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オニキス第3研究所
北棟・第2層

アルベルとリントは物陰に隠れ息を潜めていた。
廊下の角を白衣の男が2人、小難しい話をしながら歩き去り自動扉の向こうに消えていくのを見守った。

 


「どうなってんだよ。此処にいる人間は全員ユリウスが寝かしつけたはずだろ?」
「研究棟の扉は、ヤバい薬が外に出たり火事が回らないように密封性が高く厳重に作られていた。ユリウスさんの花が此処まで届かなかったんだろ。安心しろ、想定内だ。研究棟は独立していてるし、研究員は外の様子なんて気にしない。警備部と連絡取れないこともしばらく勘づかれないはず。予定通り博士を探すぞ。」

 

若干の不安もあったが、アルベルも覚悟を決めて、リントに続いて物陰から飛び出し廊下を掛ける。
逆三角形のブローチになっているセウレラが先頭を務め人の気配を探知しながら先に進む。
長い廊下の両脇はガラス張りになっている箇所が多くあり、中の研究室が窺えるようになっていた。
リントが北棟を研究棟と呼んだ理由がよくわかった。
どの部屋にも試験管などの実験器具、書類が山積みになっており、実験用のマウスが大量に並べられた部屋や、壁際にパソコンのモニターがずらりと設置された部屋などがあった。
時刻は早朝だというのに、白衣を着た研究員が何人も作業に当たっていた。彼らの生活リズムは既に崩壊しているのかもしれない。
人がいる研究室のガラス窓を通る際はしゃがみ込み姿を見られぬように進み、セウレラの指示で人がいる箇所を避けながらエレベーターではなく階段で第3層に下りた。
此処も上と同じ作りで実験室が左右に続いているだけであったが、2層に比べ人は大分少なくなっていた。
一歩前を行くリントの斜め後ろ姿を盗み見る。
水色混じりの銀髪が歩く度揺れる繊細な動きは、軽やかな音を立てそうである。
グアルガンの人間はゴロツキ出身の人間が多いせいか、街を徘徊している奴は猫背で目つきが悪い。
リントも目つきは悪いのが、背筋は真っ直ぐ伸びており堂々としてさえいるし、顔も随分整っておりリカルドのような綺麗な人間の分類だろう。肌も日に焼けていないかのように白い。
この研究施設に入ってから、ずっとその違和感が気になっていた。
彼の指先の動きを見て、アルベルは彼がディアナに近いんだと気づく。仕草はもちろん、体の内部から染み出るオーラが。

 


「なあ、リントも貴族だったりすんのか?」
「は?なんだよ急に。」
「お前、歩いてる姿綺麗だよな。指先の仕草とか上品だし。」
「俺はただのゴロつきだ。生まれはヴォルクじゃないが、流れ流れてヴォルクのスラムで育った。ヴァンさんと会ったのもあそこだ。」
「ヴァンは西区出身だったろ?」
「聞いてないのか。あの人数年前まで有名な悪ガキでスラム街で喧嘩ばっかしてたよ。恐ろしく強くて、あそこを仕切ってた悪党は一掃された。まあ、おかげで治安良くなったって近隣住民は喜んでたけど。」
「ふーん。それって―」
『ベルちゃん、この下に起きてるのに動いていない人間の気配が一つだけあるわよ。』

 


セウレラの声に2人の表情が引き締まる。


『その人間の近くに、気配は二つ。こちらも動きは少ない。』
「見張りだな。」


歩くスピードを上げたリントに続き、さっさと3層から離れて再び階段を下りる。
4層は上層と違い研究施設ではなく、人の気配も生活感も一切無い廊下だけが続いていた。
部屋らしきものは一切なく、コンクリートの壁が左右で冷たく続いている。
同じくコンクリート床を歩く度鳴る靴音を極力殺しながら、周囲の気配にも気をつけて進む。
横幅が広い廊下は不定期に曲がり、方角や規則性を感じさせまいとしているかのようである。
天井に埋め込まれた電球の頼りない明かりが不安にさせる。
迷路、いや牢獄へと続く道。
この先で博士が捕らえられているという説得力が出て来た。
彼らの前に、進行を邪魔するかのように分厚い扉が立ち塞がった。銀行の地下にでもありそうな鉄の頑丈そうな扉に、お決まりの操作パネル。
さてどうすると問いかける前に、リントがズボンのポケットからカードを取り出し、それをパネル横にスライドさせた。
ピピッという機械音の後に、扉上部にあったら赤いランプが緑に変わった。
重厚音を響かせながら取っ手もない扉が自動で手前に開いて、2人を歓迎した。

 

「いつの間に?鍵開けが得意とかヴァンが言ってたな。それも悪さしてるときのスキルか。」
「聞くな。」

 

扉の枠を跨ぐ前に、リントが首をぐるりと回す。


「防音機能に防火機能ってとこか。研究施設に置くには厳重すぎるな。」
『この廊下の先。気をつけて。』


扉を越えると横長の空間が広がっていた。左右には黒柵の檻が並んでいたが、幸い今誰も収容されていないようだ。
空の檻の中に掬う暗闇が急に恐ろしくなって、背筋に悪寒が走る。
無意識に歩を進めた。
牢獄が終わり、短い廊下の先に再び空間があったが、2人は咄嗟に物陰に隠れた。
手に武器を持って仁王立ちしている2人の男がいた。男達の後ろには、先程通った鉄の扉と似た円形の扉があった。

 

「いかにも重要人物がいますって言ってるようなもんだな。監視もご丁寧にガスマスクしてやがる。常時であの装備とか、普段どんだけやばい研究してるんだよ。どうする?セウレラで囲うか?」
「俺がやる。」

 


声を落としたリントが、纏う空気を冷たくさせた。
比喩では無く、頬や手の甲に触れる空気が急激に温度を下げた。

 


「来い、フェンリル」


リントが虚空にそう声をかけると、彼の右脇にキラキラとした光が現れ集結し、何も無かった廊下に体が透けた水色の狼が現れた。
四つ足の狼の瞳は水色で、体毛の造形はあるが鋭い氷で出来ている。
体から白い煙が漂っており、吸い込む空気が凍てつく冬の外気のように冷たく鋭くなった。
幸い、室内にいるおかげか凍えて震える程ではなかった。

 


「俺が疑似契約している氷の精霊だ。フェンリル、凍らせろ。」

 


半透明の狼が前足で廊下の床を蹴ると、爪が擦れる音がした。狼が通り過ぎる時、アルベルの耳には氷が水の中で割れるカランという涼やかな音が届く。
廊下を走り出した狼は、ガスマスクを装着した男達が反応するより早く首を捻って口から氷の風を吐いた。
男達の動きが止まり、手にした武器を構える直前の格好で、あっという間に氷漬けにされた。
物陰に隠れていた2人が氷付けされた男達の前に移動する。

 

「こいつら、死んだ?」
「心臓は止めてない。俺が解除を指示すれば溶けて時も戻る。」
「へー。凄いな。」

 

突然、アルベルの頭の中だけにセウレラが話しかけてきた。

 


(妙ね。氷の子はフェンリルなんて名前でも狼の姿もしてなかったわ。)
(形態変えるのは珍しくないだろ。今のお前みたいに。)
(魂そのものを主に合わせて抑えている。腕輪のせいもあるけど、私の言葉も聞こえないみたい。なぜそんな頑なに周りを拒絶してるのかしら。)


扉周辺を警戒するリントを再び観察する。仕草は貴族のようで、手癖はゴロツキ。
よく分からない男だ。それが今現在の印象であるが、不思議と警戒心は湧かなかった。
水の配下である氷の契約者だからだろうか。
凍り漬けにされた男達の横を通り、彼らが守っていた扉の前に立つ。
円形扉の横にある操作パネルに、リントが再びカードキーを通す。
簡単な電子音が2回響いて、ドアがゆっくり左から右にスライドした。
重厚な扉の奥には、立派な小部屋があった。
絨毯が敷かれ、天井まである背の高い本棚、セミダブルのベッド、キャビネット。
厳重な扉の奥にあったにしては、生活感が溢れ過ぎているように感じる。
質素な机の上には散乱した紙束、こぼれたインク。
回転椅子に腰掛けていた人影が、くるりと椅子を回して此方を向いた。
紺色の髪を持ち、黒縁で分厚いレンズの眼鏡を掛けた若い男だった。
皺くちゃでよれた白シャツに、黒いズボン。
服を着ていてもその痩躯はよく分かった。

 


「遅いぞ、リント。」


そう言った男が、中指の腹で眼鏡を押し上げる。
分厚いレンズの奥に、切れ長の瞳が鋭い眼光を放っていた。
レンズの奥の瞳は、よく見れば水色の美しい色合いをしていた。ヴォルクの出身ではないとすぐにわかった。
リントがわずかな段差を跨いで牢獄―いや、部屋の中へ足を踏み入れた。

 


「VIP待遇ですね。」
「奴らが用意したらしいが、牢獄に代わりは無い。」
「わざと捕まるとか勘弁してくださいよ博士。レベッカさんも呆れてましたよ」
「俺が好機をみすみす見逃すわけないだろ。」

 


そう言いながら、リントが室内の壁に設置された機材をいじって、センサーを切っているようであった。
ずいぶんと手際がいい。

 


「ヴァンさんも来てますよ。」
「は?アイツはヴォルクを出られないだろ。」
「勝手に街を出たんですよ。」
「全く、俺より呆れた奴がいるじゃないか。」
「わざと捕まったって、何?ディアナを騙したのかよ。」

 


室内には入らず、出入り口の前で仁王立ちするアルベルがリントと博士を睨み付けていた。
博士と呼ばれた男が立ち上がって、アルベルの前に移動する。
リントよりも背が高くアルベルとの身長差は40㎝近くあるため、かなり首を傾けなくてはならなかった。
廊下の明かりが室内より明るいため、出入り口付近だと博士の顔はまだ影が落ちている。
陰影の狭間、黒縁眼鏡の奥で鈍く威嚇してくる双眸に見下ろされる。
睨み合う2人に変わって、リントが口を挟む。

 


「彼女はネスタ家に滞在している水の正規適合者です。ディアナ様の許可を貰って執事さんと共に連れてきました。」
「こんなガキが正規適合者か。」
「答えろよ。ネスタ家に居候してるアタシが捕まれば不法侵入を問いたださる。窮地に陥るのをわかって、ディアナはアンタを助けるために送り出してくれたんだぞ。」

 


ズボンのポケットに両手を入れた博士がニヤリと笑った。

 


「心配せずとも、ディアナ様なら全部了承済だろ。頭がいいからな、従姉妹に似て。」
「いとこ?」
「俺は此処で保管されているものを盗みに来た。ディアナ様もアレが手に入ればヴォルクの守りは万全になるとわかって黙認し、協力することにしたってわけだろうよ。」
「なんでそれを、アタシに言わなかったんだよ。」
「当たり前だろ。表面上ネスタ家が"知っている"わけにいかない。忠義に厚い執事はともかく、余所者のお前が真の狙いを話してしまっても困る。」
『つまり貴方自身が、貴方の救出という大義名分を作りだして、味方を道連れに強盗しようとしてるってわけね。』
「フフ。精霊さんの方が随分賢いじゃないか。」
「そのブツってなんだよ?何を盗もうとしているんだ。」

 


ムッとした顔のアルベルが腕組みを説いて前のめりに博士を問い詰める。
博士がニヤリとした笑みを深めたと思ったら、アルベルの問いには答えず、目線を横にずらしてリントを急かす。

 


「何をモタモタしているんだ。さっさと行くぞ。」
「この監禁室モニターにもデマ動画をループするよう仕込んでいるんですよ。保管箇所の目星は付いていても、探索のために少しでも時間を稼がないと。」
「此処の低俗学者達に教授してやる傍らシステムを盗み見た。ブツはこっちじゃない。反対側だ。」
「北棟は執事さんとヴァンさんがいます。」

 


アルベルの脇を通り抜けさっさと檻を出て歩き出した博士に続いて、リントが上着からトランシーバーを取り出しリカルドに通信をする。
しかし、ノイズばかりで声は一向に届かなかった。

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