黒竜と白竜
地面が、縦に突き上げるように強く揺れた。
ヘミフィアが真白に発光し、タカヒトは目がくらんだ。
瞼を開けた時、リョクエンの体はマヒトと同じ高さまで浮遊していた。
次に、マヒトの体の内部から、剣が姿を表した。
タカヒトからは遠くてよく見えないが、装飾の施された立派な剣。
「さあ、新たな世界の王よ。そなたの守護神を呼び、レイエファンスに漂う悪しき空気を一掃せよ。」
剣はマヒトの前から、リョクエンに移動し、リョクエンは柄を握り、切っ先を真上にして高く掲げた。
「我が名はリョクエン・アインザーク・タウ・セレノア!古き血の契約の元、我が声に応え姿を現せ!」
タカヒトの巨体が押し出される程の強い風が吹いて、腕で顔を守る。
顔を上げた時、そこは地下ではなく、カウス城の屋上だった。
ヘミフィアとマヒトの姿はないが、リョクエンは宙に浮かび剣を掲げたままである。
今、リョクエンの体からは、緑色のオーラが吹き荒れ漂っている。
視界に、白いものが入った。
分厚い雲の向こうから白い生き物がこちらに向かってくる。
徐々に近づくそれは、白馬―――いや、伝説の生物ユニコーンであった。
セレノアの紋章にもなっている一角獣は、背中の羽を優雅になびかせやってくると、リョクエンの前で止まり頭を垂れる。
リョクエンが剣の切っ先を斜めに傾け、分厚い雲を差した。
するとユニコーンはリョクエンが差す方向に飛び、羽を大きく羽ばたかせ、高く鳴いた。
全身から白いオーラを噴射させると、城下や空にいた悪魔が消え、分厚い雲が瞬く間に晴れた。
一瞬で、色素の薄いレファスの空が姿を現したのだ。
白く美しい惑星ルナも、新月のアルテミスも確かにある。
ユニコーンは仕事を終えると、リョクエンに再び頭を下げてから、何処かへ飛び去ってしまった。
ユニコーンが消えると、リョクエンは空中で意識を失い、ゆっくりと落下。
タカヒトが受け止めた時には、緑色のオーラも息を潜めていた。
若き王を地面に寝かせていたら、頭に声が響いた。
『レガリアを持つ者。何故王を望まなかった。望めば、簡単に願いは叶った。』
マヒトの声を借りるヘミフィアからの問いに、立ち上がりながら答える。
「王位など興味はないし、王はリョクエン様を差し置いて他にいない。俺は王に使える剣でいい。」
『そなたの望みを叶えるのには、対価がいる。』
生物の鳴き声が何処かから聞こえた。
全身の毛が逆立ちそうな、警戒心が嫌でも働く、淀んだ雄叫び。
地平線の上に、黒いものが見えた。
かつて、地上を焼き払い神々を困らせた竜。その中でも最凶最悪の黒竜が、真っ直ぐこちらに向かってくる。
タカヒトは、腰から抜いた大剣を構える。
「マヒトを返してくれるんだろうな。」
『我の使いに、選択より先の未来は無かった。道を作るためには、そなたは今より、レイエファンスの剣とならなければならぬ。悠久の時を、我が再び目覚めるまで、セレノアの為に捧げるのだ。親しき者と別れなければならぬ、もう人間ではいられぬ。』
「なんだっていい。あいつが生きていけるなら・・・。まずは、あの竜を倒す力が欲しい。俺が払えるものなら、何でも持っていけ。」
『契約は成立した。』
ロングソードの刃が白く発光し、光はオーラとなり剣の周りで波打つようにうねる。
「白竜の力か・・・。黒竜相手にはもってこいだな。」
剣に宿りだんだんと強くなる白竜の力を、必死で自分の魔力と融合させる。
神の力と同等である竜の魔力を、人間が維持するのは至難の技。
気を高めながら、真っ直ぐと近づく黒竜を見つめる。
次第に、竜の全貌が明らかになってきた。
闇のように黒いウロコまみれの体に、赤く光る眸。広げられた翼は、首都ガムールを半分覆い隠してしまいそうだ。
まだ距離はあるというのに、凄まじいプレッシャーに汗がドッと吹き出してくる。
肌がピリピリと痛み、頭上から巨大な手で体を押し潰されようとしてるみたいだ。
息を細く吐き出し、腰を落とし剣を真横に構えた。黒竜は、ガムールの城壁を越えた。
真っ先に炎でも吐かれたら終わる間合いまで迫っても、タカヒトはギリギリの距離を見極める。
全身に緊張が走る。
最愛の家族が、脳裏を霞めた。
ただ隣に住んでいただけなのに、血の繋がらぬ自分を引き取り、家族として迎えてくれた。
温かな家族。
そして―――。
竜が目先の相手に威嚇の咆哮を浴びせ、スピードを緩めず突っ込んできた。
羽ばたきで城全体が揺らぐ。
黒竜の鼻先が僧侶の防壁に当たり、半透明のそれが砕けたと同時。
タカヒトは渾身の力で剣を横凪に一閃。
可視化した白竜の力は半月のような形で吹き飛び、黒竜の前足から腹部を切り裂いた。
雄叫びではなく、今度は悲鳴で城が揺らぐ。
白いオーラは黒竜にまとわりつき、肢体を締め付けているようで、首を左右に揺らし必死に抵抗をする。
暴れる羽が建物や城門を壊していく。
力を根こそぎ持っていかれ、脱力し膝をついていたタカヒトが顔を上げた。
その目は、ヘミフィアと同じ水色に染まっている。
「これ以上壊すんじゃない、黒トカゲめ・・・っ!」
無理矢理立ち上がるタカヒトの回りに、青白いオーラが吹き出し、空へ空へと伸びていく。
再度構えた剣には、青白い光が蓄えられて、再び眩く発光した。
「レイエファンスの人間に牙を向くなら、俺が痛めつけると覚えておけ!俺はレイエファンスの盾であり、剣だ!!」
頭上に振り上げた剣を、勢い良く袈裟切りにすると、青白いオーラが飛び、竜の体を斜めに斬りつけた。
鮮血が大量に流れ、一際悲痛な叫びがレイエファンスの空に木霊した。
翼をはためかせた黒竜は、あっさりとタカヒトに背を向けると、地平線の向こうに飛び去った。
黒竜は、巣に戻ったのだ。
レイエファンスに平穏が帰ってきた。
タカヒトの体は後ろに倒れ、意識を手放した。
どのぐらいの時が経ったのか。
顔に冷たいものが当たり、流れる感触で重たい瞼を開けると、泣き顔が映り込んできた。
「なにを、泣いているんだ、マヒト・・・。」
タカヒトの頭を抱えて泣くマヒトの涙が、地面に落ちてゆくのを見て、瞳を辺りに巡らせる。
見たことのある甃の壁は、地下深くでヘミフィアと会った部屋だ。
だが、崩壊した壁や天井から、眩い光が指している。
大きく開いた天井の穴からは、惑星ルナまで見える。
「どうなっている・・・地下では、ないのか。」
返ってくるのはすすり泣きの声ばかり、再度マヒトを見上げると、その背後にヘミフィアの一部が見えた。
その姿は、静かなものだった。
もう水色に光ってはいない灰色の巨大石だ。
沈黙し、深い眠りについたのだと、タカヒトは思った。
「泣くな。全て終わったのだ。」
「・・・うう・・・、だって、タカヒト・・・人じゃなくなってる・・・。」
「お前が生きてるならそれでいい。」
「よくない!俺のせいで、タカヒトの運命を変えてしまった・・・」
「俺自身が決めた事だ。」
「いいの・・・?タカヒトの時間ほぼ止まってる。家族と一緒にはいれなくなる。」
「構わない。この国が、この空が平穏ならな。」
色素が薄い綺麗な空に浮かぶ、白い惑星ルナ。
まるで地上で何も起こっていなかったかのように、穏やかに、そして悠々と空に佇んでいた。