top of page
sakura.jpg

六、薬売りと乾物店の小間使い

今朝早くに摘んできた甘草の根だけを残し、花と茎を除き
年季の入った染みだらけの木造机に並べていく。
外皮を剥き、この後しばらく乾燥させるのだ。
次に、桂皮の樹皮を細かく切って薬研で細粉になるまですり潰していく。
車輪を前に後ろに引いていると、両足の膝辺りに重りが二つぶら下がった。


「兄ちゃーん。蹴鞠しようよ-。」
「仕事中だ。」
「お兄ちゃん、配達行くの?」
「桃那の同僚が風邪引いたんだと。」
「桃姉ちゃんの頼みじゃ断れないよねー。」
「よかったね兄ちゃん!」
「うっせぇ。」


まだ六つのくせにませた事をいう双子の弟、要と太一は
兄が薬研を回し始めるとこうして兄の足に絡まってくる。
小さい頃ならよかったが、そろそろ育ってきたので足の上に乗られると重く
要の方が少しだけ大きくて木にぶら下がる猿のように腕で体を支えるもんだから
踏ん張る力が要がいる足に傾いて均衡を取るのが難しい。
薬研の近くは危ないからと何度も注意してきたのだが、
何度言っても聞かないので、このごろは注意すらしなくなった。
薬売りの家系だというのに、両親が病気で死に残された弟を養うため兄の大和が働き始めてからというもの
双子は我が儘を控えるようになったが、こうして作業してる兄が好きなのか邪魔をしたいのか
必ず今から作業部屋にやって来ては兄の足にぶら下がるのだ。


「お前ら、暇なら畑から大根と人参抜いてこい。」
「大根はお薬にならないよ?」
「昼飯にすんだよ。桃那の所に薬届けたら、その金で味噌を買ってきてやる。」
「お味噌汁だ!」
「いくよ要!」
「あい!」


双子は兄の足からあっさりと離れ、戸口の脇にある竹ざるを頭の上に抱え庭の畑に向かった。
農民より生活が厳しいこの家では、味噌など滅多に帰る品ではない。
おまけに、薬売りが病で死んだという悪評が広がってからは彼の薬を買ってくれるお得意様も激減した。
今は旅人目当てにふらつくか、農民や貧民相手に商売をするが、同じく生活の厳しい農民からは野菜や肥料など物々交換。
金銭が手に入るのは珍しい。
大和は薬研を回す手をとめ、真正面にある壁を切り抜いただけの壁から外をみた。
ちょうどその四角い空間に、小屋の脇に生えた桜の木が見えるのだ。
野生の桜は珍しく、ただ一本だけの若桜が春を知らせてくれている。
薄い桃色の花弁の周りには瑞々しい新緑の緑が桜の神秘さを引き立ててくれているようだった。


「なに黄昏れてんだよ。まだ昼前だぞ。」
「うわっ…!脅かすんじゃねぇよ、真人・・・」


切り抜かれた四角い植物の世界に、突然茶の髪をした青年が顔を出した。
まだ寒い夜が続くというのに、袖のない上着を着て、作業部屋を覗くように窓枠に肩肘をつく。
男にしては長い髪をして、前髪の下にある顔は少女と通じる部分があり、中性的な顔立ちだが
袖のないために露わになっている肩や腕の筋肉は確かに男の物で、彼は女と間違われないために
わざと袖無しの着物を着ているんじゃないかと思っている。
気配も音も気づかずまんまと驚かされてしまった大和は、居住まいを正して窓に寄りかかる来訪者を軽く睨む。


「またサボってやがんのか。」
「旦那様のお使いで近くまで来たから寄ってみたんだよ。桃那と会うんだって?」
「何で知ってやがる。」
「今さっきすれ違った太一くんに。」


にやにやと言葉含みに口元を歪める真人からわざと目を背け、薬研を再び動かす。
桂皮は大分細かくなっている。
大和の数少ない友人の真人は、街中にある乾物屋で奉公している。
身よりもなく彷徨っていたところを乾物屋の主人が拾って世話をしてくれたとかで
それ以来彼は恩を返すため店と主人を手伝っている。
こんな町外れのさらに外れにある廃れた小屋とは打って変わって町中は綺麗で栄えている。
小間使いとはいえ、真人自身も商人と同じような身分なのだが
こうして暇をみては友を訪ねてくれる。
それだけじゃない。顔の広さを最大限に生かし、いい薬屋があるんだと大和の薬を進めてくれるらしい。
町には大きな薬売り屋があるから、滅多に買いにくる客はいないが、それでも真人経由で売れることもあるし
乾物屋主人はたまに疲労回復の漢方を注文してくれるし、女将さんは冷え性に効く漢方を。
真人には友人であり、恩人でもあるので感謝をしているのだが、
大和のひねくれた性格上素直に礼を述べたことはなかった。
もちろん、礼なんぞにこだわらない友は、まだにやにやと笑っていた。


「良かったなー。宮家に使える女中に滅多に会えないもんなー。」
「ただ薬を売りに行くだけだ。」
「久々に会えて嬉しいくせに~。さっさと好きだと告げてしまえよ。」
「ンなんじゃねぇよ!!」


否定になってない強めの声と赤い顔にケラケラ笑った真人は、窓枠についていた手に顎を乗せた。


「うらやましいな、そういうの。」
「は?町には綺麗な服着た美人ばっかだろう。」
「そういうんじゃなくてさ、大和は望めば桃那と一緒にいられるし、一緒に想い合える。」
「無理だろ。」
「不可能ではない。」
「なんだ、叶わぬ恋でもしてるのか。初耳だな、お前が誰かに惚れたなんて。詳しく話をー…」


普段の仕返しに問い詰めようと顔を上げたと同時、離れた場所から自分を呼ぶ双子の声が届いた。
悪戯を仕掛ける時とは違う切迫した叫びに戸口から外に飛び出した。
小屋を回り、すぐ隣にある畑を見渡す。
大根、人参、ほうれん草はそこに静かに植わっているのに、双子の姿が見えない。


「大和、あそこだ!」


後ろからついてきたいたらしい真人が小屋の下にある川を指さした。
小屋がある丘に沿うように山から流れる幅の狭い川が流れており、緩い坂の下に、確かに双子が蹲っていた。
心臓が確実に縮まった音を聞きながら、普段見せない必死さで坂を走る。


「要!太一!どうした!?」
「兄ちゃ-ん。このお姉ちゃん山から流れてきたみたいだよ。」
「息してないんだよ。」
「お姉ちゃん?」


声からして大事が起きたと焦ったのだが、双子の表情に逼迫した様子はなく
けがが無いことに安堵したが、双子の足ともに黒い塊が落ちていて、それが女性だと気づくのに少し時間がかかってしまった。
女性、いや真人と同い年ぐらいの少女は、下半身を川に沈めたまま、上半身だけ陸に着きだしている。
まとっている服も、顔を覆っている髪も黒いので焦っていた脳では識別出来なかったのだろう。
ここは細く穏やかな流れの、ほんの小川だが、上流では流れも勢いもある横幅も広い河川だ。
足を滑らせおぼれたのだろか。
双子がまだ死がわかっていなくてよかったと無情なことを考えていると、真人が横をすり抜け女性を陸に引き上げようと踏ん張りだした。
少女は水を含んでいたし、真人は恐ろしく非力だ。男のくせに女より力が無いため少女の肩辺りを引っ張っても
少女の下半身は水の中に沈んだまま。


「そうじゃねぇ、ここに腕を通してだな・・・」


少女の脇に腕を引っかけ、持ち上げると真人も同じように引き上げにかかり、なんとか陸に寝かすことに成功した。
大和は幼い頃から父について病人がいる家に訪問したことがある。
中には、薬ではまかなえぬ病で死んでいった客人もいたので、この少女がすでに事切れていることは脈をみずともすぐにわかった。
面倒だが、弔いぐらいしてやろうと思っていると、突然真人が少女の口に自らの唇を押し当て空気を送り出した。


「無駄だ。もう心臓が止まってだいぶ時間が過ぎている。第一、肺の中に水が貯まっていればいくら酸素を送ってもー」


驚くべき事がおきた。
少女が咳をつき口から水を吐き出したのだ。
ただ酸素を送っただけで、息を吹き返した。真人は心臓を揉んでもいないというのに。
少女が溺れたのは上流ではなく下流で、気絶していただけだったのか。
いやしかし、先程の少女は確かに死に絶えていたはずだ・・・。


「嘘だろ・・・。」


少女は目を開くことはなかったが、自ら呼吸を始めたのを確認すると、真人が顔を上げた。
その長い前髪に、少女についていた雫が乗り移っており、ぽたりぽたりと野草の上に落ちる。
長い友人である大和ですら見ほれてしまうほど、その姿は官能的で美しかった。
どこか神秘さも醸し出している横顔は、彼がみたこともない色をつけている気がした。


「大和、小屋を貸して。看病したい。」
「・・・厄介ごとに巻き込まれるのはごめんだが、病人を放ってきたとしれれば看板に泥がつく。」
「ありがとう。」


真人より背が低いが、真人より力がある大和が全身びしょ濡れの少女を背負い緩い丘を上がる。
その後ろについていた双子の弟太一は、川岸に光る何かを見つけて手を伸ばした。
子供の手に余るぐらいの、青い珠だった。






 

bottom of page