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二、盗賊の頭


今宵の杯に月はなしか。
窓から差し込む月を酒の水面に映しながら飲むのが楽しみだったが、新月ならば仕方がないと、男は残念そうに徳利を煽る。
大きな窓があるだけの狭いその部屋は彼しかおらず、酒とつまみが乗った盆があるだけだ。
雨で腐食気味の黒い木造小屋の一室で、静かに酒をあおっていた。
遠くからは酔っ払いの笑い声や怒号が僅かに響くが、不快な程大きくない。
できれば凪いだ水面のように静かな夜が酒の友ならありがたいが、この村でそれは高望みのし過ぎだろう。
自分で酒をお酌し、何も移さぬ酒を口に含んだとき、彼の穏やかな時間を力一杯開いた戸と現れた小汚い小男が邪魔をした。


「大変です親分!」
「お前は戸をまた壊す気が。」
「ボロい戸なら何度だって直しますから!急いで来てくだせぇ!奇襲でさぁ。仲間が次々やられてます。」
「豊がいるだろ。」
「蘭の姉さんつれてどっか行っちまいました。」


長く重いため息を吐いて、男は名残惜しげに窓から離れ晩酌を楽しむ個室を出た。
大広間に続く外廊下を歩きながら、親分の後を追う小男が続ける。


「たった一人なんですが、えりゃー強くて。助六も瞬殺でさぁ。つっても、あの小娘命はとらねぇみてぇだが。」
「小娘だと?」


歩きながら向けられた親分の鋭い睨みに、小男はさらに身を縮ませこれ以上ないほど肩を内側にたたむ。


「小娘一人に手こずって俺を呼んだのか。役立たずどもめが。」
「親分もごらんになればわかりますって!ただの小娘じゃないんですからぁ!」


半泣きに近い情けない声で訴える手下をそれ以上構ってられなくなり、彼は歩みを早めた。
外廊下と広間の戸を開ける。
普段なら道場のように広い板間に部下達が安い酒を交わし下らない話を魚に大盛り上がりしているのだが
誰もが静かに床に眠っていた。
無造作に転がった男達の間に、刀を持った黒髪の少女が立っていた。
この汚い拠点には似合わぬ美しさを携えた顔立ちに、立ち姿もまた凜々しかった。
親分は倒された部下達に外傷がないことを確認すると、袖の間を合わせながら少女に数歩だけ近づいた。
そうしないと声が届かぬほど離れていたからだ。
親分が口を開く前に、少女が先手を取った。


「貴方が盗賊の頭?」
「そうだ。」
「不思議な目をしているのね。右が赤で左が緑だなんて。」
「お前も黒曜石みたいな目をしてるじゃないか。ずいぶん高価な石を埋め込んでやがる。」


少女から怒りも血の騒ぎも感じなかった。
これだけの男共を倒したあとだというのに、ずいぶん冷静なものだ。
頭は広間の段差に腰を下ろした。
この広間、元々はちょっとした舞殿であったので、僅かに床が高いだけの舞台があるのだ。


「俺たち“黒金”に恨みを晴らしに来たってわけじゃなさそうだな。」
「頭である貴方に話を聞きに来たのよ。なのにこの人達いきなり襲いかかってきて。」
「そりゃそうだ。若い娘がオオカミの群れに無防備にやってきちゃ、仕方がない。」
「部下の恨みはきっちり返す、って感じではないのね。」
「当たり前だ。弱いこいつらが悪い。だが、その獲物でこいつらを殺さなかった礼をしておこう。聞きたいこととはなんだ。」
『盗賊の頭のくせに良心的すぎじゃない?』


少女とは別の声に頭の目が鋭く辺りを観察するも、人影も気配もない。
聞き間違いというわけでもあるまい、とゆだんなく広間を見渡していると、少女の持っている刀がいきなり光だし、勝手に少女の手から離れると
美しい顔の青年がそこに現れた。
頭をここまで連れてきた小男は、現実とは思えぬ出来事に泡を吹いてその場に倒れた。


「へぇー。僕が出現しても驚かないなんて。さすが盗賊の頭やってるだけあるね。」
「小娘、お前鬼斬りだったのか。」
「知ってるの。」
「知り合いに一人鬼斬りがいてな。そいつも鬼と契約して鬼妖を従えていた。刀じゃなく錫杖だったが。」
「沙希は元々女剣士だったからね。刀になったんだ。」
「斗紀弥、無駄話はいい。」
「無駄とは何さ-。」


口を尖らせる青年の前に出て、沙希という名の少女が悪名高き盗賊の頭と対峙する。
悪名といっても、盗賊“黒金”は農民を苦しめる貴族やあくどい商人ばかりを狙う義賊だ。
悪事に手を染めている権力者の屋敷を襲い、貧しい農民達に金をバラまいているときく。
ただその手法は手荒く、野蛮な男達も集まっているので評判はあまりよくはない。
誰も近づきたがらないが、嫌われてはいない。
そんな盗賊をまとめているのだからもっと厳つい大男かと想像していたが
黒髪のきれいな顔をした若い男とは驚きだ。
しかも左右で色の違う珍しい目をしている。
右と左で、なぜか受ける印象が違う男に、沙希は問う。


「桜ノ宮をどうしたら殺せるか知っているか。」




 

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