*** 17
ネスタ邸
エミディオの私室。
「今日はもうおやすみ下さい、あなた。」
「ああ、ありがとう。」
葬儀用のスーツを仕舞いながら、妻のティナが夫を気遣う。
メイドも執事も沢山雇ってはいるが、夫の着替えだけは妻が自ら手伝うのだ。
ネクタイのないワイシャツ一枚でソファに座りながら一息つく。
「ディアナは大丈夫か。」
「ええ、なんとか・・・。おじ様が急に亡くなってショックを受けてましたが、あの子は強い子です。あなたに似て。」
「君に似て、だろ?」
「両方ですわ。」
愛らしいく微笑んでみせたが、表情を引き締め夫の隣に腰かける。
「あまり、無理なさらないで。ここ数日難しい顔ばかりされてるわ。」
「ちょっと忙しくてね。王子様の件もあったし。」
「ネスタの勤めは私が知らぬ難しい事ばかりとは思いますが、私はあなたの妻です。私の前では、無理をなさらないで欲しいの・・・。」
心の底から心配している妻の不安そうな瞳を覗き込み、エミディオは妻の手を取り肩を抱き寄せた。
「君が妻で良かったと思ったのは、何度目だろうね。」
「私はネスタに嫁げて良かったと毎日実感しておりますわ。」
「フフ。光栄だ。私は肩書きだけは一流だが、中身はこの通り頼りない男だからね。」
「あなたは素晴らしい男性であり、素晴らしい父親です。」
「ありがとう、ティナ。」
妻の額に口付けて、肩から手を離した。
「一件片付けてから休むよ。君も疲れたろうから、先に寝ててくれ。」
「はい、あなた。」
微笑みを一つ残し、ティナは寝室へと入っていった。
察しの良い妻がいてとても助かる。
エミディオは机に広げたままだった数枚の手紙を掴み第一会議室に向かった。
冷えた廊下を辿りその扉を開くと、濃厚な煙草の匂いが吹き抜けていった。
重要かつ清潔な部屋を煙草臭くしている犯人は、窓を全開に開け放ち桟に腰かけていた。
後ろ手に扉を閉めながら、小さくため息を溢す。
「窓を開けていたらこの部屋を使う意味がなくなるんだが?」
「いーじゃねぇか。もう誰も聞いちゃいねぇ。ダンテのおかげでな。」
「ああ・・・。」
アウルは窓枠からテーブルの上を指差した。
白いテーブルクロスの上に、ブランデーの瓶とグラスが3つ。
「ほお。バッカスに弟の冥福を祈るとするか。」
「一番いい酒だ。アイツが羨ましがって生き返っちまうかも。」
「フフ。ならいいのだがね。」
エミディオ自らブランデーの蓋を開けグラスに注ぎ、一つは弟のために、一つをアウルに差し出すと彼も窓枠に肘をついた。
ネスタの街は今夜も変わらず夜の入りに輝いている。あの明かり一つ一つに家族があり、命がある。
ネスタが背負う命が今、わかりやすく光ってくれている。
途方もない数だが、重圧は嬉しくもある。
「なんだよ、その紙。」
「ああそうだった。王宮から知らせだ。」
シャツの胸ポケットに差していた手紙をアウルに渡す。
煙管を加えたまま目が文面を追う。
「王宮からってか・・・王様じゃん。王様から直筆の手紙届くとは、お前って実は凄いやつなんだな。」
「もっと早く気づいて欲しかったよ。」
「王様もダークに心を支配されていたが、分身を払ったことで正気に戻った、と。返事出したんだろ?」
「これからだ。少し、迷っていてね。」
手の中のブランデーを傾け、茶色い水面を覗く。
「やはりダークは脅威だ。私の父も弟も、ダークに殺された私念を差し引いても。
ダークに、いや精霊に対抗できるのは葉の刻印を持つという王族だけ。王が正気に戻った今、王制政治の強化に動きだそうと思う。」
声音こそ強く芯のある響きだが、グラスを見つめる横顔はどこか寂しそうで、アウルは窓の外に向かって紫煙を吐く。
「迷ってんのは、ディアナちゃんのことか。それともヴォルクのことか。」
「全てだ。ダークは恐らく、次の世代を狙っている。最強のカフとネスタの権力者が消えれば、残されるのは幼い少女一人。ダンテと王子のおかげで結界は強固なものになったが、ネスタ家の力は私が死ねば徐々に弱まる。」
エミディオのグラスで、氷がカランと冷たい音を奏でた。
「レヌス王の心臓を使った対価に、自分の寿命を使ったこと、ティナに言ったのか。」
「ああ、昨日ね。あと3年生きられればいい方だと言ったら、ならちょうどいいわね、って笑ってた。」
「ティナの病気、やっぱり完治しねぇのか。」
「彼女も医者からあと1、2年と宣告されてる。」
「バカ夫婦が。娘を一人残してどうする。花嫁どころかハイスクールに通う年齢にも届かねぇじゃねえか。」
「決めたことだ。家族を守るには、街と宝具を優先させなければならない。」
「まるで呪いだな。宝具ってやつは。」
「そうかもしれないね。」
アウルもブランデーを煽った。
長年寝かせてきた一級品だけあって、口に広がる苦みも甘味も最上級だが、今夜はあまり酒に酔いたい気分になれないのが残念だ。
「アウルも私もいなくなったら、寂しいかい?」
「少しは悲しんでやるがな。俺には息子がいる。」
「・・・その息子さんを悲しませてしまうが、構わないか?」
切なげに笑みを向けてきた友人に、ブランデーを傾けていた手を止めた。
「お前・・・迷ってるって、王子様のことか。」
「王に王子のことをご報告をしてお返ししようとも思ったんだが、やめた。
彼はネスタでこのまま預かることにした。だから、彼が王子であった記憶を消して欲しい。彼はディアナが拾った名無しの子。
そのシナリオのために、ヴァンくんからシルヴァーノの記憶を消して欲しいんだ。」
いよいよブランデーの苦みが口内で強くなった。
煙草を吸いながら飲んだせいなら良かったと思うほどの苦みだ。
しかしアウルはグラスの中身を一気に飲み干し、窓の下、庭の方に目線を落とす。
「俺も、それを考えていた。ヴァンは完全にダーク恐怖症だ。ダーク本体にではなく、ダークのせいで失ったものを思い出すんだろう。残思とはいえ2回目の再会はヴァンに悪影響を及ぼしちまった。記憶を消すなら、後々詛齬が生じないよう1から消さなければならない。」
「大人の都合で、またあの子達を巻き込んでしまうな・・・。」
「お前の判断を信じるぜ、エミディオ。」
「いいのかい?」
「どちらにしろ、ダークに狙われてる同士を一緒にしとくわけにはいかねぇんだ・・・。ケルベロスのボスはヴァンを強く恨んでいるようだしな。父親として、ヴァンを守ることを優先しよう。お前が街を優先したようにな。」
窓枠から軽やかに床に下り、自分でブランデーのお代わりを注ぐ。
再び二人は窓際で並んで酒を交わす。
「頑張ってあと5年は生きてみせるよ。5年で、出来る限りの準備をしよう。」
「とか言って、軽く30年は生きてそうだぞ、お前。しぶとそうだもんな~。」
「アハハ。」
友人同士の語らいは、ネスタの明かりが半分に減るまで続いた。
*
朝。
目覚めたディアナは屋敷内が騒がしいのに気付いた。
誰かが大声を上げているような騒がしさではなく、メイド達がパタパタと廊下を早足で駆け回るそわそわした雰囲気が漂っているのだ。
今日の授業は午前の遅い時間のためまだ起床時間ではないが、ディアナは好奇心を抑え切れずベッドから飛び起き一人でパジャマから私服に着替えた。
自分の家なのだから悪いことをしてるわけじゃないのに、自然と忍び足で廊下をこっそり歩く。
通路の向こうで執事達が何かを急いで伝言し合い屋敷中に散っていくのを、花瓶のオブジェに隠れながら目撃する。
常に冷静な態度を心がけている執事達があんなに慌てているなんて、何事かしら。とディアナは花瓶の側から抜け出し二階に降りてみる。
騒がしさはいよいよ隠しきれないレベルまで達してきた。
メイドが悲鳴に近い声を上げながら走り去り、どこかで揉めているような声が聞こえた。
玄関の方だ。
家の事を知り尽しているディアナは2階の玄関踊り場に出る扉ではなく、そのすぐ脇にある清掃員用扉を開ける。
扉といっても壁と同じ柄の壁紙が貼られた、来客に失礼のないように外観を気にした隠し戸で、玄関のシャンデリアを掃除するためだけに作られた天井の空間があるのだ。
清掃道具が並ぶ狭い部屋の右奥に行き、折りたたみの階段を引っ掛け棒で下ろし、ドレスを汚さぬように裾をしっかりたくし上げて天井に入る。
気品高いネスタといえど、当然のことながら天井裏は真っ暗で埃臭い。クモの巣こそないが、今にも虫かネズミが飛び出して来そうだ。
ディアナは足元に気をつけながら、シャンデリアの真上にある引き戸を開ける。大人一人をぶら下げる為の大きな穴で、頭上には金具を引っ掛けたり固定する道具があったりするが、ディアナは穴から玄関を見下ろした。
ガラスが沢山ぶら下がったシャンデリアが邪魔だが、ガラスの間から見知らぬ制服を着た、いかにも軍人らしい男達がよく見えた。
息苦しそうな赤い服に、片手には槍を持っている。ディアナの位置から確認出来るだけで10人。
彼等は整列もせず、行く手を阻む男達を睨みつけ威嚇していたり、言い合いをしたりしていた。
立ち塞がる私服の男達は、ヴォルク市民だろう。ネスタの騎士ゲントはディアナも顔見知りだ。
ゲント達は腰に剣を差していたが、決して抜刀はせず両手を広げ軍人達を塞き止めている。
「―――ですから、私どもは存じ上げません。」
父の低く重い声が玄関に響いた。
ディアナは穴から落ちぬように慎重に首を伸ばしたが、シャンデリアのせいで父の姿は確認出来ない。
「ネスタは関与しておりませんと申し上げております。」
「隠し事は許さんぞ!元老院などと過去の栄光にしがみつく卑しい没落貴族め。どうせ権力欲しさにやったのだろう。」
なんて失礼な軍人かしら!
天井裏からディアナは憤慨せずにはいられなかった。
ネスタをバカにするなんて、勇気ある軍人さんだわ。
ディアナよりも怒りをみせる市民達を父が制した、ような気がした。父は見えないが、市民達は抜きかけた剣をしまう。
「かつても今も、ネスタは王家の忠実な家臣でございます。嘘は申しません。」
「お前の娘が、雨の日に男の子を拾ったと目撃した者がいるんだ!さっさとシルヴァーノ殿下を引き渡せ。」
心臓がドクンと、低く鳴った。
ディアナは、あの軍人さんが来た訳を悟った。
彼等はリカルドを探しているんだわ。
あの子、本名はシルヴァーノというのね。しかも殿下と呼ばれたってことは王子様だったの?
と、事情を聞かされていないディアナは驚きの只中にあっても、しっかりと耳だけは傾けていた。
「ですから、娘が拾ったのはリカルドというただの市民です。親に捨てられさまよっていたところを娘が――」
「黙れ!いいから殿下を差し出せ!」
一方的に怒鳴りつける声が天井裏のディアナにまで届き、彼女は穴を閉めずそのまま身を翻し天井裏から出た。
階段を降りて廊下を走って、来た道を戻る。
と、こちらに歩いてくる少年が見えた。
少年の落ち着いた様子とは違い、変わってしまったものに驚きつつ、ディアナは一人決意をした。
「リカルド、一緒に来て!」
自分より遥かに背の高い少年の手首を握って一階に走る。
廊下に集まっていたメイド達がお嬢様の突然の登場に驚く脇を通り過ぎ、執事の制止を振りきり玄関扉を思いっきり開いた。
そこにいた誰もが、驚いて少女を見たので、玄関が静まり返った。
槍を手にする屈強そうな兵士も動きを止めていた。
視界に入る父の顔には怒りも驚きもなかったので、少し安心する。
ディアナは出来るだけ落ち着いた様子を演じ、出来るだけ背伸びをした口ぶりで大声を放った。
「皆様、私の行動でご迷惑おかけしているようで、申し訳ありません。
この子が雨の日に私が出会った少年。私の専属執事にいたしました、リカルド・マフェイでございます。」
少年から手を離し、スカートの裾を摘み優雅に、お人形のつもりで可愛らしくお辞儀をした。
「わざわざご足労頂きましたのに、申し訳ありません。
リカルドは両親に捨てられたただのヴォルクの子。皆様がお探しの方ではございません。ネスタは全くの潔白にございます。」
マナーの授業を真面目に受けていて良かったとディアナは思った。
余裕たっぷりの話し方も完璧だ。
果たしてこれで騙せただろうかとドキドキしながら姿勢を元に戻すと、父に文句ばかり叫んでいた髭の軍人に、若い軍人が顔を寄せた。
「隊長。シルヴァーノ殿下は緑髪に緑目。あの少年は黒髪に黒目です。」
「見ればわかる・・・!」
唸るように叱咤した隊長と呼ばれた髭軍人は、
あれだけ偉そうに文句を言った手前釈然とせず苦虫を噛み砕くような表情を見せたが、タクトを下ろし頭を下げた。
「失礼いたしました。数々の暴言、お許し下さい。」
「誤解が解けて安心いたしました。ヴォルクでのシルヴァーノ殿下捜索は、我がネスタが全力を上げてご協力いたします。」
まだ渋い顔をしていたが、軍人らしく最後は丁寧にお辞儀をして帰って行った。
数拍置いて、エミディオはゲント達に何かを伝えてからくるりと娘に向き直り、黙って子供二人を連れて白百合の間に連れて行った。
黙ったまま歩く父はてっきり怒ってるのだと思い、叱られる身構えをしたのだが、扉が閉まるなりエミディオは膝をついて娘を抱き締めた。
「よくやったディアナ!私はお前が誇らしいよ!」
「・・・まあ!良かったわ。余計な事をしてしまったかと後悔していたところよ?」
ディアナから体を離し、優しく、本当に誇らしげな瞳を娘に向ける。
「正直助かったよ。危うく屋敷中を引っ掛き回されるところだった。」
「最初、私リカルドを隠そうとしたのよ。でもリカルドの髪が真っ黒になっていたから、咄嗟に彼を連れて行ったの。」
二人は黙ったままの少年を見た。
彼の髪は新緑のように鮮やかな緑で、瞳も陽光に輝き葉と同じ色をしていたのだが、髪も目も炭より黒く染まっており、無表情が極まってずいぶん地味に見える。
「これには訳があってね。」
「リカルドは、シルヴァーノって名前の王子様なの?」
「ああそうだ。王宮で酷い目にあって逃げて来たんだ。だから、これから時が来るまでネスタで預かることにした。リカルドとしてね。」
「本当!?」
ディアナは小さな手を合わせ瞳を輝かせた。
「本当に私の執事になってもらってもいいかしら、お父様。」
「そうだね。さっさの人達にそう説明してしまったから。」
「やった!家族が増えたわ、お父様!」
友達というより、もう家族のように思っていたリカルドがずっと一緒と聞いてディアナはその場でピョンピョンと跳ねた。
「専属執事なんだから、お勉強のときも、遊ぶのも一緒ね!」
「そうだね。」
「私嬉しい、わたし、・・・あれ・・・急に、眠たく。」
先ほどまでピョンピョン跳ねていたディアナの瞳がゆっくり閉じ、前に倒れる娘の体をエミディオはしっかりと受け止めた。
部屋の扉が空いて、黒衣の男と金髪の若い女性―レベッカが入ってきた。
「近衛兵は上手く巻いたみたいだな。」
「ディアナのおかげさ。」
「申し訳ありません、おじ様。目撃者の可能性を危惧していませんでした。」
「彼を拾ったのは旧市街地だ。誰の目があってもおかしくない場所だったのだから、仕方ないさ。」
娘を抱き上げ椅子にそっと座らせ、顔に掛った髪を払ってやる。
シルヴァーノはレベッカに手招かれ彼女の後ろに移動した。
「頼む、アウル。ディアナの記憶と、緑髪だったシルヴァーノ王子を知る使用人達の記憶を消してくれ。」
「これで仕上げだな。」
腕捲りをしたアウルは眠り続けているディアナの頭にそっと手を乗せた。
「いいかエミディオ。俺の記憶操作は宝具所持者には効かない。いずれ嬢ちゃんが“鍵”の守り手になれば、全ての記憶が戻る。」
「わかってるさ。長生きするよ。」
魔術師の術はまずディアナから始まり、やがて屋敷中に広がった。
数日前にディアナが拾ってきた少年は、リカルド・マフェイという親に捨てられた子供。
やがて住み着き執事見習いとなった。
そういうシナリオが、魔術師によって刻まれた。
