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アルベルがヴォルクにやって来て3日目の夕方。
執事のリカルドと裏庭で修行をつけてもらっていたところ、メイドに付き添われながらディアナが姿を見せた。
「お疲れ様です、アルベルさん。お勉強は順調ですか?」
「ようディアナ。執事のおかげでだいぶ力使えるようになってきたぜ。」
「それはようございました。仕事が早く終わりましたので、せっかくですから黄昏市場に出掛けませんか?」
「市場?」
「普段の市場と違って、毎週末にフリーマーケットが開かれるのです。街の外からも商人が来て様々な店が並ぶので、見ているだけでも楽しいですよ。」
「へー!いいな。」
「新しいお召し物も見つかるかもしれません。」
「服はいいよ・・・。」
ヴォルクの中央区商業エリアで毎週末に行われる市民や観光客向けのフリーマーケットは、夕方から始まるので黄昏市場という愛称で親しまれている。
アルベルはヴォルクにやって来た初日にこのエリアに入ったが、あまりゆっくり品定めする時間は無かったので、活気溢れる通りの様子に胸を躍らせた。
「すっげぇ人!」
「ベルちゃん、あまりキョロキョロしてると迷子になるわよ。」
「こうすれば問題ありません。さ、参りましょう。」
外出用の外套をまとったディアナがアルベルの手を取って歩き出す。
その後ろを人間の姿になったセウレラと、こちらも外出用コートを来ているリカルドが続く。
石畳のストリートは、人で溢れかえっていた。
左右には肩を並べひしめき合うように店々が並び、大きな声を上げて客を呼び込んでいる。
色鮮やかな野菜、大きく立派なフルーツ、複雑な工芸品や衣類など。
本当に様々な者がこれでもかと並び、アルベルにとっては初めて目にする品ばかり。
空は紺色のベールが降りているのに、店の中から漏れる明かりやお洒落な街灯のオレンジが夜を拒絶するように目映く活気ある通りを照らしている様は、どこか幻想的であった。行ったことはないのだが、お祭りというやつはこんな感じなのかもしれないと頭の片隅で喜んだ。
手を引かれていたはずがいつの間にか手を引っ張って、あれはなんだこれは何に使うんだとディアナを質問攻めにするが、一つ一つ丁寧に説明をしてくれる。
オルゴールというネジを巻いて音楽を奏でる箱を楽しんだ後、会わせたい人がいるとディアナが一軒の店に案内した。
そこに並んでいたのものは本で読んだことがあるので知ってはいたのだが、初めて嗅ぐ生臭い匂いに顔をしかめてしまう。
並ぶ無数の目。光沢する表面。見たことのない造形の生き物達の死骸が並んでいる異様な光景。
これが魚か―・・・。
「今晩は、ゲントさん。」
「おお!ディアナ様。いらっしゃい。今日はお友達もごいっしょですかい?」
店先に立っていたがたいのいい壮年男性が振り向いてそう言ったが、身長差がありすぎて、顔を伺うには首を大分傾けなくてはならなかった。
60代前後の年齢だと思うのだが、シャツから覗く腕や首は太く逞しく、組んだ腕だけで筋肉量の多さが分かる。
肌は日に焼けているのだが、笑って見える歯は白い。笑顔は人なつっこく、皺が寄ってるが若々しく見える。
外見だけでも、豪快さと人の良さが垣間見える。
「こちらは魚屋のゲントさん。商工会の顔役で、先代の時代からとてもお世話になっているのです。」
「いやいや。ネスタ様あってのヴォルクでさぁ。」
「ゲントさん、こちらはアルベルさん。水の正規適合者でしばらくの間我が屋敷でお預かりすることになったんです。もちろん。ヴォルクを守る手助けをして下さいます。」
「そりゃ心強い。よろしくな、嬢ちゃん。どっから来たんだい。」
「ルカだよ。」
豪快な物言いと野太い声の圧に押されながら無愛想に答えると、ゲントが笑みを深くした。
「ルカか!懐かしいなぁ。若い頃仕事で寄ったことがあるんだ。皆気のいい人ばかりだったから、久々に名前が聞けて嬉しいよ。
数年前に人がいなくなったんで廃村になったなんて話も聞いたが、ありゃデマだったか。
ルカじゃ新鮮な魚なんて手に入らねぇだろ。今朝入った魚持って行けや。」
そう言って店の奥から発泡スチロールに入った立派な魚―のちに聞いたがカツオ一匹がまるまると入っていた―を持ってきて、リカルドがすかさず受け取る。
店の屋根からぶら下がっているぬいぐるみが目に入った。
体は赤く、触手が8本生えて、全体的に丸くて目が二つ、突き出された口のようなものがついている。
「ディアナ、あれ何?」
「タコのぬいぐるみですわ。」
「タコ?」
「海の生き物で、・・・あの箱にいるのがタコです。」
少女の細い指で差された生き物を見たアルベルが、苦い顔をした。
茶色い体の表面はヌルヌルしていて、触手に沢山ついた吸盤が生々しくて背筋に走る嫌悪感を止められない。
本にあんな生き物いただろうか。物語に出てくる怪物に近いではないか。
ビビるアルベルの何とも言えない表情に、ディアナが微笑む。
「マリネにすると美味しいんですよ。」
「アレが?ホントに食い物?」
「ええ。きっと気に入りますわ。ゲントさん、タコも下さいまし。」
「まいどっ!」
せっかくだからと他の海産物も食べさせようとあれこれ買い物する主に言われるまま執事は支払いを済ませ、いつもの無表情のまま魚が入った白い箱と荷物を両手に抱える。
ゲントに挨拶して別れ、再びストリートを歩き出す。
「あ。」
目に入ったそれに思わず声が出た。
軒先で籠一杯に積まれた小さな赤い実。
「カッシュの実、お好きなんですか?」
「バジルがな。村じゃ手に入らないから、春にだけやってくる行商人から買って、タルトを焼いてやったんだ。」
「アルベルさんは何がお好きなんですの?」
「うーん。ピレーモかな。」
「まあ嬉しい!私もピレーモは大好きなんです。あちらの八百屋で売っているはずですわ。参りましょう。」
アルベルの手を取って人混みをかき分ける駆けるディアナを、黙って付いていく執事に、自分も市場見学がしたいので人間の姿で同行していた精霊が問いかける。
「楽しそうね、ディアナちゃん。」
「あんなにはしゃいでいらっしゃる姿、久々に拝見しました。年頃の近いご友人はいらっしゃらないので、アルベル様の滞在は喜ばしいご様子。」
リカルドの隣に精霊ユリウスが現れて、リカルドが抱える荷物を蔦で巻き取り持ち上げた。
同時に、八百屋の前を陣取っているディアナがリカルドを呼ぶ。支払いをしてほしいらしい。
ありがとうと礼を言って、ディアナの元に向かう。
「フフ、主に寄り添うとこは相変わらずね。それにしても、ここは複雑な街になってるわね~。」
腰に手を当てながら人混みをぐるりと見渡す。
夜になって少し肌寒くなり人々が上着を羽織って市場を楽しんでいる中、露出の多い美女は色んな意味で目立っていたが、彼女に人目を気にしている様子はない。
「疑似召喚装置とやらの影響もあるし、カフが随分幅を利かせてるようね。ん?―――あら、そうなの?街だけじゃ無く、人も複雑そうね。ライトが動くはずだわ。」
セウレラもアルベルに呼ばれていることに気づき、そちらに足を向けた。
市場を十分に楽しんでから屋敷に帰ると、市場で買い込んだ魚介類中心の夕食を食べた。
ゲントから貰ったカツオやサーモンの刺身に、焼きホタテのバター和え、白身魚の天ぷらなど。
ディアナの読み通り、タコのマリネをアルベルは気に入り完食してみせた。
初めて食べる海鮮料理をアルベルはいたく気に入った様子であったので、ディアナも満足そうであった。
食後のお茶をたしなんでから、ディアナとアルベルは一緒にお風呂に入る。
大理石の大きな浴場で泡風呂をのぼせる直前まで楽しみ、面倒くさがるアルベルの髪を、ディアナの私室で乾かしてもらうことになった。
ディアナの私室はアルベルが借りている部屋の1.5倍広かったが、デザインは年相応に可愛らしいものでまとめられていた。
天蓋のカーテンは青地に星柄が描かれ、置かれた家具は白いアンティーク調でまとまっている。
毛足が長い白いラグは猫の形をしていた。
ベッドの上に移動して、髪を解かしてもらう。
「ご両親がいなくて、今までどうやって生計を?」
「畑だよ。自分達で食う分は自分達で育ててた。野菜とか、糸とか。近所のおじさんおばさんも分けてくれたし、養鶏場のじいさんは毎朝卵をくれるんだ。だからお礼にクッキーとか焼いて渡してた。」
「まあ、自給自足。凄いですわ。」
ブラシをドレッサーに戻して、ヘアオイルをサーモンピンクの髪に塗る。
華やかなフローラルの香りが広がった。
「気になっていたのですが、光の精霊はどういう方ですの?バジル様がいらした時は、姿をお見せにならなかったので。」
「ライト?うーん。いつもニコニコして、あんまり喋るタイプじゃなかったな。」
「精霊のおとぎ話では、精霊王が始めに産んだのが光と闇。2人は特殊な精霊とありました。
適合者も滅多に生まれないので、光の適合者は大切にしなさいと、先祖から言いつかっております。」
「バジルが凄い奴だって実感、まだわかないんだよな~。田舎じゃ、土いじりが好きだったぞ?
ジャガイモが好きでさ。よく服を土だらけにして洗うの大変なんだ。」
「まあ。そうなんですの?」
ベッドの上で、沢山話をしながら笑い声が絶えずこぼれる。
ルカの村は年配の人ばかりで、幼馴染み以外で同世代と交流するのは初めてのことであった。
「さ、勿体ないですが寝ましょうか。ダストルガが来てしまいます」
「なにそれ。」
「ご存じありません?夜寝ない子のもとにやってくる悪い影のことですわ。
夜な夜な部屋に入ってきて、魂を駆って行く死神のような存在です。いたずらっこを叱る常套句でもあるんですよ。」
「ふーん。」
ディアナの広い布団に入って部屋を暗くしても、寝付くまでおしゃべりは止まらなかった。
他人といるのも悪くないと感じながら、まだ浮ついてソワソワする胸を抑えて眠りについた。
姉妹がいたら、こんな感じだったのだろうか。