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ヴォルクの旧市街地を歩いていた赤髪の男は、薄汚れた倉庫の扉を開けた。
今は使われていない廃倉庫だが、中は綺麗にされていた。
埃の臭いはなく、積み上がる段ボールなどは綺麗に整備されており、出入り口から入って右手側には
簡易的なテーブルと色褪せたソファ、冷蔵庫まで置かれていた。
誰かの中古品をもらいうけたという布張りのソファには、金髪の青年が座っていた。
「ハンスは?」
「急患入ったから手伝ってくるって。」
「お医者さんは忙しいね~。シャルは戻らなくていいの?」
「午後は休みもらったんだ。夕方に商工会の打ち合わせあるから、その前に青年会のシフト見直そうと思って。」
ヴァンが冷蔵庫から勝手に炭酸水を盗み、一人掛けの椅子に腰掛ける間もシャルルは手元の紙をめくっていた。
―すっかり街の顔役になっちゃって―・・・胸中でそう呟きながら蓋を開けた炭酸水を喉に流し込む。
ネスタ家から宝具・鍵が奪われて3ヶ月。変わったことがある。
まずは先代当主と西区の支配者との間で結ばれた契約により、街全体に張っていたダーク避けの結界が完全に解かれたこと。
ダーク以外の精霊にも少なからず制約とプレッシャーを与えていた守りが消えた。
現在は街の防衛を一身に担っているグアルガンを街の商工会が補助する形で見張りや警戒を強めているが、
ヴォルクの北にあったケルベロスが解体したことで、不良のいざこざや闇取引が横行するようになり
旧市街やスラム街の治安が一段階悪化してしまっている。
そこで、商工会の子世代である若者が中心となってい青年会が発足された。
代表者はロデ工具店のシャルルと町医者の息子であるハンスという青年。
彼等は生まれ育った街を守る為立ち上がり、治安維持はもちろん、市場や街の産業を盛り上げようとイベントを開催したり、新たな市を催して近隣の街や有名な市場の産業を招いたり、積極的な交流でヴォルクの活気を取り戻そうと日々努力している。
普段気弱なシャルルが見せる行動力に街の大人は驚いていたが、幼馴染みのヴァンは彼の気が強く真っ直ぐとした信念をよく知っているので、大変誇らしい気持ちでいっぱいだった。
亡き父の家業をかなり無理矢理継ぐことになってしまったヴァンも、グアルガン時代の人脈などを提供しできる限り手伝っていた。
ダークの襲撃を何度も受け、宝具まで失ってしまったヴォルクを、再度盛り上げようと足を踏ん張る様は、さすがヴォルクで生まれ育ち、大昔からネスタ家を支えた街民の気概と熱意だと敬意を抱かざるを得ない。
ちなみに、ここは廃倉庫を青年会が買い取って集会所としている場所だが、商人は日中家業が忙しいので
昼間はほとんど人気がない。
「リカルド、どう?」
「いつも通り、通常業務に戻ったよ。」
「王子様なんだから今更執事なんてしなくても、友達として一緒にいればいいのに。」
「そうするのが性に合ってるんだよ。精神安定って意味もあるんだろうけど。
リカルドにとっちゃ、王子である自分なんて存在してなくて、お嬢に拾われた日から人生が始まってんだ。」
「そっか・・・王子だった時代にいい思い出ないって言ってたもんね・・・。ヴァンはそれでいいの?」
「俺はあいつがやりたいようにやるのを支えるだけだ。」
「献身的だよね~。」
うるせ、とぼやきながら父親の形見である煙管に火をつけるのを、シャルルは盗み見る。
正直、リカルドよりヴァンの方が心配であった。
3ヶ月前のダーク襲来で、彼の父ウルさんが亡くなった。
ネスタ家の宝具が奪われたことでヴォルク内どころか国全体が騒がしくなっていた時も、ヴァンは家に引きこもった。
義理とはいえ大切な家族との別れは相当辛いものだったのであろう。
誰の声も届かない茫然自失状態で、食事も水も取らず一時生命が危なくなるレベルにまで陥った。
リカルドが早く戻ってきてくれて、本当に助かった。
なぜかリカルドの声だけはヴァンに無事届き、食事を取るようになるまで回復した。
2人は不思議な縁で友達になって、短い間ながら深い絆を結んだと聞いた。
ずっと記憶を失っていたそうだが、ウルが無くなって記憶を取り戻したとか。
ヴァンは幼少期から、義父の故郷であるヤクト一族の技を習っていたことがあったらしい。
ウルさんは一時期本気で跡取りにするつもりだったらしいが、やんちゃ息子は言うことを聞かず不良と喧嘩に明け暮れる毎日を選んでグアルガンになった。
ヤクト一族の血が入っていないので、父ほどの手腕は適わないが、彼の中にある宝具・冠が補助の役割をしているようで、奇術のような不思議な技を使えるようになった、らしい。
ウルさんはやっぱり過保護なんだと思う。
「3ヶ月で偽物の剣を守ったことでわかったことは、アルベル側は宝具の有無を対面してやっと判断出来る。嘘つきお嬢様が剣を持ってないことを直前まで気付かなかった。だが、俺の中に冠があると気づかなかった。」
「そもそも、宝具を判断出来る“目”の存在がチート過ぎるよ。」
「まあ、それはたしかに。あと1つ。アルベルの様子が異様だった。心を無くして頭空っぽになった奴は何度も見たが、それとも違う。生きている感じが全くしなかった。護衛の男が人形って言ってたのも納得出来るぐらいだった。」
「アルベル、操られてた可能性があるってこと?」
「光と闇は精霊界のトップだ。ダークみたいに、光の精霊も人間を操れたとしても不思議は無い。」
「じゃあ・・・!」
「希望を抱くのは良くないぞ、シャル。ルカって村が廃村になっていたのは事実なんだ。アルベルが完全な無罪とは言えないよ。」
そうだね、とシャルルは短く吐いた。
「あとは山高帽子の男だ。名前は名乗ったが正体は不明だ。」
「精霊?」
「リカルドを攻撃しようとした。精霊はリカルドに攻撃しようという気さえ起きない。あのダークがリカルドに怯えた程だぞ?
人間でないことは確実なんだが・・・。俺でも何者かがわからない。ヤクト一族みたいな術士の可能性もあるが、ウルからそんなこと聞いたことない。アルベルの側に居るって事は、敵で間違いないだろう。」
「リカルドが味方で良かったとつくづく思っちゃうねよ。葉の刻印があって、宝具が見える目があるから対抗できる。ああ、おまけ程度にヴァンもいるしね。」
「気遣いドーモ。」
倉庫に扉が開く乾いた音が響き、見慣れた顔がやって来た。
グアルガンでヴァンの部下だったリントであった。
「お邪魔します。」
シャルルが自分が座るソファの隣をすすめ、炭酸水が入った瓶を差し出した。
いただきます、と礼儀正しく受け取って一口飲んだ。リントは商工会相手には猫をかぶっているので丁寧語だ。
「休憩中?」
「レベッカさんから、チェルダーニ家での報告を全部聞いてこいと言われ派遣されました。」
「俺もうグアルガン辞めたんだけど・・・。てか、ヴォルクに帰ってきてすぐ電話したぞ?」
「山高帽子の男の詳細と、剣の本当の所持者を教えろと。」
「どっちも俺が教えて欲しいぐらいなんだけど?!」
「剣の鞘はチェルダーニ家ではなく、代々アンドレイニ家がお役目を担っていた。
女性にしか宿らないと言われ、有力候補だった長女は数年前に死亡していた所までは突き止めましたが、身元は丁寧に隠されて足取りどころか名前すらわからない。現在アンドレイニ家に女性はいません。」
横目でギロリと鋭い目線を投げたが、ヴァンはするりと視線を交わして煙管に口をつけた。
「そう。だから誰しもがチェルダーニ家の娘が剣を宿したと聞いて疑わなかった。同じトラエット家の分家だからな。残念だがアンドレイニ家の血筋は途絶えた。チェルダーニも今回の虚言騒動で力は大幅に削られる。
トラエット家の面目も丸つぶれだ。彼等は五老院でありながら宝具の居場所すら掴めていない。」
「レベッカさんに嘘は止めておいた方がいいですよ。レベッカさんもネスタの1人ですし。」
「本当に知らねぇってば。知りたいなら便利な目を持つリカルドを頼れよ。」
そう言って紫煙を遠慮無く吐き出す横顔を見て、早々に諦めて椅子に深く座り直した。
「最近つまんないッス。」
「ダークの行いが明らかになって、グランストン家の名誉は守られたんだろ?ハッピーだろうが。」
「復興するにも残ってるのは俺1人だし、散々悪さした後で王族に戻る気も無いッスよ。
そうじゃなくって。マリオさんは地元に戻って、キアラさんは相変わらずやる気ねぇし。
ヴァンさんって意外と真面目で重要ポジションだったんだと皆気づいて、懐かしがってますよ。」
「意外と、は余計だ。レベッカは合理的過ぎて、人員の心境とか無視して実行する傾向があるからな。」
「それもあるんスけど、ルチアーノさんとレベッカさんの2人でこそこそやって、俺達はガン無視って感じですよ。たった3ヶ月で随分空気が変わりました。俺も退職するかなぁ。」
「商工会は大歓迎だよ?どこも人出足りてないし。」
「マジすか。」
街の雰囲気が変わったことは、市民全員が感じていることであろう。
ネスタ家から宝具が無くなったことは、市民の不安をかき立てるには十分な事実であった。
宝具の有無でネスタ家を敬愛していたわけではないが、ネスタ家は精霊王から宝具を与えられるぐらい信頼されていた名家である、という誇らしさがあった。
ネスタ家の権威が揺らぐことはなかったが、他の元老院からの風当たりは強い。
貿易や商売にも風評被害などの影響が出始めている。街全体が気落ちしているのは確かであった。
「宝具を取り戻そうって躍起になってないのも疑問なんですが。」
「ディアナお嬢様がそれどころじゃないからさ。今は守るのが精一杯。」
「全部ダークが悪いのに、あっさり退場しちまって・・・。光の精霊も味方かと思ったら敵だし。バジルって奴が、世界崩壊を精霊王に望んだらって不安になり暴動が起きるのわかる気もしますよ。」
「お前まで雰囲気に飲まれてどうすんの。俺らは今出来ることををやるしかない。」
「・・・そうッスね。」
「気分転換にご飯行かない?お腹すいちゃった。」
重い空気に気づいたのだろう。シャルルの提案に賛成して、彼等は一緒に倉庫に出ることにした。
さて、この現状をもう一人の友はどうするつもりなのだろうか――――。
*
アッサムティーを注いだカップを、皺1つないクロスが敷かれたサイドテーブルに乗せる。
窓際に寄せた椅子に座り、晴れた空をぼんやりと見つめていたディアナにも、数秒遅れて紅茶の香りが届いたのだろう。
手近に置かれたサイドテーブルからカップをソーサーごと持ち上げて、窓に体を向けたまま紅茶を口にする。
一口飲んだ後に、おいしい、と小さく漏れた声が湯気に混ざって天井に上る。
此処数ヶ月起きた出来事が嘘か幻のように、穏やかな午後であった。
空は心地よく晴れ、小鳥の話し声が聞こえる。
ディアナがリカルドの方へ顔を向けた。
「あなたのお茶を飲めるなんて、嬉しいわ。」
「光栄でございます。」
「もう執事をやる必要はないのよ。貴方を匿う為に私がついた嘘を、真にするため執事としただけのこと。貴方は王族の―」
「私はリカルド・マフェイでいるのが好きなのです。」
「・・・ままごとの相手は、もうしなくていいのよ。」
幼い頃、ディアナの部屋でプラスチックのおもちゃでままごとをしたのを思い出す。
室内にいてもわかる程の纏わり付く湿気、窓を叩く静かで優しい雨の音を、今でも鮮明に思い出せる。
部屋そのものがおもちゃ箱のような、大切にされて育った少女の戯れ言が、自分をずっと繋いでくれていた。
「新しい名と居場所を与えて下さったのは、お嬢様です。」
「恩は十分過ぎる程返してもらいました。王族の人間をいつまでも執事として働かせているとなれば、ネスタ家の評判が益々落ちるでしょう。リカルド。貴方に暇を与えます。もうこの家とは関わらないように。」
真っ直ぐと向けられた青い瞳。力強い双眸に、幼い少女の面影はもう残っていない。
あの雨の日がずいぶんと遠くなってしまったとそこで気づく。
変わらないものはない。守ってくれる大人は先に行ってしまった。
リカルドは体の横に両腕をつけ、深く綺麗なお辞儀をする。
「長い間お世話になりました。ですがネスタ家は俺の家であり、全てです。お嬢様の笑顔を取り戻すためなら、何でもいたしましょう。私は―いや、俺は。貴女のために宝具を取り戻します。
僭越ながら、頂いた名はこのまま使わせて下さい。俺はこれから先も、リカルドです。」
ディアナの顔を見ずに、踵を返して扉へ向かう。
「宝具・鍵を受け継いだ時、初代ネスタの娘が精霊王に言葉を掛けられた記憶を得ました。」
去りゆく背中に語りかける声を、リカルドも背を向けたまま聞いた。
「“レヌスの祈りは剣に、知恵は本に、威厳は杖に、力は冠に宿しました。レヌスの心臓をくりぬいたら、その鍵でレヌスの時を閉じなさい。昼と夜の加護が私の眠りを守る限り、両世界の契約は生き続けるでしょう。”」
言葉が途切れると、背を向けたまま再度頭を下げ、部屋を出た。
*
「本と杖は本当にあったんだな。でも大昔に力失ったよな?」
ネスタ家に暇を出されたリカルドが転がりこんだ先は、ヴァンの家。
私物はほとんど持っていなかったため、荷造りはボストンバック1つで済んだ。
ベックマンに挨拶をしにいくと、後は任せなさいとだけ言われネスタ家を出た。
リビングでヴァンの式神が作ってくれた炒飯を食べながら、先程の会話を伝えていた。
彼の父ウルが死ぬ直前、宝具と一緒に式神の契約も引き継がせているので、式神クチナシの今の主はヴァンだった。
「お嬢様が俺を追い出したってことは、ネスタ家の人間としてではなく個人で動けってことだと思う。」
「ただお前を自由にしたかっただけじゃないのー?お前が王族であることも、チェルダーニ家の嘘を暴いたことも知れ渡ってるし。」
「それでもいい。俺は、お嬢様の笑顔を取り戻すと決めた。」
「宝具をまた腹にしまったら、お嬢は笑顔になるのか?」
「わからない。でも、決めた。」
無表情のまま炒飯を頬張る姿をみて、そういえばコイツは昔からこうと決めたら譲らない奴だったと思い出す。
辛い思い出ばかりの幼少期を塗り替え、居場所を与えてくれたネスタ家への恩は、王族の血族であることより大事なのだろう。
比べるのもバカバカしくなるぐらいに。
自分だって、救い出してくれたウルの為なら何だってやっただろう。
―何だって出来たのに、気づいた時にはもう遅い。
大切な友を同じ後悔の渦に巻き込ませるわけにはいかない。痛む胸の棘を無視して、いつの間にか俯いていた顔を上げる。
「で、どうするわけ?今度は俺がアルベルをおびき寄せる餌にでもなるか?」
「いや、まずは事情を知っていそうな人を探す。今は情報が必要だ。」
「誰?」
「セウレラ。」
完食したのか、スプーンを置いてコップの水を半分程喉に流し込む。
「そういや、セウレラに代わってアルベルを守っている。とか言ってたな、あの男。」
「セウレラとアルベルは契約状態になかったと、ユリウスから聞いたろ。」
「ああ、契約してたフリして力を貸してたって。そんなことあり得るのか?ダークでさえ精霊核があったから現世に顕現出来たのに。しかも主の命令無く人間に攻撃出来てたんだぞ?」
「何か俺達も知らない誓約とか、抜け穴みたいなのがあったんだと思う。不思議だったんだ。アルベルは技を使う時、わざわざ技名で指示を出していただろう?普通精霊と契約者は意識が繋がっているから、念じるだけで動いてくれる。あれは正規契約になかったからああいう対処を取っていたのだろう。現世に顕現出来た件も、光の適合者の目的についても知ってるかもしれない。」
クチナシがリカルドのコップに水を足してから、空いた皿を持ってキッチンに下がっていった。
「どうせ光の精霊と一緒にいるんだろ?」
「ヴァンくん。セウレラは今解放されて精霊界に戻っているらしいんだ。」
リカルドと契約している緑の精霊ユリウスが姿を現した。
ユリウスは、リカルドが賢王の目を差し出した契約の反動、そしてウルが張ったダーク避けの結界の影響を受けたせいで声を失っていたが、結界が綺麗に無くなったおかげで昔のように声を使い他人とコミュニケーションが取れるようになっていた。
「精霊界も結構荒れててね。セウレラとマグニ、それから風と地の精霊を加えた四大精霊で光と闇の精霊に対抗すべく集まってるようだよ。」
「へー。精霊界も決起集会とかやるのか。でも光と闇に対抗出来んの?」
「僕ら精霊には無理なんだ。光と闇は特別だからね。でもリカルドくんは別だ。」
「リカルドを先頭に立てて戦争でも始めようってか。」
「俺はそれでいい。もう返事はしてある。」
涼しい顔をしている相棒を睨み付ける。
「俺聞いてないけど。」
「今話した。」
「お前なぁ・・・。ん?返事?」
「これから四大の精霊の一角と会う。顕現のために必要な分の精霊核を手に入れよう。」
「あー。うん、ルチアーノのとこ行けばいいのな。わかった、わかったよ。」
言いたいことはいくつかあったが、諦めて懐から携帯を出した。
急にスイッチが入ってやる気が起きたのはいいことな気がする。
友人はいつも周りに巻き込まれて生きてきた。自分で決めて、自分で動く意思は友として喜ばしいものであると感じてしまったから、もう此方の負けだ。大人しく従うしかない。
さっそく携帯でルチアーノに電話を掛けた。
