*** 1
「いててて・・・」
ベッドに横たえていた体をゆっくり起こす。
極力刺激を与えないように注意を払うが、全身が痛む。
手首には縄で縛られた赤い後がくっきり残り、首元にも跡が残っているのだろう。
他にも体中殴られたりした記憶がある。
「アイツ、やっぱりジェットなんじゃねぇの?」
独り言を漏らして、以前ダークがくれた塗り薬を手首に塗った。
此処はヴァンが与えられた小部屋。
キングサイズのベッドが部屋のほとんどを占めており、家具はチェストと丸テーブルだけ。
奥にバスルームと、クローゼットがある。出入り口の扉は施錠されている。
優遇された監禁生活を送っている。
服は主の趣味でジパンの和服を着せられており、食事はダークの自我のない分身人形が持ってきたり、気まぐれにボスのロベルトが持ってきたりする。
ロベルトは普段は仕事で忙しいらしいのだが、気まぐれに監禁部屋にやって来ては一緒に食事をしたり談笑したり。
普段は昔のように穏やかなのだが、会話の中で何か気に入らない箇所か出てくると、急に凶暴になって暴力を振るってくる。
執拗に、思い知らせるように、呪いの言葉を吐きながら覆い被さってきては、一方的な暴力が始まる。
一回始まると長く、1.2時間は拘束される。頭を殴られ気絶したこともあったのだ。
スッキリすると、部屋を出て行ったりひたすら謝ったり不安定だ。
精神不安定DV野郎め、と呟きながら薬を塗る。
この部屋に時計も窓は無い上に、ロベルトが来た後は体力回復のためぐっすり寝てしまうので、此処に押し込まれ何日経ったかわからなくなってしまった。体感だと3日ぐらい経ってしまっているかもしれない。
しかし、潜入作戦としては大成功だ。ロベルトが自分に固執してるおかげで、レベッカから教えられた嘘情報を適当に仕込んでヴォルクに足を踏み込ませることは容易かもしれない。
それには、もう少し機嫌を取って怪しまれないようにしなければなるまい。
左手首につけていたグアルガンである証、疑似召喚装置は目が覚めた時には外されていた。
正規適合者にでもならない限り、炎の精霊マグニを呼び出すことは出来ないだろう。
気が合う奴だったから、残念だ。
薬を塗りながら、連れてこられた時のことを思い出す。
*
椅子に座ったロベルトが得意げに言った。
「あの後すぐダークのマスターに任命されてよ。ダークのおかげで傷も即効で治って、一命を取り止めたってわけ。」
ボスはあの時、ロベルトは死んだと思ってヴァンにもそう伝えたが、ダークが手を回していたらしい。
そういえば、ダークはロベルトの事も気に入った、と言っていた気がする。
昔のロベルトは、暗殺家業をやっていながらも穏やかな好青年だった。
ナイフより本が好きで、何年も浪人しながらやっと大学受験受かったと大喜びしていたのに。
目の前の人はというと、仕立てのいいスーツに無駄に光る装飾品、焼けた肌。残忍な笑い方はどこからどう見ても立派な悪党のボスだ。
体も二回りは逞しくなって、顔つきにかつての面影は皆無。
目の前にいる彼が、昔の義兄とかけ離れ過ぎて、思考が追いつかない。
「オルトロスがケルベロスと名前を変えたと聞いたときは、ジェットだと思った。」
「アイツ、あの後すぐ死んだよ。バカな弟だったから、どうでもいいけどよ。」
ロベルトは立ち上がり数段だけの階段を降りると、ヴァンの目の前まで距離を詰めた。
ヴァンは震える眼でロベルトを見上げる。
「ケルベロスはお前のために作ったんだ、ヴァン。」
実弟の死を軽く話しながら、ヴァンの頬を武骨な手がペチペチと撫でた。
かつて、文字を教えてくれた指にはまるアクセサリーが、酷く冷たく感じる。
「せっかく新しく組織作ってずっと探してたのに、お前はかくれんぼに興じやがって。」
「大学行くって言ってたじゃないか!」
「そんなんどうだって良かったんだよ!俺は、あの家を逃げられればなんだってな!」
「え・・・。」
いつも難しい本ばかり、でも楽しげに読みふけっていた姿を何度も見ている。
ピエドラで数えるぐらいしかなかった、穏やかな時の一つが、音を立てて崩れていく。
「お前はロベルトなんかじゃない!」
「おいおい。兄さんに向かってひどいじゃねーか。」
「俺の兄さんは8年前、エンリケと一緒に死んだんだ!」
ヴァンの首が掴まれる。
絞め殺す気は無いようだが、指先に込められた力が体から酸素を削ってゆく。
「ぐっ・・・!」
「ちょっと目を離した隙に生意気になっちまってよ~。再教育が必要なようだなぁ。」
*
その後すぐ気絶させられて、気づいたときには監禁状態にあった。
あの時はまだ、あの成金趣味に成り下がったロベルトはダークが用意した偽物だと思っていた。
別人にロベルトの記憶を植え付けているのではとすら思った。
だが会話を
横スライドの扉が突然開く。
食事が乗っているトレイを持った少女を見て、一瞬呼吸が止まった。
「エンリカ・・・。」
2つに結ったピンクの髪に、風船みたいに広がったピンクのワンピースを着た少女が、ヴァンを睨み付けながら部屋に入って、チェストの上にトレイを置いた。
痣だらけのヴァンを横目で確認する。
「いい様ね。それにしても驚いたわ。ボスがあそこまで固執してる様初めて見たわ。」
少女の姿は、ヴァンがピエドラで出会った頃と余り変わっていない。
少し背が伸びて大人にはなってはいるが、見た目は15歳ぐらいだろうか。声も高く細いまま。
だからこそ、ヴォルクで再会したときは亡霊が自分を呪いに来たのだと錯覚して恐怖したものだ。
トラウマは癒えたと思っていたが、深めに抉られた。
「なあ、今何時?」
「時間は存在しないわよ。」
「は?」
「ここはダークが創り出した亜空間の中よ。現実世界と時間の流れが違う。アンタが此処に来て、まだ1日よ。」
「チート過ぎ・・・。だから、エンリカはその姿なの?」
「さあね。」
「だって、君。エンリケと同い年ならもう―」
「レディに年齢を聞くなんて、マナー違反よ。」
それもそうか、と短く謝罪を述べた。
「エンリカも適合者になったんだね。」
「アンタと同じ疑似召喚よ。ダークが用意した精霊核で。」
「そっか。」
それ以上、何を話していいか分からなかった。
8年前、自分のせいで彼女の大事な家族を死なせてしまったのだ。謝罪の言葉すら、口に出したら失礼な気がする。
適当な壁に背を預けて、彼女は腕を組んだ。
「口下手な所、8年経ってもかわらないわね、アンタ。」
「う・・・。」
「嫌味の雨でも降らせてやろうかと思って来田のに、その情けない顔みたら萎えた。再会した時だって、アンタが憎くて仕方なかった。ダークに止められてなかったら、殺してた。でも、頭の中でエンリケが怒るのよ。喧嘩しちゃだめって。」
ヴァンはベッドの上に座ってその言葉をただ受け止めていた。
「知ってたわよ、アンタがエンリケを殺してないって。エンリケだって、親友を恨むはずなんてないのよ」
「・・・なら、どうして・・・」
「アンタを恨むこと以外、生きる理由がなかったからよ。それと、エンリケを忘れないため。エンリケを覚えている私が死んだら、エンリケが今度こそ死んでしまう。それだけは嫌だったの。」
「だからって、ケルベロスにいなくてもいいじゃないか。ケルベロスは―」
「私の勝手でしょ。それに、もう綺麗で純粋じゃないのよ。もう心も体も汚れちゃったんだから。」
「・・・」
「俺のせい、だなんて気持ち悪いこと思わないでよね。アタシが選んだのよ。あの街で生きるためには、悪事にだって縋る必要があったんだから。オルトロスが消えたピエドラはさらに治安が悪化した。子供一人じゃもう生きていけなかったの。
・・・アンタは、脳天気にぬくぬくした場所で生きていけなんでしょ。良かったじゃない。」
たしかに、ヴォルクに来てからの生活は綺麗過ぎて、夢のようであった。
温かいものを沢山与えられた、恵まれた日々だった。
あのままピエドラに居たら、自分だってエンリカみたいに自分から悪事に身を落とし、殺しだって
平気で行っていた可能性は極めて高い。
「エンリケは・・・俺にとって初めての友達だった。それは変わらない。俺が死なせた事実も変わらない。」
「そうよ。アンタが殺したの、アタシの大事な兄さんを。その罪を一生背負って苦しみながら、生き続けなさいよ。醜く足掻いてでも、勝手に死ぬな。じゃなきゃ、エンリケが命をかけてアンタを救った意味がなくなってしまう。」
「・・・うん、そうだね。ありがとう、エンリカ。」
エンリカはそれから何も言わず、部屋を出て行った。
* * *
トゥーリヤには簡単に入ったのだが、仮眠を取ったり追っ手に気をつけながら一般道を選んで走っていたせいで、ヴァンが捕らえられているケルベロス東にあるアジトまで6時間も掛かってしまった。
トゥーリヤは横に長い街で、一番栄えている箇所は街の東にあった。
人口密集地の為か都市開発も盛んのようで、高いビルが立ち並び、道路は広く交通量もヴォルクの倍以上だった。
朝になり明確になってきた隣街は、ヴォルク生まれでヴォルクから出たことないシャルルを驚かせた。
ビルが並ぶ広いコンクリート通りを歩きながら、シャルルは物珍しげに辺りをキョロキョロ眺める。
「ヴォルクが田舎だって言われる理由分かった気がする。」
「なら、首都に行ったら顎を外すと思うよ。此処もまだまだ田舎だ。」
「へぇーそうなんですか。リカルドさん、首都行ったことあるんですね。」
「いや、無い。」
「え。」
リカルドを先頭に人並みを掻き分ける。
まだ午前中だというのに、ヴォルクの夕方市場並の混雑っぷりだった。
ちなみにユリウスもついて来ている。車を駐車場に預けた際、リカルドに具現化を解けと言われていたが断固拒否してついて来た。
彼は楽しそうだが、シャルルはイケメン達の間に狭まれ複雑な気分だった。買い物途中のマダムは振り返り、若い娘は顔を赤くする。 ユリウスに至っては服もちょっと変わっているせいで、王子様コスプレした人、もしくは本物の王子と勘違いされてそうな。
「ユリウスさん。」
「なに?」
「精霊って、服装変えられないの?」
「出来るよ。ただ人間と違ってあまり意識しないし、本来必要ないからね。固定させるのに時間が掛かって、初期設定した服になっちゃうんだ。ホラ、セウレラの服って創世記の王女様が着てそうなデザインだろ?」
「ああ、そういえば。」
「それぞれ、初めて人間と契約した時代の服装を設定してるんだ。セウレラは古代ラティス帝国時代、僕は中期に王族騎士団だった人と契約したから、こんな恰好。」
「へー。」
いつの間にか並んで歩いていたユリウスはにっこり笑った。
「僕、目立ってる?」
「うん。」
「次は考えるよ。僕はあまり外に出る方じゃなかったから。」
「二人とも、置いてくぞ。」
リカルドが腰に手を置き軽く眉根を寄せ立ち止まる。
距離が少し開いていたらしく、慌てて駆け寄る。
「ご、ごめんなさい。」
「リカルドくん、さっきから気になってたんだけど、車置いてどこ行くの?逃走に車は使う予定なんでしょ?」
「ああ。事を起こす前にいくつかやらなきゃいけないことが―・・・。」
その時、シャルルのお腹が盛大に鳴った。
華奢な身体にはにつかわない凄い音に、ユリウスが声を出して笑って、シャルルの顔は真っ赤になった。
「すいません・・・。」
「やらなきゃならないことに朝ごはん追加だね、リカルドくん。」
「朝食をすっかり忘れていた。ちょうどいい、情報整理もしたかったし、どこかに店に入ろう。」
まだ朝早い時間で人通りが多く、どの店もモーニングで混雑していたが、大通りから一本外れた小路にあったホットドック屋を見つけた。
早速注文をし、奥の一角に着席した。
店内にはスーツの男性1人と作業着を着た2人組、老夫婦しかいなかった。適当な有料ラジオが流す少し昔のポップミュージックが流れ、大通りの混雑が嘘みたいに平和であった。
食事をとらない精霊は、シャルルの食べっぷりに関心していた。
眉を八の字にしたまま特大ホットドックを口に放り込み、コーラで流すを繰り返す。
「やせの大食いなんだね。」
「むぐ・・・。職人に朝ごはんは大切なんで。」
「よく噛んでね。」
それはよく母に注意されていた台詞だった。
ヴォルクを出て。書き置きはしてきたが、父さん怒ってるだろうなーなど考える。
斜め向かいに座ったリカルドは、スクランブルエッグとウィンナー、食パンが付いたコーヒーセットを注文し、ナイフとフォークで、ではなく普通に素手で食事を取っていた。
「リカルドくんが食べたり飲んだりしてるのレアだよね。」
「執事は人前で、特にお客様の前で飲食しないからね。」
「使用人さん達はいつ食事取るの?」
「決まってない。仕事の合間に。」
「リカルドくん、よく洗い物しながら食べてるよね。」
「言うな。時間の節約だ。」
シャルルが特大ホットドックを一本と、追加したサンドイッチを食べ終えた所で、本日の作戦発表は始まった。
シャルルは詳しい話を聞いていないのだ。
「俺が本部へ侵入、ヴァンを連れ、車でトゥーリヤの南東にある隠れ宿に避難してからヴォルクに帰還。以上。」
「シンプルだね。もっと複雑な作戦立てたのかと思ってた。」
「ヴァンの父親に言ってくれ。」
「僕は何をすれば?」
「免許持ってないなら、ユリウスの付き添い。」
「役割無いじゃない!」
「ある。と、ウルさんは言ってたけど。」
「理由は不明、と。」
リカルドがコーヒーが入ったカップを傾ける。
それだけで絵になってしまう。
「おそらく、シャルルの役目はヴァンを捕まえ車に乗せた後なんだと思うよ。」
「慰めろと?」
「君も聞いたろ。ヴァンは自分がケルベロスのボスとダークを誘導する役目を担ってると思ってる。焦って、俺達と一緒に帰るのを拒否するかもしれない。既に洗脳済の可能性もある。」
「そ、それこそ僕のじゃ役不足――」
「ぶん殴るんだろ?」
リカルドが、薄く笑って首を傾げたのを見て、シャルルは硬直する。
ああ、この人ちゃんと笑えるんだ―――。
微笑むと、どこかあどけなくて、日溜まりみたい。 ユリウスとも雰囲気か近づいたような。
コップに残っていたコーラを飲み干した。
「わかったよ。目を覚まさせる役目、やります。」
「うん、頼んだ。さて、本部へ行く前に用事を済ませてしまおう。」
「その用事って?」
「此方の情報屋に挨拶。あと買い出し。」
「??」
