四、銀の娘
「桜ノ宮なんてお伽話のお姫様だろ。殺す前に存在しない。」
「あれは空想じゃなく、確固たる歴史の切り取られた一部。桜姫は存在し、今も宮処に守られている。」
黒金の頭は用心深く下から少女を観察する。
黒曜石と例えた漆黒の双眸に宿る鋭い刃は、夢物語を信じてやってきたという訳ではないことを物語っている。
合わせていた袖から手を出して、胸の前で組む。
「桜姫がいるとして、何故俺が知っていると思う?俺はただの盗賊だ。」
「桜ノ宮と言って桜姫と解釈した。それが証拠。」
「・・・。」
「桜姫は現在桜ノ宮という宮処最高位に置かれている事実は、一般人どころか貴族すら知らない。知ってるとすれば、宮処の地位の高い人物だけ。」
「じゃあお前は何故知っている。」
「桜ノ宮を殺すから。」
「理由になっていない。」
「いやいや~。立派な理由じゃないのさ~。」
頭のものではない暢気な声に沙希と斗紀弥が身構える。
広間の沙希が入ってきた入り口に、燃える焔よりも鮮明に赤い髪をした男と、月のように美しい銀の髪をした幼い少女が立っていた。
赤髪の男は左目に眼帯をしており、口元はだらしなく緩んでいる。
一方桃色の振り袖を着た銀髪の少女は、沙希以上に表情がなく、無数の男達が突っ伏して倒れている異常な光景におびえている様子は一切なかった。
「蘭と夜のお散歩行って戻ってみたら、随分面白いことになってるじゃないの~。」
「豊・・・また勝手に出歩いて。用心棒の意味がないだろうが。」
「こいつらもたまには負けといたほうがいいって。上には上がいるとわかったところで、真面目に稽古に励むだろうさ。」
桃色振袖少女の手を引いて、豊と呼ばれた赤髪は倒れる仲間の間を縫って二人に近づく。
途中で少女は豊の手を離し、沙希の横を簡単に通り過ぎ頭の首に抱きついた。
座る頭の膝に、さも当然の如くちょこんとお座りをする。
頭の子供だろうかと考えた沙希の思考を呼んだように、頭が否定する。
「蘭は予言者だ。」
「巫女?」
「それよりもっと神聖で的確だ。ある日突然現れ、俺のために未来を読むと宣言してから懐かれた。」
「幼女趣味のお前さんにはちょうどよかったじゃねぇか~。」
「黙れ火蜥蜴・・・。そんな趣味はない。」
「蜥蜴じゃねぇってば!」
頭が赤髪を殺意のこもった目で睨むが、床かは全く怯む様子もなく、相変わらず緩んだ顔をして、頭の隣に立つ。
「で、こんな可愛い鬼斬りさんの質問に答えてやらないの?」
「俺は何も知らない。」
「嘘。貴方が宮処のどこかと関わってるって話を聞いたわ。」
「誰からだ。」
「青鷺の尾身って男。」
「あの口軽情報屋め・・・!」
「ハッハ。青髪の知り合いと言えど金さえ積まれれば情報は売るってか。思ってたよりしたたかで太い奴じゃないか。」
口端をゆがめ苦い顔をした頭だったが、蘭という名の少女が不思議そうに顔を覗き込んでいるのに気づき、表情を引き締める。
数秒沙希の顔を眺めていたが、蘭を腕に抱えながらすっと立ち上がる。
「ここじゃ狸寝入りして話を聞いてる輩がいるとも限らない。場所を移す。豊はこいつら起こして見晴らせとけ。」
「えー。寝かしておけばいいじゃん。」
「鬼妖憑きに加え重要な単語を話し過ぎた。時期集まってくる。」
頭の言葉に、豊はいきなり表情を硬くし真面目な顔つきになると、わかったよ、とうなずいた。
沙希と、ずっとおとなしくしていた斗紀弥が連れて行かれたのは、煉央村の外れにある小さな小屋だった。
真四角の居間に庵があり、格子が挟まった窓からは通りの明かりが僅かに届く。
頭は庵に火をくべることはせず、火を灯した蝋燭を一本おいただけだった。
月明かりがない夜に頼りなさ過ぎる光源であったが、話をするだけなので何の問題もないと沙希は頭の合い向かいのござに腰を下ろした。
相変わらず蘭という少女は頭の膝に乗っている。
「先に断っておくが、俺も桜ノ宮がどこにいるかなんて正確な場所を把握してないし、詳しい話も知らない。」
「それでもいい。知ってることを教えて。」
「なら話をする前にいくつか答えろ。それが話す条件だ。」
「わかった。」
「桜ノ宮を殺したい理由はなんだ。」
直接的な質問と、鋭い色違いの視線を真っ向から受ける沙希の眸もまた、力強くどこか威圧的であった。
庵の近くではなく、出入り口の近くに寄りかかって立っている斗紀弥は、沙希の眼力に劣らない迫力を持つ人間に会うのは珍しいと関心していた。
「それは私が鬼斬りだから。」
「やはり理由になっていない。鬼斬りは鬼ではない。桜姫にこだわる理由はなんだ。お前の鬼が望んでいるのか。」
「僕じゃないさ。沙希の願望。僕はそれを手伝ってるだけ。」
手を広げやれやれとあきれたように首を左右に振る斗紀弥を一瞥してから、沙希に視線を戻す。
「鬼は遺伝子の中に人間への断続的な恨みを持っていると聞く。鬼を常世と現世の狭間に閉じ込めた三兄弟への復讐心が
事の発端である桜姫に転換されたとすれば納得もいく。
だがそもそも、神聖な桜姫に鬼は触れることすらできない。鬼妖を宿すお前では殺せない。」
「それでも殺さなきゃならない。」
「理由を言え。」
「その人が、鬼だからよ。」
小さくも澄み渡った、可憐な声がした。
それは頭の右膝にちょこんと座る少女の初めて聞いた声であった。
ずっと頭の横でおとなしくしていた少女だが、沙希が気づかぬうちに、射貫くような目を向けてきていた。
沙希の奥にある、本人すら封印してしまった何かまでのぞき込まれているような不快感で体が汗ばんだ。
銀の髪の下にある色素の薄い眸が、白濁の夢から真実を引き釣りだそうとしている。
「予言者というより、予見者なの?」
「蘭は過去も見る。」
少女の薄く小さな唇が動くのを、沙希は少しおびえた気持ちで身構えた。
あんな小さな少女なのに、今は闇よりも鬼よりも怖く感じた。
目に見えぬ不安、いや見通されているという恥じらいと直面して恐怖しているのだ。
「あなた、血の中に鬼が混じっている。」
「混血か?」
「人間の部分は半分の半分よ。祖母が人間で、祖父も両親も人型鬼妖。」
「人型?」
「鬼憑きの鬼斬りのこと。鬼を斬っただけじゃなく、斬った鬼と契約して従わせることは知ってるでしょ?
その人間を鬼と妖怪の組み合わせって意味で鬼妖だなんて呼び方しているって話があるけど、あれは本当。
長い間契約状態で憑かれていると、鬼と人間の魂が絡まり過ぎて体にまで異変が出てくる。
血の中に鬼が入ってきて、本当に鬼妖になってしまう。」
「つまり、鬼が遺伝し的に持っている人間、もしくは桜姫への恨みを持っていると?」
「持ってないわ。私意識は人間のままだもの。」
要領を得ない沙希の物言いに頭も苛立ってきた。
これは理由を話さないつもりで交わしているのだろうか。
「理由を話さぬなら俺も情報はわたさんぞ。」
「桜ノ宮を殺す宿命なの。」
「真面目に答えろ。」
「至って真面目よ。昔、桜ノ宮に会ったの。そして鬼妖になったら殺しに来ると宣言した。」
頭が重くなってきた気がして、眉間を指でもみほぐす。
強い意志を持った真っ当な少女かと思いきや、思い込みを信じている妄信者だったとは。
久々に失望に全身にどっと疲労が走る。
と、頭の頬に冷たい感触が当たる。蘭の小さな手だ。
「彼女が言ってることは本当よ。」
「まさか、あり得ない。結界が部外者を入れるわけない。」
「宮様が自ら外に出たなら可能よ。今の宮様は史上最強。宮処の結界など簡単にする抜けてしまうでしょう。」
「一ノ宮が許すわけない。桜姫は一ノ宮の言いつけを破ったりしないはずだ。」
「御神木の導きが働いたのよ。桜姫のお姿がその始まり。」
「・・・なら、運命は一体どこへ向かっているというのだ、蘭。」
「それはー」
爆発音と、無数の悲鳴が聞こえたのはほぼ同時だった。
沙希と頭が同時に立ち上がり、斗紀弥が戸口を開けた。
そこから、村のどこかから上る煙と、高く上がった焔が見えた。
蘭が頭の着物にしがみつく。
「白拍子が来たわ。」
「集まった鬼を狩りに来たか。鬼斬りの娘、お前は裏口から山にー・・・おいっ、待て!駄目だ!」
頭の制止も聞かず、沙希は小屋から飛び出し、刀に変化した斗紀弥を左手に火の手の方へ走って消えてしまった。