の調理を始めた。
食堂のテーブルに並んだのは魚の塩焼きとフライ、赤身の刺身に、焼きホタテのバター和え。
いつの間に他の魚も買い込んだのか、見事に海産物料理ばかりだった。
「ヴォルクは港町でもあります。海の料理も盛んなので召し上がっていただきたかったんです。」
だそうだ。
ディアナの読み通り、アルベルはタコのマリネを気に入り、他の料理も完食してみせたので魚への偏見は無くなったようだ。
デザートの苺タルトもしっかり食べ、食後のお茶も楽しんでから
アルベルはディアナと一緒にお風呂に入った。
この屋敷、共同風呂が存在する。
使用人も利用している広い風呂で、大理石が敷かれ銅像まで建っている。
大きな浴場で泡風呂をのぼせる直前まで楽しむと、面倒くさがるアルベルに代わってディアナが髪を乾かしてやる。
「今日は本当に楽しかったです。このまま寝るのがもったいないぐらいですわ。」
「アタシも。」
「お父様とお母さまが亡くなってから、誰かと食事をしたり出かけたりなんてできませんでした。
市場も久々に行きましたが、アルベルさんとあれやこれやと眺めるのは、新鮮でした。」
「そっか。また行こうな。この街気に入ったよ。」
「ようございました。黄昏市場の他にもバザーや、商人が露店を開くイベントもございます。」
「楽しそうだな!」
「ええ。必ず一緒に参りましょう。」
思い返せば、アルベルに友人はいなかった。
近所に住むのは爺ちゃん婆ちゃんばっかりだし、同じ年代は幼馴染のウィリアムだけ。
同性の知人もいなかったので、アルベルもまた浮かれ楽しい時間であった。
「アルベルさんをお客様というのはやめにいたしましょう。もうこの屋敷の住人、家族ですわ。」
「いいのか?」
「もちろんです!」
「嬉しいよ!学ぶことはまだまだあるから、しばらくヴォルクにいるつもりだし、これからもよろしくな、ディアナ。」
「ハイ!」
風呂上りのためか、赤い頬のまま年相応の笑顔を見せたディアナに
アルベルも自然と笑顔になっていた。
繋がりが出来るというのは、暖かくて、どこかむず痒い。
そして二人はそのまま、同じベッドで眠りについた。
まるで姉妹の様に。