top of page

** 11

母が死んで数年経ち、ヴァンはオルトロスの一員として体術や鍵開け技術を教え込まれ、組織の悪事に関与するようになっていた。
小柄な体型を生かして大人じゃ入れない細い進入路を辿ったり、内側から鍵を開けて仲間を迎え入れたり、迷子のフリをして貴族の気を引いて宝石や時計を盗んだり。
ボスが人殺しや危ない仕事をさせないように手を回していたが、コソ泥の小悪党と何も変わらない。

死んだ母が死ったら、悲しむだろうか。

「まさかおやじに少年趣味があったとはなー。がっかりだぜ!」

 

アジトの中にあるバーのような共有スペースでロベルトが作ってくれたオムライスを食べながら、イライラとダーツをしているジェットの愚痴を聞いていた。
ロベルトとジェットはボス・マルセロの実子で兄弟だ。
兄と違い弟は野蛮で野性的、短期で好戦的でもある。
父が可愛がるヴァンを可愛がるようなことはしないし、苛立つとヴァンに暴力を振るうこともあった。
カウンターの中で調理器具を洗っている兄ロベルトがため息をこぼした。

 


「何度も同じ事を言うなよ、ジェット。」
「でもよ兄貴。親父の奴、血が繋がった俺らより、そこのガキに後継がせる気満々じゃねぇか。兄貴だって殺しより本が好きなんだろ?俺がオルトロスをもらえると思ったのに、よぉ!」

 


壁の的に向かって投げたダーツの矢が、中心から大分外れて壁に刺さった。

 

「知ってるか?ヴァン・ダストルガに気をつけろって。」
「ダストルガって、子供寝かしつける脅し文句だろ。ヴァンに苗字は無いのに。」
「親父が部下に命じてそいつの事広めてんだよ!先に名前を売って知名度だけ上げとくって寸法だろ。」
「迷惑な話だ。なぁ?」

 


そう問いかけられても、ヴァンはただオムライスを食べ続けた。


「後継者にしたいならさっさと殺しをやらせるか変態に色でも仕掛けりゃいいんだよ。ヤクにも手を出させないなんてよ。俺なんか10の頃にはヤクの運びやらされたったのに。」
「そうスネなくても、事実後継者はお前だよ、ジェット。俺はこの秋から大学だし、ヴァンが成人するまで何年も掛かる。」
「俺が後継者になっても、何年かしたらこいつに奪われんだろ!」
「おいジェット。」

 


盛大に舌打ちを鳴らし、おまけに椅子も蹴っ飛ばしてジェットは出て行った。
ロベルトはため息をこぼして、濡れた手を拭ってカウンターから出てヴァンの隣に腰掛けた。


「困った弟だよ。最近荒れてるな、アイツ。」
「いつものことだ。」
「ハハ。それもそうか。」


オムライスを食べ終えて炭酸水を飲むヴァンの横顔をそれとなく見る。
貧民街で火事にあって親父が手元に置くと決めたあの日から、ずいぶん大きくなった。
文字の読み書きも危うかったのに、今ではジェットも読まないような分厚い本も読めるようになった。
最初は心を閉ざし口を利こうともしなかったが、慣れたのか段々と言葉も話すようになった。
身長もみるみる高くなってきている。

 


「ヴァンはいいのか。このままヤクザの一員になって。その内人殺しもさせられる。」
「ロベルトは人殺ししたことあるの。」
「あるよ。」
「俺は、もう行くとこない。やりたいこともない。」
「秋になったら大学に通うのに別の街へ引っ越す。お前も来るか?お前1人ぐらいなら、育ててやれる。」

 


ヴァンはコップを置いて、こちらを見た。
ダークレットの真ん丸な瞳は、こんな組織に身を置いていながら高潔さを保っていると感じさせてくれる。・・・願望も入っているかもしれないが。
この子を拾ってあの隠れ家としている倉庫に連れて行かなければ、こんな危ない組織に入ることはなかった。
ロベルトはずっと後悔をしていた。父に会わせたのは自分だ。

 


「ロベルトは、ナイフ握ってるより、本を読んでる方が似合ってる。」
「?うん、ありがと。」
「ごちそうさま。」

 


椅子から降りると、自分で皿とコップを流しに戻して、ヴァンも出て行ってしまった。

 


「またフラれたな。」


自嘲を漏らしながら、先程より長いため息をこぼした。

 


ヴェーラの時期は過ぎたが、まだ本格的なターテの蒸し暑さが到来するには早く、ピエドラの民にとっては過ごしやすい季節になった。
オルトロスにある貴族の暗殺依頼が入ったのは、そんな穏やかな日であった。
ターゲットは弱小貴族の息子。依頼主はいつも通り知らされていない。
ヴァンは侵入して護衛の数、鍵の掛かった場所、間取りなどを確認。
そのまま実行出来そうなら出入り口の鍵を内側から開けて仲間を引き入れる算段である。

夜半を過ぎて、斥候の仕事を始める。
ターゲットの貴族が住む中央は整備と警備が行き届いていた。道は整備され街灯は等間隔に夜を完全な闇から守っている。定期的に、警備隊も見回っている。
だが、闇に紛れベランダや屋根を軽業師のように飛び回る少年を誰も見つけることが出来なかった。
あっさりとターゲット宅の2階ベランダに侵入すると、鍵を解錠して中に滑り込む。
ターゲットである貴族の息子は、どっぷり太っただらしのない男で、娼婦2人を引き入れて一緒に眠っていた。こうやって不法侵入者がいるのに起きる気配はない。
このターゲットは男爵家に生まれながらスラム街で不良を雇って悪さをしたり賭け事で儲けたり、いわゆる放蕩息子だとか。
まあヴァンにはどうでもよいが。
部屋の外に人の気配を感じないので、この邸に見張りはいないのかもしれない。足跡を立てぬように出入り口を目指す。
――全身が粟立った。
呼吸が止まり、指先が冷たくなる。
なんだ?悪寒?全身に走る緊張感で汗が噴き出す。
目玉だけで辺りを探る。ターゲットの男爵も娼婦もぐっすり眠っている。
突然、何かが飛来し気配を感じた時には、左の二の腕に鈍い痛みが走った。
窓の外から差し込む街灯の明かりでベッドの影が部屋に落ちているのだが、その影が、動いたように見えた。
驚いて数歩下がる。
錯覚でも見間違いでもなく影はうねり、縦に伸び、やがて人の形になった。
ヴァンの方に進み出たのは、床に届くほど長い髪を持つ女だった。
黒い髪に、黒い服。
反対に肌は気味が悪いほど白く、香水のように内側から放つ美しさは浮世離れしていた。
芸術家が思い描く空想上の美女が、そのまま動いているかのような恐ろしさがあった。
存在自体が不明瞭。違和感が拭えない。
窓から差す街灯の冷たい明かりを浴びて、白い肌が輝く。
女が一歩踏み出すと、ヴァンは一歩下がった。
女は薄く笑って、右手の人差し指を口元に当てて、左腕を持ち上げ窓を指差した。
すると、窓が勝手に開いた。
女は何も言わず微笑んでいるが、逃げるなら逃げろと言っているようであった。
じりじりと後退し、向かい合うのが耐えきれずヴァンは窓から飛び出した。
任務失敗の笛を吹きながらベランダの柵を跳び越える。
甲高い音は、訓練され耳が慣れた人間にしか聞こえない。一階で待機していた組織の人間にも届いただろう。
ヴァンは柵から柵を渡り、屋根の上に登ってひたすら逃げた。後ろから追ってくる気配はない。
だが、闇がまた動いて襲ってくる恐怖が拭えず、気持ちが焦る。
中心部と貧民街の間に差し掛かったところで、血を流し過ぎて頭がクラクラして足を踏み外し、どこかのベランダに落ちてしまった。
そのベランダには、プランターに植えられた花がいくつも並んでいた。
鼻元で、花が揺れた。
カラフルな花の名など知らないが、とても落ち着く匂いだ。
ああ、そういえば。
母さんも花を育てていたっけ―。
花の柔らかな匂いに誘われるまま、ヴァンは意識を手放した。

 


目を覚ます。
見知らぬ天井を見るのはこれで2回目だ。
今度は白く美しい天井で―・・・、記憶が一気に押し寄せてガバッと置き上がった。
同時に、左腕が痛んだ。上着は着ておらず、左腕に包帯が巻かれている。
寝かされていたのは綺麗なベッドで、やはし見知らぬ部屋だった。壁紙は白く調度品も質素ながら安っぽい印象は受けない。
カーテンが開け放された窓から清々しい青い空が見え、この部屋からでもベランダの花々がよく見えた。
太陽は真上に近い位置にいる。通報はされなかったようだが、果たして何時間眠っていたのだろうか。
扉が開いて、トレイを持った少年が入ってきた。
ヴァンより背が高く、いくつか年上に感じる。薄幸な顔に警戒心はなく、起きたヴァンを見て微笑んだ。

 


「よかった。目が覚めたんだね。」
「・・・。」
「驚いたよ。猫が落ちてきたと思ったら、怪我した男の子だったんだから。」

 


少年はトレイをベッドサイドに置いた。


「具合どう?僕、エンリケ・ペロージって言うんだ。君は?」
「・・・」
「ああ、訳有りなんだよね。じゃあ天使くん。」
「・・・は?」
「天使はベランダに舞い降りるって絵本知らない?あ、でも君は髪は赤いから―」
「ヴァンだ。」

 


変な呼び名が気に入らなかったので、咄嗟に名乗ってしまった。
一般人に姿を見られた上に名前まで告げてしまうなんて、組織にバレたら大問題だ。
目の前に、ウサギ型に切られた林檎が現れた。

 


「アーン。」
「ふざけんな。」
「怪我してるから、指先に力入らないと思って。」
「お前、なんで警備に俺を差し出さなかった。どう見たって訳有りだろ。一般人のお前を巻き込む。」
「君を見つけて介抱しようと決めた時に、覚悟を決めたよ。」
 
 
ヘラヘラした少年が、急に大人びた顔になった。
 
 
「両親は貴族に殺された。此処は僕と双子の妹の為に親が残してくれた家で、2人でなんとか暮らしてる。身寄りは無いし、大人は信用してない。妹だって、僕のやることに文句は言わないよ。つまるところ、僕も訳ありってやつだから、気にしないで。警備に突き出したり、他人に告げ口したりしないよ。」
「・・・。」
「スラム街で話題になってるオルトロスの赤い牙、ヴァン・ダストルガって君の事だったんだね。大人の人だと思ってたよ。」
「俺本人のことじゃない。噂が勝手に1人歩きしてる。」

 


自分で切ったであろう林檎を、エンリケという少年は自分で食べて、ベッド横のチェストの一番上から何かを取り出した。
それは薬瓶で、中身を林檎と一緒に乗せていた水で飲み干した。

 


「僕は先が長くない病気でね。高い薬を飲まなきゃ生きていけない。体が弱いから仕事にも出られない。妹に迷惑掛けて生き続けてる。そんな僕だから、例え君が人殺しでも問題ない。
でもせっかく会えたんだ。話相手になってくれないかな。友達いないんだ。」

 


にっこり笑った顔には、全てどうでもいいという投げやりさが色濃く反映され、ヴァンは何も言えなかった。
この少年も似たようなものだ。人生に絶望しているのに、ただただ生き続けている。
だからベランダに犯罪者が落ちてきても動じていないのだ。
そういえば、ヴァンも大人にばかり囲まれて、今まで歳の近い相手と話すことなどなかった。
少年が差し出す林檎を食べながら、少年がほとんど喋り続け、ヴァンは時折相槌を打つだけだった。

 

bottom of page