開戦前夜2
同じ頃。
マヒトはエルフのテントでスノーと話込んでいたが、明日もあるので自分の寝床に戻る途中であった。
静かな拠点を惑星ルナが優しく照らす平穏な夜だ。
淡い灯りに気持が軽くなるが、隣にあるアルテミスを見るとマヒトの浮いた気分は深く沈む。
恐らく明日アルテミスは満ち始める。
あの惑星の満ち欠けは早く、満ちた3日後には完全に沈む。つまり新月。
とにかく時間がないのだ。
気持が焦り頭が重くなり始めたマヒトは、森の入口で横たわる丸太に座る美女を見つけた。
砂色のウェーブした髪を背中に流し、憂いをたっぷり注ぎ込んだみたいな碧眼で惑星ルナを見上げていた。
「リセル。」
呼ぶと、彼女はマヒトの姿を見つけ微笑んでみせたが、それでもまだ纏う切なげで悲しそうな空気は薄まらない。
マヒトは近づくと遠慮もなく彼女の真横に腰かける。
僧侶サキョウが掛けた術のおかげで、リセルは特に訝むことはしない。
「眠れないのか?」
「ええ。マヒトは?」
「スノーと少し話をしてた。」
「エルフの隊長さんね。エルフとも仲良しなんて、本当マヒトは不思議な子ね。」
サキョウの術がなければ完全に怪しまれる所だが、マヒトはそういう不思議な人間、
と認識されているらしく話を結ぶ。
微笑しながらマヒトの髪を梳き始めるリセル。
マヒトは生まれてこの方兄としか接して来なかった為、
女性と触れ合うのはまだまだ緊張するらしく体をガチガチにした。
サキには大分慣れたのだが、リセルはサキより年上の大人の女で、
急にドギマギと瞳を泳がせたマヒトを可笑しげに見つめる。
「マヒトが羨ましいわ。」
「な、なんで?」
「特別な力や魅力があるから、隊長のお側にいるのでしょう?勿論それだけじゃないだろうけど、
あの方は身近に他人を置きたがらないのに、小姓を雇うなんて。」
「リセルは副官じゃないか。タカヒトが一番信用してるのはリセルとトキヤだと言ってたぞ?」
「隊長が?」
綺麗な瞳をやや大きくして喜色を見せたが、またすぐ伏せられてしまう。
「どうしたんだ?リセルらしくないな。」
実際の付き合いは3日だが、彼女についてタカヒトから聞いていたマヒトは、
リセルという副官の普段の姿を知っているつもりではいる。
「戦の前だから、ちょっと不安なの。なんだか、嫌な予感がして。」
「聞かせて。」
「漠然とした不安よ。騎士団が負けるとは思ってないのだけど、明日、世界が変わってしまうんじゃないかって。」
柔らかな指で髪が梳かれるのに身を任せていたマヒトも、少しだけ険しい顔になった。
何故なら、その予想は当たっているからだ。
リセルがアルの予言書を知ってるわけがない。
だが、魔剣を使いこなす程の実力者であり、しかも女性だ。
魔導師になる女性はその研ぎ澄まされたものとは別の、
特別な予見能力―俗に言う女の勘―を持つと書物で読んだことがある。
男にはない第六感だ。
「リセルは、そのままでいればいいよ。タカヒトは何も言わないけど、リセルを凄く頼ってるし、
リセルだって、タカヒトの望みを理解して行動できる立派な右腕だ。だから、明日何が起きても正しい判断出来るよ。」
励ますような言葉と、地味なマカボニー色の瞳が強い輝きを向けてくれた気がして、
マヒトの頭を片腕で胸に引き寄せる。
女性しか持ちえないあの柔らかな感触が頬に当たり、マヒトは顔を真っ赤にしたが、
夜であるしリセルからはもちろん見えない。
恥ずかしくて体を離そうとしたが、リセルが鼻をすする気配がしたのですぐ大人しくなる。
リセルは普段鎧などで隠してはいるがかなりの巨乳であるので、戸惑いは消えなかったが、
マヒトは“母親に抱かれるとはこういうことか”と頭の隅で思う。母の温もりなど、マヒトは知らない。
リセルを代用するようで悪いが、その温もりや柔らかさに身を任せる。
するとまた、リセルがマヒトの髪を撫で始めた。
「優しいのね、マヒト。」
「一番適切だと思ったことを言っただけだよ。」
「明日、頑張りましょうね。無理しちゃだめよ。怪我もなるべくしちゃダメ。」
「わかった。」
しばらくそのままくっついていると、通りすがりのタカヒトに見つかった。
自分の副官の胸に顔を埋めてる小姓を見た時は眉をグッと寄せ怒鳴りそうになった騎士団隊長だったが、
二人の悲哀な雰囲気に気付いたのか、早く寝るように告げただけだった。
リセルを見送り、マヒトと連れ立ってテントに向かう。
「タカヒトはいつも何も聞かないね。」
「聞いて欲しいのか。」
「そうじゃないけど。」
「聞かずともいい事柄だってあるだろう。肝心なのは、俺が何をしてやれるかだ。」
斜め後ろをついて歩いていた少年は、頭の後ろで手を組みアルテミスを眺め、そしてタカヒトの首裏を見た。
小さな声でその背中に問う。
「タカヒトは運命を変えてくれる・・・?」
「?何か言ったか。」
「別に・・・。あ、タカヒトのベッドで寝ていい?」
「今更何を・・・既に何度か断りなく侵入してるじゃないか・・・一人じゃ寝れない子供か。」
「だってタカヒトのベッド大きくてフカフカじゃん!隊長の小姓なのに固いベッドなんて、贔屓だ。」
「知るか。」
マヒトの不安をタカヒトは抜け目なく気付いたが、やはり何も聞かなかった。
聞いた所で返事は決まっている。話したいくても、マヒトは口を開けない呪いが掛っている。
そんな少年に、彼はベッドを半分譲ってやることしか出来ないのだ。