*** 15
ヴォルクの梅雨は白黒はっきりしているらしい。
晴れる日は朝から晴れ、雨の時は徹底的に降る。
今日は青空が広がる梅雨の晴れ日であった。
シルヴァーノ第8王子をディアナが保護―正しくは拾ってきてから9日経った。
エミディオやダンテが手を尽くしても、彼の母親の行方は手がかりすら掴めず八方塞がりとなっていた。
当の王子は、母親に置いていかれたことを特に悲しんでいる様子はない。
厳しい環境に育ったせいか感情の起伏は薄く物の捉え方も普通の少年とは違うらしかった。
母親と対面してから自我を取り戻しはしたものの、物静かであまり喋らないのは相変わらずだった。
ただし、例外はある。
エミディオが予定通り、白百合の間でシルヴァーノと共にお茶をしていると、扉が開いた。
「ヴァン!」
黒髪黒服の男に続き赤髪の少年が入ってくると、シルヴァーノは椅子から飛び下りて友人に抱きついた。
「お前な・・・。抱きついてくんな。」
「ディアナちゃんは、誰かに会う度こうするから、ヴォルク流の挨拶かと思って。」
「違ぇよ!」
シルヴァーノ王子は、自分を縛っていた決まりや闇から救い出してくれたヴァンにはかなり気を許しているようで、よく喋るしよく笑う。
今だって、姿を見つけた瞬間目を輝かせていたものだ。
「ウル、遊びに行ってきていい?」
「裏庭から出るなよ。あとディアナちゃんに見られるな。」
「行こうぜ、シルヴァーノ。」
「うん。」
抱きつかれて文句を言ったくせに、王子の手を取って仲良く遊びにいった。
ヴァンにとっても、数少ない友人なのだ。
肩で息をついたアウルは、当主の対面席に腰かけた。
「仲良いのは微笑ましいが、お父さんちょっと寂しいぜぇ~。家にいても王子様の話ばかりするんだもんよー。」
「アハハハ。二人とも辛い環境にあったんだ。楽しくて仕方ないんだろうね。」
「それもあるが、王子様にとっちゃヴァンは母鳥みたいなもんなんだろうな。」
「最初に目にした人物にずっとついてくって、あれかい?」
「余程の衝撃だったんだろうよ。自由ってやつが。」
アウルは長く広い服の袖を合わせながら、白百合の間から見える庭を横切る赤髪を発見した。
裏庭は高い木が茂る林だ。
そこにいれば誰に見られることもないし、結界があるのでダークに狙われる心配もない。
「もし母親が見つけられず、ずっと住まわせるとして、どうするよ。ガキはすぐでかくなる。裏庭は狭すぎるぞ。」
「このまま、というわけにもいかないだろうね。一生この屋敷の中だけで過ごすわけにはいかない。となると、近衛兵に見つかるのも時間の問題だ。」
「おっ。王都の兵隊がやっと動いたか。」
当主は優雅に紅茶をソーサーごと持ち上げ午後のティータイムを楽しむ。
この部屋も来賓との夕食会や客人歓迎用にしか使っていなかったのに、すっかり白百合の間がヴァンと王子を合わせる為の午後のお茶を楽しむ部屋になってしまった。
「表だって王子の捜索とは言ってないらしいがね。今レベッカが王宮に忍込んで情報集めてくれてる。」
「ダンテの娘、相変わらずすげーな。」
「ケルベロスの方はどうだい?」
「ヴォルクに足を踏み入れくる輩が増えたな。暴れたりの指示はされてねぇみたいで今は大人しいが、何を企んでんだか。」
「去年の仕返しかな。トゥーリヤで大人しくしていれば目を瞑ってやったものを、痛い目に合いたいようだ。」
「おーこわこわ。ネスタ当主に睨まれたらヘビでも気絶すらぁ。」
紅茶カップから顔を離したエミディオは、どこかずる賢さがみえ隠れする笑みを浮かべた。
底知れない策士の笑い方だ。
「ま、いいか。今日のところは難しい話はやめて、子供自慢でもしようじゃないか。最近頭が痛い話ばかりで疲れたよ。」
「・・・文句は言い足りないが、賛成だ。」
執事は席を外させているので、エミディオがアウルの為に紅茶を煎れた。
ヘビースモーカーで、常に煙管を手にしてないと落ち着かないような手ぐせの悪い男が、今日はまだ煙管を出さないことに気づきながら、エミディオは体の毒素を抜くために穏やかに家族自慢を始めた。
*
手を繋ぎながら裏庭に到着したヴァンとシルヴァーノは、まず芝生に腰を下ろし話を始めた。
昔の話、体験談、ゲームの話などなど。
それが終ると、松の木の下に移動し落ちた松の葉っぱで遊びだす。
葉を交差させ、結合部が切れたら終わりという単純な遊びなのだが、頑丈な松の葉に意外と白熱するのだ。
「次は何する?」
「んー・・・。そろそろ庭遊びも尽きたな。裏庭だけじゃかけっこも出来ないし。屋敷の外に出れたらいいんだけどなぁー。」
ヴァンは芝生の上に仰向けに寝転ぶ。シルヴァーノはその隣に腰掛けた。
頭の下に手を置いて重なる葉っぱの隙間から、流れる雲を眺めた。
「なんつーか・・・平和だな。」
「平和?それっていいこと?」
「当たり前だ。」
「退屈って意味だと先生が言ってた。」
「お前の先生ってのはひねくれてんのか?お母さんが言ってたろ。先生に教わったことは忘れろ。平和は何もないが、悪いこともないんだ。痛いことも、な。」
ヴァンの額に、シルヴァーノの手が乗った。
指先はほんのり冷たい。
「ヴァン、痛い?」
「もう痛くねぇよ。」
「痛い顔してた。」
「大丈夫だって。平和じゃなかった頃を思い出しちまっただけだ。」
友人の手をどかし、芝から背を離した。
それから急に思い付いたのか、ニヤリと悪戯っ子の笑みを浮かべて隣の友人を見た。
「庭も飽きたし、街に行こうぜ。」
「え?」
「お前、市場とか見たことないって言ってたろ。」
「うん。でも裏庭から出るなって・・・。」
「すぐ戻れば大丈夫だよ。この屋敷の坂を降りれば中央区の市場はすぐだ。なにかあれば式神も持って来てあるし。」
赤髪の友人は立ち上がり、彼に手を伸ばした。
「行こうぜ、シルヴァーノ。」
目の前に差し出される手のひら。
青い空と緑の木々を背にする赤い色は溶けることなく、眩い笑顔を向けてくる。
つい数日前にも、雨の日にこんなことがあった気がする。赤ではなく金色だったが。
今度は少し迷いながらも、その手を取って立ち上がった。
屋敷は黒い柵にぐるりと囲まれているが、裏口に使用人が出入口できる柵の扉があった。
ヴァンはキョロキョロと辺りを見回し人がいないのを確認すると、扉に掛っている南京錠をいじりだした。
すると、わずか5秒でカチャリという軽快な開錠音が響いた。
「すごい。どうやったの?」
「企業秘密。」
扉から外に出ると、律義に南京錠を元に戻し、表玄関側の坂ではなく裏手にある階段を下る。
この階段も使用人用で、ヴァンとアウルはいつもこの階段を使ってやって来るらしい。
高台にあるネスタ屋敷の裏手階段からは、隣街の景色が一望でき、左手には海も見えた。
ほぼ真上にある太陽の光を受けてキラキラと輝いている。
「海、初めて見た。」
「そうなのか?港に行けばもっとよく見えるんだけどなー。ピエドラの海より綺麗だ。」
「違うの?」
「全然違う。」
数段下にいるヴァンの後頭部を見る。隣街を見ようともせず黙々と階段を下っていて、声は少し鋭かった。
階段を降りきり屋敷の脇をぐるりと辿れば、あっという間に中央区の通りに入ることが出来た。
お昼時というのもあるが、皆鬱蒼とした梅雨に引き込もってた反動で、貴重な晴れ間に買い物や散歩をしようと外に繰り出してきていた。
シルヴァーノは、こんなに沢山の人を見るのも初めてだし、市場も初めてだった。
彼は一度も王都から出たことがなかったのだ。
年齢も服装もバラバラの沢山の人が、バラバラの会話をして同じ通りを歩いている。
「ほら、シルヴァーノ。はぐれるなよ?」
「うん。」
物珍しそうにキョロキョロと辺りを観察する友人の手を取って、ヴァンは一番賑わっている中央通りに向かった。
4車線道路の脇に真っ直ぐ続く歩道にも出店やフリマーケットが並び、客引の声が右に左に降ってくる。
こんなに騒がしいのも初めてなので、驚きや関心を通り越して唖然としてしまう。
「お前、見たいとこある?」
「ヴァンに任せる。」
「じゃあ食品市場見てみるか。珍しいモンだらけで面白いぜ。」
何度か市場に来たことがあるヴァンが得意気に先導して、中央通りを左に折れ甃の通りに入った。
途端に色んな匂いと声が混じりだした。
八百屋、魚屋、惣菜はもちろん、色取々のフルーツをおいた店、丸丸一匹の焼いた鳥を吊す店、香ばしいスパイスの店。
どこもかしこも活気に溢れ行き交う人も多かった。
「小遣い持ってくれば良かったなー。」
「此処は好きに買い物出来るの?」
「そりゃ市場だからな。」
「誰でも?」
「もちろん。」
「買い物するには、お金ってのがいるんだよね?」
「そう。・・・お前世間知らずにも程があるぞ。」
「王宮から出たことなくて。」
「王子もいいもんじゃなさそうだな・・・。あ!見ろよシルヴァーノ!大道芸人きてるぜ!」
市場が並ぶ通りから見える公園に人だかりが出来ていて、群衆の頭を遥かに越えて竹馬に乗ったピエロが見えた。
駆け出すヴァンに続きシルヴァーノも群衆に加わる。
大人ばかりで背伸びしても何も見えなかったが、ヴァンが器用に群衆を掻き分け前列にまで進み出た。
群衆の円の中心で、3人のピエロが曲芸を披露したりおかしな仕草で観客の笑いを誘っていた。
夢中でピエロの輪くぐりなどを見ていたヴァンだったが、ふと隣の友人を伺うと、口端を僅かに上げて楽しそうに笑っていた。
どうやら気晴らしには成功したらしい。
父親の言いつけをやぶって連れだした甲斐はあったようで、二人はしばしピエロの曲芸に釘付けになっていた。
*
白百合の間にノックがあり、家令である老執事が顔を出した。
「お話中申し訳ありません、旦那様。」
「どうした、ベックマン。」
「ゲント様からご連絡ありまして、市場でヴァン様とリカルド様らしき子供を見た、と。」
「ガキ共なら裏庭に―」
「そう思いまして庭中探したのですが、お姿はありませんでした。」
二人の眉根が寄り険しい表情になった。
「まさかダークに・・・。」
「屋敷内は入念に結界張ってある。庭もダンテの結界あるからダークは入れないはず。ガキ共が言いつけ破って外に出たな・・・。ちょっと待ってろ。ヴァンに持たせた式神探してみる。ベックマン、ペン貸して。」
「はい、こちらに。」
上着の内ポケットに入れていた執事の万年筆を受け取ると、白いシーツの上に魔法陣を書き出した。
「シーツは弁償してやる。」
「構わないよ。初めてじゃないしね。」
円と記号、特殊な文字を書き終えると魔法陣に手を置き瞳を閉じる。
「みっけ。中央区の噴水広場。」
「ベックマン、ゲントに知らせて保護するように―」
「兄さんっ!」
いきなり扉が乱暴に開かれ、ダンテが慌てた様子で現れた。
「大変だ。レベッカから連絡が入って、第8王子とその母ラビィの行方不明と捜索が公にされ、近衛兵が近くに来ている!近衛兵は各地に人員を割いて、似顔絵をバラまいて目撃者に報酬支払うとか言ってやがる。当然、街の不良やケルベロスが食いついた。」
「クッソ、こんな時に!」
「どうした、魔術師。」
「占い師だ!王子は今俺の息子と街にランデブー。」
「はぁ!?お前息子の教育ちゃんとしとけよ!」
「ヴァンがそそのかしたとでも言うのか。」
「それ以外ないだろうが!」
「二人とも、落ち着きなさい。」
音量は決して大きくないのに、エミディオの鋭い言葉に二人は押し黙った。
既に当主の顔になっていたからだ。
「アウル、式神に二人を中央区2番地の空き地に来るよう伝えてくれ。」
「今ならまだ噴水広場にいるが?」
「ケルベロスの不良が紛れ込んでいるんだ。顔を見られたらまずい。汚い奴らなら懸賞金の話をとっくに聞いてるはずだ。ベックマン、急ぎゲントに今の話を伝達し人員を割いて保護するように伝えなさい。」
「はい。」
「ダンテ、近衛兵の動きを逐一報告。現在位置が知りたい。それからレベッカを戻して。」
「わかった。」
執事長とダンテが退室し、アウルがテーブルから手を離した。
その手を擦っているのを見て、エミディオは驚きの顔をみせた。
彼の手の平が黒くなっていた。
「アウル!」
「・・・エミディオよ。こりゃ大分マズイ事態になってるようだぜ。」
僅かに笑ってはいるが、彼の顔は引き吊っていた。
