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アジトから出て、工場や商業施設が並ぶ飾りっ気が全く無い灰色のコンクリート迷路をヴァンは走っていた。
道は広いが高い建物がギュウギュウになっているせいで昼過ぎなのに薄暗い。
その実、並ぶ建物はほとんどが廃工場なので、人通りは無いし、エンリケの家に近道なのだ。
生きる事を諦めたエンリケを連れ出すのは骨が折れそうだが、無理矢理にでも連れ出すしかない。
どうやって説得すべきか考えていると、何か気配を感じて体が勝手に反応し、走っていた足を急停止させ後ろに大きく飛んだ。
ヴァンがいた場所に、刃に凹凸を施した悪趣味なナイフが3本刺さっていた。
 
 
「ケッケ。流石親父が育てただけあるぜ。」
 
 
ナイフを投げた犯人、ジェットは廃ビルの屋上から軽業師のように一回転してヒラリと地面に着地。残忍な笑みをヴァンに向けた。
 
 
「兄貴が何言ったか知らねぇが、お前はダーク様への献上品だ。勝手に出歩くんじゃねぇよ。」
「ダーク様?あの気味悪いお姉さんを崇拝してんのか。」
「美しいの間違いだろ。あの方は女神だぜぇ?」
 
 
トロンとした恍惚の表情を浮かべるジェットは、あの美貌の恐ろしさに気付かず虜になってしまったようだ。
ロベルトが言っていたように、精霊が心を操っているのかもしれないが、きっかけは本人の自業自得かもしれない。
残忍で自分より子供なジェットは嫌いなので、哀れとすら思わない。
 
 
「大事な献上品殺していいのかよ。」
「足をやっちまえば逃げられねぇと思っただけだよ。」
「なぁジェット。オルトロスは利用されてんだってよ。俺は捨て犬になんかなりたくないから、逃げる。」
「あの人は俺達の力を借りたいだけだ。俺達はピエドラの支配者になるんだぞ!?」
 
 
バカだバカだと思っていたが、やっぱりバカである。
呆れて言葉が出ず、ヴァンは地面に刺さったジェットのナイフを抜く。
師の一人でもあるジェットには実力と経験差、それから血への執着みたいなもので負けており、正直勝てる可能性は低い。
隙をついて逃げてもすぐ追い付かれてしまうだろう。
向こうも、スポンサーの精霊に譲渡する関係上殺しはしてこないだろう。
 
 
「俺も殺さないように気をつけるよ。」
「あ゙あ゙?!」
「始めようぜ。忙しいんだ。」
 
 
手にしていたナイフをジェットの眉間めがけ投げつけながら、低姿勢ダッシュを決める。
ジェットはナイフの陽動には掛らず、右に体ごと移動し、突進してくるヴァンの頭を蹴りつける。
長い手足はジェットの最大武器である。
直接攻撃してくるのを更に読んでいたヴァンは、見えないように持っていた小型ナイフを横凪に飛んできたふくらはぎ辺りに突きつけた。
体はそのまま蹴り飛ばされたが、足を刺されたジェットは悲鳴を上げる。すかさず、もう一本無事な右足にもナイフを刺す。
今度は正確な狙いで、足の神経を切ったのでジェットは前屈みに倒れた。
 
 
「いってぇぇぇえ!!」
「悪いな、ジェット。」
「クソガキがぁぁああ!」
「なんとか張って通りに出ろ。通行人に病院へ連れてってもらえ。じゃあな。」
 
 
憎いわけではない人間が地面に這って唸っている姿を見下ろすのは、口の中が苦くなる思いだ。
かといって可哀想なんて思わないし、ピエドラを出るまで邪魔をされては困る。
ジェットを置き去りに、工業地帯を抜ける。
一般居住区の、全て似通った建物の一つを迷いなく選び、ベランダに舞い下りた。
ヴァンは玄関のチャイムを鳴らしたことなどない。鍵の掛かっていないガラス窓をスライドさせ、友人を呼ぶ。
 
 
「おい、エンリケ!」
「?ヴァン、どうしたんだい。さっき出ていったばかりだというのに。」
 
 
奥から少年が顔を出した。
手に如雨露を持っている。ベランダの花に水やりをしようとしていたのだろう。
 
 
「時間がないから簡単に話す。もうピエドラは終りだ。オルトロスが貴族達に牙を向けるから、街全体が騒がしくなるんだ。」
「おや、わざわざ忠告に?律義だね。」
「・・・俺は街を出ることになった。」
「ずいぶん急だね。」
「話すと長くなる。とにかくだ、お前達はどうする。」
 
 
エンリケは如雨露を手にしたまま首を傾げた。
 
 
「このままじゃ、薬も買えなくなる。隣のヴォルクに行けば、豊かで薬も簡単に手に入る。」
「ヴォルクに行くのかい?」
「ああ。」
「フフフ。」
「気味悪い笑いすんな。」
「ヴァン。君が決めて。」
「いいのか。」
「うん。」
「・・・一緒にこい。エンリカもな。」
「わかった。エンリカはまだ花屋さんで仕事中なんだ。」
「呼んでくるから荷造りしてろ。」
「僕も行くよ。僕が説明した方が早いだろ。」
 
 
二人は家を出ると、大通りを一本外れた小路の角に建つ花屋を覗き込んだ。
中に人はいない。裏口に回り込む。
扉を叩こうと腕を上げたヴァンを、突然エンリケが突き飛ばした。
唐突過ぎて受け身を取ることすら出来ず、地面に尻餅をついてしまう。


「いきなり何を――――、」
 

顔を上げると、エンリケが口から血を吐き出していた。
膝から崩れ倒れるのを、地面にぶつかる寸でで抱きとめる。
エンリケの背中に、黒い鋭利なガラス破片みたいなものが刺さっていたが、破片は粒子を伴い大気に溶けるように消えてしまった。精霊の仕業だとすぐにわかった。
腕の中にいるエンリケを仰向けにする。焦点の合わない眸が斜め上を見ながら、力なく微笑む。
 
 
「悪名高き、ヴァン・ダストルガより早く、反応出来るなんてね。」
「なんで・・・!」
「死に際の、超直感て、やつかな・・・。」
 
 
エンリケは涙を流す赤髪少年の顔を見ようとしたが、もう視界はぼやけてよく見えない。
だが、痛みはない。苦しみもないのは有難い。
赤髪少年も、腕の中の友人はもう助からないと悟ってしまった。
今まで何人もの死に際を目の当たりにしたのだ。
 
 
「ヴォルクへ行っても、僕はもう長く生きられなかった。これで良かったんだ。」
「良くねぇよ!一緒に・・・一緒にヴォルクに行けたら・・・。すまない・・・俺が、オルトロスの俺がお前といていいわけが、なかったんだ!」
「最後の最後に、友達が出来て良かったよ?・・・ありがとう、ヴァン。」
 
 
エンリケの体が一段と重くなった気がした。
細く息を吸う。
涙を乱暴に拭った。
 
 
「ベランダの花を枯らしちゃうけど、これでいいんだ・・・エンリカも、自由に・・・」
「エンリケ、」
「ヴァンも、もう自由に、生きるんだよ。オルトロスなんて止めて、ヴォルクで生きて、ね。約束。」
「・・・わかった。」
「幸せに、なって・・・君は、その資格が・・・」
「エンリケ、」
「・・・」
「エンリケ。」
 
 
瞳を中途半端に開きながら、エンリケはそれ以上何も言わなくなった。
ヴァンは動かないエンリケの胸に額を当て涙を流した。
その時、大地を切り裂く程の痛烈な悲鳴が響いた。
花屋裏口に伸びている小路に、配達用籠を地面に落としたピンク髪の少女が頬に爪を立て、目を恐ろしい程見開いていた。
少女は、エンリケの双子の妹でエンリカ。
双子なのに全く似ていなくて、穏やかな兄に比べ妹は気が強いが、嫌いでは無かった。
 
 
「エンリカ・・・。」
「いやよ・・・そんなエンリケ・・・。」
「すまない。」
「ヴァン、アンタがやったの・・・?」
「ち、違う!」
「アンタが、エンリケを殺したのね!?」
「待てエンリカ、聞け・・・―」
 
 
少女の悲痛な表情が、険悪なものに変わった。
鬼のような形相の奥にある瞳には、底無しの悲しみと、激しい怒りが混ざり、憎しみが溢れそうな程込められていた。
ヴァンは、その瞳が怖いと思った。
憎しみの瞳など沢山向けられてきたのに、こんなに恐ろしく感じたことはない。
 
 
「恨んでやる!エンリケを奪ったアンタを・・・、」
 
 
震える言葉が途中で途絶えその場に倒れた。
少女の後ろに、彼女の首に手刀をくらわせた老齢の男が立っていた。
 
 
「よう。無事だったか。」
「ボス・・・、その傷・・・。」
 
 
オルトロスの創設者にしてボスのマルセロは、意識の無いエンリカの体を地面に寝かせた。
ボスの左脇腹は血だらけで、ズボンも左側が赤く染まっている。
車椅子も杖も無く、しっかりと自分の足で歩くボスがヴァンの隣に立った。

 


「ああ、間に合わなかったか。」
 
 
ヴァンの腕の中で永眠する少年を見下ろし、花屋の壁に背を任せ座り込む。
 
 
「コイツをやったのは・・・、あの精霊だ。ガラス片みたいなのが飛んできたのに、すぐ消えた。もう居場所バレてる。なんで俺を欲しがるのか知らないが、もう逃げても遅い。」
「遅くはない。攻撃も一種のトラップだろう。精霊は今あの貴族息子と一緒にボイドゥの屋敷にいる。」
 
 
空いた手でポケットを探ったマルセロは、取り出した小さな何かをヴァンに投げて寄越した。
受け取ったそれは、ヴァンの手の平より少し小さい黒い菱形の石であった。内部が透けており、複雑に光を反射している。


 
「何だ、これ。」
「精霊女の核だよ。」
「核?」
「あの貴族息子は正式な適合者じゃなかった。ただの契約者だ。原理は知らねぇが、その核で代理適合者になることが出来て、精霊もこの世に存在が可能らしい。」
「そんな大事なもんを、どうして・・・。」
「街の情報屋総動員させて、盗みだした。対価が腹の怪我だけなら、安いもんだ。」
「操られてたんじゃないのか。」
「ハハ。俺をナメるなよ。オルトロスを始めたのは俺だ。」


ヴァンはエンリカをそっと地面に置き目を閉じさせてやってから、マルセロの前に片膝をつく。
服の濡れ方からみて、結構な出血量だ。
 
 
「組織かかりつけのヤブ医者のとこに連れてく。」
「バカ野郎。それ持ってヴォルクへ急げ。核を持つ人間は精霊も探知出来ないと此処に来る途中でわかった。ヴォルクに着いたら、そいつを壊せる人物を探せ。人間の力や武器じゃダメみてぇなんだ・・・ゲホゲホっ!」
「ボス・・・。」
「ロベルトは死んだよ。」
「え。」
「俺を逃がすために犠牲になった。ヴァンを頼むと言われてな。」

 


ついに口から鮮血を吐いたボスに、滅多に表情を変えないヴァンが心配そうな顔を見せる。
口元の血を拭いながら、ボスは血に濡れてない方の手でヴァンの赤毛をかきまわす。


「ヘイズはいい女だった。荒くれ者の俺にも優しくて、笑顔が可愛くてなぁ。お前が、俺の息子ならよかったのにと何度も思ったが、俺には出来すぎた息子だ。」
「ボスも、一緒にヴォルクへ行こう。」
「俺は残る。どうせこの傷じゃ助からねえ。死ぬ寸前まで、オルトロスを生んだ責任と後始末をしなきゃならねぇ。もう1人の息子も助けてやらねぇとな。お前は、そこの友達の分まで、お日様の下で生きてやれ。こんな汚れた街じゃなくてよ。」
「あの・・・。」
「何もたもたしてやがる。さっさと行け。」 
「今まで、ありがとうございました。」
「ヘイズの分まで、達者で暮らせ。」
 
 
ヴァンは精霊の核を上着のポケットに仕舞い、一気に駆け出した。
横たわるエンリケに一目も向けることなく、ピエドラの街を走った。
ヴォルクとの国境付近に警備が一人もいなかった。
ピエドラを出るには許可証が必須で、貴族の息が掛った商人や役人しか許可証は発行されない。一般人へのヴォルク脱走はほとんど未遂に終わる。
警備がいないこの状況を、ヴァンは怪しんだ。何より、他の人間がいない。
常にピエドラ脱出を目論む人間がいたら、絶好のチャンスを逃すはずがないのだ。
あの気味が悪い程美しい精霊の顔が浮かぶ。
悩んでも仕方がない。
ヴォルクへの道はここしかないのだ。
潜んでいた物陰から境界ゲートに走る。
黄色く錆びた鉄のゲートに飛び付き、よじ登る。
てっぺんを飛び越えようと足をかけたその時、脳裏に声が響いた。
 
 
(私の坊や。何処へ行こうというの。)
 
 
精霊女の声だった。
艶めかしく、甘えたような声音。
後ろを振り向くが、気配はない。
 
 
(お前は街から出てはいけない。お前と関わった人間は皆死ぬのだ。可哀想な子。まるで死神ね。)
 
 
まったくその通りだ。
母が死に、エンリケが死に、自分によくしてくれたロベルトもボスも死んだ。
頭の声の通り、自分は死神なんじゃないだろうか。
だとしたら、ヴォルクに行っても、関わった人間を傷つけてしまう。
今度親しい誰かが犠牲になったら、自分は耐えられるだろうか。
 
 
(いくら孤独を歩んでいても、人の子は一人では生きられぬ。特に坊や、お前は温もりを求めている。鋭い刃はただの見せ掛け。本当は寂しくてたまらないのだ。)
 
 
柵に掛けている手が震えた。
目頭が熱くなる。
そうだ。
俺はいつも孤独を嫌っていた。
母さんが死んで、次の拠り所が人殺し組織だと知っても、居座り続けた。
関わってはいけない一般人を友と思い、側に居続けた。
全部、自分のせいだ。
自分の我が侭で、他人を巻き込んでいたのだ。
 
 
(そこを下りなさい、私の可愛い坊や。私はこの世の元素を束ねる精霊。決して傷つかないし、坊やの側から離れない。私だけが、坊やと共にいられる。)
 
 
なんて素晴らしい誘惑なんだろうか。
その誘いは、最良の答えにすら聞こえた。
渇望するほど、人の温もりを求めているのに気づいてしまったからには、精霊の側にいるのも悪くない気がした。
例えそれが、底知れぬ恐ろしい計画を企ている存在だとしても。
体まで震えだして、ヴァンは柵にかけていた右足を戻そうとした。
 
 
(――――約束。)
 
 
友の声がフラッシュバックする。
自分のせいで残りの生を奪われたというのに、友は最期まで笑っていた。
自分に生きろと言った。
ヴァンは覚悟を決めた。
 
 
「悪いがお姉さん。俺はアンタが好きになれそうになれない。」
 
 
誰かを巻き込んでも、今度は助けだす覚悟を―――。
自分の身長より遥かに高い柵から、ヴァンは勢い良く飛び下りた。
声の気配は、消えた。
ピエドラの街に背を向けて、ヴァンはヴォルクの路地に姿を消した。

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