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*6

ヴォルクは歴史ある古い町だ。
人が賑わう大通り付近は比較的綺麗で安全だが、旧市街地と呼ばれるエリアは細い路地が入り組んで配置されているせいか
どこか汚らしく、さらに奥はスラムと化している場所がある。
統治者であるネスタ家が睨みを聞かせているものの、大きな街に影は潜むものだ。

旧市街地・レンガ通り
廃墟ビルも多く並ぶ、秩序正しいとは言えない路地を
アルベルは走っていた。

「どっち行った!?」
「右よ。」


顔の脇で光る逆三角形の浮遊物―探索形態(サーチモード)セウレラの指示に従い、角を右に曲がる。
曲がった先は行き止まりだった。
色がだいぶ落ちたレンガの壁で、追い詰めたそれは行き場を無くし、くるくると回る。
後ろは壁、前はアルベルが立ちふさがっているため逃げ場はない。

 


「やっと追い詰めたぜ!ちょこまかと逃げやがって、観念しやがれ。」


捨て台詞を吐いて、それを抱き上げた。
プルプルと震え黒目を潤ませた白いチワワは観念したらしく大人しく抱っこされていた。
 


「初めから私を使えばよかったのよ、ベルちゃん。自分で捕まえようなんてするからこんな手間取るのよ。」
「ワンコごときに精霊使うなんて卑怯じゃねえか。」
「使ったじゃない。」
「最終手段だよ!」

怯える犬をしっかり抱きしめ、依頼人―飼い主の元へ急いで向かった。

ヴォルクの街で探偵業を営んでいる男性がいた。
探偵といっても浮気調査や迷い犬や猫の捜索、足が悪いご老人に代わり掃除したり買い物したり、車や水道管の修理をする。
はっきり言ってしまえば便利屋である。
その便利屋が迷いインコを探してる最中、街を散歩していたアルベルが通りかかり、セウレラの力でインコを捕獲したのがきっかけで
アルベルも仕事を手伝わせてもらうことになった。
ディアナの屋敷で衣食住全てを世話してもらうのはどうも性分に合わず、仕事を探そうかと思って所だったのだ。
精霊の力を使えると聞いて探偵は大喜びし、迷いペットや探し人の捜索依頼をアルベルに任せてくれるようになった。
給料は週払いで受け取り、少ないながらもディアナに渡している。
もちろん彼女は生活費のことは気にしなくていいと断ったが、気持ちの問題だ。
働かざる者食うべからず。
ルカでそう教わった。
ヴォルクの北側の高台は。高級住宅街になっており、柄の悪い連中は足を踏み入れない。空き巣は別だろうが。
その一角に依頼主の家があり、チャイムを鳴らすと宝石を指や腕に着けた派手な夫人が出てきた。
抱えていた犬を手渡すと、夫人は大根のように太い腕できつく愛犬を抱きしめ、口紅をたっぷり塗った唇でキスを山ほど送る。
アルベルには、震えるチワワがが逃げ出した理由がわかった気がした。
仕事は仕事と割りきり、ご機嫌の夫人から依頼料を受け取り、救いを求めるような潤んだ瞳を向ける犬に背を向けた。ごめん、と心の中で謝りながら。
あのチワワがまた逃げ出す予感を感じながら、住宅街を抜ける。
勤め先であるガロア探偵事務所はヴォルクの西の旧市街内にあり、

古い家屋やビルが立ち並ぶ閑散とした通り沿いにこっそりと建っている。
三階建ての長細いビルで、一階は駐車場、二階は事務所、三階は社長の仮住いがある。
探偵事務所を営みアルベルを雇ったメートル・ガロアの住居は別にあるのだが、
便利屋としてそこそこ忙しい彼は家に帰る時間が無いときは倉庫を改造した三階部分で寝泊まりをする。
お風呂は無いが、仮眠するには丁度いいらしい。
ビルの奥に位置する階段を上がり、事務所のすりガラスが埋め込まれた扉を開く。
中は埃っぽい臭いが充満している。
書類がそこかしこで山積みになっているせいで実際のスペースより狭く感じる。
両壁際には棚がズラリと並び、接客用黒革のソファーが対になって置かれ、
時代遅れなレースが敷かれた長テーブル、四六時中シャッターのおりた窓際にはメートルの机と椅子。
入口の左側、仕切りの向こうには簡単な台所があり、依頼主にお茶を出せる用意は整えてあった。
この部屋にあるのはそれぐらいなのだが、今日はやけに華やかに見える。
メートルの机に、赤とピンクの中間色ドレスを纏う美しく艶めいた女が熱心に書類を眺めていた。
胸元は大胆に開いているのにファーの上掛が上品なせいか、いやらしさはあまり感じず、
大きくウェーブした栗色の髪がブラインドから漏れる太陽光を吸収して、漂う埃の煌めきさえ高貴なアクセサリーに変えていた。
アルベルの気配に気づいて女は顔を上げた。
伏せられていた睫毛が上を向いて、彼女の最大魅力であるガラス玉のように綺麗な瞳が少女を写す。
常に潤んでいるようなあの瞳に、貧相な自分が映るのは申し訳ないと、女に見られる度アルベルは思うのだ。
女はメートルの妻である。
頭のてっぺんがハゲだしだらしない体つきの中年男には勿体無いと誰しもが考えるが、妻キャシーはメートルを心から愛している。
恋の火はどこで灯るかわからんもんだな、と魚屋のゲントは嘆いていたものだ。
キャシーは書類を置き、アルベルに微笑みを向けた。
笑うと、えくぼが出来て可愛らしい印象になる。
 
 
「おかえりなさい、アルベルちゃん。ワンちゃんは見つかった?」
「バッチリ。メートルさんは?」
「今、水道管修理の依頼が来て出掛けた所よ。私は電話番。」
「そっか。じゃあ、これ。」
 
 
ポケットにしまっておいた依頼料と契約完了の受印が押された書類をキャシーに渡す。
ガラス玉の瞳でさっと書類を確認する。不備はなかったようで、顔はすぐあげられた。

 


「お疲れさま。私から夫に渡しておくわ。代わりに、ハイ。今週分よ。」
 
 
キャシーの赤い爪で手渡された封筒を受け取る。
いつもより分厚い。
 
 
「こんなに貰えないよ。」
「あなたが働いた相応の分よ。アルベルちゃんがこの事務所の評判上げてくれてるおかげで夫は大忙し。
昨日なんて、高いお肉を買い込んでワインを飲んでたわ。
あの人は仕事終りにお酒で酔うのが何よりも楽しみなの。
メートルの笑顔が増えて私も嬉しい。だから、もらってちょうだい。」
 
 
えくぼを一段と深くしたキャシーの笑顔に負け、素直にポケットにしまった。
だが、自分はペット探ししかしていない。
メートルはもっと沢山の仕事をしているし、精霊は持っていないのだ。不公平というか、割に合わない気がする。
少女が胸中に抱える思いに気付いた女は白い彫刻のように完璧な手で少女の頬を撫でた。
 
 
「いい子ね。あのディアナ様が惚れ込むのも無理ないわ。そうだ、貰いすぎというなら、そのお金で何かプレゼントでも買ってあげたら?そろそろ黄昏市が始まる頃合いだし。」
「ディアナの家はお金持ちだから、何あげていいかわかんないよ・・・。」
「プレゼントっていうのは心を送るのよ。金額じゃ気持ちは図れない。あなたからの贈り物ならディアナ様は喜ぶわ。
さ、暗くならないうちに買い物に行ってらっしゃいな。」
 
 
コクリと頷き、アルベルはキャシーに別れを告げ事務所のビルを出た。
プレゼントなどしたことがないが、とりあえず言われた通り中心街へ向かってみる。
今日は黄昏市場が開かれる日であったはずだ。あそこなら何か見つかるかもしれない。
ずっと姿を消していたセウレラが人の形で現れる。
 
 
「無駄遣いしちゃダメよ~?」
「買い物する前から言うなよ。」

 


セウレラに怒鳴り声を上げたすぐ後、女性の悲鳴が聞こえた。
声の方を振り返れば、地面に倒された女性と、明らかに女物の鞄を持って逃げる男の背中が見えた。
ひったくりだと即座に判断し、アルベルはひったくり犯の後を追って隣の路地に走った。
まだ日は沈んでいないというのに、薄暗いレンガ造りの路地はどこか冷たくて陰湿な空気が彷徨っている。
道も大分入り組んでおり、ひったくり犯の背中はあっという間に見失っていた。
セウレラの探知能力を頼りに後をついて行くが、距離は一向に縮まらない。

 


「あ゛―――めんどくせぇ!スフィアで囲んじまえ!」
「りょうか・・・・あら?」

 


角を曲がると、拘束されたひったくり犯が数人の男たちに囲まれており、
手前に居た、がたいの良い初老の男性が女物の鞄を手にしていた。
白髪の混じった灰色髪をしているが、かなりの長身で背筋は曲がってはおらず筋肉隆々の腕がまぶしい。
市場で出会った魚屋の主人であった。

 


「お?ルカの嬢ちゃんじゃねぇか。」
「おっさん、そのひったくり捕まえてくれたんだな。」
「追いつめてくれたのは嬢ちゃんか。助かったよ。」

 


ひったくり犯を拘束している男達は、慣れた様子でどこかへ連行し
被害者女性が連れてこられ、無事ひったくられた鞄は返された。

 


「手慣れてんのな。」
「俺たちはイザベラだからな。」
「イザベラ?」
「ヴォルクの自警団だ。ちょうどいい。ディアナ様の客人で用心棒なんだろ?連携するにこしたことはない。

俺たちのアジトを見て行ってくれや。嬢ちゃん、名前はなんつったっけ?」
「アルベルだ。」
「俺はゲント。よし行こう。」

 

 

複雑な造りの路地を辿る。
セウレラはどこか警戒した様子でずっとアルベルの隣にくっついていたが
アルベルは初めからゲントに警戒心は抱いていなかった。
レンガ造りの路地の更に奥に、巨大な倉庫が現れた。
いかにも古めかしい倉庫の錆びた扉を男たちが引いて開けてくれた。
中はいかにも質素な倉庫といった趣だが、人の声でにぎわい
長めに吊り下げられた裸電球が天井に濃い闇を、下層に眩い明りを灯して見事な二層を作り上げていた。
木箱が無造作に積み上げられており、その上に人々が腰掛けたり荷物を置いたりしていた。
自警団と聞いていたので、男性だけなのかと思いきや、女性の姿も見えるし、若者も中年層もいる。
老若男女問わず、といったところか。
中央の机に案内されながら、アルベルと同世代ぐらいの若い青年二人と目が合った。
下がり眉の頼りなさげなひょろっとした青年と、その隣にいる眼鏡の賢そうな青年が会釈をしてくれたので、

アルベルも軽く頭を下げた。
中央に置かれた正方形の机には、地図が広げられ、ボードゲームで使うような赤と青の小さな木製人形がいくつも置かれている。
地図の端に、ヴォルク、の文字があるので、これは街の全体図なのだろう。
まずはゲントが皆に向けてアルベルを紹介してくれた。
アルベルを警戒していた者も、ディアナの名を聞くと肩の力を抜き、正規適合者であり横に寄り添っている美女が精霊だと説明されると
歓声が所々から漏れたのが聞こえた。

「此処が俺達、イザベラのアジト。」
「そのイザベラってのを説明してくれよ。」
「ヴォルクを守るのはグアルガンだ。だが奴らはケルベロスを最警戒しなけりゃならず
犯罪は街の警察がになってる。が、グアルガンの救援要請を受ければ動かなきゃならねぇ。
この街にあるネスタ家の宝具をダークから守らなきゃならないのは、此処に済んでいる住人の大半は理解してる。
一方で、さっき嬢ちゃんが捕まえてくれたひったくりや万引き犯、スラム街に悪さをする不良共が増えた。
グアルガンや警察が対応できない犯罪に対応するために作られたのが、自警団イザベラ。
創始者は前ネスタ当主様で、ディアナ様の父上だ。」

 


警察のお手伝いを市民が率先してやってるのね、と簡潔にまとめたセウレラの言葉にゲントが頷いた。

 


「嬢ちゃん、狂犬事件って聞いたことあるか?」
「ない。」
「最近被害が増えてきた、違法薬物摂取したことで超人的な能力を手に入れた輩が暴走する事件だ。
その薬物を摂取したヤツは理性と知性が無くなる。野生化し二足歩行をやめ四足歩行移動に退化することから
狂犬って俺らは呼んでる。
狂犬野郎は人や店を襲い、ペットの犬や野良猫を食い荒らす。まだ人を喰ってるって報告はないが。」

 


うげ、とアルベルは不快感を素直に表情に出した。

 


「此処三ヶ月で狂犬はヴォルクに2体侵入、女性が一人襲われたが捕獲は出来なかった。」
「逃げられたのか?」
「ああ、奴ら、恐ろしく素早いんだ。逃げた後目撃情報はないし、その後被害を受けたって連絡もない。
どこか別の街に行ったかもしれねぇし、ヴォルクのどっかで昼寝してるだけかもしんねぇ。
そこでだ嬢ちゃん。イザベラの活動にも手を貸してくれねぇか?
狂犬事件についてはディアナ様の執事にも手伝ってもらったりしてるが、彼も忙しいかんな。
警察でもグアルガンでもない正規適合者がいてくれると助かるんだが。」

 


アルベルは隣に並ぶセウレラの顔を見た。
お好きにどうぞ、と肩を軽く上げてくれたので
ゲントに向き直る。

 


「いいよ。つっても、アタシもそんなに暇じゃねぇ。
メートル事務所の手伝いしてる時や、ディアナに呼び出しされて案件片付けてる時はそっち優先させてもらうかもしんないけど
それでいいなら。」
「おお!ありがたい。俺らみたいな普通の人間じゃ、狂犬の尻尾をすら掴めず、捕まえるなんて到底無理だかんな。
改めてよろしく頼むよ、水の適合者アルベル。」
「ああ、自警団。」

 


でかくてごつい手と握手を交わす。
話し合いは終わりアジトに居たメンバーがわいわいと騒ぎだすと、一気に和やかな雰囲気に包まれた。
いろんな人がアルベルに挨拶をしに寄ってきてくれたり、セウレラを観察して熱っぽいため息をこぼしたりした。主に男性が。
呆れていると、アルベルト眉が八の字に下がった青年がモバイル機器を差し出して来た。

 


「あの・・・、イザベラ側から応援呼びたいときに、連絡したいので、連絡先教えてって・・・・。
おじさん達機械弱いから、僕が、代わりに・・・。」
「ああ、OK。待って。」

 


リカルドから持たされたモバイルをポケットから出す。

 


「アタシも田舎生まれでこういうのよくわかんないんだよ。やってくんない?」
「うん。」

 


アルベルの携帯を受け取ると、青年は慣れた手つきで2台の端末を操作する。
青年の素早い指の動きを関心した声を出しながら眺める。
気弱そうな表情と小さな声で話すからかなり気弱そうな印象だが、

金髪で短い前髪、その瞳はグラデーションが聞いた紫と目を引く容姿をしている。
アルベルの携帯が再び差し出された。あっという間に作業は終わったようだ。

「はい、終わりました。」
「どこにデータあんの?」
「ここを押して、こっちをこうで・・・。」
「ふーん。これね。わかった。ありがと。さっきも聞いたと思うけど、アタシはアルベル。」
「僕は、シャルル・ロデといいます。」
「よろしくな、シャルル。歳いくつ?」
「17歳。」
「アタシの1コ上かー。」
「えっ!?アルベルさん16歳なの!?」
「いくつだと思ってたんだコラ・・・。」
「ご、ごめんなさい・・・。」
「敬語いらないよ。そっちのが年上。」

 


ならベルちゃんが敬語使うべきじゃない?とすかさずツッコミを入れるセウレラの言葉を流して
八の字眉のままのシャルルがさらにおどおどとしだした。

 


「・・・で、でも・・・、アルベルさんは大地の適合者だし、ネスタ様の客人でしょ?

僕みたいな、しがない職人見習いなんかより、ずっと凄い。イザベラにとっても、これから大事な人材になる。」
「スゴかねぇって。職人見習いって、何やってんの?」
「僕の家、工具店を営んでるんだ。工業用部品とか、道具とかいろんな者を作ってる。そこの見習い。」
「ロデ工具店は凄いんですよ。」

 


ずっとシャルルの後ろで見守っていた眼鏡の青年が口を挟む。
前口上として俺は医者の息子でヒルデブランドです、と挨拶してくれた。

 


「何代も続く歴史ある職人一家で、昔は王室付き鍛冶屋だった事もある。

一般的な工具はもちろん、貴族や役所からの要望で金物も作ってる。
装飾品を鉄や鋼で作る芸術作品が特に人気で、他国からも注文がくるんだ。」
「シャルルも十分すげーじゃん!」
「凄いのは父さんで・・・僕は全然・・・。」
「見習いなのはアタシも同じだ。精霊の適合者でも、まだまだ勉強中なんだよ。一緒だな。」

 


照れた顔をして頬を掻くシャルル。
隣で、変なため息を漏らしながらセウレラが口元に手を当てた。

 


「・・・なんだよ、変な声出して泣き真似なんかしやがって。」
「アルベルちゃんに同世代のお友達が出来るなんて・・・!感動だわ!」
「恥ずかしい事言うなよ!母親かお前は!」

 


気づいたらアルベルも周りに溶け込んでいた。
ゲントが解散の声を上げた時にはもう夕方と呼ぶには遅い時間となってしまい、
黄昏市場でプレゼントを買うという目的は達成されなかった

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