top of page

イルの大地

未知の植物が鬱蒼と茂るジャングル。
此処はイルの大地。
存在すら伝説と言われている浮遊大陸はこの地に住むエルフが掛けた術により雲に隠れ、

レイエファンスの脇で同じように漂っていた。
かつては大陸で過ごしていたエルフであるが、長い歴史の中で数々の戦と悲しみを経験した彼等は俗世と縁を切り、エルフにとって心地がよい緑に溢れたイルの大地へ隠れてしまったのだ。
今や大陸にエルフは殆どいない。
イルの東端にある森に、白いエルフが何かを探しながら歩く姿がある。
元々エルフの肌は白いのだが、そのエルフは雪のように真っ白な肌に、黄色掛った白い髪をしていた。
白いエルフは大きな葉をした植物を掻き分け、太い幹に寄りかかり座る人間を発見した。
松原色外套を着た人間は濃霧を下げるためフードを被っていたが、

白いエルフの気配を感じ顔を向ける事なく話しかけた。


「待ってたよ、スノー」
「嬉しいぞ、マヒト。妾はそなたに会いたくて堪らなかった。」


人間はフードの奥からエルフを見た。
高貴であるはずのエルフは、人間の少年を見るなり顔を綻ばせ甘い声すら発した。
だが少年はやや不機嫌そうである。


「聞きたい事がある。」
「なんなりと申せ。」



全身から喜びを表現するかのように小さく跳ねたエルフは少年の脇に座る。
長い足を横たえ、体は少年に触れるか触れないかぐらい寄せる。


「お前、人間の琴線握ったまま忘れてたろ。」
「はて?」
「レファスにいたカッシュ魔導師の葬儀の時だ。レファスに降りて、人間の男の子に話し掛けただろ。

まだ子供で、お前と会った時は泣いてたと聞く。」


スノーと呼ばれるエルフは顎にスラリと長く美しい指を宛て考え始める。


「ああ!思い出したぞ。そういえばそんなこともあったのぉ。暇つぶしに糸に触れてみただけだったのじゃが。」
「暇つぶしに人間の生命を脅かすな。その人、大人になっても病で寝たきりになっていたんだ!」
「珍しいのぉ。マヒトが人間の事情なんぞを気にかけるとは」


自分がしでかした事を何とも思ってないようなエルフの態度に、マヒトは眉をグッと吊り上げ不快な表情を向ける。


「その人は、俺の恩人のお父さんだった。お前が悪戯したせいで不自由な暮らしを送ってたんだぞ!?」


明から様に怒られ、エルフはシュンと長い耳を足らす。
プライドが一番高い種族であるはずのエルフが、人間の少年なんかに叱られうろたえている姿は貴重を通り越して

奇跡であった。
今にも泣いて少年の胸にすがりつきそうなエルフは手を組み出来る限り体を縮ませ、

マヒトの咎める視線に耐えようとしているようだ。


「す、すまなかった。あの子供がマヒトの恩人の父上になるなど、因果とは恐ろしい・・・。いますぐ糸を探して―」
「糸は俺が切った。今頃元気に過ごしているよ。」
「うぐ・・・。で、でわ妾はどうやって償えばよいのじゃ・・・!?」


涙で瞳が潤みだした白エルフを見て、少年は怒りを沈めため息をつく。


「他に琴線を握ってないな。」
「ああ。レファスに降りたのはあれが最後じゃ。」
「なら、もう人間や他の種族に悪戯するな。人間を見下せる程エルフも偉くはない。」
「あいわかった。もう人間に手出しはせん。」


マヒトに許してもらうべく、必死にうなずくエルフが愛らしくなって、マヒトは軽く笑って髪を撫でてやる。
子供みたいに扱われているのに、スノーはマヒトがもう怒ってないとわかり

少女のように笑って甘んじて撫でられる。余程嬉しいらしく頬が赤く高揚し耳がフルフルと震えていた。
スノーは人間の年齢でいうと800歳は越えているのだが、

威厳や誇りといったエルフ族が一番尊厳するポイントをマヒトの前では雲海に放り投げてしまうらしい。
マヒトが撫でるのをやめると悲しげに眉を八の字にしてしまう程だ。


「今日来たのは、レファスを守る陣についてだ。最近やけに脆くなってないか?」


本題を振られ、スノーは顔を引き締め頷いた。


「それは我らも感じておった。レファスとこの空一帯を守るのはヘミフィアとの契約じゃ。

エルフは約束を違えるぐらいなら海に飛び込む方を選ぶ。我らは手を抜いたりなどしておらぬ。

あの忌々しいバシュデラの侵入なぞ、許す筈はないぞ。」
「その辺の情報は知ってたか。」


憤慨するエルフを見て、マヒトは唇に指を当て思考を巡らせる。


「ウロボロスは殆どがダークエルフだから、侵入は不可能じゃなかったとしても、バシュデラだ。

いくらマジックアイテムに守られていたからって、レファスの土地が許すわけないんだ・・・。

なのに土に足をつけても生きてるなんて・・・。」
「ヘミフィアの仕業かえ?」
「それが一番納得いく。ギルデガン王に教わった予言にも、悪魔の侵入をほのめかす一文があった。

もっと早く予言を聞いてれば対抗策はあったのに、ややこしくなったよ・・・。」
「予言書というのは一種の制限があるのじゃ。運命を記しておる限り、その運命を回避出来るようにはなっておらぬ。あの火竜が受けた予言ならさらに難解であろう。」
「ギルデガン王は予言書通りに動いてくれてるけど、その部下がテラ神の墜とし子ってのが一番気がかりだ。」
「堕天者かえ?ここ300年は出てなかったのじゃがな。」
「羽無しのくせに立派な魔導師となってたんだ・・・。嫌な予感しかしないんだよ。アイツは運命を壊しかねない。」


唇を指で揉みながらヤキモキしだしたマヒトの頬を白い手で撫でてやる。


「ヘミフィアの考えはよくわからぬが、マヒトは無事使命を果たせるはずじゃ。」
「確かに最後の部分は未確定だけど、レファスが騒がしくなったせいでレガリアを持つ者を死なせたら、

世界は終わってしまうんだよ、スノー。俺はまだ適合者を見付けられてないんだ。

ヘミフィアには、前回の対面でだけ適合者を教えて貰えるはずだったのに・・・。」
「それもまたヘミフィアが用意した試練じゃマヒト。マヒトもまた、イシュトリの一葉なのだからな。」


少年をそっと抱き寄せ、今度はスノーが彼の髪を撫でてやる。
母親が愛しい我が子を慈しむように。


「アルテミスが沈むまであと50日・・・。ちゃんとやれるかな・・・。」
「やれる。マヒトは妾が惚れたただ一人の存在なんじゃからの。」
「・・・なぁ、エミリュアムーラ。」
「スノーでよい。マヒトがつけてくれた名の方が気に入っておる。」
「ああ、スノー。お願いがある。長に頼んでアクリラで一部隊作っておいて欲しいんだ。」
「任せよ。長は話せば分かって下さる。」
「人間に味方して、またスノーが嫌われてしまう・・・」
「構わぬ。妾はマヒトがいればよい」


体の力をフッと抜いたマヒトはエルフの胸に顔を埋め背中に腕を回した。
思えば、このエルフだけが母性を向けてくれる気がする。
自分を産んでくれた母の顔なんて、昔過ぎて覚えてはいない。
その時、莫大な魔力がレファスの空に放たれるのを感じた。
マヒトは、それがタカヒトだとすぐにわかった。
タカヒトは今、自分と同じように悲しんでいる。
そして凄く苦しんでいた。


「スノー、僕ね。友達が出来たんだ。一人は人間の女の子で、もう一人はミュン族の王子。

あと一人は、無口で無愛想なやつなんだ。でもどこか兄さんに似ててさ。友達というより―・・・」


マヒトが弱々しく話す事柄を、スノーは優しい髪を撫で続けながらずっと耳を傾けていた。

bottom of page