** 1
濃い霧が辺り一帯を包み視界は最悪だったが、アルベル達にとっては好都合であった。
鬱蒼と生える背の高い雑草と野生の木々の間で身を潜めながら、一点を注視しながら、その時を待っていた。
彼らが息を潜める森は5メートル程前で途絶え土の地面に変わり、さらにその先にはコンクリートの四角い建物が建っていた。
1階建てで窓はなく、寂れたドアが一つついているだけの味気ない建物だが。ドアの斜め上には、これ見よがしに監視カメラが出入り口を見張っている。
あれのせいで、彼らは森の中に身を潜めることになったのだ。
数分後、ドアが内側から開かれ、男が二人外に出て来た。
どちらもがたいがよく一般的な黒い服に身を包んでいるが、ジャケットの不自然な膨らみから、武装しているのは明らかである。
一人が外を睨み、一人がドアに鍵を掛け、建物が建つ丘を下りていった。
気配が完全に消えたのを確認してから、アルベルは隣にいた銀髪の青年に頷いてみせてから、右手を軽く挙げる。
濃霧がさらに濃さを増し、視界がどんどん白くなる。眼前の草むらすら、白い霧に隠れて遠ざかる。
遠くに見える監視カメラの緑ランプだけが、空気中の水分を伝って主張していた。
隣の青年の力を借りて空気中の水分を操作し、監視カメラに集中する。
と、パキンという音が小さく聞こえて、カメラの緑ランプが消えた。
「上手に壊したな、アルベル。古い建物で旧式のカメラだ。自然な故障を装えたハズだろう。」
「よし、行くか。」
彼らは木陰から飛び出して、コンクリートの建物に走った。
*
遡ること15時間程前。
グアルガン本部から正式依頼を持った隊員が、ディアナ、そして正規適合者であるアルベルを訪ねてネスタ家にやって来た。
「ルチアーノ博士が行方不明、ですか。」
「はい。昨晩未明、護衛達からの定期連絡が来ないことに気づいて調べたら、博士は姿を消し、GPSの信号も途絶えていました。」
「彼はグアルガンにとって、延いてはこのヴォルクにとって重要人物。ヴォルク防衛の礎を築いて下さった方をあっさり見失うとは、警備態勢を疑わざるを得ませんね。」
「面目ない限りです。苦言は後ほど上層部にお願いします。護衛にあたっていた隊員はふい打ちを食らい全員気絶。現場に争った形跡はありませんでした。」
「博士自ら姿を消すというのは考えられません。工業開発界隈や精霊歴史研究家たちが熱烈なアプローチをかけていたとか。誘拐でしょうか。」
「その線が濃厚とレベッカさんは読んで、俺が派遣されて来た次第です。まずは資料を。」
ネスタ家の応接室で、グアルガン隊員とディアナが向かい合ってソファに座り、アルベルはディアナの斜め後ろで控えていたのだが、客人と主に紅茶を給仕し終えたリカルドに小声で尋ねる。
「ルチアーノ博士って、誰?」
「グアルガンが身につけている疑似召喚装置を開発した方です。疑似召喚を可能にした精霊核の開発を成功させた第一人者で、工学部や技術開発においても有名なエンジニア。首都にある大学の客員教授もなさっているとか。」
「ふーん。自分達の博士がさらわれたんだろ?なんで自分達で行かねーの?」
「俺達グアルガンはヴォルクの中でしか自衛の権利はもっていないからですよ。この街を出れば、ただのゴロツキと一緒。」
三白眼ぎみの瞳を向けられて、ギクッと肩を揺らす。さすがに聞こえていたようだ。
ディアナと向かい合って座る若い男は、水色混じりの銀髪で、ややつり目なせいか目つきが悪い印象を受ける。
彼も白い制服に身を包み、右手首に疑似召喚装置を付けていた。
こちらへ、とディアナに隣を差し出されたので、移動してふかふかのソファに腰掛ける。
銀髪の男性が、前屈みになっていた背を正した。
間近で見ると、銀の髪は陽光を受けて美しく輝いているように感じた。
つり目がちの瞳にも、深海のように影のある青が思慮深さと冷静さ、抜け目のなさが見え隠れする。
姿勢の正しさ、指の動きなどが洗練された仕草のようであった。
「どうも、初めまして。俺はグアルガンで、ヴァンさんの部隊で副隊長やってるリント・ナイトウェイっていいます。ヴァンさんが世話になってます。」
「アルベルだ。よろしく。」
リントが続けた。
「博士がさらわれた夜、最後にGPSの痕跡があったのがトゥーリヤの西にある、ケルベロスの子会社、オニキスが所有する土地でした。」
「オニキス?」
隣のディアナが数枚の紙がまとめられた書類のあるページをアルベルに見せた。
そこには白黒の地図が印刷され、ヴォルクのすぐ真上にあるトゥーリヤのやや右に星マークがつけられていた。
ディアナが説明する。
「オニキスは表向き人材派遣会社ですが、危険な仕事を斡旋したり乱暴な方を送って地域問題を悪化させたり、武器を売っているなんて話もあります。
オニキスには技術開発部門もあり、以前からグアルガンの疑似召喚装置に執着していました。」
「へー。」
「過去に腕だけ持って行かれた隊員もいるんスよ。残念ながら、この腕輪は儀式を行わずに勝手に外すと精霊核が破壊される仕組みになってるので、腕輪の情報は外部の人間には秘匿されます。模造品を作りたくても作れなくて、博士をさらったんだろうとレベッカさんは言ってました。」
レベッカとは、グアルガンの代表で創設者らしいのだが、アルベルは会ったことも見たこともない。
書類をディアナに返す。
「つまり、博士がケルベロスにもダークにも関係してる場所にさらわれたから、探して連れ戻してこいってことだな。」
「その通りです。ヴォルクの外で動くにはネスタ様の承認とバックアップが必要で、疑似召喚装置より正規適合者がいてくれるほうが心強い。」
「私からもお願いいたします、アルベルさん。五老院としても、博士の頭脳が敵に渡るのは非常に危険だと判断しました。早期解決にご協力頂けますか。」
「ディアナに頼まれて断る理由はない。もちろん、正規適合者として協力する。」
アルベルが力強く頷くと、銀髪の青年も応えるように頷いてからディアナを見た。
「出来れば、補佐役として執事さんにも協力頂きたいんですけど。」
「構いません。」
「俺は今回の作戦リーダー任されましたので当然参加します。今からグアルガンが知りうるオニキスの情報を伝えるので、頭に叩き込んでいただきたい。」
「あれ、ヴァンは?」
「今回不参加です。あの人、目立つしそこの執事さんと一緒だと子供みたいに騒ぐんで。」
「・・・確かに。」
「私の方から五老院に進言して、トゥーリヤでの不法侵入を不問になるよう裏から手を回しましょう。表舞台でこちらを訴えるようなことはしないとは思いますが、念のため。」
「助かります。なるべく痕跡は残さないようにしますが、ダークやケルベロスの構成員と交戦する可能性はゼロではありませんからね。」
その後、1時間たっぷりとオニキスに関する情報共有と潜入経路の確認。
ルチアーノ博士のGPSが最後に信号を出したのは森の中であったが、ドローンで確認したところ小さな見張り小屋があり、さらに赤外線で調べると地下に巨大な施設と人の反応があることが判明した。
定期的な人の出入りも確認されている。
博士の状態がわからない以上、救出は迅速に行った方がいいと、潜入は翌日の早朝に決定した。
*
時は戻り、トゥーリヤ・西
オニキスの非正規研究施設
空気中の水分量を調整し、射程が妨げられ濃霧のような状態を人為的に生み出した。
幸い、今朝は気温が低かったので外に取り付けられた機器に異常が生じても自然故障として受け入れられたはずだ。
修理がどのぐらいの時間でくるのかわからないので、悠長に構えている暇はなかった。
監視カメラを無事壊したので、アルベル、リント、そして今日は燕尾服姿ではなく私服姿のリカルド―本当は執事服で出発しようとしていたが、目立つのでリントが着替えさせた―が堂々と扉の前に立つ。アルベルがドアノブを回してみたが、当然鍵は閉まっている。
「俺がやる。」
リントが進み出て、鍵穴に細い何かを入れてカチャカチャと探る。
わずか数秒後に、解錠音が響いてドアが開いた。
「うお、すげー。鍵師でもやってた?」
「昔そうやって悪さしてたもんなーお前。」
「狙ったのは廃墟だけで犯罪はしてないって何度も――・・・え、ヴァンさん?」
一同が振り向くと、真後ろに赤髪の男―ヴァンが笑顔で片手を上げていた。
リントもそうだが、グアルガンの制服は目立つので、私服姿である。
彼は今回作戦不参加で、今日の作戦も伝達されていないはずであっため、リントが目を見開いて驚いていた。
「ヴァン、お前、なんで此処に―」
「話はあとあと~。此処で騒いだらカメラ壊した意味なくなるから、早く中入ろう。」
その提案にいち早く賛同したリントが、鍵が開いた扉を押して中に身を滑らせた。
アルベルもヴァンに背中を押されて強制敵に建物内部に押し込められ、殿のリカルドが丁寧にドアを閉める。
地上に建っているコンクリートの建物内部は何も無かった。窓も、家具も。
唯一存在したのは、地下に続く階段のみで、コンクリートの階段は暗闇の中へ一直線に伸びていた。
「地下に秘密基地がありますって言ってるようなモンだね~。」
「私有地内ですから、偽装する必要もないんスよ。アルベルは気配探知。人がいたらすぐ教えてくれ。」
アルベルが力強く頷くと、顔の横に逆三角形のブローチが現れた。
リントが腰のポーチから懐中電灯を取り出し先陣を切って階段を下りはじめ、次にアルベルとヴァン、殿はやはりリカルドが務めた。
階段を一段一段下りる度、気温が下がっているような感覚がした。
空気が冷たいというより、張り詰めている。
この息苦しさはなんなのだろうかと考えていると、あっという間に階段は終わり、今度は一直線に伸びる細い通路が広がっていた。
人がすれ違うことは考えられていないような設計で、長身のリカルドは頭が天井に擦れてしまいそうである。
『この階層に人の気配はないわ。でも、下に複数いる。動き回っている人間もいるわね。』
逆三角形のブローチから聞こえる声にリントが頷き、通路を警戒しながら進む。
水の精霊セウレラが特出しているのは人の気配を読む能力のみで、通路に仕掛けや罠がないとは限らない。
監視カメラやセンサーの類いも同時に警戒する。
「リント、先頭変わるか?」
「平気です。ヴァンさんこそ大丈夫なんスか。カフとの約束で、ヴォルクの外、出たらいけないんじゃなかったでしたっけ。」
「ただの口約束だから拘束力ないんだよ。レベッカが心配性なだけ。ルチアーノがさらわれて、オレが動かないわけにはいかないっしょ。どうせ後でグチグチ文句言うんだから。それに、ベルと執事に任せて大人しくしてられないっての。」
「レベッカさんに怒られても、援護しないッスからね。」
恐らく口をとがらせてブツブツ呟いているであろうヴァンの背中を見ながら、アルベルはその会話を聞いていた。
長い一本道の通路が更に下へ続く階段に変わり、階段の下に明かりが見えるようになった。
ブローチ姿のセウレラとリントが同時に待ったの声を上げ、彼らは階段の途中で足を止め気配も殺す。
『この先の空間に2人。』
「監視カメラもありますね。」
階段の終わりにそっと足を乗せて、ヴァンが身を低くしながら天井を確認する。
森の見張り小屋にあったゴツいカメラと違って、最新型の半円カメラが天井にくっついている。
あれは簡単に壊せないし、室内では霧を装って身を隠すことも出来ない。
「先に制御室を見つけてカメラや見張りを無効化した方がよさそうじゃない?」
「制御室制圧、並びに施設内にいる人間の制圧終わりました。」
「は!?」
ずっと黙ってついてきていたリカルドの静かな言葉に、ヴァンが勢いよく振り向く。
「手筈通り、カメラの映像はリント様が用意したダミーにすり替えました。」
「さすが執事さん、仕事が早い。此処の内部情報は把握済ッスよ、ヴァンさん。レベッカさんが博士がさらわれた敵地に策もなく乗り込ませるとでも?」
「ああ、そう・・・。」
リントが屈めていた背を伸ばし先に続くので、アルベルも後に続いた。
階段の先は広い部屋に繋がっており、どうやら此処が施設に入るための関門だったようだ。
鍵を使ってここまでやって来ても、身分証明書かIDかはわからないが、それらがないとここから先は入れてもらえぬのだろう。
関所の番人役であった男2人は、椅子から落ち床に倒れて眠っていた。
地面には細い蔓が這いと白い花が咲いている。この白い花は、眠気を催促させる強力な眠り粉を噴射する。
リカルドと契約している緑の精霊ユリウスが、セウレラの先導で建物に入ったと同時にこの花を人がいる場所に咲かせて眠らせた。
それがリントから事前に指示されていた作戦であった。
「よし、こっからが正念場。此処オニキス第3研究所は蟻の巣みたいに地下に階層があり、北棟と南棟に分かれてる。地図は事前入手出来たが、博士がどこに捕らえられているのかは不明。しらみつぶしに探すぞ。北棟は俺とアルベル。南はリカルドさん―だけの予定でしたが、ヴァンさんも加勢してください。」
「えー。俺執事と一緒嫌だなぁ。」
「勝手についてきたんだから従って下さい。詳しい内容もちゃんと説明受けてくださいね。」
「へーい。」
「此処がダークの息が掛かっている施設な以上、いつダミー映像がバレるか時間の問題です。緊急時は携帯は使わずトランシーバーで、脱出を優先して下さい。」
「了解。じゃ、また後でな、リカルド。」
「お気を付けて。」
大柄の男達が突っ伏して眠るその部屋を出ると廊下が左右に広がっており、右にアルベルとリントが、左にリカルドとヴァンが進んだ。