黒竜
ケフナ渓谷沿いの荒んだ山道を馬に跨り、黒外套を纏った男は銀髪のエルフを連れひたすらに進んでいた。
レイエファンスの極東山岳地帯。
険しい山々が連なり人も、動物でさえ滅多に足を踏み入れない通称「竜の巣」。
人目が無くなってからはエルフの耳をフードで隠さなくなった従者タイチは肩に乗った鳥と戯れていた。
目に見えぬ威圧感すら漂う土地に関わらずリラックスしきっている。
だがある坂を登り終わった時、エルフの長い耳が震えた。
「アキラ様、オニキスの息吹を感じます。」
「近いのか。」
「はい。」
今度はエルフを先頭に谷を降り始める。
エルフの耳がピクリと動く度馬の足を止め、彼が正確な方角を探るのを待つ。
そうやって進むこと一時間。
谷間に出来た森のそのまた奥。ルナの昼の明かりすら届かぬ場所に、岩で作られた洞窟があった。
タイチが力強く頷いたので、馬を降り洞窟に入る。
光の精霊から借りた明かりをランプに入れ進むが、コウモリや動物の骨以外には遭遇せず、
暗い一本道がただただ続くばかり。
頬を過ぎる冷たい風に不安をあおられ辺りをキョロキョロ伺う従者が外套を掴むのも気にせず、
アキラは進み続けた。
やがて、光源が見えてきた。
はやる気持を抑え、水色の明かり目指し進み、アーチをくぐる。
目の前に現れたそれに、タイチは口元に手を当て絶句した。
見事な黒竜がそこに眠っていた。
太く逞しくい足に長い尻尾。折り畳まれた翼からみても、都市を飲み込む程巨大だということがわかる。
うろこ一枚とって美しい。
だがしかし、竜は氷に覆われていた。
冷気を感じない魔法の氷、もしくは幻術に近いなにかなのだろう。
試しに氷に触れてみたが、原理が全くわからない。
「古代レファスの魔法か・・・。やれそうか、タイチ。」
エルフは申し訳なさそうに首を横に振った。
「これは高度な封印です。あれをご覧ください。」
タイチが指差したのは竜の目の前にあった祭壇のようなもので、その先端に黒い石が埋まっている。
「洗練された魔法石に竜の魂を封じたのでしょう。封じる際には竜を抑えておくため聖剣を使います。
あの封印を解くには、その聖剣を用いて砕かねばなりません。」
「それはセレノア王家にありそうだな・・・。くそっ・・・目の前にオニキスがいるというのに。」
「申し訳ありません・・・。僕は封印を解くために同行してるのに・・・。」
耳を痛々しいまでに垂らしたエルフは今にも泣きそうで、それに震えていた。
にわかに滲み出してしまった怒りを押さえ、エルフの前に立つ。
「お前を用無しと見捨てるとでも思ったか。」
「はい・・・。」
「随分安くみられたもんだ。長く一緒にいて俺を非道な人種だと思っているのだな。」
「アキラ様はお優しい方です!ただ・・・僕はアキラ様の役に立ちたかった・・・」
「ならこれからも仕えろ。それに、魔法石の封印解除はエルフの言葉がいるのだろう?」
「あ、そうでした!」
顔を上げ長い耳が元に戻ったのを見て、アキラは微笑を向けると、祭壇の前に立つ。
「この封印石に触れても問題ないか?」
「みてみましょう。」
黒い光沢を放つ石に手をかざし、エルフは瞳を閉じた。
「トラップは掛っていないようです。でも、術者には石が移動した事が知れましょう。」
「なら聖剣を奪うのが先か。」
「それは手間でございましょう、アキラ様。貴方はせっかちで、今は事を急いでおられます。
石のダミーを作ります。」
「そんな事が・・・?いや、お前なら可能か。やってくれ。」
「喜んで。」
今一度瞳を閉じ、次は両手で石に手をかざす。
体の回りに薄い緑の光が漂いだし、口先で術を呟くと、タイチが返した手の平の中に黒い封印石が現れた。
祭壇の上には相変わらず黒石が乗っているが、それはタイチが作った完全なるコピー。
今手にしている方が、竜の魂が入った本物であり、術者が感知する糸のようなものは摩り替える瞬間
全てコピーに写した。
短く息を吐いたエルフは、嬉しそうに手中の石を差し出した。
「オニキスの魂です、アキラ様。」
「よくやった。早速役に立ったではないか。」
再び髪を撫でてやると、エルフは頬を赤くして満面の笑みを浮かべた。
主の役に立つのがこの上ない喜びであると、その全てが物語っている。
受け取った封印石をポシェットに大事にしまうと、竜に背を向け来た道を戻りだす。
慌ててタイチも後に続いた。
「ユタカ様にご報告は?」
「いい。ウロボロスの命はあくまで竜探索のフリだ。俺が封印解除を狙っていると知れれば面倒だしな。」
「アルの予言書では、地上王の手下が竜を探しあてるとあります。なんだか、気味が悪いです。
予言通りに動けというユタカ様の命令は無視をしているのに、予言通りではあるのですから・・・。」
「俺は予言書なんぞに踊らされたりしない。必ず予言を外し、アイツを助けてみせる―――。」
「アキラ様・・・。あの方は、何も知らないようでした。」
「それでいい。嫌われようが憎まれようが、他人を犠牲にしようが、な。」
エルフという種族は悪の心根を嫌う。
血の匂いを嫌う。
それでもタイチという少年エルフがアキラについて行く事を決めたのは、その強い信念があったからだ。
そしてアキラは、自ら進んで悪役を演じてはいるが、誰よりも優しく一途なのだ。
洞窟の出入口が見えてきた。
森からの微力な明かりに照らされる横顔を見つめながら、僕は必ずこの人を助けて役に立とうと、
エルフは改めて心に決めた。
例え、アキラがたった一人の事しか考えていなくとも―――――