* 8
建物の影に隠れて、その時を静かに待つ。
後ろにいるヴァンが持つトランシーバーからは、グアルガンの隊員達が狂人を追い詰めながら誘導している様子が随時報告されている。
アルベル達が見つめる路地の向こうから、複数の足音が聞こえてくる。
角から3人、グアルガンの隊員が走ってくる姿が見えた。
「行くぞセウレラ。」
「次はベルちゃんに触らせないわ!」
物陰から飛び出して、路地の中央に立つ。
頭上には、路地の幅ギリギリに檻がぶら下がっている。
屋根の上にもグアルガンの隊員がいて、タイミングを見て落とす手筈になっている。
アルベルは檻が落ちるポイントギリギリに立って、向こうから必死の形相で走ってくる隊員達を迎える。
その数メートル後ろに、四足歩行の男の姿。
隊員を追いかけているのか、後ろから武器を持って追いかけてくる男達から逃げているのかは不明である。
アルベルの横を隊員が3人走り抜け、赤く血走る目がアルベルをしっかりと捉えたのがわかった。
肩を落とし、明らかに獲物を狙う態勢に変わり、鋭利な歯を見せるように口を大きく開く。
肩を強く押された感触と、逃げられない恐怖、耐えがたい悪臭が思い起こされる。
ぐっと拳を握り、迫ってくる狂人を迎え撃つ。
鎖が擦れる音がして、空から黒い鉄檻が落ちてきた。
タイミングは完璧だったのに、檻が落ちる寸前に狂人が急ブレーキを掛け、地面に落ちた檻の中は何も捕らえることが出来なかった。
本能で危険を察知したのだろう。狂人はくるりと向きを変え、後ろから追い立てる男達の間をすり抜けて走り去っていく。
「逃がすかよ!」
足の裏に水を溜め、加速を利用して道を塞ぐ檻に登って、狂人を追い詰めていた隊員達の頭上を飛び越えて、後を追う。
路地を走るアルベルに、ヴァンが併走してきた。
「セウレラさん!位置を捉え続けて下さいね!」
「任せなさい。」
「本郡聞こえるー?檻を再び移動させろ。ポイントは任せる。」
トランシーバーで指示を出しながら、彼も足に炎を宿して加速をつけた。
こちらは精霊の力でスピードを上げているのに、狂人との距離は中々詰まらない。
人間には不利な走り方をしているはずなのに。
狂人が左に曲がり姿が消えたその直後、女性の悲鳴が聞こえる。
誰かが襲われたことは想像に難くない。慌てて二人も角を曲がって技を出すべく狙いを定めようとした。
しかし、そこに居たのは、体中を縄のようなもの―植物の蔦で巻かれ宙につり上げられた狂人で、尻餅をついていたグアルガンの女性隊員に手を貸して立たせているリカルドの姿があった。
女性隊員はリカルドとヴァンにそれぞれ一礼をして去って行く。
「リカルド、此処で何してるんだ。」
「ケルベロスの狂犬が迷い込んだと聞き、私も正規適合者として対処せよとお嬢様より仰せつかって参りました。」
「そうか、ナイスタイミングだ。」
「タイミング良すぎだろ。さては、影から見計らって、おいしいとこかっさらおうとしてただろ。」
「ヴァン様と違って、そのような低俗な思考持ち合わせておりませんので。」
「誰が低俗だって!?」
「倫理に欠ける非人道的な発想、よく思いつきますね。呆れて笑ってしまいます。」
「嘘つけ。お前が笑ったとこ見たこと無いぞ。」
「あのさー。仲良ししてるとこ悪いんだけど。」
「「仲良くない!」」
声をピッタリ合わせこちらを向いた二人に、アルベルはあちらを指差す。
「逃げたぞ、狂犬。」
顔を向けると、ちょうど食いちぎられた蔦が地面に空しい音を立てて地面に落ち、路地の向こうに走り去る四足歩行の影が見えたところだった。
睨み合っていた二人が同時に走り出し、アルベルも続く。
「何逃げられてんの!ちゃっと縛っておけよ!」
「うるさいです。トゲを仕込んだ蔦を触ろうとするなんて考えもみなかったんですよ。」
「ツメが甘いなー。執事のくせに仕事が甘い。」
「ヴァン!トランシーバーがなんか言ってる!」
走りながら、ポケットに入れていたトランシーバーを耳に当てる。
その隙に、リカルドに今の状況と作戦を簡単に説明する。
「承知いたしました。標的をその檻に入れてしまえばいいのですね。」
「さっきもやろうとしたんだが、檻が落ちる寸前で気づかれた。アイツ、野生の犬と一緒で警戒心が強いというか勘がいい。同じ手は多分無理な気がする。」
「ならば、確実に捕らえ足を止めましょう。」
「お前のヤワな蔦じゃまた逃がすのがオチだ。捕らえるのはオレ様がやるから、ポイントまで追い詰めろ。」
「ヴァンの炎でどうやって人間捕まえるんだよ。」
「う゛・・・。」
前方で、右に曲がる路地をグアルガンの隊員が立ち塞がっていたが、四足歩行の男は人間に耐性がついたのか、隊員に飛びかかる。
ビビった隊員がしゃがんだ隙を狙って小道に入ってしまった。
「ベルちゃん。魚屋さん達が居る場所なら案内出来るわよ。」
「よっしゃぁ!じゃ、アタシが囮しながら檻まで引きつけるから、お前らちゃんとサポートしろよな!」
そう言いながら、水の縄を二階ベランダの柵にくくりつけ反動を利用して飛び上がる。
空中で弧を描きながら右の小道に入ったアルベルが、華麗に狂人の前に躍り出て注意を引きつけつつ走り始める。
「ベルちゃん、かっこいい~・・・。オレが炎で脇道全部閉ざすわ。」
「でわ、お言葉に甘え私は先に檻で出迎えましょう。今度は逃げられない植物を用意してお待ちします。」
「おう。」
リカルドは路地を曲がらずに直進して離脱。ヴァンは右手を持ち上げ炎の精霊を呼び出した。
走るヴァンの隣に上半身しかない炎の魔神が姿を表す。
「マグニ、ベルが進む方向以外の道全部塞いでくれ。」
「お安いご用!」
真っ直ぐ続く細い路地には左右どちらにも別れる道が繋がっていたが、その全てに炎の壁が立つ。
分厚い炎は燃えさかりしっかりと熱を持っている。
万が一アルベルから興味が反れて逃げようとしても、人間の本能で炎を避けるだろう。
アルベルは水の加速でひたすら走り続けていた。
セウレラの的確な指示で入り組んだ道を辿っていく。
後ろに感じる気配が、近寄ってきた気がして振り返る。
狂人が突然飛び上がりアルベルの頭上を越えると、民家のベランダの柵にぶら下がる。
と、柱を思いっきり蹴って上にいるアルベル目掛け飛びかかってきた。
走り続けながら水の力で防ごうと腕を上げると、突如出現した炎が狂人の顔を焼いた。
地面に落ちて転がる男の向こうで、走るのを止め炎の足場でスケートのように地面を滑るヴァンが力強く頷いた。
背中は任せていいらしい。
「おい、どうした!追いかけっこは終わりかぁ?」
地面に転がりながら顔を掻きむしっていた狂人だったが、アルベルの声に再び意識と目線が彼女に向き、地面に両腕をついて走り始める。
アルベルも体の向きを戻して追いかけっこを再開する。
「そろそろよ。」
「どうする。このまま連れていっても、檻が落ちる瞬間にバレる。リカルドはあくまで固定係なんだろ?引き渡す前に逃げられたらかっこ悪いぞ。」
「さっき失敗したのは、檻が落ちる鎖の音と落下物に対する危機回避本能が強く働いたんだと思うの。せめて視覚と聴力を数秒でも閉ざすことが出来れば、あとはユリウスがうまくやるでしょう。」
「視覚はどうにかなるけど、聴覚かぁ。水の中の方が音は早いんだよな。」
思考を巡らせながら右に曲がると、遠くで黒い人影が見えた。
ちょいと視線を上げると、ぶら下がっている黒い檻。屋根の上に人影もいくつか確認出来る。
「やるしかないか。ヴァン!これ温めてくれ!」
走りながら、アルベルの体を覆えそうなぐらい大きな水球を頭上の空に向かって投げる。
意図を理解したヴァンが水球に向かって火を投げた。すると、水が蒸発し水蒸気となって辺り一帯を霧や靄のように覆った。
濃い蒸気に視界が遮られる中、次にセウレラに狂人の耳を水で覆わせる。
水は音を大気中よりも早く通すが、耳の中にある空気の層が反射させるので、逆に聞き取りにくくなる。耳元に違和感を感じたのか、狂人は足を止め自分の耳を掻きむしり始める。
足を止めたのは、ピッタリ檻の真下だった。
先に檻の下を抜けていたアルベルはリカルドの隣に並んだ。
「OK、ドンピシャ!」
「アルベル様、これに大量の水を頂けますか。」
「はいよ!」
水蒸気の中でうっすら見える地面の盛り上がりに向かって、水を噴射する。
バキ、という乾いた音が一つ、二つと響き、次に聞こえたのは瓦礫が崩れる大きな音。同時に地響きで空気が震えるのを感じた。
「次は切らせない。」
蒸気が満ちる路地の上で、リカルドが右腕を肩の高さに上げ、白手袋をはめた拳をギュッと握る。
すると、コンクリートの地面を割って四方から太い縄―ではなく、女性の腕より太いつた植物が伸び狂人の両腕両足、そして胴と首に何重も巻き付く。
つたの表面は茶色く乾いており、熱帯雨林地帯で見るような立派なつるであった。
狂人は醜く暴れ引きちぎろうともがくが、太く逞しい植物は簡単にはちぎれない。
それどころか、狂人が動くほどつたが絡まり巻き付いていく。
「締め殺しの木。」
物騒な名前であるそれは、着生植物として他の樹木の上に根を生やし巻き付きながら長い時間を掛けて侵食し、栄養と日光を奪いながら成長する。やがて絡みつかれた宿主は枯れ、根は地面に達する。
視界不良の中、ガシャンという金属音がした直後、上空から檻が落ちてきた。
檻が着地する寸前に炎がつるを焼き消し、檻と地面の隙間が生まれることなく、完全に狂人を閉じ込めることに成功した。
「電気を流す、離れろ!」
野太い叫び声が何も見えぬ通りに響いた。
アルベルの体がリカルドによって抱えられ、檻から離れたレンガ柱の陰に潜り込む。
俺も、と遅れてヴァンもやって来てアルベルを囲むように三人肩を並べ耳を塞いだ。
電気が弾ける音が落雷のように甲高く何度か弾けた。細い路地内の空気を震わせて、バチバチと帯電する音が響く。
アルベルが視界を悪くするため大気に満たした蒸気のせいで、電気の通りがかなりいいのだろう。
音が止んで静かになったので、柱から顔を覗かせた。
水蒸気が晴れ、路地の様子が窺えた。黒い檻の中で、狂人は仰向けになって倒れていた。
起き上がる素振りはない。屋根の上で、グアルガンの隊員が作戦成功と叫び、遅れて歓喜の声が聞こえてくる。
アルベルとヴァンはほぼ同時に長いため息を吐いて、再び柱の陰に戻り背中を預け座り込んだ。リカルドも真似して腰を下ろす。
「疲れた~。」
「よくやったよベル。君がずっと走って気を引いてくれたおかげだ。」
「水蒸気による目くらましに、耳も塞いでましたね。素晴らしい機転でした。おかげで反応されるより早く拘束出来ました。」
「なあ、お前物騒な名前言ってなかった?あのつる、どっから持ってきた?」
「ユリウスに急いで用意させたつるです。貴方に焼かれましたがね。」
「だって、つるで檻のバランス崩れたら嫌じゃん。」
「せっかちですね。ちゃんと直前で引っ込ませる予定でしたよ。」
「ハハ・・・、アハハハ!」
二人に挟まれて座り込んでいたアルベルが急に笑い出したので、面食らって彼女の顔を伺う。
「ど、どうしたのベル。頭おかしいの伝染した?」
「ちげーよ。なんか、いいなぁと思ってさ。」
「何がです?」
「皆で敵に立ち向かうっていうか、団結して問題を解決するの、気持ちいいな。
すっごい疲れたし、正直、見たこと無い人間見て面食らったりもしたけど。
正規適合者として、ちゃんと仕事出来たって感じもする。不謹慎かもだけど、楽しかった。」
彼女の横顔は、今の台詞をありありと体現しているかのように
清々しい笑みを作っていた。
ヴァンもつられて短く笑い、リカルドはネクタイを緩めながら柱に体重を預ける。
「初めての対人戦でその感想が出るとは、大物ですね、アルベル様は。」
「なー。こういう時ぐらい敬語抜けよリカルド。」
「お断りします。」
そういって視線を落としたリカルドの横顔は、うっすら、本当にうっすらだが笑っているように見えた。
表情を滅多に変えない彼の素の部分が見られた気がして、アルベルは嬉しくてまた笑った。
*
数時間後
ネスタ邸1階 応接室
「でわ、あの狂人もヴォルクの民であったと。」
「はい。自宅は旧市街の東、スラム街の近く。家に帰ろうとしていたのやもしれません。」
「帰巣本能、ですか・・・。」
客人を招くための調度品が並べられた部屋には、武骨な男達が集まっていた。
アンティークソファに座るディアナと、向かいのソファに腰掛けるゲント以外は皆立って控えていた。
ディアナは紙でまとめられた報告書を机の上に置いた。
可憐な少女の顔には憂いが濃く落ちており、どこか悲しげな視線を落とす。
「嘆かわしいことです。ケルベロスの魔の手がこのヴォルクにまで及ぶとは。」
「街の監視カメラから、薬の売人と密会する被害者の姿が確認されています。
売人の人相などはカフ様に渡してあるので今後出入りは不可能でしょうが、まだ顧客がいないとは言えません。面目ない限りです。」
「ゲントさん達のせいなどでは、決してありません。きっと商人か観光客の振りをして街に侵入したのでしょう。公道での厳しい検問は禁止されてます。今まで犠牲者が出なかった事の方が奇跡と捉えるべきです。」
幼い少女は顔を上げる。
美しさは母譲りだが、その瞳の強さは前当主様を思い起こさせる。
ゲントを含め、ネスタ家を守る商工会の面々は複雑な面持ちで少女の言葉を待っていた。
「まずは、此度の騒動、迅速な対応に感謝いたします。」
「レベッカ様と、正規適合者がいてくれたおかげです。俺達今回は檻を運んで落としただけですから。」
ゲントはディアナの斜め後ろで控える執事の顔をチラリと見た。
相変わらず存在感を極限まで薄くして立っている。
「ディアナ様。我らはネスタ様に仕える古き民です。必ずお守りします。ですから、先代のような取引はおやめくださいよ。」
「・・・バレていましたか。」
「ディアナ様は先代と同じく聡明でいらっしゃる。売人が一人二人じゃないことも想像に難くない。防げるとすれば、カフ様のみ。」
「安心してください。新たな契約は断られました。」
まったく、と呆れた顔をしてゲントが腕を組む。
心配そうな男の顔を見て、ディアナが悪戯が成功した子供みたいに無邪気な声を漏らして笑う。
だが手を膝の上に戻したとき、また少女は当主の顔に戻っていた。
「光の適合者が動いて下さるとはいえ、全てお任せするワケにはいきません。盤が動いてからでは遅いのです。五老院も積極的にケルベロスの調査に動くことで合意しました。魔の手が再び首都に及ぶ前に、番犬であるヴォルクが先頭に立ち牽制いたしましょう。ケルベロスの解体と、ダークを人間界からの排除を。」
若き当主の敵意とも憎悪とも取れる言葉に、男達は揃って頷いた。
此処に居るメンバーは、8年前のダーク襲来を体験している。その悪夢も知っている。
もう二度と、ダークにこの街を荒らされるわけにはいかないのだ。