top of page

*** 14

ヴォルクは本格的な梅雨に入った。
昨日も一昨日もあれほど降ったというのに、朝から強い雨にみまわれていた。
強い湿気が大気を支配し、午前だというのに外は夜のように暗い。
雨の線が空から大地へ落ち強い雨音で聴覚を麻痺させられながらも、シルヴァーノは窓の外をぼんやり眺めていた。
クレメンス家の王子だと周りに気付かれればいずれ王宮にバレてしまうので、ネスタ当主は娘のあだ名とやらを正式採用することにして、シルヴァーノはリカルドと名乗ることになった。
彼自身も名にこだわりはないので、あっさり受け入れた。
今は、元の場所に戻らぬようにするのが急務だ。
もう自由を知ってしまったのだ。辛い仕打ちを受け入れ耐えていた日々が死ぬほど嫌だったと気づいてしまったら、戻れない。
彼の視界の端に、派手な黄緑色が入ってきた。


「ほらリカルド。サボらないでちょうだい。」
「ごめん、ディアナちゃん。」


窓に向いていた顔を元に戻し、差し出された黄緑色のコップを受け取る。
彼がいるのはディアナの秘密の部屋。おもちゃや人形で溢れた遊び部屋だ。
落ち着いた白のフカフカ絨毯に座り、星が輝く壁紙に囲まれ、ままごとに付き合っていた。
ディアナは言葉を喋る前からネスタ当主となるために英才教育を受けさせられていたせいか、友達はおらず、ままごとも親に内緒で1人で遊んでいたらしい。
名誉なことに、秘密の子供部屋に招待された彼は、自分より幼い少女の為に人生初めてのままごとの相手をしている。
今日の役柄は、一流シェフディアナの見習い。
ディアナも彼も自分で料理なんてしたことないが、知識だけはあるのでおもちゃの鍋をかきまわし、おもちゃの包丁で野菜を切る。
彼はマジックテープでくっついた人参の輪切りをプラスチックの包丁で分断する作業をしながら、もう一人の友人を想った。
彼がネスタ家に引き取られ数日経つが、ヴァンも色々複雑な状況に置かれているようで、会えたり会えなかったり。
今日は雨が強いしディアナの授業は休みなので、会えないだろう。
何故かディアナには、アウルとヴァンの存在は秘密にするよう言いつかっている。

 


「ディアナちゃん、野菜切れたよ。」
「シェフと呼びなさい。」
「はい、シェフ。」

 


シェフは熱心に鍋をかきまぜながら塩胡椒で味を整え味見をし、首を捻って今度はタバスコを入れた。
斬新な料理になりそうだ。
見習いは暇なので、皿を並べた。
テーブルクロスをひき、ナイフとフォークをそえ、紅茶ポットとカップも用意。

 


「あなた、準備いいわね。きっといい執事になれるわよ。」


鍋をかきまわすのに飽きたディアナが絨毯の上にセットされた食事セットを関心しながら眺めた。

 


「執事・・・。いいね。このままディアナちゃんの執事にしてもらおうかな。」
「それがいいわ!だって、未だにお家が見つからないのでしょ?私があなたの新しい家族になってあげる!」
「・・・家族。」

 


ディアナは彼の素性を一切聞かされていないので、親に捨てられ街を歩きさまよっていた普通の少年、ということになっている。
王子が執事になるなど笑い話にも失礼なのだが、大きな瞳をキラキラさせて彼の顔を見つめていた。これ以上の名案はないとでもいった顔で。

 

 

 


午後になって、ディアナの家庭教師が一人やって来て、彼女は憂鬱な顔をしながら授業を受けに出ていった。
まだ遊びたい盛りなのだが、仕方がない。
一人残された彼は、以前エミディオから好きに使っていいと言われていた書斎へと向かっていた。
珍しい本などが揃っているらしく、今は娘の方が頻繁に使っていて彼女の図書館になりつつあると聞いた。
廊下を歩いていると、向こうからメイドを従えネスタ夫人がやって来た。
一児の母とは思えぬぐらい美しく、ディアナそっくりである。
イエローゴールドの緩く巻いた髪が歩く度揺れ、薄暗い廊下であってもターコイズブルーの瞳は際立ち、気品が漂い強さまで垣間見える。

 


「シル・・・じゃなかったわね。リカルド君。午前中ずっとディアナと遊んでくれたんですって?付き合わせちゃってごめんなさいねー。男の子がままごとなんて退屈だったでしょ?」
「いえ。遊ぶのは、楽しいです。」
「なら良かった。」

 


夫人は雨の鬱蒼とした空気を吹き飛ばすような笑顔で微笑む。


「ディアナはお友達が出来たって毎日楽しそうなの。お勉強ばかりで友達を作る機会が中々なくて・・・。リカルド君が来てくれて私も感謝してるわ。マヤーナ様に感謝しなきゃ。」
「マヤーナ?」
「私が生まれた故郷の女神様よ。女神信仰は珍しくて、他にはヤクト一族ぐらいかしらね。」
「ヤクト・・・?」
「私達共通のお友達の故郷よ。」


占い師アウルの存在はメイドにも秘密なので、夫人が小声で良いながら悪戯っぽくウィンクしてみせた。

 


「それじゃ、私は出掛けてくるから、またお夕食の時にね。」
「はい。行ってらっしゃい。」
「フフフ。行ってきます。」

 


ネスタ夫人も会合やお茶会の誘いで毎日忙しいようで、雨だというのに出掛けていく。
彼は、まるで執事のように夫人を見送れたことに、少し胸が高揚しているのに気づく。
王子を辞めて本当に執事にしてもらおうか。
しかし、王子をどうやって辞めたらいいかわからなかった。


ネスタ邸左翼棟一階の一番端。
そこにエミディオの書斎はあった。
左右の壁がガラス窓になっているので、右に中庭、左には屋敷を囲む林が見える。
こんな薄暗い雨ではなく、晴れていたら素晴らしい光景に出会えたに違いない。
電気を着け、書斎を一通り物色する。
右側奥には簡易机セットが置かれているが、その他のスペースは全て本棚が占めていた。
大人二人分に満たない感覚で並べられた背の高い本棚には、ギッシリと本が詰め込まれていた。
辞書、歴史書、哲学や科学の本はもちろん、外国の小説や子供向け小説まで豊かな品揃えだった。
古い本も多いのか、色褪せた背表紙からは紙の濃厚な匂いがする。
本棚の間を縫っていた彼が、ふとある本の前で足を止めた。
青い表紙に金の文字。
一度ディアナが見せてくれた本だ。
この本は私のお気に入りで、あなたのあだ名も此処からとったの―――、と。
シリーズの第一巻を手にして、窓際に置かれた椅子に腰掛けその本を読み始めた。
物語はファンタジーで、簡単にまとめるなら、妖精が人間と協力して悪の権化と化した魔王を倒しに行く話だ。
彼も王宮にいたころはよく本を読んだ。
娯楽は読書しか許されていなかったからだ。
かと言って渡されたのは政治論や小難しい論理書ばかり。
子供向けの小説や絵本は母親とユース王子が話を聞かせてくれるだけだったので、初めて自分で読むファンタジーはとても面白くあっという間に引き込まれていった。
世界が広がるとはこのことだろうか。
そうならば、この街に来てから世界は何倍にも広がって、何倍も輝きを増した気がする。
眩しすぎるぐらいに。
午前よりはだいぶ落ち着いた心地よい雨音が時間をゆったりと流し、葉っぱを軽く叩く雫と、紙の擦れる音だけを聞きながら読書を楽しんでいた。

ふと、彼は顔を上げた。
視線を感じたのだ。
書斎には彼以外誰もいないので、窓の向こうに広がる庭とそのまた向こうにある林に視線を向けた。
本に集中してる間にまた空は暗くどんよりとした雲を厚くさせており、雨霧が芝の上にうっすら広がっていた。
線に見えるほど強く降る雨と、曇天。
暗い庭に、影がポツンと立っていた。
林の陰より濃い闇は人の形をしていた。
長く延びてるだけの手足とバランスがおかしい大きな頭。頭には辛うじて判断出来る目鼻の凹凸がある。
影の不格好な人形は雨霧に混じって輪郭はやけにおぼろげだったが、ジッとこちらを見つめているのはわかった。
窪んでるだけの眼で、彼を見つめている。
電気のついた明るい部屋で、彼は影の視線を受け、ただ見つめ返していた。
憎悪、妬ましさ、渇望、哀愁。
全てあるようで、なにもない空っぽの視線は気味が悪く悪寒すら抱くのだが、ついこないだまで空っぽだった彼は、恐怖も怒りもない瞳で影を視線で捕えていた。
交わる視線の間にあるのは、窓ガラスと、雨だけ。
影は木の幹に寄り添うように立っているだけで、近付こうとはしない。近づけないのだろう。
視線を反らしたのは彼の方だった。
影の出現などなかったかのようにまた本に集中しだした。
数ページ読み進めた時思い出して顔を庭に向けたが、もう影はそこには居なかった。
諦めたのかどうか、は正直どうでも良かったので、本に集中する。
そこでやっと、妖精騎士リカルドが登場した。

bottom of page