*** 8
向かってきた小男の腹部に膝を入れ、頭を殴って気絶させる。
リントは精霊を呼び出して野蛮なケルベロスの組員を拘束していた。
「こいつらギャング名乗ってるくせに弱くね?」
「雇われた下っ端の下っ端なんじゃないですか。」
「精霊使う幹部は。」
「何人か捕獲したって報告ありましたけど。」
頭にエンリカの姿が過ぎる。花の精霊と疑似契約を結んでいた彼女も来ているのだろうか。
ケルベロスは人材派遣もしているため、精霊を使える幹部クラスの人員は全国に派遣されていると聞いた事がある。
今ヴォルクに来ていないとすれば、ケルベロス本部の制圧に巻き込まれただろうか。
まあどうなろうと、エンリカならたくましく生きていくだろう。
レベッカに言われた場所でダークを待っていたが、やって来るのはケルベロスの組員だけ。
「ヴァンさん、あのビルに登ってダーク呼んできて下さいよ。」
「いや意味ないでしょ。精霊は気配読めるんだから。」
「なんか違和感あるんスよね、今回の流れ。」
「違和感?」
「お膳立てが綺麗に決まりすぎてません?今まで苦しめられ大暴れしたケルベロスですよ?
いくらボスが逆上してる可能性があるからって、こっちの被害ゼロ。捕獲もあっさりって、あり得ないでしょ。」
「お前、喧嘩し過ぎて双方被害が普通っていう思い込み良くないぜ?レベッカの手腕を素直に尊敬しろよ。」
「まあ、それ言われたら何も言えないですけど・・・。」
ヴァンが意識を飛ばした小男と道路に転がっているケルベロス組員達をリントの精霊が律儀に凍らせていく。
そのうちグアルガンの運搬係が本部の地下牢に放り投げてくれるだろう。
リントが言うとおりだ。ヴォルクに入った組員は弱く、わざと捕まりに来ているとすら疑ってしまう程行動が単純。精霊使いすらいない。
「ダークが誘導してるのか・・・。」
「ほら、やっぱり違和感あるじゃないッスか。こっちの人員割く気ですよ。」
「俺達を引きつけてネスタを襲いに行ったとしても、カフの守り効いてるから一筋縄じゃいかないはず・・・。何が狙いだ?」
「そりゃ、お前だよ。」
2人のものじゃない低めの声がして、体ごと振り返った。
車も人の通りもない道路に、黒のストライプスーツの男性が明らかに異様な黒いオーラを放ちながら近づいてきていた。
ヴァンが動揺を見せながら一歩下がったのを見て、アレがケルベロスのボスだとリントは確信した。
さっと辺りを探るが、精霊の気配はない。
ダークは来ていないのか、気配を消して隠れているのかは不明だが、ヴァンを庇うように立ち塞がると、彼の精霊である氷の狼も前に出て威嚇のポーズをとる。
「まったく。勝手に出て行くなんて、悪い子だ。」
「ロベルト・・・。なんで、此処にいるの。」
「可愛い弟を俺自ら迎えに来てやったぜ。」
「ケ、ケルベロス本部は、俺達グアルガンとトゥーリヤ政府警察の協力を得て一斉検挙した。ロベルトも、国際指名手配で―。」
「ハッハッハ。」
男は両手をズボンのポケットに入れていたが、片手を出して前髪を掻き上げた。
その下にある双眸に、残忍な鈍い光が増した。回りに蠢いてる黒いオーラが怪しい光を増長させているのだ。
「そろそろあの組織も飽きてきたところだ。ここらでリセットしてもいいかと思ってな、ヴォルクに後始末をさせてやったに過ぎない。面倒な人員も政府が掃除してくれて助かったぜ。」
「わざとこっちの誘いに乗ったと?」
「お前が逃げるから、コッチから乗ってやったんじゃないか。優しいだろ?
俺はな、お前と2人でピエドラでやり直したいんだよ。今までヴォルクに入れずお前を手に入れられなかったから
隣街で金を集めてずっと時を待っていた。獲物を狙い草むらに身を潜める肉食獣みたいにな。
結界の根本であった王子サマを追い出した今、仮の根城はいらねぇ。さあ、行くぞヴァン。」
こっちに手を差し出して近づいてくる。迫る男の狂気に軽い震えが肌を走った。
どうしてここまで固執するのだろうか。ダークが執着を増長させ人間を動かそうとしているのだと頭ではわかる。そうやってダークは人間界を操ってきた。
どうしても、昔の優しい兄の面影が消えないのだ。
ヴァンが知っているロベルトは、こんな邪悪な笑みを作る人間じゃなかった。ダークはこんなにも人を変えてしまうのか。
「リント、ダークはここにいない。ネスタ家に向かえ。」
「生身じゃ無理ッスよ。」
「頼む。俺は大丈夫だから。用があるのはダーク本体のはずだ。」
ダークのオーラを纏うケルベロスのボスをじっと睨みつけていたが、わかったと承諾して、リントは氷の狼を連れて走り去っていった。
ヴァンは上着のポケットから折りたたみのナイフを取り出した。
それはオルトロスのボス―ロベルトの父からもらった品であった。
ずっと家の引き出しの奥で眠らせていたが、使う時が来たのだと8年ぶりに持ち出した。
さっさと手放せなかった弱さを、切り取るなら今だと思ったのだ。
一呼吸置いてから、地面を強く蹴って突進した。
体を低くして懐に潜ろうと距離を詰める。当然ロベルトの周りに漂っているオーラが触手のように手を伸ばし襲ってきた。
上から殴り掛かるように落とされるオーラの一撃を読んで、スライディングをしながらナイフで足の甲を刺そうと構える。
しかし、ロベルトの体にはほとんど視覚で捕らえられない薄い膜のようなものが守っている、一撃は阻まれた。
そのままスライディングの勢いを止めず背後に回り込むと、起き上がりながら半身をねじって背中に勢いが乗った一撃をお見舞いする。
ナイフを持つ手首を振り向いたロベルトに掴まれた。
「体はなまっているが、お前に負けたことなかっただろ?」
そう言って手首を捻られたと気づいた時には、足をすくわれ体が半回転して、背中をコンクリートに打ち付けてしまっていた。顔の近くにナイフが地面に落ちたカランという音を聞いた。
ヴァンはオルトロスに保護されてすぐボスによって体術やナイフ術、鍵開け術も習ったが、組織のボスは忙しく会議や打ち合わせが立て込んでいた。
そういう時は、息子のどちらかに教師役を頼んで去って行く。
猪突猛進型のジェットは癖がわかりやすく、組み手を重ねるうちに隙を狙って有利な一撃を打てる事もあったのだが、ロベルトだけは一度たりとも打撃をくわえることが出来なかったのを思い出す。
必ず手は読まれ、攻撃は躱されるか無効化され、いつも倒され地面と仲良しだなと笑われた。
ダークの補助もある今、果たして隙があるのかと背中の痛みに耐えながら思考する。
握られたままの腕を振りほどき、地面を転がりながら距離を取った。
顔を上げた時、ロベルトの余裕ぶった笑顔が目の前にあった。
まずい、と全身の筋肉が一瞬緊張で固まってしまい、呼吸も乱れたせいで回避が決定的に間に合わなかった。
右腕を突き出したロベルトの腕から黒いオーラが噴出し、ダークの触手によって体を拘束されてしまった。
ロベルトが立ち上がると、ヴァンの体も強制的に立たされ地面から足が浮いた。
「なんだ、切れ味悪くなったな。動きが鈍い。」
「くっ・・・。」
奥歯を噛み締める。
確かにピエドラに居た頃のような命の危機を感じる窮地からは離れてしまった。
しかし、ヴォルクのスラム街で喧嘩に明け暮れたり、グアルガンで不審者の捕獲をしたりと決して体が鈍るような生活はしていなかったはずだ。
元々自分より勝る体術センスを持つロベルトに、ダークの補助がチート過ぎるのだ。
「無駄な足掻きは時間の無駄だ、ヴァン。俺には勝てねぇ。」
勝ちを確認したロベルトの笑みに、口元を歪めて渋い顔をするしかなかった。
いくら体を揺すっても、拘束するダークの縄は緩みそうにない。
「・・・ピエドラに戻って、どうするの。」
「土地と家は用意してある。新しい事業初めてもいいし、静かに過ごしてもいい。俺はお前がいればいいんだ、ヴァン。」
ふと、ロベルトのまとう黒い闇のオーラが弱まった。
嫌味につり上がった眉から力が抜けて、急に弱々しく映る。
「最後まで、お前に人殺しをさせなかった親父には、感謝してるよ。」
声が細く、しんみりとした響きになった。
地面に落ちていたヴァンのナイフが、いつの間にか闇の触手に拾われ、目の前で粉々に砕かれていった。
「親父に言われて初めて人を殺したのは、6歳の時だった。ガキだったから、人殺しがどれだけ重い罪かよくわからなかったが、人の死を間近で感じて、本能で理解した。人は人を殺しちゃいけねぇんだって。肉を抉り鉄臭い血の臭いを嗅いだ時、体だけじゃねぇ、魂ごと震える感覚。今も忘れねぇよ。あの時に、俺はもうこの道から逃げられないんだと悟った。親父には逆らえなかったし、ジェットみてぇにすんなり受け入れる事も出来なかった。
だから本に、幻想の世界に逃げた。あの家から、人殺しの家から逃げたかったんだ。」
今目の前にいるロベルトは、本来の彼が喋っているのだと、直感でわかった。
ダークの支配が薄れた今の彼は、ヴァンがよく知っている本好きのロベルトだった。
「やっぱ向き不向きってあるんだな。俺は殺人も犯罪も、犯す度魂が明らかに欠損していくのがわかった。俺は普通になりたかったんだよ。正しいことをしてみたかった。お前を助けたとき、それが出来る気がしてた。」
体が浮いているせいで、同じ高さにあるロベルトの双眸が、憂い、震えているのに気づいた。
ヴァンの頬に、ロベルトが指を添えた。指先が恐ろしく冷たかった。
「殺しからも逃げ、親父の期待からも逃げ、俺は全部中途半端だ。ピエドラであった最後の日、ダークに言われたんだ。ヴァンともう一度やり直せって。違う街で、違う自分になって生まれ変わればいいと。」
ついにロベルトの目から、涙が落ちた。
口元だけは強がって笑っているが、唇はみるみる青くなっている。
「俺はダークに敗れ死の間際だったが、体にダークの精霊核を埋め込まれ蘇生した。あとはダークに言われるがまま、違う街で組織を作り上げただただ生きてきた。唯一の希望であった、お前への執着が命の糸を繋いでたんだ。・・・ごめんな。俺が弱いせいで、せっかく助かったお前の人生を犠牲に巻き込んじまった。」
ああ、この人もダークの洗脳でずっと苦しみ続けてきたのだ。
ダークは精霊核による顕現にも疑似マスターが必要だ。一時だけピエドラを支配した弱小貴族の息子を見捨て、まだ若く頭のいいロベルトに乗り換えた。
ヴァンを勧誘したのも、ロベルトへの餌に過ぎなかった。
「俺は・・・、あの時。母さんと一緒なら、死んでもいいと思ってた。母さんがいない世界なんて、無意味だと勝手に思い込んでいた。今は、助けてくれて感謝してる。だから―」
ヴァンの胸元辺りが発光して、ヴァンを拘束していた闇の触手がかき消えた。
「今度は俺が助けるよ。」
目映い閃光が辺りをホワイトアウトさせる程に支配した。
1秒後。世界が色を取り戻した時、ロベルトの前に引っ張り出されたダークの精霊核が内側から崩壊する所であった。
「お前、カフの力を・・・?」
「ごめんねロベルト。俺には新しい家族も友達も出来たんだ。このヴォルクで暮らしたい。」
「ハハ。やっぱり俺は、孤独のままなんだな。」
ロベルトの周りに漂っていたダークのモヤが完全に消え、ヴァンの足が地面に着地した。
精霊核を破壊するために保険で掛けてもらったウルの力を発動したせいで、体がふらついた。
その一瞬であった。
耳をつんざくような破裂音が空気を震わせる。
ロベルトのスーツに穴が開いて、彼の口元から鮮血が吹き出されたのと、地面に血が垂れたのは同時であった。
カチャリと音がしたと思った時には、目の前に小型ピストルが浮かび、今度はヴァンの胸元を狙っていた。
引き金に指を掛けたのはロベルトじゃない。ロベルトの体から伸びたダークの残滓だ。
完全に消える前の、悪あがきであろう。引き金が引かれるのを視認する。
――間に合わない!
倦怠感に包まれた体では即座に対応、退避が上手くゆかず、ヴァンは今度こそ覚悟を決めた。
無意識に閉じていた目を開いた時、体に痛みは無かった。
変わった事と言えば、先程立っていた道路の真ん中ではなく、車道の脇まで体が瞬間移動していたこと。
顔を上げる。
2メートル程遠くなったロベルトの体は、足から上へ順々に体が粒子化していき、粉々に崩壊しながら大気に消えていく。わずか数秒で、ロベルトの体を成していた全てが消えて、初めからそこにいなかったかのように綺麗に無くなってしまった。
存在すら、初めから否定するような幕引きである。ピストルを握っていた闇の残滓も消えていく。
やはり8年前に、ロベルトは死んでいたのだろう。ダークが無理矢理土人形に魂を埋め込んだのだ。
―――問題はそこではない。
崩れて消えたロベルトの目の前。
ほんの数秒前、銃弾が放たれるその瞬間までヴァンがいた場所に立っていたのは、自宅にいるはずのウルであった。
いつものだぼっとした黒衣を纏っているが、彼の足元には血の海が広がっていた。ロベルトが流した鮮血かと思ったが、ポタポタと音を立て、または足を伝って水たまりを広げている。
一瞬で血の気が引いた。
ヴァンは凄まじい反射で両足を動かし、後ろに倒れるウルの体を抱き止めた。
重なる黒衣のせいでわかり分かり辛いが、ウルの腹部が湿っている。鼻孔に届く、生々しく濃厚な血の臭い。
「ウル・・・?!なんで?!」
「息子の危機には、転移するよう仕掛けといた。役に立っ・・・ゲホゲホ!」
ロベルトの末路はすぐに理解出来たのに、今腕に抱く父に降りかかる現実を、理解出来ずに頭が酷く混乱していた。
いや、理解するのを拒んだ頭の周りで、現実がぐるぐると渦巻いている。
これは夢だと思いたいのに、血の臭いが嫌でも現実を押しつけてくるようであった。
「情けねぇ顔、してんじゃねぇよ。」
「待っ・・・、ウルは、死なないって・・・!」
「俺の力は弱っていた。もう、歳だからよ。」
混乱して顔が引きつりながら、ヴァンは腕の中の義父を強く抱きしめた。
体が尋常じゃないほど震え、指先が一気に冷たくなる。
抱きしめる父の体は、反対に温かかった。
「弾丸一発ぐらいで弱気になってんじゃねえよバカ親父!さっさと術で傷塞げ!」
「ハハハ、口ぶり昔に戻ってんぞ、バカ息子。」
「クチナシ!居ないのか!?」
「ネスタ家から離れないよう言いつけてある。」
「なんで・・・。ああ、ごめん、俺のせいだ。俺が、突っ走って顔だしたから。俺は、殺されないだろうと自惚れた・・・!」
ウルは力の入らぬ腕を持ち上げ、息子の頬を撫でた。
そうしてる間にも腹部から血はとめどなく溢れていたが、構わずウルは続けた。
「もういいんだ。やっぱ、息子に先立たれるなんて、親としたら無念過ぎる。父ちゃんが、先に死ぬのが当たり前だろ。」
「そんなの関係ねーよ!カフだろ、なんとかしろよ!」
「これで、いいんだ。俺は十分過ぎるほど、生きた。十分、幸せだった」
ウルの体が重くなる。
頬を撫でる父の手も重力に抗えず落ちていくので、慌てて掴み強く握る。
「お前に会えて、家族が出来て、本当に幸せだったよ。俺には、有り余るぐらいだ。」
「嫌だ、嫌だよウル・・・。俺を一人にしないでくれ・・・!」
「バカ言え。もう、一人じゃねぇだろ。」
嗚咽を必死に押さえ込む。体の震えは酷くなる一方で、恐怖が背骨を辿って迫ってくる。
ヴァンは人の死を数多く見てきた。
ピエドラでも、ヴォルクでも。
親友の時もそうであったように、命が消えゆくのを本能で感じとってしまったのだ。
焦点が合わなくなってきたウルの瞳の奥にある灯は、消えかけている。
こんなの嫌だと拒絶しても、巻戻らない現実が牙を剥く。
何故いつも、“こちら側”を体験しなければならないのだろう。
「俺は、ウルがいなきゃ嫌だ!」
「お前に全部託すが、許せ。図太く生きろよ、ヴァン。」
「ウル、諦めないでよ!」
「カフである身ながら、やっと眠れる・・・。嬉しいんだよ、俺は。息子に、見送、られ・・・」
「待ってウル!行かないで!」
「愛してる、息子よ・・・永遠に・・・。」
ウルの手を強く強く握りしめるのに、握り返してくれる力はもう失われ、、弱く微笑みながらも、瞼が閉じてゆく。
「やだ!やだってば!ウルッ!」
「さ。お別れ、してくれ、ヴァン。」
ああ、もうダメなんだと悟ってしまう。どうしてもダメなのかと、頭の中で繰り返す。
後悔と、懺悔と、痛みと、それから、それから―――――。
ヴァンは生まれ故郷であるピエドラの風習通り、父親の額にキスをした。
ヴァンの目から落ちた涙が、ウルの頬に落ちて、綺麗な曲線を描き落ちていった。
自分を救ってくれた人。
こんな自分でも、大切だと教え育んでくれた恩人。
ずっとずっと、一緒に居られるのだと思っていた。
「あ、ありがとう・・・父さん。愛してるよ。今までも、これからも、」
「よく、出来まし・・・ヴァン・・・。」
「ウル・・・。」
「・・・。」
「ウル?ウル、ねぇ・・・。まだ、ありがとうが言い足りないよ・・・父さん・・・。」
震えた声は嗚咽に飲み込まれ、父の黒衣に顔を埋めて泣くしか出来なかった。
最期まで微笑を浮かべていた父の閉ざされた瞳は、もう二度と開かれることはなかった。
