久方ぶりの自室にて、
夜が来た。
惑星ルナの明かりがない夜はとても暗く、城中に無数の松明が灯る。
夜になると、空にあるアルテミスの不気味さは一層際立った。
庭園にて配給を受け夕食をとる人々もあの赤い星を気味悪がったが、レファス人の血か、腹が満たされると陽気に喋る声がそこかしこで溢れ、港街のように賑やかで騒がしくなった。
夜間警備の視察やその他諸々の指示をしていたタカヒトだが、明日に備え休むようリセルに勧められ、騎士団宿舎の自室に戻った。
ずっと鎧姿だった為、使者に鎧の手入れをさせている間シャワーを浴びた。
汗の匂いが消えすっきりとした気分で部屋に戻ると、ベランダへ出る窓が開いていた。
鍵はいつも開けてある。いつ特定の客人がきてもいいように。
「マヒト!?いるのか!」
明かりを灯していない真っ暗な部屋に呼び掛ける。
すると、食器棚の奥から影がこちらに近づいてきた。
光の魔法を呟き、丸いガラスの入れ物に光源を仕舞いテーブルに置いた。
部屋を照らすには不十分で、ろうそくより弱い光だが、影から出てきた人物の表情を浮かび上がらせるには十分。
外套をまとった少年は、今にも泣き出しそうな顔でそこに立っていた。
「迷子になった子供みたいだな。」
「・・・。」
「俺の記憶も消しに来たのか。」
マヒトの肩が強く反応した。
夕食時、食事配給の仕事をしていたサキを見掛け話した時に、違和感に気付いたのだ。
サキはマヒトの事を忘れていた。
「悪いが、お前の力がいくら特殊でも、マヤーナの加護がある俺の記憶野はいじれない。第一、大人しく忘れてやるつもりもない。アキトにもスノーにもお前を任されている。」
「・・・。」
「突っ立ってないで、座れ」
タカヒトがソファーに座ると、マヒトも大人しく向かいのソファーにちょこんと腰かけた。
「飯は食ったのか?ピレーモは無理だが、何か持ってきてやる。」
「いい。大丈夫。」
「そうか・・・。」
「さよならって言ったのに、なんでか、此処に来ちゃった・・・。」
独り言のようにもらすマヒトは、声に覇気が無かった。
とても弱々しい。
「他に居れるとこ無かったし、」
「好きに使えばいい。」
「城内は人がいっぱいで、」
「マヒト、」
「俺、姿見られるわけにはいかないから、それで、」
「マヒト。」
「・・・。」
「俺の前で無理する必要、あるのか?」
顔を上げたマヒトの顔には、驚愕と、切なさと、親愛と、色々なものが混ざり合う。
「雨海亭で初めて会った時言ったな、名前が似てると。俺はもうお前の兄の気でいるんだがな。」
「タカ、ヒト・・・。」
ついにマヒトは泣き出した。
顔を伏せ、握った外套の上に涙の染みが出来ていく。
「悪かったな。初めの頃質問責めにした。お前、言えない重役を担ってるんだろ。」
「うん・・・。」
「明日、事が起きるのか。」
「うん。」
「そうか。」
立ち上がったタカヒトはマヒトの隣に移動して頭に手を乗せて荒く撫でてやる。
サキは強い子だった。自分が怒られても怪我をしても泣かなかったが、他人の死など、どうにもならない出来事が訪れると、悔しがって泣き出すことがよくあった。
今のマヒトはその時と似ている。
「サキの事・・・ごめん。だけど、これから起ること次第では、俺の事を知ってると迷惑かかるから。」
「謝らなくていい。サキのためにやったことを何故責めらる。」
「サキ、大好きだった・・・忘れてほしくなんて・・・」
「俺が覚えてる。サキも必ず思い出す。」
「・・・」
「今夜は何もしないでいいのだろ?」
「うん。」
「なら、朝まで何も考えず休め。俺もそうする。」
「タカヒト。」
「何だ。」
「ありがとう。」
また涙が止まらなくなったマヒトの頭を撫で続けながら、タカヒトはスノーが言った言葉を思い出す。
“あの子を失いたくない―”
つまり、マヒトは明日命の危険が及ぶような事をするつもりなのか。
まだ子供であるこの子に、ヘミフィアとやらは何をさせようというのだ・・・。
考えるのを止めて、タカヒトは瞳を閉じた。
翌朝。
目を覚ますと、マヒトの姿は無くなっていた。
気配すら感じないのはやはり問題だな、と彼も起き出し着替え始めた。