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等間隔に設置された細長い蛍光灯の明度は明らかに不足しており、長い廊下の隅に気味の悪い影を落としている。
大人2人がすれ違えるぐらいの狭い廊下が、延々と続いていた。
時より左右どちらかに扉が現れ、中を確認すれば、白衣を着た人間が冷たい床を枕に眠っている。
ヴァンとリカルドが担当することになった南棟は居住区や娯楽施設、護衛達が使う訓練室などが集まった生活拠点だったようで、人質を匿うような重厚な部屋や機密情報が眠っていそうな場所もなく、眠らされた人々の中にルチアーノ博士も発見出来ずにいた。
どうやらこちらはハズレだったようであると早めの判断を下したヴァンは、心底退屈そうにため息を漏らし、2歩前を歩く背中を睨み付ける。
父の忠告も上司の自宅待機という指示も無視して此処までやって来たというのに、とんだ肩すかしだ。
さっさとこの南棟の探索を終え、リントと合流したいところだ。
「はぁ・・・。なんで無愛想執事と一緒にお散歩しなきゃならないんだよ。」
「勝手についてきておいて、ずいぶんないいようですね。本来は私一人で探索予定でした。足を引っ張らないで頂きたいですね。」
「素人が偉そうに。大体お前、戦闘とかしたこと無いだろ。対人戦とか。」
「表に出ていないだけで、お嬢様を狙う不届き者は年間相当数おりますので、ご心配なく。毒殺を狙った贈り物や危険物の類いはユリウスがよく気づいてくれます。」
「うげぇ・・・。さすが元老院筆頭貴族。」
時折、リカルドが左右の手首を不自然に捻るのをヴァンは気づいていた。
南棟全体に、細い蔦が這っている。彼らが辿っている廊下の天井や、床、壁にも。
軽く説明を受けたところによると、緑の精霊ユリウスはセウレラ程の人間探知能力は無いが、蔦を這わせる事で人間が出す音の振動を探知出き、眠り花の効果を調節して深い眠りに落とし続けているとか。
監視カメラやセンサーの類いは事前に無力化。潜入捜査でこれほど理想的な流れを作り出すとは、正規適合者恐るべし、だ。
そこがまた一段とつまらなく思わせる。
いつも冷静沈着で仕事は完璧な超人。
他者に興味が無く、ディアナ嬢を守ることだけに心血を注いでいる。
初めて会った時から、気に入らなかった。コイツは―。
・・・―初めて会った時?
「う゛・・・。」
頭の中を電流が鋭く突き刺さるみたいな痛みが走って、咄嗟に頭に手を添える。
目の周りの筋肉が硬直し、目の前が白む。
突然、脳裏に映像が流れた。
断続的な光景は、ヴォルクの中央区にある噴水公園。
レンガタイルのお洒落な公園で、子供の頃の自分が他の子供に紛れて、大道芸人の妙技を楽しんでいる。
よく晴れた青い空、まだ午前の爽やかな空気、噴水の水が陽光に照らされて輝いていた。
この光景は何もかもが鮮明に記録され、記憶として呼び出されたのだろうが、ヴァンにはそんな思い出一切心当たりが無かった。
子供の頃の彼は引きこもりがちで、周りの子供達と遊んだ事は無いに等しい。
人が集まる場所は、特に嫌いだった。中央区に行くのも、父か、父の式神と一緒の時。
真昼間に、1人で中央区に行くなんて―いや、1人ではない?
ジジッと脳内で砂嵐が鳴る。眼球の痛みが激しくなる。
子供の自分が、隣にいた少年に、興奮気味に話しかけている。
大人しそうでひょろっとした子供は―。
「ヴァン様、いかがしましたか。」
感情の起伏が一切無い声を掛けられて、ハッと息をつく。
脳裏に浮かんでいた光景が急激に遠ざかり、針で脳みそを刺してくるような強い痛みが消えていく。
やや乱れた呼吸を整えながら、頭から手を放す。
眼球周りが熱かった。
「顔色が悪いようですが。」
「なあ、執事。」
「はい。」
「俺達、昔会ったことないか。ガキの頃だ。」
強烈に寄ってきたくせに面影を見せないほど遠くに行ってしまった先程の光景を必死に刻みつける。
そうしないといけないと、頭の中で声がする。
フラッシュバックにしては、現実味がなさ過ぎた。だが、痛みの余韻がヴァンを焦らせていた。
打って変わって、ヴァンの様子を伺うリカルドはいつも通りの冷たい目で応えた。
「さあ、覚えはありません。ですが、私がネスタ家に拾われた後なら、可能性はゼロではないかと。同じ街に住んでいたのですから。」
「そうか。そう、だよな・・・。」
その言葉に、今通り過ぎた光景が夢だと腑に落ちた感覚がして、大きく息を吐いて曲がった背を元に戻した。
ピエロの曲芸を一緒に見て、笑い合った隣の少年は確かにリカルドに似ていたが、髪色が違った気がする。
忘れているだけで、中央区に1人で行った事があるのかもしれない。ただ、隣にいた少年は夢だろう。他人と笑って曲芸を見るなど、あり得ない。
「お加減悪いようでしたら、来た道を戻られては?足手まといは不要です。」
「・・・ウルサイなぁ。もう治ったから問題ねぇよ。それより、お前の能力で博士捜し出せねぇの?」
「ルチアーノ博士と面識はありません。セウレラ様ならとにかく、人間個人を特定など不可能でしょう。貴方こそ、お知り合いなら探せるはずでは?」
「こっちにはいねぇな。」
「何故わかるのです?」
「勘。ベルがいる北棟に行こうぜ。」
「私は南棟全層を調査せよと言いつかっております。此処はまだ第2層。南棟は4層まであります。根拠の無い勘など当てになりません。」
「融通効かない真面目クンめ・・・。全部屋見て回れば満足するんだろ!?ならさっさと終わらせて―」
ヴァンが文句を言いながら、左手にあった両開きの扉を力強く押して1歩中に入った。
強めに押された扉がギィと錆びた音を鳴らしながらバウンドし、ヴァンとリカルドの動きが停止した。
その部屋はテニスコート一面が入りそうなぐらい広い、横長の部屋だった。
床はフローリング、壁にはクライミングウォールが設置され、鉄棒や平均台、床にはドデカいダンベルが転がっている。
護衛達の訓練室だと一目で分かった。
屈強な肉体の男達が20人程。半分は床で眠って、半分はガスマスクを付けていた。
ガスマスクの男達の手の平などから、血が滴っている。
「痛みで眠気を誤魔化している間に、ガスマスクを装着し眠り花の効果を―」
「冷静に解説してる場合か!外と通信させるな!」
「言われずとも。」
2人の後ろで扉がバタンと締まり、細い蔦が何重にも絡まる。
床を高速で這った蔦がポケットに手を突っ込んだ男の足首を引いて転ばせる。
「マグニ!」
ヴァンが左手を掲げ、腕輪に埋め込まれた黒板が赤く光ると飛び出した炎が蔦が弾いて落とした携帯機器を焼いて灰にした。
「部屋密閉してくれたとこ悪いけど、炎使うと酸素を減らす。短期決戦でよろしく!」
「端からそのつもりです。」
ガスマスクを被って素顔の見えない男達が、小型ナイフや混紡を手に取る。
顔は見えずとも、むき出しの太い首から続く肩は筋肉で盛り上がり、丸太のような二の腕はヴァンの太ももと太さは変わりなさそうに見える。
一番手前に居た男が身を低くして突進してきた。
突き出されたナイフを持つ手をヴァンが蹴り上げて、マグニが顔面を炎で焼く。
さすがに防火性は弱いのか、男は身をよじりながら燃えるガスマスクを慌てて外した。
血走った目をギッと向けてきたが、その一秒後、気を失って倒れてしまった。
ガスマスクを剥がしたら最後、部屋に充満した眠り薬の餌食になると学んだようで、彼は次にリカルドを狙いだした。
4人が連携してリカルドを囲み、一斉に遅い掛かる。
リカルドは涼しい顔を崩さず、腕を軽く上げた。
床から細い蔦が何本も生えて男達の体を拘束する。が、細すぎたのか、屈強な男達にあっさり振り切られ、斜め後ろで死角を取っていた男がナイフを脇腹目指して突き刺す。
男の動きにいち早く反応したのは、ヴァンであった。
炎の鞭でリカルドを狙った男の首を縛り動きを一瞬奪う。その隙に細い蔦がガスマスクの間に入り込みマスクを剥ぎ取る。
バサリと巨体が倒れ、リカルドがヴァンを睨む。
「要らない意地張ってる場合じゃないぞ、執事。こいつら動きがプロだ。元軍人か殺し屋ってとこだろう。油断すんな。」
「貴方こそ。」
そう言いながら、ヴァンの後ろで混紡を振りかざしていた1人を蔦で縛り上げ地面に叩き付けた。
そこからは2人とも自分の敵に集中した。
動きが機敏な敵相手に精霊の力を借りて確実に1人ずつ気絶させるかマスクを剥ぎ取って眠らせていく。
半数ほど減らしたが、男達も精霊相手にも怯まず挑んでくる。人を傷付けるのに容赦が無い動きであった。ヴァンが一瞬、鈍い顔を作って、振り向きながら後ろの男を蹴り飛ばした。
「近付くなってんだ汗臭い!焼きタコにすんぞ!」
ヴァンは両手を合わせ、火の連なりを放つ。
火で出来た巨大蛇は、体をうねらせながら男達の腹や背を叩く。
しかし、その一打で気を失う者は少なく、倒れてもすぐ立ち上がり挑み掛ってくる。
「なんですかそのトロ火は。全然効いてないじゃないですか。」
「あぁ!?テメーこそそんな細い枝で遊んでんなよ。これだから戦い方知らない素人が。あ、もしかしてビビってる?」
滅多に表情を崩さないリカルドが、眉根を寄せてムッとした表情を見せた。
数歩進み出たリカルドが、指をパチンと鳴らした。
突然地面から太い幹を持った植物が隙間無く生え、ガスマスク達が全て蔦に絡め取られ動きを奪われる。
幹は茶色く枯れていて、葉は無い。樹木というより、これも熱帯雨林でよく見掛ける蔦の一種なのだろう。
さらに、茶色い幹に絡むように緑色のつるが巻き付きながら、ゆっくりとした動作でオレンジの花が生え可憐に花びらを咲かせ始めた。
百合の花に似たオレンジの花弁大きく育ち男達の鼻先を霞めると、驚くべきことに、彼等はガスマスクを装着したままなのにも関わらず、一人残らずすやすやと眠り出した。
不思議がるヴァンと対照的に、どこか疲れた顔をしたリカルドが、着ていたシャツのボタンを一つ解き喉元を解放した。
「ワスレグサの一種で不眠症に効く薬草です。 即効性を出すためセロトニンを調節しメラトニンの分泌を促進することで眠らせました。」
ふぅ、とため息をついたヴァンは近場にあった重量上げトレーニング使う寝台に腰掛けた。
「そういうのあるなら最初から使えよな~。」
訓練所が一気に静まりかえり、重なりあい倒れる屈強な警備員の安らかな寝息が聞こえるだけになる。
ドアを拘束していた蔦が引いていき、消える直前にドアを開けて換気を行ってくれた。
半密封空間で炎を使ったせいで息苦しくなった室内に、新鮮な酸素が送り込まれ清々しい空気を肺に送り込む。
「背中の葉っぱ、痒いんだけど。」
「打ち身に効く薬草です。内出血してますよ。」
「余計なお世話だってんだ・・・。」
攻防の最中、混紡で背中を叩かれたのを抜け目なく見ていたようだ。
服の隙間から潜り込んできた葉っぱが冷たく、湿布代わりになって心地よい。口には出さないけど。
「とりあえず、物騒な奴らは全員眠らせたな。」
「北棟にはまだ警備員がいるかもしれませんが。」
「ルチアーノを探すが目的だって、一瞬忘れてたわ。」
「・・・私もです。」
「プハッ。」
「何故笑うのです。」
「呆けた顔してっからさ。」
キョトンとした顔があまりに子供みたいで、ヴァンは吹き出して高らかな声を上げる。
今度は笑われてムッとした顔をしたリカルドは、乱暴にヴァンの隣に腰を下ろした。
「暴れて少しスッキリしただろ?」
「そのようなことは。」
「敬語、やめろよ。此処はネスタ家でもヴォルクでもないんだ。」
「・・・・・・・・・・・・わかった。」
「今度はやけに素直ジャン。」
「別に。よくよく考えたら、貴方はネスタ家の客人ではない。遠慮は不要でしょ。」
「へいへい。今はそれでいいよ。」
長く息を吐いてから背を反らし、天井の木目を見上げた。
「研究施設の警備員にしては野蛮過ぎたな。」
「ユリウスが、此処は異様な感じがすると言っている。」
「異様って?」
「抑え付けられているような、微妙な違和感、としかわからないそうだ。」
「正規適合者だけが感じる違和感・・・。精霊って、上下関係があるらしいな。」
「四大元素、その上の光と闇は特別だ。」
「ふーん・・・。此処も奴の支配領域ということか。」
リカルドが横目でヴァンの横顔を伺う。
時折、彼は恐ろしく冷たい眼光を放つ時がある。普段のおちゃらけた人格とは真逆の、冷たくて、鋭い切っ先のような孤独の上に好んで立っているような。
時折、この男がわからなくなる。
誰にも愛想良く接するのに、心は誰にも見せず、何処にも預けていない。
それでいて、必死に何かを成そうとしているのがわかる。
昔の彼はもっと―――。
(・・・・・・昔の彼?)
そろそろ行くか、とヴァンが立ち上がる。
頭の中に浮かびかけた何かしらが急激に遠ざかり、リカルドも腰を上げ二人は廊下に戻った。
相変わらず人の気配はなく静かだった。
今し方の戦闘は怪我の甲斐もあって外に漏れなかったようだ。
リカルドが再び手首を回す素振りを見せた。
「なあ、やっぱ俺達も北棟向かおうぜ。」
「まだ全部見終わってない。」
「頑固な奴だなぁ。ルチアーノほど大物を捕まえたのに、警備兵らしき奴らが此処に1箇所に固まってるってことは、この辺りにはいいないってことだろ?」
「ユリウスが、この奥に何かがあると言ってる。」
「何かって?」
「それがわからないから見に行く。嫌なら1人で戻って。」
「わーったよ!全部安全確認すりゃ満足するんだろ?ホントに手間のかかる奴・・・。」
小言を言いながらずかずかと廊下を進むリカルドに付いていく。
やはり、こういったやり取りをした感覚があった。しかし記憶はない。
パズルのピースは持っているのに、ピッタリはまらない気持ち悪さを抱えながら、ヴァンはどこか胸のつかえが無くなって軽やかな気分になっていることに気づいた。
コイツに敬語を使われるのが、余程違和感があったのだろう。