出陣前夜2
テーブルを離れていたトキヤが隣にやって来る。
「どうでした?」
「レイコ女史とギルデガン王の繋がりが出たやもしれん。」
「灰色には染まりましたね。」
「トキヤ、お前やはりカウスに残れ。護衛隊には剣に重きを置いて王をお守りしていただかなくてはなるまい。」
「バシュデラを相手にするのに僕がいなくて大丈夫ですか?隊長もリセルも、やたら突っ込む癖があるから。」
「フッ。確かに優秀な参謀がいないのは不安だがな。優秀だからこそ安心してカウスを離れられる。」
「留守はお任せを。」
そこへ、サキとリセルもやって来た。
リセルは既に酔って赤い顔をしてサキにくっついている。
「ミヤコさんと何話してたの?」
「ただの世間話だ。」
「タカヒト、難しい顔してたよ。」
瞳だけでサキを伺う。黒髪少女は不安げな瞳でタカヒトを見つめている。
サキの鋭すぎる勘は、魔法の一種なのではないかと考えてしまう。
ミヤコの正体は雨海亭ではトワコとカズマ夫妻以外知らない為正直に話す訳にもいかず、すかさずトキヤがフォローに回る。
「実は前々から、騎士団専属医にイツキ医師にもくわわって貰おうと考えてたんだけど、絶対断られるだろうし、まず奥さんの意見を聞いておこうと思って。ま、隊長が口下手なせいで惨敗だったみたいだよ。」
「そう。私もお世話になってるお医者さんが遠くに行っちゃうのは寂しい。」
「サキちゃんにも断られちゃったから、この件はきっぱり諦めよう。イツキ医師には勧誘の事内緒だよ?何かあった時は頼りたいんだ。」
「わかった。」
さすが策士。口からでまかせが広がらないフォローまでしてみせるとは。しかもサキが約束は絶対破らないという性格すら読んでいる。
関心していると、サキと瓜二つの瞳を宿した男性がテーブルに近づいてきて、思わずタカヒトは椅子から立ち上がった。
「カズマさん!」
「やぁ、タカヒトくん。久しぶり。」
「動けるようになったとサキから手紙で聞いてはいましたが・・・良かったです。本当に。」
孤のタカヒトに取ってカズマは兄のようであり、父のようでもあった。
昔から体が悪く寝たきりだった人が元気そうに歩いている姿に込み上げてくるものもあるようだ。
「僕も、また歩けるようになるとは思ってなかったよ。祈祷師さんにお礼をしたいのに、名前も言わず去ってしまって・・・本当残念だ。」
タカヒトはカズマにバレぬようサッとサキと視線を交わす。
サキの内密な手紙で、カズマの足を治した正体は聞いており、祈祷師に治してもらった、と記憶が改暫されてることも聞いた。
「何にせよ、俺も嬉しいです。」
「有り難う、タカヒトくん。そうだサキ、トワコが呼んでたよ。店は僕が見てるから。」
「うん。タカヒト、まだいる?」
「ああ。行ってこい。」
明日戦に出るというのは一部の人間以外には知らせてはならぬ事実。もちろんサキの口は堅いが、どこで誰が聞いてるとも限らない。
その事情を察しているかのように、またサキが不安げな顔をしたのでタカヒトは安心させるように髪を撫でた。
酔っ払ったリセルをトキヤが引き離し、サキは店の奥に入り母を探す。
「お母さん、呼んだ?」
「ああ、サキちゃん。悪いんだけど、ラロ豆が切れちゃったのよ。閉店までまだお客さんくるし、おつまみに豆が無いと可哀想だわ。」
「分かった。三丁目のサマンサおばあちゃんのお店ならまだやってるわね。」
「急がなくていいから。」
「・・・タカヒトに、まだ帰らないでって伝えて。」
「フフフ。わかったわ。でもタカヒトちゃんは騎士団の隊長さんだっていうのは忘れないでねディア。」
「はい、お母さん。」
上着を羽織り、夜の町へ出る。
レファスの港町はとても治安がいいので夜に女の子一人歩いていても問題はない。
それに通りには酔った港の男達が陽気に家の戸口で歌ったりしている。港を仕切る棟梁の孫であるサキが通る度気にしてくれるので、トワコも娘を送り出したのだ。
馴染みの仕入れ店で豆を買い、早々に踵を返して店に戻る。
店の裏口に辿り着いた時、パサリと何か降り立った音がした。
それは店の脇、石垣が積んである壁の方だ。
猫だろうか。マントの襟口をグッと握りしめて音の正体を確かめにいく。
石垣の上に座っていたのは、マヒトだった。
「サキが店を出るの見えたんだ。」
「こんばんは。全然会いに来てくれないから寂しかったよ。」
「色々飛び回ってたんだ。本当はあまり一般人と関わっちゃいけないし。」
申し訳なさげに眉尻を下げたマヒトの隣に並ぶ。と言っても肩ぐらいの高さがある石垣に登るわけにもいかずマヒトを見上げる形になる。
「ちょうどタカヒト来てるよ。」
「ああ、匂いがしてた。」
「呼ぼうか?」
「いい。今日はサキに会いにきた。サキはガムールの外へ出る事はあるか?」
「無いわ。」
「じゃあ親族がガムールの外にいたり。」
「いえ、家族は私達だけ。食料も全て行商さんから買うし。」
「なら良かった。レファスはこれから騒がしくなる。ガムールの壁を越えないでくれ。此処にいれば安心だから。」
「・・・そう。タカヒトが何か隠してるとは思ってたのはそれだったのね。」
顔を伏せて石垣に背を預けたサキ。
「此処最近忙しそうだったから。」
「タカヒトはキザだからな。サキに心配かけたくなかったんだよ。」
「うん、わかってる。でもタカヒトが怪我したりするのイヤなの。私、何も出来ないから・・・。」
「それは間違いだ。タカヒトにとって此処は帰ってくる大切な場所で、サキは守るべき大切な人だ。そういうのがある人間は強いって兄さんが言ってた。」
顔を上げると、優しく瞳を細めてマヒトは微笑みを向けていた。
子供っぽい野生児にもそんな顔が出来るのかと、サキは驚いた。
マヒトは満足したのか立ち上がって踵を返した。
「もういっちゃうの?」
「一段落したら会いにくるよ。サキがガムールから出ないと確認したかっただけだから。じゃあ、またな。」
実にあっさりとマヒトは夜の闇に消えてしまった。
店に戻り、食事を終えエールを煽るタカヒトの隣に並ぶ。副官二人はカウンターで母と何やら話している。
無表情な少女の、他人では見抜けぬ気落ちを感じタカヒトはジョッキを置いた。
「どうした。浮かない顔だな。」
「・・・マヒトが来てた。すぐ行っちゃったけど。・・・マヒトは、此処にいていないような気がする。私を見ていても、マヒトの世界に私は映っていないような。」
特徴的である黒い瞳に悲しげな光を宿しうつ向いてしまった沙希の頭を優しく撫でた。
マヒトめ、一体何をしたんだ。と居ない人間に心中で文句を言った。
だがサキが感じたことは、タカヒトも前々から感じていた。
目的を持って行動してるとはいえ、時折、あの少年は不思議で不可解な空気を垂れ流すのだ。
普段は無邪気なくせに、ヤケに大人びて、達観してしまったような異種のオーラ。
とにかく今は、妹を慰めてやらねばならぬ、と表情と声を和らげる。
「今レファスは少々騒がしいからな。アイツも緊張してるんだ。」
「聞いたわ。戦いに行くんでしょ・・・。」
「・・・ああ。」
「いつも言ってるけど、今回も言わせてね。・・・怪我しないで、必ず帰ってきて。」
今度は誰が見てもわかるぐらい眉尻を下げ悲しげな顔をタカヒトに向けた。
顔には、心配でたまらないが止めるわけにはいかない、とハッキリ書いてあるようだった。
この顔がどうにも苦手で、タカヒトは戦地に赴く際は極力秘密にしていた。
サキに悲しい顔はさせたくないのだ。
だから、サキに負けず劣らず無表情な騎士団隊長は薄く微笑んでみせた。
「俺はサキの花嫁姿を見るまでは死なない。もしサキが男の子を産んだら、剣術を教えてやらなきゃな。」
「・・・本当?その子供が親になるころまでずっと、ずっと一緒にいてくれる?」
クス、と声を出し微笑むと、しっかりと頷いた。
「わかった。必ず帰る。」
「必ずよ。」
「ああ。俺は約束は破らない。だろう?」
次頷くのはサキの番だった。
過去タカヒトは一度も約束を破ったが無い。
それはサキが一番知っていた。
日付が変わる大分前にタカヒト達は店を出た。
戸口にて見送りをするサキは、タカヒトが通りの向こうに消えるまで店に入らずずっと背中を追っていた。
すっかり寝静まった夜の湊町で酔って寝てしまったリセルを背負ったトキヤが、ルナの明かりを吸ったように青白く光る甃から視線を移さず口を開いた。
トキヤはひょろっとした見掛け同様人を抱えて歩ける体力は無いので、魔法で彼女に浮力を持たせている。騎士団員は皆僅かながら魔法は使えるのだ。それが入団の最低条件でもある。
「雨海亭の見張り、また増やしたんですか。」
「・・・ドゥリドーを2体だけだ。あそこは俺の実家同然だからな。」
「隊長の見張りトカゲは上級兵士より仕事出来るじゃないですか。・・・いくら見張りを増やしてもガムールの中は安全では?」
「港町はそうも言ってられんだろ。強力な不審者が現れたらまず狙われる。」
「職権乱用と心配性は違いますよ。」
「わかってる。・・・わかってるさ。」
言葉の最後の方は、自分に言い聞かせていたとトキヤはリセルの気持良さげな寝言を聞きながら感じていた。