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雨海亭襲来

ガムールの南港にある雨海亭には、まだ人の影があった。


「ダメよお母さん。お鍋なんてお城に持っていけないわ。」
「タカヒト君に貰った大事な商売道具なのに。」
「命があれば大丈夫さ。」


鍋を抱えた母を止める娘の元に、父が祖母と共にやって来た。
サキの家族は、店の中に集まっていた。
ガムールに警報が鳴り響いたのは数時間前。
分厚い雲が掛かることなどないレファスの空は、途端に薄暗くなり、不安が街中に渦巻いた。
港にいる魔導師が、街を守っていた結界が破れたと騒ぎだし、混乱は更に強くなった。
だが早い段階で王家から城内を解放したので避難するよう通達があった。
サキ家族も直ぐ様店を閉め準備をしたが、祖父が港の責任者の為、船を不正利用されぬようドッグに収容しているので店で待機しているところだった。
店の扉が開き、黒い外套を纏った給仕のミヤコがやって来た。


「ミヤコちゃん!イツキ君と避難したんじゃなかったの?」
「皆様のお迎えにあがりました。」


トワコが首を傾げていると、また一人扉から店内に入ってきた。
皺一つない白い服を着た清潔感ある黒髪の青年で、ミヤコにそっくりであった。
青年を見て、直ぐ様カズマもミヤコの隣に並び、深く礼をする。


「マコト殿下・・・。この様な場所においでになるとは、感激の至り・・・。」
「殿下は止めて下さい。姉が大変お世話になっております。じゃじゃ馬を優しく受け入れて下さり、一度お礼をと思っておりました。」
「誰がじゃじゃ馬よ・・・。イツキくんとマリンは?」
「無事避難させたよ。イツキさんには怪我人の治療まで手伝ってもらってる。・・・ささ、皆様。外へ。馬車を用意させました。」
「あの・・・どういう事でしょうか。私共はただの庶民です。」
「姉がお世話になり、尚且我等が騎士団隊長のご家族。安全に避難していただけるよう手配したまでです。さ、参りましょう。」


サキは、祖母の手を取り店の外に出た。
そこには本当に馬車があった。
大人数用で、豪華な装飾を施されている。馬車と言っても引くのは小型有翼生物のティラ。
背格好は馬に似ているが、青い体で大きな翼を持っている。
ティラにしても、馬車にしても、貴族か王族でしかもちえない代物だ。
ただただ驚いていると、港に降りていた祖父が合流した。


「ねぇおじいちゃん。あのマコトさんて貴族なの?ミヤコさんの弟なんでしょ?」
「王族の方だ。陛下の甥っ子で、王子の従兄弟にあたる。王位第二継承者であられる。」
「なら・・・ミヤコさんて・・・。」
「話しは後じゃ。避難するぞ。悪魔どもが来てしまう。」


マコトが用意した馬車に順番に乗り込み、最後にサキが足をかけた時、急に頭上が暗くなった。
顔を上げる前に、何かに肩を引っ張られ馬車から後ろに移動させられた。
馬車と自分の間には、黒い羽の生えたトカゲのような生物が立ちふさがっていた。
体は太ったトカゲだが、腹で立ち、顔は竜のように鋭い。
首を持ち上げると背丈はサキの二倍、尻尾までの胴体はかなり長い。
さらに、通りの向こうから赤い小さな鬼―オーガが数体やって来る。
マコトに付き馬車を守っていた騎士団の兵が翼あるトカゲ悪魔に斬りかかるが、軽く奮った尻尾に叩かれ地面に転がる。
と、サキを後ろに引いた犯人であるこれまたトカゲが彼女を追い越しトカゲ悪魔に噛みついた。
噛みついた方のトカゲは青い体をしており、みるみる内に人間の形になった。ただし、頭はそのまま爬虫類の顔であるが、簡易鎧を着た姿で、どこか気品さえ感じる。
あのトカゲ人間は、タカヒトに教わっていた。
ドゥリドーだ。
ドゥリドーが腰に携えた剣で戦うが、トカゲ悪魔は後ろの馬車には目もくれず、サキを狙い続けていた。
護衛してくれているもう一匹のドゥリドーがまたサキを後ろに下がらせた。
すると、トカゲも体をくねらせ近づく。
サキは馬車に顔を向けた。


「この悪魔、私を狙ってるみたい!囮になるので行って下さい!」
「ダメよサキちゃん!」
「タカヒトの使い魔さんがいるから大丈夫!すぐお城に行くから!」


隙をつきサキを連れ戻そうとしていたマコトだが、彼女の進言にのるしかなかった。
既に馬車の回りにはオーガが集まっており、空にも翼ある悪魔が数匹旋回しながら獲物を狙っている。
ティラはスピードは早いが悪魔と戦えるような生物ではない。


「すまない!すぐ戻る!」
「ううん。大丈夫。自力でなんとかするから、家族をお願い。」


強い黒曜石のような美しい瞳に頷き返す。
娘を残して行けないと飛び出しそうなトワコを馬車に押し戻し、兵二人に少女を守りながら避難するよう告げ、御者が綱を引く。
ティラは畳んであった翼を大きく広げ、甃を少し走っただけで空に飛び上がった。
馬車自体にも浮遊石が埋まっていたようで、家族を乗せた空飛ぶ馬車を見送ると、ドゥリドーの進言で店内に戻った。
雨海亭は、タカヒトの守りが何重にも効いているという話を思い出す。
騎士団の二人の兵も店内に呼び、扉を木の板でしっかりと塞ぎ奥に下がる。
扉は悪魔達によって叩かれ、揺らぎ始める。


「タカヒトの結界があるはずなのに!」
「ガムールを包んでいた首都結界が破れたせいで弱まったのでしょう。」


サキの左前で剣を構える若い兵士が言う。
剣先が震えているが、騎士らしく威厳を保ち続けている。


「安心して下さい。隊長の家族は俺が責任もって守りますから!」
「はい。・・・あの、裏口から逃げるのは?」
「周りは悪魔で囲まれてしまいました。」


右側にいたドゥリドーが低い落ち着いた声で言うと、爬虫類特有の細長く黄色い目をサキに向けた。


「どうやら、我が主タカヒト様の弱点があなたであると知られたようですな。戦場で主の脅威を目の当たりにし、人質にでもするつもりです。」
「なら、私が外に出るので皆さんはその隙に―」
「なりません。」
「人質なら殺されないでしょ?」
「女の子を犠にして助かった命なんて騎士の誇りに反する!バカな考えはおよしなさい。」


右前にいたヒゲが生えた騎士が果敢に言うが、表情は険しい。
店の扉は今にも破れそうで、窓の外には悪魔の影がうごめいている。
悪魔など見たこともなかったのに、四方を囲まれすぐそこで押し合いになりながら自分を狙ってると思うと、体の奥から恐怖が沸き上がり、指先が震えてきた。
その指を胸の前で合わせ神マヤーナに祈った。
人質になって、タカヒトに迷惑かけたくない―
バリバリと凄い音を立て扉は壊された。
顔を覗かせた悪魔達が店内に押し寄せる。
しかし、一歩店の床を踏んだ途端電気が走り、その場に倒れてしまう。
倒れた悪魔を踏み台にしてやって来た悪魔もまた、電撃を足の裏からくらい絶命し、体が赤い粒子となって消えていく。


「召喚を逆流させる魔法陣だ!」


若い兵が叫ぶ。


「我が主タカヒト様は、様々な術を掛けておりました。しかし―」


ドゥリドーが説明している内に、あの翼の生えたトカゲ型悪魔が短い前足で床を滑るように店内に侵入。
床に触れても、電流の攻撃は受けてないようだ。


「あやつは特殊召喚を受けた上級悪魔のようですな。竜の亜種ワイバーンといった所か。」
「冷静に解析してる場合か!お嬢さんを守れよドゥリドー。」
「言われずとも。ワイバーンは水の属性。炎に弱いかと。」
「よし。悪いがお嬢さん、お店は無傷じゃ済まないかも。」
「構いません!お気をつけて。皆様にマヤーナの加護を。」
「有難い。」


二人の兵は魔法を唱え剣に炎を宿した。激しい炎ではないが、刃が橙に光り、火の粉が舞う。
濁った瞳でサキを見つけたワイバーンが、太い胴体と短い足に似合わず素早い這いで突進してきた。
瞬発力は良くないようで、ドゥリドーの張った防壁に顔面をもろにぶつけた。
一瞬緩んだ隙に、兵二人がワイバーンの脇に飛び前足あたりの肉に刃を突き刺したり、翼を切りつけたりする。
ワイバーンは低い悲鳴を上げ、暴れる尻尾が店の扉を破壊した。
更に騎士が斬りつけると、激しく暴れ長い首を持ち上げたり、狭い店内で翼を広げようとしたりするので、屋根の木材がサキの頭上に降ってきた。
悲鳴を上げるが、ドゥリドーが頭上に防壁を展開し少女を守る。
ヒゲ面兵士が炎の魔法をワイバーンの顔面に発射し、見事命中。
しかしずっとサキを見ていたワイバーンがやっと飛び回る羽虫―と思っているかは不明だが、兵士二人に意識を移した。
尻尾で彼等を潰しにかかるが、狭い場所で動き回るのは不利とわかったのか、暴れるのをやめ首を軽く回した。
すると、鋭い牙の生えた口を開け黒い炎を吐き出した。
騎士兵は体の前に防壁を展開するも、煙のように上部や脇からやってきた炎に襲われる。
燃焼能力はないらしいその黒炎に体を包まれた途端、兵二人は倒れて動かなくなった。
名も知らぬ騎士をサキが必死に呼び掛けるも、反応は無い。
兵が倒れた為に、左側にいたドゥリドーが剣を片手に走りだした。
ワイバーンが吐く炎を避けながら飛翔し、ワイバーンの右目に剣を突き刺した。
血の代わりに赤い粒子が吹き出す。
翼の生えたトカゲは激痛でのたうち回り、屋根や壁が先程より派手に壊されていく。
天井は大分壊され、レファスの空を覆う雲や、衛星アルテミスの赤く光る姿がよく見えた。
木造の店全体がぐらぐらと揺れ始めると、サキを守っていたドゥリドーが苦渋の声を漏らす。


「仕方ありませんな・・・。外に出ましょう。」


彼が合図をすると、戦っていた方のドゥリドーが後退し、三人―もしくは一人と二匹―は店のキッチンを抜け、仮眠用の宿泊室の出入口から店の裏手に出た。



 

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