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五、三ノ宮

三ノ宮・桜栄家に仕える女中の一人、桃那は廊下を走っていた。
これを女中頭に見つかればはしたないだのうるさいだの品がないだのと、ガミガミ文句を言われてしまうが、そんなこと構っている場合ではない。
社殿の周り廊下を辿り、渡り橋、本殿の脇を通り、やっと目的の部屋にたどり着く。


「若葉様!一ノ宮様がお見えになりました!急ぎお支度を・・・て、あれ。」


羽織の襟口を乱しながら部屋を覗いた桃那が見たのは、柳の襲の狩衣を守った主人が机の前で筆を取っている姿だった。


「髪も服も乱れているぞ。」
「す、すみません!もうお支度、お済みだったとは。」


走ってすでに赤い頬をさらに赤くして、桃那は慌てて髪を押さえ、羽織の佇まいを直す。
改めて主の部屋に入り、側に座る。


「お珍しい。若葉様が邸にいらっしゃるだけでも稀だというのに。」
「一宮が来る気がしてた。奴はどこに通した。」
「常磐殿でございます。」
「そうか、藤が咲いた頃合いか。」
「もう散り始めでございますよ、若葉様。」


巻物を戻し立ち上がった主に続いて部屋を出た。
赤い柱の渡殿を通り、母屋を抜け西にある常磐殿へ。
饗宴や管絃を催す広庇の几帳の向こうに、青い髪をした狩衣姿の体格のいい男性がそこから見える庭の藤を熱心に眺めていた。
待ち人の到着に、客人は顔をこちらにむけた。
青い髪よりも鮮やかな青い瞳の鋭さに、桃那はいつも怖じ気付いてしまうのだが、
その客人が善人であるとよく知っているので、怖くはない。
几帳の手前で桃那はお辞儀をして踵を返し、主は客人の前に腰を下ろした。


「早かったな。てっきり支度が済むまで待たされるものと。」
「桃那にも驚かれた。お前がくる予感がしていた。」
「相変わらず勘がいい。」


客人・・・一ノ宮は女官が用意いたであろう盆から月見草が描かれた杯を持ち上げ、注がれた中身を口に運ぶ。
彼のことだ、中身は酒ではないのだろう。
一応持てなす側なので、空になった杯をまた満たしながら、まずは当たり障りのない話から始めた。


「宮様の様子はどうだ。」
「変わらない、としか答えないと知ってて聞くんじゃない。」
「挨拶のようなもんだ。お前と違って、三ノ宮が面通り出来るのは年に数回。」
「公には、だろ。若葉が来ればあいつは手をたたいて喜ぶぞ。」
「そうもいかない。」
「邸を抜け出しては盗賊なんぞやってるくせに、礼節は重んじるのか。」


色の違う両の目は放っておけ、と言わんばかりに細まって
若葉は床を滑り柱にもたれ庭の藤を見た。
今年も立派に咲いているが、確かに散り始めだ。


「いつまで盗賊ごっこをやってるんだ。」
「ごっこではない。」
「三ノ宮の中官が義賊に興じていると知れれば事だぞ。」
「わかっている。だが孝仁、この国の官府は腐っている。農民を筆頭に弱き者は蔑まれ、ゲスの貴族達の懐ばかりぶくぶく太っている。
国民は宮処は正しいと信じ平和に酔っているが、何を犠牲の上に立った平和か知ろうともしない。
中枢にいる奴らは宮様のご機嫌取りに必死で、国民のことなど二の次だ。
表立って抗議出来ない分、汚い奴らに手洗いやり方で鉄槌を下しても神木は怒るまいよ。」
「お前の正義感が強い事は昔からよく知ってるし、言いたいこともわかる。俺も一ノ宮でありながら政(まつりごと)より宮の子守で精一杯だ。
お前が嫌う貴族と同罪だろう。」
「戯れ言を。藤堂家は清廉潔白。一宮がしっかり官府を睨んでくれてるおかげで悪化せずに済んでる。」
「俺が心配してるのはー」
「問題ないだろう。桜栄の当主は鷹司の明良がよくやっている。俺の汚名が降りかかったところで痛くもかゆくもない。」
「いっそ貴族をやめて盗賊で生きていこうとでもいうのか。」
「それが出来たらどんなにいいか。俺は当主ではないが三ノ宮だ。桜姫のお側から離れられない証がある。
個人的にも、あいつは守ってやらねばならない。蘭がまた夢をみたそうだ。」
「ああ・・・。例の宮様が鬼に喰われるという悪夢か。」


一ノ宮の声が低く重いものにかわり、持っていた杯まで重くなってしまったかのように胸の前から膝の上まで落ちる。
酒ではなく、蜜柑の果汁を加えた水の澄んだ水面をじっと見下ろす。


「お前が拾った神子の予言は外れない。夢もまた然り、か・・・。」
「わからん。夢が正夢になった事例はまだ出ていないが、繰り返し何度も見る理由はさぞ重要なんだろう。」
「瑛人が殺気立っててな。随分神経質になった。」
「話したのか?」
「いや。ただ悪夢が現実になるなら、瑛人もまた悪い予感を感知しているんだろう。」
「孝仁も気苦労が多いな。」
「そう思うなら盗賊なんぞやめて宮様のところへ通っててくれ。」
「宮様がそう断言しない限りは続けるさ。」


今は右の赤目だけしか見えない横顔の哀愁と諦めを感じ取りながら、孝仁は杯を盆に戻した。


「桜姫が鬼に食べられたとして、どうなると思う。」
「姫は病を治し悪いものを遠ざける。散り時がくるまで美しい姿のまま生き続ける。が、唯一弱点があるとすれば鬼だ。
“あるはずもない者”だけが桜姫の親である神木の力を奪えたのだからな。
その鬼に殺されたなら、この国どころかありとあらゆる命がつきる。
この世に生きる全ての生き物は、桜姫の恵みの力によって生かされてるに過ぎない。
現世が終わり常世と混じるならば、それもまた一興。この世は姫と、神木と一連託生なんだからな。
人間や動物、植物までも神木が生きていくために作られた世界のおまけに過ぎない。
三神の家の人間のみがしってる真実だ。どうもなりはしない。何を不安がっている。」
「俺は宮様を自由にしてやりたかったんだ。」


幼い頃から友人で、気心しれた幼馴染みが出すか弱く切実な声に若葉は顔を彼に向けた。
背は誰よりも高く体格もいいというのに、子供みたいに泣き出すんじゃないかとすら思った。
それは叶わぬ願い、傲慢が生んだ我が儘と知りながら、願わずにはいられぬ無情に苦しんでいると、すぐに気づく。


「普通に生きて、普通に子供を産んで、普通に老いていけたら、置いていかずに済むのに。」
「その普通とやらが本当に幸せかどうかは当人にしかわからないが、今の宮様はお前がいて幸せだと思うぞ。
少なくとも、普通に笑って楽しむことができるようになったんだ。お前の力だよ、孝仁。
なんならお前が娶ればいい。お前なら老中達も文句はいいまい。」
「戯れ言を。」


現在の一ノ宮家の家紋と同じ藤が微かな風にその香りを乗せて笑っている気がした。







 

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