*** 9
カフの式神であるクチナシが突然ネスタ家の食堂に現れ、屋敷に掛かっている守りの結界が解かれたので避難するよう叫んだ。
顔を紙で隠しているのに、慌て戸惑っている様子がわかりアルベルもセウレラも緊急事態なのだと即座に理解した。
座っていた椅子をひっくり返し、ディアナの隣に移動する。
後ろに背負った剣の柄を握りながら、辺りを警戒する式神に叫ぶ。
「おい、解かれたってどういうことだよ!?ウルの結界がダークの侵入を拒むって算段だったろう。」
「分からぬ。先程まで主の隣にいたのに此処に強制転送された。結界が解けるということは、主の身に異変があったということ。主が動くのは、ヴァンに危機が迫ったということだ。」
「ヴァンくんという餌にダークが食いついたのかもしれない。」
「西地区の主の家に行け。あそこの守りは自立していて此処よりは安全だ。水の精霊も入れるはずだ。」
「行きましょうベルちゃん、ディアナちゃん。」
ディアナの手をしっかり握り、クチナシに続いてアルベルも走り出した。
食堂を出て、1階に降りると正面玄関ではなく裏庭へ続く扉から外に出た。
浮かびながらついてきていたセウレラが、声を落としながら小声で警告してくる。
「周りに居た見張りもいなくなってるわ。どこかへ転移させられてるけど、気配が読めない。」
「お前、この街中なら誰がどこにいるかわかるとか言ってたじゃねぇか!」
「私の探知能力をジャミング出来るのなんて、ダークしかいないわ。」
いつになく緊迫した表情で告げるセウレラの台詞に、ディアナが握る手の力を強くした。
とにかく急ぎましょう、と芝生を突っ切り、アルベルがよくリカルドやヴァンと特訓していた樹木のエリアも抜け、裏門から通りに出た。
クチナシが前方を注意し、セウレラが殿を務めた。
幸い、ネスタの屋敷一帯から西地区は近い。丘を下り道を少し進めばすぐクチナシがいうウルの領域内だった。
ヴァンには申し訳ないか、もう少しダークを引きつけていて欲しいと願い、今此処にいないリカルドの不在が悔やまれた。いつも冷静沈着で表情を変えない彼がいたら、随分心強かったであろう。
坂を下りきり、ビルとビルの間を通る小通りを走る。
ギリギリ車がすれ違えるぐらいの細い道に人影は当然なく、静けさが胸をざわつかせた。
アルベル達の恐れや恐怖に反して、ビルの隙間から見える空は青々しく鮮やかで、普段であれば穏やかな午後の日差しに平穏な日々を謳歌出来たであろうと感じさせる。
―視界に黒いものが落ちてきた。空を飛んでいたカラスが落ちてきたのかと思った。
クチナシが急ブレーキを掛けた足の先に、黒いモヤが生まれ、渦巻きながら背丈を伸ばしたモヤは
やがて美しい人間の女へと姿を変えた。
膝より長い艶のある繊細な黒髪、この世の漆黒を凝縮し編んだかのような黒いドレス。
顔は美しいのに、露出した肌は昼間にあっても気味が悪い程白く輝いていた。
初めて目にするダークは、浮世離れした美しさと、異質な雰囲気を纏って顕現した。
アルベルがディアナを背に隠すように立ち塞がり、クチナシは背中から湾曲した剣を抜いて構えた。
ダークは赤すぎる唇をつり上げて笑った。
「これは皆様お揃いで。久しぶりね、セウレラ。」
「ダーク、なの・・・?」
「忌々しいカフの結界が消えたので、お迎えに上がりましたよ、ネスタ様。」
目当ての人物は、ピンク髪の少女の後ろで確かにダークを視認していた。
腰に手を当て、ダークが一歩踏み出そうとしたところで、クチナシがアルベルに下がるよう叫んだ。
クチナシは着物の合わせから札を数枚取り出し、ダークに向かって投げつける。
ビルの合間で挟まれてはまずいとアルベルも理解し、ディアナの手を引いて坂の下まで戻った。
クチナシの投げた札がダークの鼻先で止まり、空中に張り付くと、白い稲妻が大気に走った。
主ウルの力が込められた札はダークの足を止めたが、小虫を払うかのように軽く手を降っただけで、札は破かれ粉々にされてしまった。
だがその時にはクチナシは宙高く飛んでおり、死角からダーク目掛けて剣を振り上げる。
刃が気味悪い白い肌に届く前に、見えない膜に邪魔をされ勢いを殺された。
反撃される前に後ろに飛び距離を取ろうとしたが、着地した足を黒い触手に掴まれてしまった。
セウレラが援護射撃として水球を投げるが、黒いモヤに当たる前に蒸発してしまい、地面から生えた太い円柱の柱がクチナシの腹部を貫き、式神の具現化が解かれ消えてしまった。
セウレラが足を大股に開き身構える。
どうにかアルベルとディアナだけでも西地区に転送出来ないかと思案するも、転送途中でダークに邪魔されれば、最悪ディアナが奪われる危険性がある。
また屋敷に戻すにしても、もうカフの守りはない。
どうするか悩んでいたところ、空で再び何かが光った。
確認するより前に、地面に何本もの鋭い氷柱が刺さった。
ダークは避けるまでもなく見えないバリアで攻撃を防いだが、空から舞い降りた白服の人間―氷の精霊と疑似契約を交わすグアルガンのリントが精霊に命じた。
氷の狼は口から吹雪を吐き出し、ダークのバリアごと包んで凍らせた。
円球に張られたバリアを覆い隠すように氷が張り付き地面に固定。
さらに、狼の体が膨れ上がり、リントより遙かに背の高い人型に変化した。
人型と言っても腕が生え頭のような長方形が乗っているだけの造形物。
マグニのように疑似召喚のため完璧な人型ではないものの、吐き出す氷の威力が上がった。
「やっと捕まえたぜダーク。一族の恨み、俺が晴らしてやる!」
「あら、どの一族かしら。」
こもった声だが返答があった。
氷の精霊が多い続けている氷の円球が内側から壊され粉々に砕けた。
中にいたダークは、変わった様子も無く腰に手を当て微笑んでいた。
「お前が滅ぼしたグランドストン家だ!」
「ああ、王族の分家の一つね。葉の紋様もないから、簡単だったわ。」
「何が狙いかなんて興味もねぇが、よくも俺の家族を・・・、幼い妹まで殺しやがって!」
「ふふふ。勘違いしているようだけれど、精霊は人間に手を出すことは許されないわ。そちらが勝手に内部紛争で自壊しただけじゃない。人間って、己の欲や見栄、地位や財産を守るためなら平気で殺し合いを繰り広げるんだから、全く恐ろしいわね。」
「災いの種を植えて争うよう仕向けたのはテメーじゃねぇか!聖人を頭おかしい殺人鬼に変えるぐらいなんだからな!」
距離を取っているセウレラからリントの表情は伺えなかったが、恨みから湧き上がる憎悪を込めた声はこの世の怒りを煮詰め焦がしたような激しい熱を帯びていた。それほど、氷を溶かすほど。
確かにダークは、王族が持つ葉の紋様を恐れ、恐怖や恨みをわざと増幅させいがみ合い争うようにしむけてきたと聞く。
最近は大人しくしているかと思ったが、こんな若い青年の家を滅ぼしていたということは、つい数年前まで王族周りを荒らしていたということだろう。
リカルドくんが逃げてきたのもそれが原因か―。
氷の精霊が直径1メートルはありそうな長い氷柱を出現させると、ダークの腹部を突き刺すために勢い良く投げつけた。
その隙に、アルベルとディアナを水球で囲み守りながら西区へ転送させる準備をする。
ダークの気が反れている隙に、送り届けるしかない。
「ダメよ。せっかちね。」
まるで耳元で囁かれたかと錯覚してしまうほど、ダークの声が耳のすぐ側で聞こえた気がしてセウレラは体を強ばらせた。
アルベル達を包んでいた水球は破裂し、氷の精霊が放った太く先端が鋭い氷柱はあっさりと砕かれた。
氷柱が砕けるのと同じく、氷の精霊の腹部に大きな穴が開いて、穴の向こうでダークの残虐な瞳が細められた。
氷の精霊も氷柱と同じく砕けて消えていき、グアルガンのリントは何故か血を吐いて地面に倒れ動かなくなった。
「・・・貴女、疑似召喚でどうやって形を保ち、人間に危害を加えられるというのよ。」
セウレラが信じられないといった驚愕の声を絞り出した。
ダークはリントの横を通りながらビルとビルの間を抜け、丘の下で少しだけ空いた空間でセウレラと向き合った。
「さっき、貴女の気配がする人間が消えた。つまり、主も消え精霊核も砕けたはず。どうしてまだ人間界に顕現出来ているのよ。」
「わかってるくせに。」
「わからないわよ!どうして貴女はお父様の言うことを聞かず人間界を荒そうとするの!?」
冷静で上品なセウレラにしては珍しく、苛立ち責め立てる強い口調であった。
静かな怒りを受け止めたダークは笑みを引っ込め、心底面倒くさいといったような表情を作る。
「お父様の人間贔屓も大概にして欲しいものだわ。私達の意見なんか無視して勝手に契約を結んで、人間の配下に置くなんて横暴だと思わない?それに、宝具なんて厄介なものまで与えて。」
「目的は何なの。一体、何をしようとしてるというの。」
ダークの後ろ、そしてディアナの右側と後方からそれぞれグアルガンと商工会のメンバーが走って駆けつけて来た。
金髪にメガネを掛けたグアルガンのメンバーが指示を出して、部下にダークを包囲させていた。
「目的は、これだよ。」
セウレラの問いに答えたのはダークではなく、男性の声であった。
声変わりを終えたばかりのまだ高さが残る細めの声の主は、セウレラの左手に突如現れた。
茶色の髪に大人しそうな顔、ひょろっとした体躯の少年が立っていた。
「バジル!?」
アルベルが叫ぶ。ディアナも、一度だけ面識があったのですぐに気づいた。
彼はアルベルの幼馴染みであり、光の適合者であるバジル本人である。
長い前髪の下で、伏せていた瞳をセウレラ、そしてダークに向ける。
アルベルからは見えなかったが、セウレラの表情が固まった。
セウレラとダークの間に、光の精霊が現れた。
きめ細かい輝く肌に、白い袖無しドレスは、セウレラが纏う服と近く中世のデザインで裾が長く足を隠している。
まぶたは閉じられ、やや黄色がかかった白―アイボリーの長い髪は何故か天に向かって逆立ち、波に揺られるが如くなびいていた。
光の精霊を見てたじろいだのは、誰よりもダークであった。
余裕の表情が消え、無意識に片足を後ろに引いた。
尻込みをするダークと距離を詰めた光の精霊は、着地したと同時にダークの腹部に自身の右手を突き刺した。
突然の事にセウレラが短く声を上げた。
「何を・・・っ!」
光の精霊は瞼を固く閉じたままただ微笑んで、闇の精霊を見下ろしていた。
膝から崩れていくダークは、左手で光の精霊の肩に手を置いて、困惑した表情で見上げていた。
「ニュクス、どうして・・・。」
「大丈夫よヘメラ。後は私に任せて。」
そう言って、光の精霊は背中に貫通するほど突き刺した腕を引いた。
突き刺された腹部からダークは瓦解していき、最期は瓦礫が崩れるように粉々になってその場から消えていった。
あまりの衝撃的なの出来事に、誰も動くことが出来なかった。
ただ光の精霊だけはくるりと向きを変えて、瞼を閉じたままセウレラに微笑みかけた。
「さあ、アルベル。時間だよ。」
光の適合者バジルが落ち着いた声音で告げる。
セウレラの表情が一気に強ばって、勢いよく振り返る。
幼馴染みにそう問いかけられた少女は、先程光の精霊がやったように
――右腕をディアナの腹部に突き刺していた。
「ディアナ!!!!」
グアルガンのリーダーであるメガネの女性が悲痛な叫び声を上げた。
悲鳴と困惑の声が至る所で上がったが、誰も近づくことが出来ず目の前で繰り広げられる惨劇を見ていることしかできなかった。
腹部を刺されたディアナだが、鮮血が吹き出すようなことはなかった。
ゆっくり背中が反り、アルベルが突き刺した腹部が青白く発光する。
アルベルの腕は細いディアナの体を貫通してはいなかった。
別の空間をまさぐっていくと腹部から風が巻き上がり、ディアナの繊細な金の髪が舞い踊る。
駆けつけようとするグアルガンの女性を、仲間が必死に止めていた。
女性の悲鳴なのか怒声なのかもはや区別もつかない声が辺りに響き渡るなか、アルベルの腕がゆっくり引かれる。
ディアナの腹部から漏れる青白い光はどんどん目映くなり、やがて夜空にオーロラが揺らめくように光の波が生まれて踊る。
目が痛くなるような光と共にアルベルの腕は完全に引かれ、その手には、紛れもない”鍵”が握られていた。
全長は20cm程で、素材は真鍮だろうか。古い時代のアンティークのデザインは至ってシンプルなのだが、王冠のようなものが持ち手先端にくっついている。
ディアナの腹部の穴がゆっくり閉じると、今度はアルベルの腹部が光り出した。
ためらいもなく、鍵を握っている手の平ごと自分の腹の中に突っ込む。
アルベルが手を引いたとき、その手に鍵は握られていなかった。
気絶しているらしいディアナの体が地面に倒れた。
ゆっくり瞳を閉じたアルベルも、ディアナに続いて後ろへ倒れた。
倒れるアルベルを抱き止めたのはバジルで、そのままその場から消えた。
光の精霊と水の精霊も一緒に姿を消したのだった。
