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* 9

夜の帳が下りた頃。
グアルガン本部を出たヴァンは、ヴォルクの西地区にある繁華街を歩いていた。
この一帯はヴォルクの中でも異質である。
ピンクや黄色といった、目に悪いネオン看板があちらこちらで猥雑に主張している。
飲み屋や遊び場、大人の欲を吐き出す施設が羅列して、客を呼び込むのに必死なキャッチや、必要以上に露出した娼婦が気怠げに店先で立たされている。
煙草や酒の匂い、多数の香水が混ざりあい、なんとも言えぬ心地にさせる。馴れぬ人間には悪臭にも脳を刺激する甘美な香りにも感じるだろう。
幼い頃より此処で育ったヴァンには、慣れ親しみ過ぎて何も感じなくなった。
ヴォルクは昔から職人気質の人間が多く、規律や街の守護を第一に考える軍隊みたいな人間ばかり。だからこそ、こういう場所が必要だったのだろう。
此処は夜の時間に守られながら、普段の自分を捨て欲望をむき出しにする場所。
キャッチの若い男がグアルガンの制服を見て声を掛けて来たが、ヴァンの顔を見て慌てて謝って走り去る。今度は顔なじみの娼婦がタバコを吹かしながらやって来た。
体に纏う甘ったるい香水とタバコの臭いが混ざり合えずに喧嘩しているようである。


「ヴァン、久しぶりじゃない!ちっとも此処には顔見せ無いんだから。」
「お店どう?」
「ボチボチね。また一段と男前になったじゃないのさ。そろそろ相手してあげましょうか~?」
「やめてよ~。まだ18ッスよ。」
「冗談よ。アンタに手を出したら、顔役に怒られちゃう。」
「ここら辺で遊びたい部下がいたら、お店紹介しとくよ。」

 

娼婦と別れ、繁華街を奥へ奥へと進む。
ネオンの明かりと酒の匂いが遠くなると、西地区は寂れて一気に静かになる。
灰色のコンクリート壁の味気ない建物が並び、そのほとんどが沈黙している。
昔は西地区にも工場などが多く建っており、外からの働き手がやって来てこの辺りも繁華街も賑わっていたそうだ。時代と共に工場は廃業したり都市開発で東区に移動したり、現統治者の都合により見放された場所になった。
此処の現在の住民ほとんどは繁華街で仕事中のため、明かりが灯っている建物はほとんどない。
奥へ進むうち街灯も減っていき、人の気配も無くなったところで、ヴァンはとある路地の奥に立つ建物に入った。
外観は他の建物群と同じく灰色のコンクリート造りで、冷たく飾り気が全くないものであったが、扉を開け中に入ると印象ががらりと変わる。
オレンジの色味が強い照明が温かくヴァンを迎え、入り口横に小さな靴棚。クリーム色の壁には毛糸で編んだ可愛らしいタペストリーがいくつか掛かっている。
細い廊下が真っ直ぐ伸び、右手に扉が一つある。奥はアーチに切り抜かれており、青紫のカーテンが掛かっていた。
この地域には珍しく玄関で靴を脱ぎ、スリッパに履き替え廊下を横切る。
青紫カーテンをくぐり中に入ると、今度は正方形の広々とした空間が広がっていた。
1階部分のほとんどをぶち抜かれたただっ広い部屋に合わせて、分厚く立派な絨毯が敷かれている。
柄の豪華さと色味が素人目にも高級品と理解でき、この辺りの地域ではまず手に入らないだろう。
手前側には、ソファが向かい合わせに二つ置かれている。
茶色の枠は角も丸く作られており、深緑のマットはベロア生地が照明を受けて艶やか。
ソファの間に置かれている机、部屋の所々にある棚や小物入れ等々、家具は全てエキゾチックなデザインで統一されている。
部屋はとにかく広いのだが、様々な家具、観葉植物、小物、本の山などが至る所におかれているので、広さの割に散らかってる印象がある。
今くぐったカーテンとは別のアーチがあり、そちらの先にキッチンがあるのだが、気配はない。
2階の階段を上がる。2階には扉がいくつかあったのだが、階段を上ってすぐの扉を迷わず開ける。
まずムスクとアンバーの香りがヴァンを歓迎するように体に纏わり付いてくる。深みの表面に、柑橘系の匂いを忍ばせるのが彼の好みだった。
入った部屋は照明が消されており、薄暗い。左手に伸る部屋のその奥で、開け放たれた窓枠に腰掛ける人影があった。

 


「ウル、ただいま。」
「おう、帰ったか。」


窓から空を見ていたその人は、声を掛けられこちらに顔を向けた。
外の街明かりを背にした男性だが、まず目を惹くのは、金の瞳。
月の光を吸収してしまったかのような神秘さの中に、妖しげで愉悦的な無邪気さが覗く。
肌は日焼けしたように浅黒く、黒いもじゃもじゃした髪とあごひげを生やし、服も真っ黒。
締め付けの無いだぼっとしたワンピースみたいな服を纏っている。
薄暗い部屋の中では、不思議に光る金の瞳だけが浮いているみたいだった。
男性は片手で煙管を手悪さしていたが、ヴァンの姿を見て窓枠から離れて、すぐ脇に置いてあるゆりかご椅子に座り直した。
此処は彼の仕事場。
机の上には水晶や鉱石に水銀盤、科学者が実験に使いそうな試験管やビーカーまでも置かれている。
床には古代文字が書かれた背表紙の本や派手な装飾な分厚い本が積み上がっており、地球儀や天球儀まで並んでいる。
さらに壁にはタペストリーやアンティークな時計、よく分からない抽象的な布も沢山かかっている。
小物棚の上に置かれた水晶と水銀盤が内側からうっすら明かりを漏らしているので、それがこの部屋で唯一の光源であった。
ヴァンは机に腰掛けて、雑に置かれた木のおもちゃを手悪さする。

 


「今日はどうした。」
「実家に顔出しちゃ悪い?」
「なんだ、またホームシックか。見栄張ってないで帰ってくりゃいいだろ。レベッカちゃんだって、寮暮らしは強制じゃないって言ってたじゃねぇか。」
「幹部が実家から通勤って・・・、かっこ悪いじゃんか。」
「まーたお前は、相変わらず人目を気にして小心者だなぁ。飯は?」
「まだ。」
「用意してやるから風呂でも入ってこい。」
「うん。」


玄関を入って右に曲がった先が洗面所や風呂場になっている。
シャワー浴びて着替えてから1階リビングに戻ると、部屋奥のテーブルには大皿料理がいくつも並んでいた。
キッチンからウルと、ウルの式神が取り皿や飲み物をお盆に乗せて顔を出した。

 


「気合い入れすぎでしょ・・・。」
「まだ育ち盛りだから食えんだろ?残ったら朝食ってけ。」


ウルの故郷の料理もあるが、ヴァンが昔から好きだった鶏肉料理や豆料理も並んでいた。
懐かしい手料理を見て、急にお腹が空いてきて箸を取る。
ウルは向かいの席でお酒を飲み始める。
明るい照明の下で見る家主は、見た目30代後半ぐらいにしか見えない程若々しいが、ヴァンの父親である。
名はアウル・イル・バラム=ラウジャ・オッド。息子のヴァンは“ウル”と愛称で呼んでいる。
ヴォルクから遙か遠くの西の国に住む砂漠の民出身だが、何十年か前にヴォルクに住み付き、占いを生業にしながらいつしか西地区の顔役にまでなったらしい。
繁華街の店をまとめたりしているが、裏の顔は情報屋だ。
砂漠の民が使う不思議な術で声を聞いたり光景を見たり出来るため、企業や個人、貴族相手に商売をしている。
息子であるヴァンには裏家業をあまり教えないので、どういう情報を売り買いしているのかは謎だが、この街で起きる事でウルが知らないことなどない。
ヴァンも幼い頃からそれは身に染みて理解していた。どんな悪さも秘密もすぐバレてしまうのだ。
スクールで同級生と喧嘩してもその日にバレていたことがあったし、買い物のおつりを誤魔化してもすぐ見抜かれた。恐ろしい。

 

 


「最近楽しそうじゃねぇか。」
「ん?そう?」
「水の適合者や、ネスタ様んとこの執事とよくつるんでるらしいな。こないだの狂人騒ぎも、三人が大活躍って聞いたぜ。」
「よくご存じで。」
「俺様を誰だと思ってる。天下の情報屋、西地区の支配者ウル様だぞ。」
「はいはい。そうだ、聞こうと思ってたんだけどさ。ウルってネスタ家に出入りしていた事とかある?俺を連れて。」

 


酒杯をあおりながら、金色の神秘的な瞳を息子に向ける。


「何で?」
「いや、ネスタ家の執事もずっとヴォルクに居るらしいんだけど、会ったことないなと思って。」
「そりゃそうだろ。あっちは一流貴族だぞ。ネスタの使用人ならスクールに通わず家庭教師だろうし、住み込みだから見習いは敷地外に出ることもない。」
「うーん、だからかぁ。ディアナ様は街で見掛けたことあるんだけどさー。あのいけ好かない執事は見覚えが・・・何笑ってんのさ。」

 


トマトソースで煮た肉団子を口に放り投げながら、ニヤニヤしている父に訝しげな目線を向ける。

 


「西地区の悪ガキがネスタ家の執事と友達になるなんて、面白いなと思って。」
「友達じゃないっての。」
「人見知りのお前が、他人にあそこまで引っかかるの初めてじゃねぇか。今まで心開いたのはシャルルくんだけだったし。」
「心も開いてない。何か気にくわないというか、目につくというか・・・。」
「ハッハ!自覚無い初恋みたいじゃねぇかよ。」
「気持ち悪いこと言わないでよ!」

 

揚げ餃子を口に入れて、山盛りのご飯を掻き込む。
また声を漏らして笑いながら、ウルは酒杯をあおる。

 

「あとはお前が後を継いで、カフになってくれりゃーなぁ。」
「俺は才能無いって言ってるじゃん。」
「俺様が直々に教えてやったんだから、基礎は問題ないだろ。」
「グアルガンで暴れてる方が性に合ってる。」
「ヴァンはガキの頃から落ち着きねぇもんなー。そのクセ、何かあるとすぐ泣きついてきて。」
「もう止めてよ、子供の頃の話は!もういくつだと思ってるの。てか、酒飲む度息子からかって遊ばないでよね!」
「ハッハ。たまにしか帰ってこねぇんだ。遊ばせろよ。」


口元は笑ったまま、金の瞳が伏せられて空になった酒杯に視線を落とす。
自分はグアルガンの寮で同僚や部下と楽しくやっているが、父親はこの広い家で独り暮し。
人付き合いはいいのに友人は作らず、恋人もいない。
――男手一つで育ててもらったんだ。たまにからかわれるのも悪くないか。


「ねえ、そういえばさ。こないだシャルルが―」


大皿に乗った料理の大半をヴァンが平らげるのを、ウルは酒を飲みながら楽しげに眺めるのだった。

 

 

「疲れたー・・・。二の腕死んだ。」
「あの箱、一体何が入ってたのかしらね。」
「まさか水の力でも適わないとは・・・。」
「安請け合いするからよ。」

 


うっせ、と小さく漏らして二の腕をさする。
アルベルは今日も探偵事務所の仕事をこなしていたのだが、最後に受けた宅配の仕事で運んだ段ボールがとにかく重くて苦労した。
セウレラの力で運ぼうとしたのだが、あまりに重すぎて地面から数センチ浮かせるのがやっと。全部包むと段ボールも中の荷物もふやけてしまう可能性があったため、しかたなくアルベルが自力で届け先のアパートまで運んだ。
配達料と受領印をもらった紙を所長のメートルに届けていたら、外はあっという間に暗くなって、星まで顔を出していた。
あまり帰りが遅くなるとディアナが心配するので、少し歩くスピードを上げた。

 


「なあ、バジルの気配まだ無いの?」
「残念だけど。この街にいればすぐ気づくわ。」
「アイツ、いつまで待たせる気だよ。」
「気長に待ちましょう。幸い、此処はいい所だわ。いい友人もいい先生もいるし。ベルちゃんも楽しそうで、私も嬉しい。」

 


フン、と照れ隠しをして、車が行き来する道路を横切り中央区に入る。
今日はやけに人で賑わっているなと思ったら、どうやら黄昏市場の開催日だったようだ。
相変わらず通りはオレンジの明かりで眩しく照らされ、人や露店で賑わっている。
人混みの中に、見慣れた後ろ姿を見つけて駆け寄った。

 


「リカルド。」
「アルベル様。お疲れ様でございます。お仕事は終わりましたか?」
「ああ、さっき。はい、今日の分。」


リカルドはいつもの感情のない目で、差し出された封筒とアルベルの顔を交互に見る。


「アルベル様。お嬢様からも、生活費の心配はしなくて構わないから、ご自分で使うよう申しつかっております。」
「それじゃアタシの気が済まないんだよ。ただでさえ大飯食らいだし、毎日風呂も入れてもらえてさ。」
「先日の狂人騒ぎでもそうですが、最近は細やかな街のいざこざも納めて下さって、きちんと役目をこなしていらっしゃる。物々交換をお望みなら、十分かと。」
「いいから、受け取っておいてくれよ。」
「・・・ご自分で使う分は抜きましたか。」
「ああ。」
「では、頂戴します。」

 


封筒を上着の内ポケットにしまうリカルドは、大きめの紙袋を抱えていた。

 


「買い物?」
「荷物の受け取りです。」
「リカルドが行くなんて珍しいな。いつも下っ端の使用人が買い物とかやってるじゃん。」
「これは、私が責任持ってお預かりしなくてはならない品なので。」

 


大事そうに抱えているそれは、前にロデ工具店に届けた袋と同じに見えた。
黄昏市場の喧噪を抜け、ネスタ邸へと続く緩やかな坂道を並んで歩く。
この坂を歩く度、街のざわめきや車の走行音が遠くなり、空の星が近くなった感じが心地よいなと思う。

 


「なあ、そういえばさ。アタシってディアナが持ってる宝具ってのも守らなきゃならないんだろ?どこにあるんだ。やっぱりあの屋敷の中?」
「私からは何も申し上げられません。」
「ダメよベルちゃん!誰が聞いてるかわからないところで、大切な宝具の話なんて。」
「お前は気にならないの?父親が託した宝だろ。」
「ネスタが持っててくれるなら安心だもの。それに、宝具って選ばれた人間以外は触れることすら出来なかったはずよ。簡単に盗まれる心配は無用だわ。」
「あ、そうなの?なら、宝具を狙う奴を追い払えばいいだけか。」
「アルベル様はその・・・。大変失礼な物言いをして恐縮なのですが、真面目なのですね。」

 


思いも寄らないリカルドからの素っ頓狂な発言に、セウレラが吹き出して笑い声を上げた。

 


「そうなのよー!この子、こんな乱暴な性格と話し方するのに、律儀なの。」
「どいつもこいつも失礼だな!!」
「申し訳ございません。」

 


口で謝ってはいるが、声に感情は無い。前を向いて歩くリカルドの横顔を見て、尖らせた口を開く。

 


「アタシもずっと気になってるんだけどさ、執事って誰に対しても冷たいっていうか、他人行儀じゃんか。なのにヴァンだけは噛みつくよな。過去に何かあったのか?」
「何も。ただ彼は、どうしてか・・・。いや、なんでもございません。とにかく、気にいらないのです。」
「どこが?」
「礼儀知らずで、反省も改善もしないので何度も同じ事を注意させる。実に苛立たしい。目を離したら何をするか―・・・。」
「お。リカルドが敬語忘れてる。」
「私知ってるわ。好きな子にはちょっかい出したくなっちゃうのよね。」
「おやめ下さい。鳥肌が止まりません。」
「ハハ!」


二人は笑い声を上げる。
リカルドの表情は変わらなかったが、少しだけ歩く速度が速くなっていた。

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