聖堂の巫女
タカヒトがリョクエンを探しているのと同じ頃。
カウス城の真横に建つ聖堂館に松葉色外套を纏った影が横切った。
僧侶達は全て出払っているようで、一番広く一番豪華な作りの堂にすら人はいない。
フードを払った少年―マヒトはマヤーナ像の脇を通り過ぎ、神台の裏にある小さな扉を開ける。
光が当たる堂でさえ薄暗いので、扉の奥は闇だった。
闇が更に暗くなる下部へ誘うように、下へ伸びる階段がある。
マヒトは迷いなく階段を下りだす。
完全な闇の中で、自分の外套だけがぼんやり浮かび上がる。
階段の途中で、体が膜のようなものを破った感触があり、闇の中に一瞬青白い電気が走る。
「結界か。いい術式だが、俺には効かないな・・・。」
自嘲気味の呟きを漏らし更に下を目指す。緩やかにカーブする階段の先が、ほんのり明るくなってきた。
水色の光が徐々に強くなり、階段は終わり、石の地面にたどり着いた。
そこは、地下に出来た洞窟のようであった。
回りは石の壁で包まれ、非常に薄暗い。
緑に近い黒い石は地肌が滑らかで水分を含んで僅かな明かりを反射している。
地面の向こうに、湖があった。
マヒトが立つ石の陸地は僅かしかなく、横幅は大人7人も並べればいい方で、三歩前に進めば水に靴が触れる。
そして、湖の中央に白い服を纏った少女が、水面に立っていた。
湖の深さはわからないが、水に足は全く沈んでいない。
少女の体は緑を含む白い光に包まれていた。この地下空間が仄かに明るいのも、少女自身から光を発しているからだ。
水面が微かにゆれ、波の輪がマヒトの足元まで届いた。
瞳をゆっくり開けた少女の目は、真っ白であった。
「ルナとレイエファンスを繋ぐ者。ヘミフィアの使者。そして制定者。」
「その通りだよ。」
少女の可愛らし声が空間に響くが、声に感情は恐ろしい程に乗っていなかった。
「城の結界に助力してる最中に邪魔してすまない。」
「平気。」
「さすがサキョウの妹・・・いや、レファスの巫女様だ。」
「無愛想な話し方でごめんなさい。今、意識を切り取って大僧正様の体力回復に全力を注いでいるの。」
「気にしないよ。でも会話出来るなら、話をしてもいいよね。」
「もちろん。」
マヒトは急に顔を引き締め大人びた表情になり、ジッと巫女を見た。
「アルの予言書、知ってるよね。」
「ええ。」
「あれは、一瞬だけ未来を視る事をヘミフィアから許された神が、アルという農民に授けた絶対的な未来を示していたはずだ。なのに、此処にいてそごが生じている。バシュデラの撤退、首都崩壊、竜を解放するのも堕とし子ではなかったはずだ。」
「あの予言書は300年前に書かれた物。未来は常に変わります。それに、理由なら貴方も分かってるんじゃないですか?」
淡白な声は相変わらずだが、語尾は少し笑っているような気がして、マヒトは引き締めた表情の力を抜き瞳を伏せた。
「やはり、そうなのか・・・」
「ヘミフィアの欠片を持つ者は、ヘミフィアでさえ不可侵。予言書を平気で無視出来ましょう。」
「欠片を持つ者は、二人いる。」
「一人じゃないのは当然です。その為に貴方がいるのですよ、制定者。」
「・・・」
虚ろな瞳をしている少女だが、マヒトが悲しげに眉を歪めたのを見たからか、水面をすーっと滑るように移動し、マヒトの前で止まる。
体を水面から浮かせ、視線、というより顔の高さを合わせた。
「お名前を。」
「マヒト。」
「私はミドリ。マヒト、貴方、悲しいのですね。」
白く灯る少女に言われ、マヒトはまた俯く。
「ヘミフィアは、俺の寿命を捨てたくせに、感情は奪わなかった・・・。制定する瞬間は俺の意思などないのだから、感情も消してくれれば良かったんだ・・・。」
「それでも貴方は、選択せねばなりません。」
「分かってる。」
「苦しいのですか?」
「苦しい。それに痛い。愛する人達と別れたくなんてなかった・・・。さよならなんて、言いたくなかったんだ・・・。でも、俺は・・・。」
「大陸の王より預かりし神器をだして下さい。」
重要な案件を思い出したマヒトは顔を上げた。
此処に来たのも、それが目的であったのに、つまらぬ話をしてしまった。
マヒトは右手の平を上に向け胸の高さに持ち上げると、何も無かったそこに銀色のロットが現れた。
長さ50cm程で、上部が丸くなり細かい装飾が施されている。
ミドリを見つめながら説明する。
「ギルデガン王に代々口頭のみで伝えられた予言の一部に、“アルテミスが赤く染まりし時、神の使いであった竜に授けられた神器に巫女の祝福を授けよ”とある。だから持ってきた。頼めるか。」
「喜んで。」
白く光る腕を持ち上げた巫女は、そっとロットを撫でながら小さく祝詞を呟く。
すると、ロットの先端に埋まっていた赤い石が水色に近い青に色を変え、更に輝き出した。
「これで神器は使えるようになりました。適合者たるレガリアの主に渡して下さい。」
「ああ。ありがとう。」
ロットを縦にすると、マヒトの手からロットは消え、異空間に保管された。
「世界は、終わるのかな。」
「終りません。」
「レガリアを持っていても、ヘミフィアが受け入れなかったら―。」
「レファスの転機が訪れただけ。制定者マヒト、かつて神の味方をした火竜の末裔が守ってきた神器が貴方の手にあるのも、制定者である貴方に大切な人間が出来たのも、未来への礎。未来とは、現在ある選択の先にある――と、お兄ちゃんが言ってました。」
「サキョウも良いこと言うな。」
巫女が初めて笑顔を見せた。
可愛らしい笑顔を向けられ、マヒトもやっと表情を和らげた。
「不安で、怖くてたまらなかった。君と話せて良かったよ。」
「私もです。事態が落ち着いたら、またゆっくりお会いしましょう。この“目”ではないときに。」
「それは―」
「出来ます。必ずまた会えます。巫女の勘は当たるのですよ。」
微笑み返したマヒトは頭を下げ、来た道を登りだした。