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翌日。
オルトロスの溜り場に行くと、ジェットに殴られ壁に体をぶつけた。
 
 
「てめーっ!仕事失敗してオメオメと戻って来てんじゃねぇよ!」
「俺のせいじゃねぇ。」
「ンだとっ!?」
「やめとけジェット。」


ヴァンの胸ぐらを掴み再び拳を振り上げたジェットを、オルトロスのボス・マルセロが止める。
彼は数ヶ月前病に倒れてから、車椅子姿になってしまっていた。大きな車輪を自分で進めながら、部屋の中央で止まる。
車椅子になっても威圧感は失ってはおらず、周りにいたチンピラは無意識に半歩体を引いた。
ジェットも父には逆らえず、舌打ちを漏らす。

 


「親父はコイツにあめーんだよ。」
「バカヤロウが。甘ちゃんはどっちだ馬鹿息子。俺とお前らが育てたヴァンがしくじったって事に目を向けろ。」
「・・・。」
「話せ、ヴァン。」
 

口の中に血の味がしたが、気にせず昨日起きた出来事を伝えた。
黒い影に襲われた、と言うとその場にいた何人かは彼の話を笑ったが、兄のロベルトとボスは神妙な顔になった。
 
 
「影ねぇ~。」
「なんだよ、兄貴。」
「貴族が最近精霊を手に入れたって噂を聞いた。」
「大地の適合者か?」
「わからない。その女がターゲットの護衛をしたって可能性はなくはない。精霊が絡んでるなら、暗殺の難易度は跳ね上がったな。どうする、親父。」
「依頼人に確認しよう。それまで待機だ。いいなジェット。勝手に動くなよ。」
「わかってるよ!」

 

 
ヴァンはアジトを出て、一般街の白い建物が並ぶ屋根を飛んで移動し、花の匂いが漂うベランダに舞い降りた。
ちょうど花の水やりをしていた少年は、突然現れた影に驚く事はなく、にっこりと笑った。
 
 
「また来てくれると思ってたよ。」
「男のくせに花の世話してる奴がいると思って。」
「妹は花屋の仕事が忙しいから、昼間は僕が世話係。ヴァン、口元怪我してる。」
「殴られた。」
「あちゃー。入って。」

 


招かれて、室内に入る。こないだ寝かされたベッドに腰掛けて、手当を受ける。

 

「イテッ、」
「ほら、じっとして。」
 
 
ジェットに殴られて出来た傷の上に、エンリケが絆創膏を貼る。
 
 
「君は、ギャングには向いてないよ。」
「なんで?」
「瞳が優し過ぎる。それに、花の匂いを知ってる。」

 


救急箱をしまって、椅子に腰掛け直す。

 
 
「あと、どれくらいあるんだ。お前の命。」
「さあ、わからない。薬でなんとか延命してるけどね。両親が死んだのも、僕のせいなんだ。薬が欲しくて貴族の屋敷に懇願しに行ったら、追い返され、それでもすがったら煩いって殺された。」

 


エンリケがヴァンの後ろにある窓から花を見た。


「妹が花を僕に世話させるのも、僕にも日課を与え、生きる事を諦めさせないためだ。」
「もう諦めてるじゃねぇか。」
「フフ。こうして生に縋ってるのも、妹を1人にする度胸がないから、かな。この街は女1人で住むには危険過ぎる。」
「お前がいたところで何も変わらないだろ。」
「もー!その通りだけどさー。」

 


唇を尖らせて抗議するエンリケにヴァンはつい笑みをこぼしてしまう。

 


「あ、笑った!」
「うるさい。見るな。」
「ねぇねぇ、今日はトランプでもしようよ。ケーキもあるよ?」


 
本格的なダーテがやって来てもヴァンはエンリケの元へ通い続けた。
理由はわからない。けど、年の近いエンリケと話している穏やかな時が好きだったのかもしれない。
オルトロスの1人が関わってるとバレたらどうなるかわからない。
特にジェットにでもバレたらこの家はめちゃくちゃにされるだろう。わかっていながら、止められなかった。
その度に、街を出ないかと進めてきたロベルトの顔が頭を過ぎった。
断ったのは、ロベルトが提示してくれた平和な世界とやらが、怖かったからだ。
子供の頃から平和や平穏なんて言葉と遠い貧民街で暮らし、母が死んでからは犯罪組織に身を置いていた。
特に思うところは無かった。特に母を亡くしてからは、ただ流されるだけ。生きたいとも、死にたいとも思わなかった。
ロベルトに文字や勉強を教わっている時は、少し楽しかったが、今更平穏で普通の世界に入るのは怖かった。

この手は、もう綺麗ではないのだ。母はもう自分を見ても褒めてくれないだろう。
普通の世界にいるエンリケと一緒にいるのは、彼が一歩こちら側に足を踏み入れているからだろう。
最近は妹のエンリカとも顔を合わせるようになった。兄と違って気が強いが、兄想いのいい娘だ。少々口うるさいが。
今日はエンリケに習って、チェスを遊んでいた。


「ねえ、僕に内緒でエンリカと何話してるの?仲間はずれ嫌だなー。」
「別に、なんでもない。」
「薬代、エンリカに渡してるでしょ。」
「・・・汚い金じゃ無い。悪い奴が市民から不当に奪っている金を、市民に戻してるだけだ。」
「ありがとね。最近、エンリカがいい医者を探して僕の病気を治すって息巻いてるんだ。」
「お前は勝手に死ねないってことだ。諦めてエンリカに任せろ。」
「どうしてそう、生きたいと思わせるんだ、2人とも。」

 


盤上を睨みながら、別のところで言葉を交わす。


「ある程度金が貯まったら、この街を出ろ。この街に精霊が入り込んでから、どうも空気が変わった気がする。ジェットも何か企んでる。」
「君は?ロベルトさんと街出るの?」
「・・・最近は、それもいいかなと思ってきたんだ。この街じゃ無理だが、別の街だと学校に無条件で入れるんだと。」
「殺しの仕事させられる前に、そうした方がいいと思うよ?僕達も一緒について行って、近くのアパート借りようかな。」
「それ、いいな。またベランダで花に水でもやってろよ。」
「フフ。楽しそうだ。きっとこの街より綺麗でいい所だね。」
「そうだな。ほら、チェックメイト。」
「あ!いつの間に。もう一戦。」
「はいはい。」

 

 



長い長いターテもやっと息を潜めだし、木々が色付き出すアンノになった。
エンリケの家に居たヴァンだったが、ロベルトの部下が呼びに来てアジトへと向かっていた。
エンリケと会っていることは結構前にバレていたが、ロベルトは何も言わなかった。

 
「よお、来たか。」
「用事は?」
「ちょっと報告があってな。」
 
 
ロベルトは、眉間に皺を寄せながら適当な椅子に腰かけた。

 
 
「夏の初めに、男爵の息子を殺せって仕事あったろ。」
「精霊が出てきて中止になったあれか?」
「仕事が入ったんだ。今度は男爵の息子から。」
 
 
扉が開いて、太った男と美しい女が入ってきた。
丸々と太った男は、ヴァンが忍び込んだ部屋で女2人と寝ていたターゲットの男に違いなかった。
太った男の後ろに控えていた女が、スッと前に出てきた。
 
 
「ポールを殺そうとしたことは水に流すわ。彼のお父様から受けた仕事だったのでしょ?なら仕方ないじゃない。」
 
 
昼間に会っても、日に全く当たってこなかったかのような気味が悪い程の白い肌に、闇よりも暗い漆黒の髪が気味悪かった。
この女はヤバい。
なんというか、生きている感じがしないのだ。精霊とは、そういう存在なのだろうか。
自身の美しさに惑わされぬ少年に、女は嬉しげに両腕を広げた。
男爵の息子を殺そうと依頼してきたのが、彼の父親である男爵本人であったのも見抜いている。
 
 
「敵ではないわよ、坊や。」
「お姉さん、何者?」
「ポールの友人。そして私は闇の精霊。」
 
 
女はおもむろに右手をヴァンに向ける。
すると、指の輪郭が揺らぎ手の平が真っ黒に染まった。
染まるというより、突如出現した異空間の闇に飲まれたみたいだ。
精霊の話は、ロベルトから教わっている。
大地の適合者と呼ばれる人間がこの世とは別の世界にいる精霊と契約して、特殊で不思議な力を使う。
人間では精霊の力には勝てないとも教わっはいたが、無意識に拳を握っていた。
 
 
「そこのデブは適合者だったのか。」
「デブっていうな!俺は正規適合者ではないが、あるアイテムを――」
「お喋りが過ぎるわよ、ポール。」
 
 
薔薇のトゲのように突き刺さる冷たい言葉だった。ポールとやらは女に睨まれ口をすぼめた。
縮こまるから、体も一回り小さくなったように見える。もちろん錯覚だが。
女がヴァンに向き直る。
 
 
「お前達オルトロスに手伝ってほしいことがある。この街をポールにくれてやりたいのだ。」
 
 
精霊の女は、歯が見えるほど唇をつり上げる。
 
 
「ピエドラを牛耳るボイドゥ家と、ボイドゥの言いなりになり甘い蜜を吸い続ける貴族共を一層してもらいたいのだ。」
「簡単に言ってくれる・・・。」
 
 
ずっと黙って女に警戒を向けていたロベルトが割り込んだ。
 
 
「いくら俺らでも街の警備隊相手にするにはリスクが高すぎるぜ?」
「あら、貴方の父上は承認してくれたわ。」
 
 
ロベルトが奥歯を噛み締めた。
 
 
「悪徳貴族達がいなくなればピエドラも変わり、市民も大満足。」
「治安が良くなれば俺達は居場所を無くす。」
「全うな人生とやらを歩めばよかろう。マルセロと契約は成立している。お前と論争している場合ではない。私は此処に対価を受け取りに来たのだ。」
 
 
妖しく妖艶に笑った女が、身を屈め人差し指をヴァンの顎にそえた。
 
 
「私はお前が欲しい。」
 
 
甘美な響きを含ませた言葉。色欲が混ざる声にヴァンは眉をグッと寄せた。
 
 
「そういう趣味かよ、お姉さん。」
「フフフ。そうではない。お前の魂はとても魅力的なのだよ。憎しみ、悲しみ。素晴らしい闇の気配を感じる。私はその闇が欲しい。」
 
 
ヴァンの肩をロベルトが引いて自分の後ろに下がらせた。
 
 
「対価は、あんたの精霊としての力を借り貴族と戦うという行為に対してだ。働く前に報酬を得るなんざ卑怯だぜ。」
「・・・そうね、デザートは食後に取っておきましょう。」
「ああ、そうだわ。貴方、名前は?」
「ロベルト。」
「貴方の闇は変わっていて、面白いわね。激しい支配欲ってとこかしら。そういうの、嫌いじゃないわ。せいぜい決行日まで可愛い坊やと遊んでなさいな。私の物になる、その直前までね。」

 

女が踵を返し外口に向かったので、太った男も慌てて後に続いて出て行った。
大人しくしていたヴァンはロベルトの後ろから這い出て顔を覗き込む。
感情がマヒしてしまったヴァンでさえ、顔色が紫に変色するまで怒りを必死に耐えるロベルトの顔に恐怖心を抱いた。
一歩後退りすると、ハッとした青年が殺意を引っ込めヴァンの髪をかきまぜるように撫でてやる。
 
 
「事情は分かったろ。精霊のオモチャになりたくなかったら、今すぐピエドラを出ろ。」
「俺の知らないとこで俺を売っておいて命令すんな。」
「それは親父だ。親父とジェットは、もう精霊の操り人形になっちまった。」
「?」
「あの精霊女が親父達の心を操ってんだ。精霊にはそういう技を使うやつもいるらしい。
じゃなきゃ、オルトロスを壊すような仕事を引き受け、一番に可愛がってきたお前を売るわけない。」
 
 
いつになくよく喋るな、とヴァンは客観的に思う。

不安を誤魔化しているのだと、なんとなく察してしまう。​


「あの精霊に捕まれば、お前も操られて、何をされるかわかったもんじゃねぇ。ガキとはいえ、一人だって生きていける。隣のヴォルクに逃げろ。あそこは治安がいいし、何より―」
「どうしたんだよロベルト。逃げろなんてらしくねぇよ。あんたなら、親父がなんて言おうが、依頼主を始末するとかしただろ?」
「相手が悪すぎんだよ!」
 
 
一度はおさまった狂気が怒声と共に降ってきた。
ロベルトの八当たりは初めてである。
と、突然ロベルトがヴァンを抱き締めてきた。

 
 
「オルトロスはもう終りだ。精霊が何を企んでるか知らねぇが、この街も乗っ取られる。お前は逃げてくれ。あの友達も一緒でいいからよ。友達が出来たなら、もうシャバに戻れる。オルトロスのことは忘れて、真っ当に生きろ。」
「なら、ロベルトも一緒にこいよ。あんた、大学も行かなきゃだろ。」
 
 
見上げた先のロベルトは、頭を横に振る。
 
 
「親父とジェットは放っておけねえ。・・・親父がおかしくなる前に言っていた。オルトロスは俺達兄弟に後を継がせるために名前をつけたが、お前が加わるから、将来的にケルベロスに変えると、嬉しそうにな。」
「頭が3つある犬のこと?」
「そうだ。まあ、俺はこの騒動が終わったら抜けるし、ヴァンも抜けるだろ?頭は一つに減るがな。」

 


ギャングの息子とは思えぬような柔らかい声で笑って、またヴァンの頭を撫でる。
殺し屋の息子がそんな穏やかに笑えるなんて、ビックリだ。
さっきよりきつく抱擁される。母親の抱擁すらもう忘れてしまったというのに、この人はまた温もりを覚えさせようというのか。
 
 
「頼むから、言うこと聞いてピエドラを出てくれ。生きてればどっかで会える。」
「・・・一つ、聞きたかった。何であの日、俺を助けたんだ。」

 


ヴァンの声が少しだけ震えた。
あの日、ヴァンの家は炎で包まれていた。
中も手遅れであると外から見ればわかったであろうに、なぜ飛び込んで来たのだろうか。

 


「生きてまた会ったら、教えてやるよ。」

 
 
ロベルトに解放されると、彼の顔も見ずにアジトを飛び出した。
 
 

 

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