首都結界崩壊
タカヒトがバシュデラの長を倒す少し前。
首都ガムールのカウス城南棟にいた護衛隊将軍クサナギは、胸騒ぎを覚えて
外回廊の螺旋階段を駆け足で上がっていた。
足を上げる度、簡易鎧がカチカチ鳴る。
階段を登り終えると石畳の広いベランダに出た。
時折王族のご婦人がお茶会などを開く所に立ち、冷たい手摺に手をつき空を仰ぐ。
嫌な予感がするのだ。
数年前まで騎士団隊長をしていたクサナギは、手厚いマヤーナ神の恩恵を受けていた。
隊長をタカヒトに譲りその恩恵も薄くなったが、完全に消えたわけではない。
頭に、警鐘が響いているような焦燥感。
レファスの空は相変わらず色素が薄い青をしており、そこに浮かぶ惑星ルナの白い姿は今日も変わらず美しい。
隣にある衛星アルテミスは、半分程満ちていて、明日完全に満ちるだろう。
いつも通りの空。
この胸騒ぎは、ユークリア低地で戦をしている騎士団に何かあったからだろうか。
予感を信じ警備体制を強化しようと踵を返した時、クサナギが来たのとは反対回廊に、重臣レイコの姿があった。
ゆっくり近づく彼女は、様子がおかしかった。
手摺に手をつきながら、錘でもついてるかのように重々しく足を運び、腹部に手を宛てながら
背をほとんど半分に折って歩いてくる。
お気に入りの煙管だけは、その手にあるようだ。
クサナギから彼女に近付いた。
間近で見ると、顔は真っ青で額に汗がにじみ髪がくっついてしまっている。
「如何されました、レイコ様。お加減が悪いので?」
「ああ、よかった・・・!」
顔を上げたレイコは、クサナギがそっと差し出した両手を過ぎ、腹部を押さえて無い方の手でグッと腕を掴む。
「将軍。今すぐアタシを殺して下さいまし・・・」
「何を・・・っ!?」
「いえ、殺すだけではダメ。この体を焼き払って!」
「落ち着いて下さいレイコ様。訳を・・・」
膝の力が抜け倒れた彼女を、そっと膝の上で横にさせる。
彼女は、震えていた。
「・・・こんな事になって、陛下はもちろん、ミヤコ様に申し訳ない・・・。」
「何があったのです?」
「この身に降りかかった運命を呪います・・・。全ては私の意思ではないと信じて下さいな。」
「信じておりますとも。」
「気高き騎士様にお会い出来て心からマヤーナに感謝しましょう。でも、神は残酷なことを致しました。」
別人のように丁寧な喋り方をするレイコは、熱病に侵されてるかのようで意識は上の空。
出てくるのは、謝罪の言葉ばかりで肝心な中身が出てこない。
「お話下さいレイコ様。何か解決策があるはずです。」
「いいえ、これは起こるべくして起きているのです。アルの予言書の抗力は凄まじいとありました。」
「予言書?」
「私は、書庫でそれを見つけました。誰にも見付からぬ術が掛っていたのに、私はそれを手にしたのです。
・・・ああ、本当に恐ろしい!そこにはレイエファンスの終焉が記されていたのですよ!」
この世に、特に大陸には予言書やインチキ予言者が山ほどいる。
どれもこれも信憑性は無く、民衆の一時的な話の種にしかならない娯楽だ。
王族信仰が厚いレファス人はその手の予言を信じない。
にも関わらず、腕の中の女性は顔を白くしてまで、見えぬ何かに脅え震えている。
クサナギは慎重に問う。
「予言書は、この世に五万とありますが、そのアルの予言書とやらは違うのですか?」
「王族方の書庫ですのよ!?偽物は絶対交じりえません。それに・・・・・・、実際起きた事が記され、
この身もまた体言者にさせられたのです。」
「私はマヤーナの加護が強いのです。きっとその恐ろしい力を振り払ってみせましょう。ですから、仰って下さい。」
「そうでしたわ!貴方は騎士団隊長でいらした!ならば私の中にいる悪魔を退治出来るはず!
さあ、早く私ごと焼き払って下さい!悪魔は私を隠れ簑にしただけでは飽き足らず、
ガムールの結界を破るつもりなのです!」
その時だった。
抱きかかえているレイコ女史の腹部が赤く光りだした。
光は強くなる一方で、女史は苦痛に悲鳴を上げる。
クサナギは咄嗟に彼女の周りに魔法の一切を拒絶する結界を張ったが、一秒も持たず砕かれた。
「レイコ様!」
彼女の上半身が浮かび上がる。
肩を必死に押さえつけるが、白い肩はビクリともしない。
次の瞬間、首を後ろに反り、大きく上げた口から赤黒い閃光が空に向かい放出された。
凄まじい絶叫と、雑音が空に登る。
黒い閃光は、ガムール一体を覆う結界にぶつかると、透明である結界にヒビが入り、やがて結界を砕いてしまった。
「そんな!?」
閃光を吐ききり、レイコの体から謎の力が消え、落ちる体を受け止める。
気絶していたが、息はあるようだ。
再度空を見上げる。
視認出来るようになった結界の破片がパラパラと街に降り注ぎ、少し目を離した間に分厚い雲が空を覆っていた。
惑星ルナの明かりが届かず、昼間なのに薄暗い。
「どうなっているんだ・・・。」
唖然としたまま、レイコ女史の顔を見下ろす。
アルの予言書とやらは、稀に見る本物だったということか。
首都の結界崩壊など、あり得ない話なのだが・・・。
城下街が騒がしくなってきた。
今は予言書の事は脇に置いて、現状把握と陛下の警護をしなければならない。
結界が無い今、ガムールは危険に身を晒している。
眠るレイコの体を抱き上げ、クサナギは来た道を戻っていった。
クサナギは目にしなかったが、分厚い雲があるに関わらず衛星アルテミスの姿がくっきり空に浮かびあがった。
半分満ちたその星は、赤く染まっていた。