怪我人4
食事を再開したマヒトは、一口大に切られた薄ピンクの柔らかく甘い果汁までしっかり食べ終え、顔の前で両手を合わせた。
「ご馳走様でした。」
「お粗末様です。服、着てみて。父さんのだから少し大きいかもしれないけど。マヒトの服は今乾かしてるの。コートの血も綺麗に取れたし、切れた箇所も繕っておいたわ。」
「何から何まで、悪いな。で、サキの父さんは病気なのか?」
「うん。タカヒトから聞いたの?」
「いや、そういう匂いがした。」
頭を捻るサキを気にせず、緑のシャツに腕を通す。
袖が長かったので2、3回捲り満足げに頷くとベッドから這い出て立ち上がる。
「お父さんに合わせてくれ。」
「え?」
「治療と食事のお礼。」
理由や目的を言わずニカッと笑うだけのマヒトの爽快さに負け、サキは店の裏にある自宅へ彼を案内した。
途中母や祖母に姿を目撃されないよう細心の注意を払い、三階の扉を開いた。
父に事情を説明してから、と思っていたのにマヒトは気にせずズカズカと部屋に足を踏み込む。
相変わらず顔色が悪く、窓の外を眺めていた父は、いきなり来た客に驚くこともなく微笑んだ。
「おはようサキ。珍しいね、お友達連れてくるなんて。」
「えっと、いきなりごめんなさい。友達のマヒト。お父さんに会いたいって言うから・・・。」
「お客さんは大歓迎だよ。四六時中ベッドの上だから、人に会うのは有難い。初めましてマヒト君。父のカズマです。」
力無い微笑みだが、サキと同じ綺麗な黒の瞳で茶髪の少年を見上げる。サキの瞳は父譲りのようだ。
一方少年はどこか楽しげな表情でベッドの横に立つと、カズマの体を遠慮無しに上から下へ観察しだす。
「なるほど・・・。」
「マヒト君?」
「カズマさん、子供の頃真っ白なエルフに会いませんでしたか?」
その問いに、客の失礼な態度にも微笑んでいた父の瞳が驚愕で見開かれた。
「誰にも話した事無かったのに・・・」
「やっぱり。病気はそのエルフの悪戯が原因ですね。」
「悪戯?僕はただ会話をしただけだよ?」
「その会話に罠が仕組まれてたんです。あのエルフがやりそうな事だ。」
「どういう事なの?」
サキが不安げに尋ねると、カズマが青白い顔で話だした。
「まだ4歳ぐらいの時だ。両親とイルの大地を見に行ったんだよ。」
「イルの大地って、エルフやカルプス族が住んでるっていう幻の浮遊島?伝説だと思ってた。」
「実際にあるんだ。普段はハイエルフが守りの術を描けていてどんな生物だって侵入出来ないし姿も見れない。ただその年、ガムールにいたハイエルフの魔導師が亡くなって、彼を弔いにイルの大地に住むエルフ達がレイエファンスにやって来ると噂されていてね。レイエファンスにエルフは滅多にいないから、興味本位だったんだよ。でも結局大地もエルフも姿を消したまま魔導師を弔ったらしんだけど、お祭り騒ぎで沢山の人が集まっていたから、両親とはぐれ見知らぬ場所に迷いこんでしまった。でたらめに進むうち、ついに何もない岩だらけの平地に出てしまい、心細さに泣いていた。その時だよ、目の前に真っ白なエルフが立っていたのは。」
遠き日を思い出すように斜め上を、見えない面影を瞳に映すように見た。
「肌は全く日焼けしてない人間の肌色で、髪は黄色掛ってはいたが雪のように白い綺麗なエルフだった。彼女は泣いてる人間の子供が珍しかったみたいで、どうして泣いてるのか不思議そうだった。悲しいからだと答えると、何故悲しいのかと理由をとかれる。そのやりとりに涙は引っ込んでいた。
やがてエルフは僕に言った。両親へ繋がる道を示してやるから、私と会った事はくれぐれも話してはいけないって。
無事両親の元に帰れた後も僕は誰にも言わなかった。今二人に話したのが初めてだ。」
長く話をしたからだろう、胸で息をして少年を不思議げに見る。
少年はやれやれ、と首をふり腰に手を当てた。
「約束の内容事態はどうでもよかったんです。貴方がその後すぐご両親に話していても何も起きなかったでしょう。約束を交した事実が問題なのです。」
「?」
「エルフは言葉に宿る息吹を感じとります。精霊を操る統べにたけたエルフにとって言魂を掴んで操るなんて朝飯前。カズマさんはエルフに主導権を握られてしまったんですよ。」
「それがお父さんの病気とどう関係あるの?」
「言魂には命すら宿る。糸をたぐり寄せるようにカズマさんの命を少しずつ吸収していたんだ。」
口元に手を当て驚愕に震えるサキ。
プリーストにも医師にも治せず原因さえ分からない病気だったのに、まさかエルフが関わっていたとは。
清い森の民であるエルフだが、人間種をあまり快く思っていないらしく悪い噂も沢山ある。悪戯好きだとか、天候を操作して海の船を沈ませたとか。
父より不安がる少女に、マヒトは笑ってみせる。
「言魂で人は殺せない。今エルフの糸を切ってあげるよ。」
マヒトが片手を父の足の上にかざす。
手を不思議に振ると、何も起こらなかったに関わらず、カズマの顔に赤みが差す。
一番驚いたのは本人で、体を駆け巡る温かみに信じられない、と少年の顔を見た。
「これで大丈夫です。回復は徐々にだけど、あと3日もしたら立って歩けるようになります。」
「君は一体・・・」
「美味しい食事と、服を借りたお礼。通りすがりの祈祷師とでも思って下さい。貴方に会えて良かった。」
マヒトがカズマの顔の前で円を描くように手を振るうと、瞳がゆっくり閉じ父はベッドに倒れた。
「お父さん!?」
「眠らせただけだよ。悪いけど、俺の事を覚えててもらっちゃ困るんだ。起きたら俺の事は忘れて、本当に祈祷師の恩恵だと記憶はすりかわってるから、口裏合わせとくんだよ。」
「…私の記憶は消さないの?」
「共にいた時間が長すぎる。それに、俺の事友達って言ってくれた。初めて出来た友達を失うのは流石に辛い。」
無邪気な瞳の奥には、深い悲しみがあって、自分では想像も出来ないぐらいの重責を彼はその肩に背負っているのだ。
サキは背伸びをして彼の前髪を撫でた。
「お父さんに変わって私が沢山お礼する。だから、いつでも会いに来てね。お友達は忙しいお昼時だって大歓迎よ」
「ありがとう、サキ。」
サキが仕事に戻り、昼食を届けに宿舎の端部屋を訪ねたが、マヒトの姿は無くなっていた。
ベッドは綺麗に整えられ、丁寧に畳まれた父のシャツが置いてあるだけだった。