開戦前夜
開戦前夜。
明日に備え早くも寝静まった拠点を歩くタカヒトは僧侶サキョウを訪ねた。
いつもと同じく、テント内は絨毯が敷き積められ、椅子や机はなく、僧侶は直に床に座っている。
招かれるまま中に入ると、先客としてリョクエンがいた。
礼儀として国の王子に頭を下げたが、リョクエンがビクリと肩を震わせたのを低頭しながら
タカヒトは見逃さなかった。
「今更お帰り下さいとは申しませんよ。」
「・・・怒っても、いらっしゃらないのですか?」
「ええ。リョクエン様付きの護衛や城の警備をくぐり抜けわざわざ戦地にいらしたのです。
かなりのご覚悟と、強い目的がおありだったのでしょう。王子が自らの望みなら、私とてお止め出来ませんから。」
明らかにホッと胸を撫で下ろしたリョクエンに軽く微笑み―普段笑わない彼だが、
これも礼儀の一つ―僧侶の前に腰を下ろした。
「良かったですなリョクエン様。そいで、せっかくタカヒトはんがいらしとるんや、
その目的とやらを教えて下さいませんか。」
僧侶は丸い盆の上で茶の準備をしながら脇に座るリョクエンに問いかける。
王子はしばし言葉を迷っていたが、話しだす。
「僕は、セレノアの平穏な日々は当たり前の事で、不変なんだと信じ生きてきました。
ですが、不変のものなど存在せず、セレノアの王族内にさえ忌まわしき悪があると知りました。」
「ほお。」
僧侶は関心の相槌を打ち、タカヒトはその悪とやらを聞きたかったが、そのまま黙って王子の言葉を聞く。
「王家の、ましてや現国王の息子だからではなく、国民の一人として、このレイエファンスを愛しています。
この大地の異変は正さねばなりません。僕は何も出来ませんが、目の前で起こっている異変を見届けたいのです。
今何が起き、何をすればいいのか・・・。王子である僕には責任があるので、
この戦を肌で感じておきたかったのです。」
普段気弱で自分の意見など話さぬ若き王子の、強い言葉に僧侶は嬉しそうに微笑んだ。
「また一つ、お強くなりましたなぁ、リョクエン様。」
「いえ、あの・・・何も出来ないのに、偉そうにすいません。結局、僕が来た事で騎士団の皆様にはご迷惑を・・・。」
「迷惑なものですか。国の大事を憂い、民を思い危険な場所にやって来た貴方様をお守り出来るなんて、
騎士の喜びです。貴方のような素晴らしい方の傍らにいてこそ、我等の剣も鋭く強くなりましょう。」
礼儀でもなんでもない、芯あるタカヒトの言葉に、リョクエンは瞳をうるませ王子であるのにお辞儀をする。
「ささ、お茶をお飲み下さいな。気分が落ち着きますえ。」
「はい。」
「それはそうと、一つ気になるんやけど、どうやって王子専属護衛達の目を盗めたんです?」
湯飲みを傾けながらサキョウが問うと、リョクエンは少し顔を赤くした。
「その・・・メイドさんに変装して。」
「なんと。王子が女装とな。」
「エミちゃんの案で。城を抜けたら、ガムールの城門に馬を用意して、
あとはヤマト君が上手く門を開けてくれたんです。」
意外な名前にお茶を飲む手を一緒止め苦い顔をする。
なるほど、あの恐ろしく耳が良くずる賢いミュン族王子が手助けしたわけか。
帰ったらお仕置きだな、とか考えているとは気付かぬリョクエンは遠慮がちに笑う。
「僕の身代わりもちゃんと頼みましたし、本物がここにいることはまだバレてないはずです。」
「ああ、ツバサとかいう影武者君ですか。」
「はい。」
「ホンマ、リョクエン様そっくりやもんなぁ~。ま、エミさんが常についていたなら安心ですわ~。
あの子は特別な訓練を受けた世話係ちゃんやもんね。」
「ええ。騎士団の上級兵や大陸の魔術師よりは強いですね。」
「そうなんですか?」
首を傾げる王子。
「知らないんですか?」
「はい。エミちゃんは、僕のお友達であり姉弟みたいな存在ですから。」
ニコリと、そしてサラリと言ってお茶をすするマイペースな王子に僧侶はまた嬉しげに、
今度は声に出して笑いだした。
タカヒトも、自らの世話係を盾としてではなく友として思う王子の人柄に改めて感服する。
大戦の前だと言うのに、穏やかに三人は話を続けた。