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中央区を通り過ぎ、足を踏み入れたのは西区であった。
ヴォルクに来てしばらく経つが、アルベルはあまり足を踏み入れたことがない一帯である。
此処は夜に賑わう繁華街と、もう使われていない労働者用社宅が並んでいるだけ。
夜はヴォルクらしからぬネオンに染まる、所謂大人の街になるが、昼は人の気配も無く閑散としている。
廃墟住宅地は全てコンクリート作りで似たような外観と雰囲気の建物が並び、路地を何度か曲がっただけで
自分がどこにいるかもうわからなくなってしまった。
アルベルを先導する黒服の案内人は迷った様子も無くどんどんと西地区を奥へ奥へと案内していく。
(あれ、人間か?)
(いえ。式神よ。あの服装からして、ジパンの。)
(そんなことまで分かんの?)
(私も人間界長いもの。ジパンに行ったことだってあるんだから。)
脳内でセウレラが得意げに言った。
ジパンとは、極東にある島国だ。独特の文化や服装があって、精霊と似たような不可思議な生き物が多く住んでいると聞いたことがある。
言われてみれば、背中の湾曲した細身の剣も、ジパンの特徴であった。
やがて、建物の間に出来た行き止まりに当たったが、目の前の式神が行き止まりに付けられた扉のノブを回して中に入った。
西地区は高い建物が多いから日当たりが悪いとはいえ、開けられた扉の奥は闇そのものが待ち構えていた。
(ベルちゃん、この先私は強制的に意識外に飛ばされるから召喚出来ない。気をつけてね。)
(は?なんで?)
(この先はカフの領域内。精霊が入れないように結界が張っているの。)
(そのカフって何だよ。)
(会えばわかる。)
(なあ、のんびり人と会ってる場合かよ。ヴァンがダークさらわれたんだぞ?)
(これから会う人も当然知ってる。だから呼ばれたのよ。敵じゃないから、安心して話を聞いてきなさい。)
なぜ分かる、と問い返そうとしたが、これ以上聞いてもセウレラは教えてくれないだろうと思ってやめた。
一瞬の躊躇の末、アルベルも闇の中へ進んだ。
外から中を伺った時、何一つ様子はわからなかったのに、真っ直ぐと廊下が続いているのがはっきり見て取れた。
そういう術が掛かっていたのだろうと納得して、案内人との距離が大分空いてしまったので、廊下を小走りに追いかける。
胸の辺りに違和感を覚えた。
セウレラが言ったとおり、精霊の気配がほぼ消えている。眠っている時でさえ、契約した精霊の気配みたいなものは常に感じていたというのに。
続く廊下は窓もなく光源もないのに、行く先はとてもはっきり確認出来る。そのため、廊下の隅が黒ずみで汚れているのに気づく。温度も、外に比べかなり肌寒い。
変わらぬ景色が無限に続くかのような錯覚に襲われたが、やがて入ってきたときと全く同じ扉が現れ式神がノブを回して開けた。
今度は迷うこと無くアルベルもドアを抜けた。
そこは、どこかの民家であった。
左右に濃茶板の手すり付き短い廊下、左手に四角い窓があり、青い晴天と先程までいた西地区の建物群が見下ろす形で広がっている。
手すりを挟んで、下に降りる階段があるので、此処が2階以上の場所だと推測できる。
板と同じ濃茶の扉が全部で3つあった。
今閉じた扉を振り返り扉を開けると、そこにあったのは長い廊下ではなく、狭い子供部屋。
やはり窓からは、眼前の建物を見下ろす高さが確認出来る。
「はぁ?廊下を真っ直ぐ進んだだけなのに、なんで2階に辿り付いたんだ?しかも廊下消えてるし。」
「酔っ払いや物取りが間違って入らぬように、空間を独立させている。先程通った廊下は、その繋ぎ目。」
淡々と説明した式神が廊下を進みある茶色の扉の中に入った。そこでやっと、アルベルは靴を履いておらず靴下のままだということに気づいた。
いつの間に脱がされた靴のことを気にしつつ、アルベルも部屋の中に入る。
扉から入って左手に長い部屋で、真昼で窓もついてるのに闇が好んで鎮座しているかの如く薄暗く、とにかく物が多かった。
天井まで届く背の高い本棚にはびっしりと本が詰められ、床にも高く積んだ山がいくつか出来上がっている。
壁につけられた木造机の上には、アルベルには見当もつかない、もしくは見たことがない器具や小物が乱雑に広がっており、地球儀や布が詰まったバスケットなどが床に直接置かれていた。
毛足が長い絨毯とカーテンが黒かったので、もう一つのテーブルについていた黒衣の人物に気づくのが遅れた。
その木造テーブルもまた器具やペン類、カードなどが散らばっている。それらを手悪さしていた男性が、顔を上げた。
テーブルの隅には、オレンジ色のレトロなスタンドライトが置かれているのだが、ライトの暖かな赤味が男性の輪郭をじわじわと生みだしていく。
年齢は30台半ばか、もっと若いかもしれない。
式神が着ていた装飾より、もっとゆったりと布の量が多い黒衣を纏っている。異国の民族衣装だろうか。
もじゃもじゃの黒髪に、薄暗い室内でもわかる褐色の肌。ヴォルクの人間ではないことは一目瞭然。
一番目を惹くのは、少し長めの前髪の下にある金色の瞳だ。
シトリンのように美しく琥珀のように奥深いその瞳は、心の奥底を見透かされるような恐怖感を感じさせた。
神秘的ではあるものの、どこか底知れぬ力を秘めているかのようであった。
現に男性はアルベルを穴が開くほど見つめながら、値踏みするように薄く笑った。
「聞いていたより幼いな。」
顎にうっすら生えた無精ヒゲを撫でながら、アルベルをここまで案内した式神に目線を移す。
「クチナシ、茶を煎れてくれ。」
「かしこまりました。」
式神が丁寧に一礼してから退室し、男性は自分の向かいに置かれた背もたれ付きの木造椅子をアルベルに勧めた。
大人しく腰掛ける。先程からこの部屋に漂う香りは何だろうか。香水とは違う、独特な刺激と甘さがある。
「初めまして、水の適合者ちゃん。オレはウルと呼ばれている西地区の代表で、ヴァンの父親だよ~。」
「ち、父親!?兄貴の間違いじゃなくて?」
「若作りの賜かな~。」
「顔似てねぇけど、喋り方そっくりだな。」
「ハハ。かもね。」
ほどよく低音の声は軽やかな印象を受けたが、響きもどこか隙を感じさせない。
気の抜けた喋り方は息子のヴァンそっくりなのに、言葉の扱い方が断然に違う。
人が築き上げて手に入れるオーラというやつだろうか。
アルベルが出会った大人の中で、一番油断がならないと感じた。
「ウチの精霊がカフに話を聞いてこいと言ったから来た。でもアタシ、カフって知らないんだ。」
「西の砂漠地帯に住む民族がある。オレの出身地だが、そこで優秀な術者をカフと呼ぶ。
カフは大地の声を聞き見えぬ壁を作ると言われているが、実際まじないしたり占ったりするだけ。今のオレはただの情報屋だ。」
「ただの情報屋が、ゆっくり茶を飲むためにアタシを呼んだわけじゃないんだろ?ヴァンが何者かにさらわれたんだ。」
たっぷりした袖の中で両腕を合わせたヴァンの父親ウルは、椅子の背に体重を預け笑みを引っ込めた。
「君は衝動で行動する傾向が強いと聞いてたから、釘を刺すために呼んだんだ。ダークがヴァンをさらった件、君は手を出さないで欲しい。」
「じゃあ誰が助けに行くんだ。グアルガンのやつらか?」
「行かない。ヴァンは見捨てられた。」
「は??」
「君も知ってるだろ。オニキス研究所潜入作戦はレベッカちゃんとルチアーノくんが仕組みダークをおびき寄せるためだった。
なのに、ウチのバカ息子が忠告も聞かず勝手にヴォルクを出たせいで案の定目を付けられた。自業自得なんだよ。」
肉親とは思えない冷たい言葉に、腹の底から湧き上がって喉までやってきたモヤモヤした苛立ちだが、ウルの瞳が僅かに憂いたのを感じて、一度冷静になろうと務める。
ウルはアルベルから目線を外し、机の上に置かれた細長いカードを手に取ってシャッフルを始める。
占いで使うカードだろうか。オレンジ色のライトが照らすカードは古びて、長年使用されていたのがわかる。
急にカードを触りだしたのも、自分の心を落ち着けるためなんじゃなかろうか。
バジルも、よく気持ちを落ち着けたい時には部屋の掃除をしていた。
ヴァンがダークにさらわれて、まだ1時間も経っていない。
「ケルベロスと思わしき3人組も、追跡途中で姿を消したらしい。お嬢ちゃんも、花の精霊が消えるのを見たろ。今レベッカちゃんが街の境界警備を強化してるってさ。」
「レベッカって、グアルガンのボスだろ?ずいぶん話が早いな。」
「あの子は昔から頭がいいからね。ヴァンがオニキス研究所へ行った時からこうなるとわかってた。」
「なんとか博士も、意味深なこと言ってたな。要は、勝手に首突っ込んだヴァンを囮に使ったわけだ。」
「囮というか、餌だ。」
「餌?」
「ヴァンが顔を見せればダークは喜んでヴァンを連れて行く。見事餌に食いついてくれたってわけだ。」
「その後はどうすんだよ?ヴァンを助けにケルベロスに総攻撃じゃねぇの?餌ってのは魚を釣り上げるためのもんだろ?」
「鋭いね。」
ゆったりとしたシャッフルが終わり、散らかった机の空いたスペースにカードを丁寧に並べて始める。
「ダークがヴォルクに顔を出したおかげで、枝を付けられた。」
机の端っこに置かれていたサンキャッチャーが僅かに動いて、対極線上にあるライトの明かりを反射した。
ぶら下がったガラスの飾りが虹色のプリズムを生み、キラキラした光がウルの金色の瞳に吸い込まれた。
「ケルベロスのアジトらしき場所を突き止めた。」
「ヴァン、餌の才能あるじゃねぇか。」
「そうらしい。万年反抗期のバカ息子だが、たまには役に立つ。」
「突入すんのか。」
「いや、誘い込むんだ。」
「どこに?」
「ヴォルクに。」
淡々と喋る落ち着いた声に、アルベルが眉間に皺を寄せて椅子から背を離した。
「ヴォルクを戦場にする気か!?この街は、8年前にもダークに襲われて被害が出たんだろ!?」
思ったより大きい声が出てしまった。最近出来た友人の母は、8年前にダーク襲来の騒ぎで亡くなったと聞く。
買い物のついでにたまに話をする商人達も、店がまた軌道に乗り立て直すのに時間が掛かったと言っていた。
旧市街には、壊されたまま放置された建物がいくつもある。
胸の奥から吹きこぼれたアルベルの怒鳴り声を真正面から受け止めた男は、数秒アルベルの顔を見つめていたが、また視線を落としてカードを並べる作業を続ける。
「今回はネスタ家も商工会メンバーも了解してるんだよ。心配せずとも、全部レベッカちゃんが根回ししてある。」
「市民全員が納得とはいかないだろ。」
「この街はかなり特殊な市民性を持っていてね。中世の時代以前より姫を守る騎士の如く、この街はネスタ家と宝具を守り続けてきた。それが自分達の使命だと言わんばかりにね。新参者のオレやお嬢ちゃんには異様に感じると思うが、そういうもんらしい。8年前もそうだったよ。」
「混乱は免れないと思うが。」
「君には、ネスタ様の護衛強化を頼みたい。探偵のお手伝いはしばらく休みにして、なるべく側にいて欲しい。」
「ディアナは守るよ。そう約束した。だが、宝具って選ばれた人間しか触れないんだろ?ダークだって盗みたくても盗めないなら狙うだけ無駄だろ。」
「8年前もそう思ったが、ネスタ家を狙ってきた。二大精霊はどんな裏技を持ってるかわからない。宝具を扱える技があるのかもしれない。念には念を、だ。」
複雑にカードを並べていたが、終わったのか一つずつ丁寧にめくっていく。
絵柄の意味など当然アルベルにはわからないが、カードの絵柄が美しいのは理解出来た。
ウルがカードをめくる乾いた音だけがしばし響いていたが、扉が開き、式神がお茶を持って戻ってきた。
アルベルには手渡しで、主のお茶は占いの邪魔にならないよう机の隅に置かれた。
一礼して、式神はまた部屋を出て行った。
円形で筒型、取っ手もないカップには半透明な緑の液体が入っていた。。
カップも温かく、香ばしい匂いがする。
恐る恐る口を付ける。
「なんだこれ。」
「ジパン茶だよ。初めてかい?」
「へー。紅茶とは全然違う味だが、悪くない。」
最後のカードを表に返して、ウルもお茶に口づけた。
「そもそもさ、なんでヴァンはダークに狙われてんの?」
「9年前、ヴァンはひょんなことでダークと出会っちまって、気に入られた。
ダーク異常性に気づいて奴の精霊核を盗んできたことがある。あの頃はこの街にダーク避けの結界が張ってなかったからな。」
「結界、まんまと入られたじゃねぇか。」
「ありゃ、ケルベロスの部下に残滓をくっつけて入ってきただけで、本体じゃない。それに、ヴァンに接触する場合のみ侵入を許した。やりたくはなかったけどな。」
ヴァンが黒いモヤにさらわれたあの瞬間、目に見えない力で全身抑え付けられたような拘束力に襲われた。
指先一つ動かせなかったのに、まさか本体じゃなくてあの圧だとは。
「息子が心配じゃねーの?」
「心配に決まってんだろ。」
「なんで餌なんかにした。」
「昔から頑固で言うこと聞かねぇんだわ、アイツ。この家にまた閉じ込めて出さないようにも出来たけどさ・・・。もう大人だから好きに生きさせろって言われちまって。そんなん言われたら、親は黙るしかねーんだわ。
あんなデカく生意気になるまで、オレがしっかり育てた。オレが我慢してるんだ。お嬢ちゃんも大人しくしててくれないか。」
「・・・ダークに、何されてるかわからないじゃないか。」
「命までは取られない。」
「アタシには理解出来ない。博士もレベッカってやつもアンタも、街を守るとか言いながら危険にさらしているように見える。ヴァンも、自己満足に酔って親や友人を悲しませてる。ダークやケルベロスと戦いたいならトゥーリヤでやればいいのに、わざわざこの街を使う理由もわかんねぇ。」
「そりゃ、最終兵器であるオレがヴォルクから出られないから。ダークを倒すなら、おびき寄せるしかない。」
「アンタってそんな凄いの?占い師だろ?」
「フフフ。おじさん、とーっても凄い占い師様なんだよ。」
またお茶を飲んだヴァンの父親が、お茶の表面に過去でも見ているのか、薄く笑いながら椅子の背に体重を預けた。
遠くの方で音がする。方角は、下の階だろうか。繰り返し、等間隔で鳴るこの音は時計だろうか。
「最近な、アイツお嬢ちゃんのことや執事くんのこと楽しそうに話すんだよ。悪友は沢山いるのに、シャルルくんの話ぐらいしかしなかったアイツが。
君が来て、ネスタ家の庭で遊んでるのが余程楽しいらしい。君がヴォルクに来てくれて良かったよ。」
「アタシは幼馴染みを探しに此処へ来ただけだ。けど、ヴォルクはいい所だ。」
「そうだね。」
机の上に並べたカードの1枚を手に取って、ウルは微笑んだ。
ニヒルな笑みではない、どこか清々しささえ感じる力の抜けた笑みであった。
